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青が呼ぶ

水谷駿

花と塵


状況は変わらず、誰にも認められない日々が続いていた。

君が働きに出ている間、僕は毎日、このゴッホの部屋を模した汚れた空き箱のようなアパートの部屋の片隅で曲を書いていた。そうして作り上げた作品を纏めて音楽事務所やレコード会社に持ち込んでは、担当者を名乗る奴らに目も合わされず足蹴にされる毎日が続いた。

真面な人間たちは疾うに僕と縁を切っていたから、寄る辺もなく、僕らはただ孤独に音楽と向き合うだけの日々だった。それでも君は不満の一言も口に出さなかった。

「毎日、退屈な思いをさせてごめん」

或るとき僕が呟くと、

「楽しいから平気だよ」

君はそう返してくれた。

一瞬、時が止まった。

瞼の裏が焼けるように熱くなったその瞬間を、今でも鮮明に覚えている。

――楽しいはずがない。

この絶望的な状況下、それでも君は僕を傷つけないように、最大限の言葉を選んだのだ。

返す言葉が見つからなかった。最早「ありがとう」とか、そんな言葉では払拭しきれないほどの思いが込み上げてきたからだ。

何としてでも売れて、この生活を抜け出さなければならないと思った。でないと、このままでは君の人生まで道連れにしてしまう。

自覚している。僕は自分のためにしか生きられない自分勝手な人間だ。だから周りの人間に尽く見捨てられてきた。そんな僕の人生なら塵芥であろうと仕方がない。

でも、君は違う。君は人のために生きることができる。君の人生は花であるべきだ。

頭が割れるほど考えた。どうしたら良い。どうしたら他人に認めてもらえるのか。

***

そんな矢先、衝撃的なニュースが世間を賑わせた。

或る俳優の自殺だった。

彼の自殺は連日報道され、その動機や背景には様々な憶測が飛び交った。しかし僕が一番驚いたのは、死後、彼の存在そのものが神格化され始めたことだ。

通例、人は死ねば忘れ去られていくものだ。しかし彼の場合は逆だった。彼が生前関わった作品群は、彼の死後、軒並み高く再評価され始め、今までどこにも姿を表さなかったはずの無数の信者たちが突如インターネット上に湧いた。

僕は、死者が神となる瞬間を目の当たりにした。

***

思えばそうだ。エイミー・ワインハウスやカート・コバーン、尾崎豊だって、仮に今も存命であれば、果たして今日のような絶対的な評価を得ることができたのだろうか。彼らの場合、其処に死が介在したことによって、大衆を扇動することが可能になったのではないか。

そうだ。ゴッホだって、あの日麦畑で死んでいなければ、落ちぶれたまま生き存え、ただの有象無象の画家のうちの一人として、風のように消え去っていたのかもしれない。

――そのとき、僕の頭に過ぎったのは、この上なく愚かな考えだった。

それは半ば無謀な賭けだったが、不思議と怖くはなかった。むしろ、このまま夢に囚われ、誰にも認められないまま年老いていくことの方が僕には耐えられなかった。そして何より、君に幸せになってほしかった。僕の音楽が漸く世間に認められるかもしれない――その瞬間・その景色をどうしても君に見せてあげたかった。

***

そうして僕は最後の曲を書き始めた。未だ嘗て誰も書いたことのない曲、作者の死を持って完成する曲だ。

さよなら。

幼少から僕の心の支えであり、苦しみも喜びも分かち合ってきた音楽に、今、別れを告げなければならない。それならば、僕は最後まで音楽と一緒が良い。僕の人生の全てだった音楽と共にこの世から消えることができれば、それがきっと僕にとっては本望だろうから。

震える手で、僕は生涯最後の曲を書き上げた。

『心中公演』

音楽と心中する青年の物語だ。

これで良い。これで漸く君は僕から解放されるのだ。

これが僕にとって唯一の贖罪の手段だ。

そして僕は、このデモテープに添える手紙を書いた。

***

「君にはこの数年間、本当に世話になった。

いつまで続くか分からないこの汚れた空き箱での生活、真っ闇な景色の中、

何があっても僕を見捨てず付いてきてくれたこと、本当に感謝している。

それなのに僕は、君に何一つとして与えてあげることができなかった。

自分が情けなくて、今となっては君に何と謝れば良いかも分からない。

本当に済まなかった。

これからどうするべきか、僕なりに思案していたんだけれど、

将来のことを考えたとき、これ以上君の人生を壊してはいけないと思ったんだ。

だから、僕は少し遠くへ行こうと思う。

最後まで身勝手なことを言うが、

どうか、僕を忘れてくれ。

そして僕のいない世界で幸せになってほしい。

いや、本当を言うと忘れてほしいなんて嘘だ。できるなら君と一緒に幸せになりたかった。

でも、これが僕の導き出した答えだ。どうか、許してほしい。

何者にもなれない、間違いだらけの人生だったけれど、君に出会えて本当に良かった」

書き慣れない手紙の最後は、そう認めた。もう、何一つ思い残すことはなかった。

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