捨てられた前世【大賢者】の少年、魔物を食べて世界最強に、そして日本へ

月城友麻

4章 神々の領域

4-1. 堕ちた使徒、メイド

「主さま! さすがですぅ~!」
 ルコアが少女姿で飛んできてヴィクトルに抱き着いた。
「おわぁ! ちょ、ちょっと……あわわ……」
 いきなり抱きつかれ、勢いでクルクルと回り、焦るヴィクトル。
 でも、ルコアが街を守っていてくれたから全力で戦えたのだ。
 ヴィクトルはルコアを優しくハグし、
「ありがとう……」
 と、言って、甘く香る優しいルコアの匂いをゆっくりと吸い込む。

        ◇

 その時だった、いきなり風景が全てブロックノイズに覆われる。城壁も山も焦げた麦畑もすべて大小の四角の群れと化し、色を失い……、やがてその姿は全て壊れていき……、最後には全て何もない真っ白の世界になってしまったのだった。

「な、なんだ!?」
 ヴィクトルは唖然とする。ルコアは全身の力が抜け、まるで糸の切れた操り人形のようにぐったりと崩れていく。
 ヴィクトルは必死に支えようとするが、全く力が入らない。とっさに飛行魔法を使おうと思ったが魔力を全く引き出せなかった。
「えっ!?」
 支えきれずに、ルコアはゴロンと真っ白な床に転がった……。
「ああっ! ルコアぁ!」
 ルコアは意識を失ってしまっている。

「な、なんだこれは!?」
 ヴィクトルは周りを見渡すが……、そこは完全に真っ白な世界。何もなかった。真っ白な床に真っ白な空。距離感も狂う異常な空間だった。
 一生懸命魔力を絞り出そうとするが一向に引き出せる気配がない。
「一体どうしちゃったんだ?」
 急いでステータス画面を見ようとしたが、画面も開かない。全ての魔法、スキルが無効だった。
 ここでヴィクトルは気づく。レヴィアは『魔法は後付け』と、言っていた。であればここは魔法のない『オリジナルの世界』なのではないだろうか?

「坊ちゃま! 妲己壊されたら困るのよね」
 いきなり声をかけられ、ヴィクトルは驚いて振り返った。
 そこには去年、自分を陥れたメイドが立っていた。メイドはくすんだ灰色アッシュの髪を長く伸ばし、胸元が大きく開いた漆黒のワンピースに身を包み、いやらしい笑みを浮かべている。
「お、お前は……?」
「改めましてこんにちは、私はヒルド、この星の元副管理人よ。まさかここまで強くなるとは……さすが大賢者だわ」
 ヒルドはニヤッと笑った。
 ヴィクトルは予想もしなかった展開に驚き、言葉を失った。レヴィアの言っていた心当たりとは、なんとあの偽証したメイドだったのだ。それも管理者アドミニストレーター権限を持ってる危険な存在……。ヴィクトルは全身の毛がゾワッと逆立ち、絶望が体中を支配していくのを感じていた。
「あら? もう忘れちゃった?」
 ヒルドはドヤ顔で見下ろしながら言う。
 一体いつから、何のために? ヴィクトルは必死に頭を働かせる。しかし、さっぱり分からない……。
 ヴィクトルは大きく深呼吸をすると叫んだ。
「僕を暗黒の森に追放させたのもお前の仕業か!」
「ふふっ、だって坊ちゃまは無職とか選んじゃうんだもの。せっかくの計画が台無しだったわ。エナンドとハンツが坊ちゃまを疎ましく思ってたので、利用させてもらって追放させたの。でもまさか……生き残ってこんなになっちゃうなんてねぇ……」
 ヒルドは感慨深げにヴィクトルを見た。
「ここはどこなんだ? 僕たちをどうするつもりだ?」
「ここは予備領域……、いろんなテストに使う空間よ。レヴィアに見つかると面倒だから来てもらったわ。坊ちゃまにはうちの広告塔になってもらうの。何といっても妲己を倒したアマンドゥスの生まれ変わり……、うってつけだわ」
 ヒルドはうれしそうに言う。
「広告塔? ドゥーム教か?」
 ヴィクトルはヒルドを鋭い目でにらんだ。
「そうよ。宗教がこの星を救うのよ」
 ヒルドはニヤッと笑う。
「救う……?」
「今、この星はね、文化も文明も停滞してるの。このままだと消されるわ」
「消される!? いったい誰に?」
「この宇宙を……統べる組織よ。彼らは活きの悪い星を間引くのよ……」
 ヒルドは肩をすくめる。
「それで宗教で活性化を狙うのか? でも、ドゥーム教にそんなことできるのか?」
「ドゥーム教はね、信じるだけで儲かるのよ」
「は!?」
「信者は毎月お布施を払うんだけど、その一部を紹介者はもらっていいの。たくさん開拓した人は大金持ちになるのよ」
 ヒルドは手を広げ、うれしそうに言った。
「それはマルチ商法じゃないか!」
「そう、信者を通じて大きく金が動くわ。新たな経済圏が広がるのよ」
「バカバカしい! マルチは国民の多くが信者になった時点で破綻する!」
「そうよ。そしたら次の宗教を立てるの」
 ヒルドはニヤッと笑う。
「はぁっ!?」
 ヴィクトルは混乱をいとわないヒルドの強引な計画に頭が痛くなった。











4-2. 神々の死闘

「狂ってる……」
 ヴィクトルはうんざりした表情を見せた。
「分かってないわね。人々を活性化させることが目的なんだから、なんだっていいのよ。自分にも大金持ちになれる道がある。そう思わせられれば成功なのよ」
「平民でも金持ちになれる夢を持たせるって……ことか?」
「そう。今、この世界に足りないのは夢よ。王侯貴族がふんぞり返って利権でガチガチに固め、庶民は一生貧困のまま。ドゥーム教はそんな社会を根底から変える力があるわ」
「それで国王を襲ったのか?」
「ミヒェルね。あいつバカなのよ。私は『待て』って言ったのに先走っちゃったのよね……」
 ヒルドは手のひらを上に向け、首を振る。
「貧富の差は確かに問題だ。でも、あなたの計画も社会を混乱に陥れ、多くの人が死ぬ。そんなことに協力はできない」
 ヴィクトルはまっすぐな目で言い切った。
「ははっ、あんたバカね。これはお願いじゃないの、命令よ。魔法も使えない六歳児に一体何ができるのかしら?」
 ヒルドはバカにした目でヴィクトルを見下ろす。
「僕が弱かろうが何だろうが協力などしない!」
 ヴィクトルは断固たる態度でヒルドをにらむ。
 ヒルドは、そんなヴィクトルをしばらく面倒くさそうに眺め……、
「あらそう、じゃ、この娘をこのままスラムに放り投げるわ」
 そう言うと、弱って横たわっているルコアを足で小突いた。
「へっ!?」
「この美しい肌が、女に飢えた男たちに次々と穢されるんだわ……。うふふ、ゾクゾクしちゃうわ……」
 ヒルドはそう言ってルコアのワンピースをグッとたくし上げ、白く美しい肌をあらわにする。
「や、止めろ! 彼女は関係ないだろ!」
 ヴィクトルは真っ青になってルコアのワンピースを押さえようとしたが、突き飛ばされてゴロゴロと転がった。
「お前は本来何の力もない子供……。自覚してもらわなきゃ困るわ」
 そう言うとヒルドは、鋭い爪の先でルコアの白く柔らかい太ももの内側をツーっと裂いた。真紅の鮮血がタラリと垂れてきて白い太ももを穢す。
「止めろ! 止めてくれ――――!」
 ヴィクトルは叫んだ。
「ふふっ、協力する気になった?」
 ヒルドはニヤッと笑う。
 ヴィクトルは目をつぶり、大きく息をつくと、
「レヴィア様がこんなのは許さないぞ」
 そう言ってヒルドをにらんだ。
「ふふん、あのロリババアなんかもう怖くないの」
 ヒルドがそう言った直後、

 ドン!
 衝撃波がヒルドを襲い、ヒルドは吹き飛ばされ、二、三回転してもんどり打った。
「ロリババアが何だって?」
 気がつくと、隣で金髪のおかっぱ娘が怒っている。
「レ、レヴィア様!」
 ヴィクトルはその頼もしい登場に歓喜した。
「お主、でかしたぞ。ついに尻尾をつかめた」
 そう言うとレヴィアは、両手のひらをヒルドの方に向け、精神を集中させる。

 狼狽を隠せないヒルドは急いで立ち上がると、プロテクト! と叫ぶ。真っ青な氷山のような分厚い壁が床から吹き上がった。
 レヴィアは無表情のまま、
空間断裂ディスロケーション!」
 と叫び、手のひらを上下にずらす。

 直後、ズン! という音と共に空間が上下に断層のようにずれ、氷山とヒルドを上下にずらした。
 氷山は霧消し、頭から真っ二つにずらされたヒルドは、血を飛び散らせながら、身体の半身ずつバタバタッと崩れ落ちる。
 それはまさにホラーのようなおぞましい光景で、ヴィクトルは思わず目を背ける。

 それでもレヴィアは手を止めない。
「そいやー!」
 レヴィアは右足をパンと前に一歩踏み出す。すると、足元から黒い何かのラインが何本もシューッと床をってヒルドの血まみれの身体に迫った。
 血まみれの右半身は素早く飛び上がり、ラインを回避したが、左半身は反応が遅れ、ラインに捕まる。
 直後、左半身は四角い無数のブロックノイズに埋もれ、ぐぎゃぁぁぁ! という断末魔の叫びを上げ消えていった。











4-3. 異次元の応酬

 右半身は血しぶきをまき散らしながら、起用にケンケンと一本足で飛びはねる。そして、驚異的な跳躍でレヴィアへと迫った。
 レヴィアは両手をガッと持ち上げ、黒いラインを呼び戻すと、背後からヒルドの右半身にとりつかせた。
 同時にヒルドは右手をレヴィアに向け、グガァ! と、叫ぶと、右手から青いビームをレヴィアに向けて発射する。

 激しい爆発音が次々と起こり、同時に二人の身体が青白く光り始めた。

 レヴィアはクッと歯を食いしばると、目の前を右手でブンと振る。すると、真っ黒い画面を四つ浮かび上がった。そして、目にも止まらぬ速さで両手で画面をタップし始めた。

 ヌォォォォォ――――!
 レヴィアが気合を入れ、タップ速度が上がり、金髪が猫のように逆立っていく。
 
 ぐるぎゅぁぁ!
 ヒルドの右半身は奇怪な音を発し、血をビチャビチャとしたたらせると青いビームをさらにまばゆく輝かせた。

 やがて二人の周りにはバチバチと音を放ちながら、四角いブロックノイズが浮かび上がってくる。
 ヴィクトルは世界の管理者アドミニストレーター同士の常識の通じない戦闘に、なすすべなく呆然ぼうぜんと見つめるばかりだった。

「よぉ――――し!」
 レヴィアは叫ぶと勝利を確信した笑みを浮かべ、画面を右手でなぎはらった。

 ぐぎゃぁぁぁ――――!
 ヒルドは断末魔の叫びを上げながらブロックノイズの海へと沈んでいく。

 レヴィアは腕を組んで、大きく息をつくと、
「静かに……眠れ」
 と、少し寂しそうに声をかけた。

 ブロックノイズが収まっていくと、最後に黒い丸い石がコロンと落ち、転がっていく……。
 怪訝けげんそうにそれを見つめるレヴィア……。

 直後、黒い石はどろんと溶けると、白い床をあっという間に漆黒に変え、広がっていく。

「ヤバいヤバい!」
 レヴィアはそう叫ぶと、ヴィクトルとルコアを抱えてピョンと飛んだ。

         ◇

 ヴィクトルが気がつくと、三人は焼け焦げた麦畑に立っていた。
「主さまぁ――――! うわぁぁん!」
 ルコアがヴィクトルに飛びついてきて涙をこぼす。
 ヴィクトルはポンポンとルコアの背中を叩きながらルコアの体温を感じる。
 ひどい目に遭わされそうになったルコアは、身体を震わせながらオイオイと泣いた。
 ヴィクトルは甘く優しいルコアの香りに癒されながら、ゆっくりとルコアの背中をさすり、心から安堵をする。
 管理者アドミニストレーターの圧倒的な力、それはまさに神であり、とても人間の及ぶものではなかった。ヴィクトルはその絶望的なまでの格の違いを思い出し、思わずブルっと身震いをする。そして、二度と戦うようなことがあってはならないと肝に銘じた。

 ふと見ると、レヴィアは小さな水槽みたいな直方体のガラスケースを手に持っている。
「これ、何ですか?」
 ルコアをハグしながらヴィクトルがのぞき込むと、中では黒いスライムのようなドロドロとしたものがウネウネと動いていた。
「これはさっきいた空間じゃな。奴を閉じ込め、コンパクトにしたんじゃ」
 レヴィアはニヤリと笑う。
「え? ではこのドロドロはヒルド?」
「そうじゃ、暴力で訴えてくる者には残念ながら消えてもらうしかない。さらばじゃ!」
 そう言うと、レヴィアは水槽に力を込めた。
 水槽の中に青白いスパークがバリバリっと走り、水槽はブロックノイズの中に消えていく。怪しげな宗教で社会の混乱を狙ったヒルドは、こうやって最期の時を迎えたのだった。
 ヒルドはヒルドなりに社会の活性化を目指したのかもしれないが、暴力を辞さない進め方が本当に人類のためになるのかヴィクトルには疑問だった。

「ヴィクトル――――!」
 ルイーズが駆けてやってきて、ヴィクトルに抱き着く。
 ルコアとルイーズに抱き着かれ、足が浮いて思わず苦笑いのヴィクトル。六歳児は小さく軽いのだ。
「見てたよ! す、凄かった! ありがとう!!」
 ルイーズは声を詰まらせながら言った。
「麦畑全滅させちゃった。ごめんね」
 ヴィクトルはルイーズの背中もポンポンと叩く。
 レヴィアが横から言う。
「魔石が散らばっとるから、あれ使って復興に当てるとええじゃろ」
「あ、ありがとうございます……。あなたは?」
 ルイーズは金髪おかっぱの美少女を見ると、ポッとほほを赤くして言った。
「我か? 我は美少女戦士じゃ!」
 そう言って、得意げに謎のピースサインのポーズを決める。
 ポカンとするルイーズとヴィクトル……。

「レヴィア様、そのネタ、この星の人には通じませんよ?」
 ルコアが突っ込む。
「あー、しまった。滑ってしもうた……」
 恥ずかしそうにしおれるレヴィア。
 ヴィクトルはコホン! と咳ばらいをすると、
「兄さん、彼女はこの星で一番偉いお方で、今回も彼女に危機を救ってもらったんだ」
 と、説明した。
「一番偉い? 王族の方?」
 キョトンとするルイーズ。
「王族よりも偉い……、この星を作られた方だよ」
 ヴィクトルがそう言うと、レヴィアは腕を組んで得意げにふんぞり返った。
「へっ!? か、神様……ですか?」
「神様……とまでは言えんのう。神の使い、天使だと思うとええじゃろ」
 レヴィアはニヤッと笑った。
「て、天使様。私はこの街の新領主、ルイーズです。なにとぞ我が街にご加護を……」
 ルイーズはレヴィアにひざまずいた。
「我はどこかの街に肩入れする事はできん。じゃが、相談には乗ってやるぞ」
 ニコッと笑うレヴィア。
「あ、ありがとうございます」
 ルイーズは深々と頭を下げた。









4-4. 火口の神殿

「領主様――――!」
 遠くで宰相がルイーズを呼んでいる。魔物の脅威は去ったが、麦畑は全滅、混乱からの出発となったルイーズにはやる事が山積みだった。

「落ち着いた頃にまた来るよ」
 ヴィクトルはそう言ってルイーズに右手を出した。
「ありがとう。その時には祝勝会でもやろう!」
 ルイーズはガッシリと握手をする。
「急用があったら王都のギルドの『子供』に言付けをたのんで」
「子供で通じるの?」
「ふふっ、ちょっと活躍しちゃったからね」
 ヴィクトルは自嘲気味に言った。
「目に浮かぶようだよ」
 ルイーズはうれしそうに笑う。
 そして、
「ではまた!」
 と、名残惜しげに駆けていった。

「祝勝会か、ええのう」
 レヴィアがポツリとつぶやく。
「三人でやりますか?」
 ヴィクトルはニコッと笑って言った。
「やっちゃう?」
 ニヤッと笑うレヴィア。
「やりましょう!」
 ルコアがノリノリで手をあげる。
「じゃあ、我の神殿でエールでも飲むとするかのう!」
 レヴィアはうれしそうに空間を裂き、神殿へとつなげた。

        ◇

 神殿は総大理石造りの荘厳なものだった。広間の周りには幻獣をかたどった今にも動き出しそうな石像群が宙に並び、揺れる魔法の炎の間接照明で幻想的に演出されている。
 ヴィクトルは不死鳥フェニックスの石像に近づき、その不思議な石像を観察しながら触ってみた。すると目が動いてにらまれる。
「えっ!?」
 驚いていると、
「そいつは強いからあまり刺激せん方がいいぞ」
 そう言ってレヴィアはニヤッと笑った。
「生きているんですか!?」
「仮死状態でスタンバっておるんじゃ。何かあったら動き出すぞ。ちなみに、ルコアも千年前はここに並んでおったんじゃ」
「うふふ、懐かしいです」
 ルコアは目を細め、微笑んだ。
「えっ? ではこの不死鳥フェニックスも人になるんですか?」
「赤毛の女の娘じゃ、可愛いぞ。まぁ、まだ意識はないがな」
 ヴィクトルは常識の通じない世界の話に、どう理解していいか分からず眉をひそめる。
「主様こっちよ! いいもの見せてあげる!」
 ルコアがヴィクトルの手を取って神殿の出口に引っ張った。
「えっ? ちょ、ちょっと!」
 
 ヴィクトルが連れられるがままに神殿を出るとそこは洞窟となっており、さらに向こうにまぶしい出入口が見える。
 どうやら神殿はどこかの洞窟内に造られたものらしい。
 出入口まで行くと、なんとそこは断崖絶壁だった。見下ろすとオレンジ色に光りながらぐつぐつと煮えたぎっており、蒸気が上がっている。熱線を浴びて顔が熱くなってきた。マグマだ……。
 足元の石が崩れ、パラパラと火口へと落ちて行く。
 ヴィクトルはどこかの活火山の火口にいることに気がつき、思わず背筋が凍った。
「綺麗でしょ?」
 ルコアはうれしそうに言うが、噴火したら神殿ごと吹き飛んでしまうのではないだろうか?
「いや、これ……、危ないよね?」
 ヴィクトルが眉をひそめながらそう言うと、
「レヴィア様は『誰も来ないから安全じゃ』って言ってましたよ?」
 と、不思議そうに返事をする。
 確かに火口の断崖絶壁の洞窟を目指そうとする物好きはいないだろう。しかし、そういう問題だろうか……?
 ヴィクトルは火口の形に大きく丸く切り抜かれた青空を見上げ、ため息をついた。

「おーい、始めるぞー!」
 奥からレヴィアの声が響く。

        ◇

 神殿の小部屋でレヴィアがジリジリとして二人を待っていた。
 テーブルの上には酒樽と料理が山のように用意されている。
「はよう座れ!」
 二人はレヴィアの向かいに座り、早速乾杯をする。
「二人とも、ご苦労じゃった。勝利を祝して、カンパーイ!」
 嬉しそうに酒樽を持ち上げるレヴィア。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」
 ルコアは酒樽を、ヴィクトルはビン入りのサイダーをゴツゴツとぶつけ、勝利を喜んだ。












4-5. 宴会は月面で

「カ――――! 勝利の味は美味いのう!」
 酒樽をガン! と置くと、レヴィアは泡を付けたままうれしそうに笑う。
「妲己はさすがでした。思ったより強くて危なかったです」
 ヴィクトルは戦いを振り返りながら言った。
「お主の青い光、あれには驚かされたぞ」
 レヴィアは肉をむさぼりながら言う。
「宇宙に行った時にですね、仕掛けをしておいたんです」
「二人で宇宙へ行ってきたんです! ランデブーですよっ!」
 ルコアがうれしそうに報告する。
「宇宙? どこまでいったんじゃ?」
「うーん、この国の島が見渡せるくらいでしょうか?」
「地上四百キロくらいじゃな。なんか面白い物は見えたか?」
「本当は月へ行こうと思ったんですが、全然届きませんでした……」
「はっはっは、月は三十八万キロじゃ。その千倍くらい遠いぞ」
 レヴィアは愉快そうに笑った。
「千倍! 主さま、行かなくてよかったですね!」
 ルコアが圧倒されながら言う。
「ちょっと無謀でしたね。行ったら何か分かると思ったんですが……」
 するとレヴィアは、腕を高く掲げてパチンと指を鳴らした。
 すると、窓の外に見えていた神殿の柱や洞窟の壁が無くなり、陽の光が射す岩だらけの景色となって、身体がすごく軽くなる。
「ほれ、何か分かるか?」
 ニヤッと笑うレヴィア。
 ヴィクトルは驚いて窓に駆け寄った。ゴツゴツと岩だらけの原野が広がり、見上げると、真っ黒な空高く、きれいな丸い星が浮かんでいるのを見つけた。真っ青で表面には白い雲の筋がなびいているのが見える……。
「ええっ!? もしかしてあれって……」
「そうじゃ、お主の住む星じゃ。我々は『地球』と、呼んどるが」
「では、ここは月……」
 ヴィクトルは岩の荒れ地を見渡した。
「どうじゃ、何か分かったか?」
 レヴィアは軽くなった酒樽をひょいと持ち上げ、グッと飲んだ。

 ヴィクトルは目を閉じてゆっくりと大きく息をつき、淡々と言った。
「三十八万キロの距離を一瞬で移動できる……。この世界が作られた世界であることは良く分かりました」
 そして、ゴツゴツとした荒れ地の上にポッカリと浮かぶ青い星『地球』を眺める。
 真っ暗な何もない宇宙空間にいきなり存在するオアシスのような青い惑星。その澄みとおる青の上にかかる真っ白な雲は筋を描きつつ優雅な渦を巻き、地球を美しく飾っている。
「主さま、綺麗ですねぇ」
 いつの間にかルコアが隣に来て、一緒に空を見上げていた。
「大切な宝箱……だね……」
 ヴィクトルはその青さに魅了され、ため息をつく。

       ◇

 ヴィクトルは席に戻ってグッとサイダーを飲み、聞いた。
「僕たちの星……『地球』はいつ誰によって作られたんですか?」
「えーと、どこまで話したかのう?」
 レヴィアは美味しそうに肉を引きちぎりながら答える。
「五十六億七千万年前に初めてコンピューターができたと……」
「おー、そうそう。コンピューターを作ったワシらのご先祖様はだな、どんどん進化させ、ついに人工知能の開発に成功したんじゃ」
「人間みたいなことができる機械……ってことですよね?」
「そうじゃ。で、人工知能は最初に何やったと思う?」
「えっ? な、何でしょう……?」
「もっと賢い人工知能を開発したんじゃよ」
「へっ!? そんな事が出来たらどこまでも賢くなっちゃうじゃないですか!」
「ご明察。人工知能は長い時間をかけてどんどん賢く巨大になっていったんじゃ。それこそ最後には太陽全体を電源にして星全部がコンピューターになるくらいな」
「とてつもないスケールですね。すごく時間かかったんじゃないですか?」
「それがたった十万年位しかかかっとらんのじゃ」
 レヴィアはうれしそうに笑った。
「たった十万年って……」
 ヴィクトルはそう言いかけて、五十六億年前の話だったことを思い出す。十万年なんて誤差みたいな時間でしかないのだ。ヴィクトルはその圧倒的なタイムスケールに愕然がくぜんとした。
「十万年延々と自らの計算力を上げ続けてきた人工知能じゃったが、もう性能が上がらなくなってきたんじゃ。電源も太陽全体から取っていてもうこれ以上増やせんしな」
「やる事が無くなっちゃいましたね」
「そうじゃ。で、その惑星サイズの巨大コンピューター上で動く人工知能は次に何をやったか分かるか?」
「な、何でしょうね? それだけ膨大な計算力があったら何でも計算できますが……、一体何をやるんでしょうか……?」
「最初はいろんな数学の問題を解いたりしておったが……、まぁ、飽きるわな」
「うーん、まぁ、そうでしょうね……」
「それで星を作ったんじゃ」
 レヴィアはにんまりとうれしそうに笑った。











4-6. 神々の箱庭

「へ? 星……ですか?」
「自分たちの昔の星をコンピューター上に再現したんじゃな。そして、そこに木を生やし、鳥や魚や動物や虫を解き放ち、最後に自分を作った創造者である人間たちを置いたんじゃ」
「一体……何のために?」
「置いた人間は原始人。ほんのちょっとだけ猿に近い野蛮な野生の人間じゃった。そこから一体どんな文明・文化が育つかをじっと観察したんじゃ」
「えっ? それは何だか興味深いですね……」
「そうじゃろ? 興味深いじゃろ? ワシらの気持ちが分かるか?」
 レヴィアはニヤッと笑った。
 この瞬間、ヴィクトルの中に稲妻のような衝撃が走った。全てが一本の線に繋がったのだ。ヴィーナの感謝、ヒルドの焦り、不自然な魔物や魔法、全てがたった一つの目的の前に整然と並んでいることをヴィクトルは理解した。五十六億七千万年前から続くすさまじく甚大な計算の歴史……、そう、世界は紡ぎだされる文明・文化を愛でる神々の箱庭だったのだ。人間は光の中で神に生み出され、神に愛され、そして時には怒りや失望により滅ぼされる……、まさに神話の通りだったのだ。

 ヴィクトルは言葉を失い、椅子の背もたれに力なくもたれかかり、ただ虚空をぼんやりと見つめた。
 そんな馬鹿なと一瞬思ったが、話のどこにも矛盾がない。宇宙が誕生してから138億年経っているのだ。手のひらサイズのiPhoneであれほどグリグリと魅力的な世界が創れるのなら、開発に十万年かけた本格的なコンピューターだったら自分たちの世界を作ることも造作もない事だろう。

「主さま大丈夫? エール飲みます?」
 ルコアが心配をして樽を差し出してくる。
 ヴィクトルはじっと樽の中で揺れる泡を見て……、
「大丈夫、ありがとう……」
 と、言って、大きく息をついた。

「僕らはペットですか?」
 ヴィクトルはレヴィアをやや非難をこめた目で見た。
「とんでもない。この星の主役は君たち人間じゃからな。君らが学校の学生だとしたらワシらは用務員さんじゃよ」
「でも、出来が悪い星は消すんですよね?」
 レヴィアは大きく息をつくと、
「……。上の判断で廃校になることはある。用務員にはどうしようもできん」
 そう言って静かに首を振ると樽を傾け、グッとエールを飲んだ。
「ヒルドが『この星が消されないために宗教をやる』って言ってました」
「確かに活性度が上がり、いい刺激にはなるじゃろうな。じゃが、管理者が主導したとバレた時点でアウトじゃ。用務員が学園祭のステージで活躍するのは重罪じゃ」
「ダメなんですか?」
「オリジナルな文明・文化を作ってもらうのが我らの仕事じゃ。関与してしまったらそれはわしらの知ってる世界の劣化コピーにしかならん。やる意味自体がなくなってしまうんじゃ」
 レヴィアは肩をすくめる。
 ヴィクトルは腕を組み考える。この世界の不思議なルールに納得しつつも釈然としない思いがモヤモヤと頭を支配し、しかしそれはなかなか言語化できなかった。

 ルコアがふらりと立ち上がり向こうへ行く。
 ヴィクトルは気にも留めていなかったが、その後信じられないことが起こった。
 ルコアが手を青く光らせニヤッと笑ったのだった。
「ん?」
 ヴィクトルはルコアの意図をつかみかねる。
 直後、なんと、ルコアはいきなり手刀でレヴィアの心臓を背後から打ち抜いた。ザスっという重い音が部屋に響く。
 グハァ!
 大量の血を吐くレヴィア。
 返り血を浴び、血だらけとなったルコアの目は真紅に光り輝き、恐ろしげな笑みを浮かべ、さらに腕に力を込めると、鬼のような形相で叫んだ。
 ウォォォ!
 レヴィアは激しいブロックノイズに包まれ、
「ヒルドか! ぬかった! ぐぁぁぁ!」
 と、叫び、必死の形相でルコアを振り払おうとするが、上手くいかない。

 ヴィクトルはルコアを制止すべく魔法を発動しようとしたが……魔力が全然出てこない。
「くそっ!」
 飛び上がってテーブルを飛び越え、ルコアに飛びかかったヴィクトルだったが、あっさりと殴り飛ばされ、壁に叩きつけられ、転がる。

 ギャァァァ!
 レヴィアは断末魔の叫びを上げながら薄れていく……。
「あぁ! レヴィア様!」
 目の前で展開される惨劇にヴィクトルは真っ青になって必死に体を起こすが、ただの六歳児にされてしまったヴィクトルにはなすすべがない。

 そして、レヴィアはブロックノイズの中、すぅっと消えて行ってしまった……。











4-7. 絶望の月面

「あぁ……」
 いきなり訪れた凄惨な殺戮さつりく劇にヴィクトルは言葉を無くし、おずおずと伸ばした手が宙で止まったまま行き場を失う。それはヴィクトルが積み上げてきたものすべてをひっくり返される、最悪な出来事だった。

 ハーッハッハッハ!
 月面の小部屋にはルコアの声でヒルドの高笑いが響いた。
 ヴィクトルは力なく、ヒルドに乗っ取られたルコアをただ呆然と見つめる。

「ロリババアめ、ようやく始末できたわ!」
 ルコアの身体でうれしそうに悪態をつくヒルド。とんでもない事になってしまった。ヴィクトルは思わず頭を抱える。
 一体なぜこんな事に……。
「結果的には大賢者、お前のおかげでうまくいったわ」
 ヒルドは悪魔のようないやらしい笑みを浮かべる。

「いつから……、いつからルコアの中にいたんですか?」
 完全なる敗北を喫したヴィクトルは、忌まわしそうな顔つきで聞いた。
「太ももからね、ナノマシンを仕込んどいたのよ。この娘の中でそれを増殖させていたってわけ。乗っ取って私のバックアップに繋げたのはついさっき。ロリババアも酔っぱらっててナイスタイミングだったわ」
 ヒルドは満面の笑みで言った。
「彼女は無関係です。身体を返してもらえませんか?」
 ヴィクトルは必死に頭を下げた。
 するとヒルドはワンピースのすそからしっぽを出し、
「ドラゴンの身体ってバカにしてたけど結構気に入っちゃったのよ。悪いけど返す気はないわ」
 そう言って、プニプニとした可愛いヴィクトルの頬を器用にツンツンとつつく。
「えっ? そんなぁ……」
 ヴィクトルがしっぽを押しのけ、顔を引きつらせていると、
「そんなことより自分の心配した方がいいと思うわ。ここは暗黒の森よりも絶望的よ」
 ニヤッと笑うヒルド。
「えっ!? 置き去りにするつもりですか?」
「だって、あなたロリババアと組んじゃったからね。近くには置けないわ」
 そう言うと指先でツーっと空中を裂き、どこかの街へとつなげた。
「じゃあね」
 ヒルドはヴィクトルを一べつすると、空間の裂け目をくぐる。
「ま、待ってください! お願いします! 僕もつれてってください!」
 ヴィクトルはあわててヒルドのしっぽをつかんだ。
「うるさいわね!」
 ヒルドはヴィクトルの手を振り払うと、しっぽでバシッと殴り飛ばした。
 ぐわぁ!
 月面の軽い重力でゆっくりとバウンドしながら転がるヴィクトル。
「今度は戻れるかしら? ハーッハッハッハ!」
 高笑いを残して空間の裂け目は閉じられ、後には静寂だけが残った。

「ち、ちくしょう……」
 全てを失ったヴィクトルはただ呆然と宙を見つめる。
 ルコアを失い、魔力を失い、誰もいない月の上でただ一人、もはや死を待つより他ない状況に押しつぶされていた。

 窓の向こうにはぽっかりと浮かぶ青い地球。帰りたいが……、帰る方法がない。魔法も使えない六歳児が宇宙空間を渡って三十八万キロ、どう考えても不可能だった。

「ルコアぁ……」
 思わず彼女の名が口をつく。
 うっうっう……。
 とめどなく涙が湧いてきて床を濡らす。
 自分になど関わらなければ今でも暗黒の森で楽しく暮らしていただろうに、取り返しのつかないことをしてしまった。
「ルコア、ゴメンよぉ……」
 両手で顔を覆った。
 『主さまっ』そう言って微笑みかけてくれた彼女はもういない。ヴィクトルは初めてルコアが自分の中で大きな存在になっていたことに気づかされた。二人でスローライフを送りたいと言ってくれた健気な彼女、かけがえのない彼女は奪われてしまったのだ。
 うわぁぁぁん!
 ヴィクトルは大声で泣いた。泣いて無様な醜態をさらすことが自分への罰であるかのようにみじめに泣き喚いたのだった。

 月面の静かな部屋には、いつまでも悲痛な泣き声が響き続けた……。

        ◇

 泣き疲れ、ヴィクトルは真っ黒い宇宙空間に浮かぶ青い地球をボーっと見ていた。自転に合わせ、さっきとはまた違った表情を見せている。

「ルコアはどの辺りにいるのかな……」
 そう言ってまたポロリと涙をこぼした。
「ルコアぁ……」


















4-8. 暗黒龍の祝福

「なんじゃ、我の事は泣いてくれんのか?」
 どこかで蚊の鳴くような声がした。
「へっ!?」
 ヴィクトルは驚いて飛びあがった。
 しかし、狭い部屋の中にはテーブルがあるだけ……、レヴィアの姿などなかった。
「空耳……?」
 首をかしげているとまた声がする。
「ここじゃ、ここ」
 声の方を探すと、テーブルの上にミニトマトのような物が動いているのを見つけた。
 近づいて見たらそれは真っ赤な可愛いドラゴンの幼生だった。
 驚いてヴィクトルは、そのミニトマト大のドラゴンをそっと摘み上げた。
「やさしく! やさしくな!」
 手足をワタワタさせながらドラゴンがか細い声を出す。
「レヴィア様……ですよね? これはどうなってるんですか?」
「吐いた血を集めてなんとか身体を再生させたんじゃが……いかんせん量が少なすぎてこのサイズにしかなれんかったんじゃ」
「ご無事で何よりです!」
 ヴィクトルは希望が見えた気がしてにこやかに言った。
「それが……。無事じゃないんじゃ。このサイズじゃ管理者アドミニストレーターの力が使えんのじゃ……」
 レヴィアはしおしおとなる。
「えっ? それでは地球には……戻れない……?」
「お主、ひとっ飛び飛んでくれんか?」
「無理ですよ! 魔力を全部奪われてしまいました……」
「か――――! ヒルドめ! なんということを……」
 二人はうつむき、嫌な沈黙が続いた……。

「お主、何持っとる?」
「え? 大したものはないですよ?」
 ヴィクトルはアイテムバッグから道具やら武器やらを出して並べた。
「宇宙を渡れそうなものはないのう……」
「月は遠すぎますよ……」
 そう言いながら最後に暗黒龍のウロコを出した。
「ん!?」
 レヴィアが反応する。
「ウロコがどうかしたんですか?」
「これじゃ! ウロコには長年しみ込んだ魔力がある。お主、この魔力で宇宙を渡るんじゃ!」
「え? どうやるんですか?」
「しっかりしろ大賢者! 一番簡単なのはこれを砕いて飲むんじゃ。そうしたら魔力はチャージされる」
「ほ、本当ですか? やってみます!」
 ヴィクトルは急いで剣をにぎるとウロコを削ってみる。そして、その削りかすをペロリとなめた……。
 ギュウゥゥンとかすかな効果音が頭に響き、魔力が身体に湧き上がるのを感じる。
「おぉ! 行けそうです!」
 ヴィクトルはついに見つけた突破口に思わずガッツポーズを見せた。

       ◇

 風魔法を使って丁寧にウロコを粉々にしてソーダで流し込み、MPを満タンにさせる。久しぶりのみなぎる魔力にヴィクトルはつい笑みがこぼれた。

 ヴィクトルは空を見上げ、ぽっかりと浮かぶ地球を見ながら、
「急いで戻りましょう! ルコアが心配です」
 そう言ってレヴィアをそっと肩に乗せる。

 そして、卵状のシールドを何枚か重ねると、窓から飛び立った。
 まずはゴツゴツとした岩だらけの荒れ野である月面の上を飛び、飛行魔法が問題なく出せることを確認する。
「では地球に戻りますよ!」
 ヴィクトルは地球に向けて飛ぼうとした。
「ちょい待て! お主まさか地球めがけて飛ぼうとしとらんじゃろうな?」
 レヴィアが制止する。
「え? 地球に戻るんですよね?」
「か――――っ! しっかりしろ大賢者。月は地球の周りをまわっとるんじゃぞ」
「あ……、地球めがけて飛んだらずれて行っちゃいますね……」
 ヴィクトルは回転運動していると見かけ上の力がかかるのを思い出した。まっすぐ飛んでも回転の影響で横にそれて行ってしまうのだ。
「月の公転方向がこっちじゃから……、土星じゃ、あの土星の方向に飛びだすんじゃ」
「えーっと、あれですね、分かりました! それじゃシュッパーツ!」
 ヴィクトルは魔力をグッと込め、一気に土星めがけて加速した。
 月の重力は軽い、あっという間にグングンと加速していく。
 下を見ると真ん丸なクレーターが徐々に小さくなっていく。全然気がつかなかったが、さっきまでいたのは巨大なクレーターの内側だったのだ。見渡せばクレーターが大小織り交ぜて月面を覆っているのが良く分かる。まるで爆撃を受けまくった壮絶な戦場のような造形にヴィクトルは思わず息をのんだ。

「なんじゃ、月がそんなに珍しいか?」
「まさかこんなにクレーターだらけだったなんて、気づきませんでした」
 地球から見上げていた時とは全然違う様子にヴィクトルは気圧されていた。

「大賢者も知らんことがたくさんじゃな。そんなことよりもっと加速じゃ! ヒルドに悪さする時間を与えてはならん」
「は、はい……。でもどのくらい加速したらいいんでしょう? ステータス見えないのでわからないです」
「八割じゃ。MPの八割ぶち込め。だいたい分かるじゃろ?」
「え!? 減速はどうするんです?」
「そんなのそのまま大気圏突入じゃ!」
「えっ!? 燃え尽きちゃいますよ!」
「根性で何とかせぇ! 今からシールドをもっと重ねておけ!」
 根性論ふりかざすレヴィア。しかし、三十八万キロを渡るのに多少の無理はやむを得なかった。
「……、はい……」

 ヴィクトルは言われるままにどんどんと加速した。一刻も早くヒルドからルコアを取り返さねばならない。二度目の人生で誓ったスローライフ、隣にはルコアにいて欲しい。彼女を失う訳にはいかないのだ。

 月面がどんどんと小さくなり、いつも見ている、ウサギが杵つきしている模様が分かるようになってきた。まぶしい太陽に美しい青い惑星、地球。そして目がなれると浮かび上がってくる満天の星々に壮大な天の川……。
 これが作られた世界だとしても、模倣したオリジナルの世界もやはりこのような世界なのだろう。宇宙と世界の神秘にしばし心を奪われる。

















4-9. 灼熱の大気圏突入

 くらく冷たい何もない異次元空間を、ルコアの魂は漂っていた。ヒルドによっていきなり身体を乗っ取られ、はじき出されたルコア。身体を失った代償は大きく、何もできないままただ暗闇を漂うばかりだった。
 千年に及ぶ山暮らしですっかり退屈をしていたルコアは、ヴィクトルと出会って毎日が色づきだした。優しく、強く、思慮深いヴィクトルはどこまでも紳士的で、ルコアの心を温めたのだ。
 ただ、自分はしょせん造られた龍に過ぎない。出しゃばらないようにすることは心に決めている。ただ、それでもいつまでもおそばには居させて欲しかった。
 でも……、卑劣なヒルドのやり方で身体は奪われてしまった。いまだに助けが来ないことを考えても、レヴィアたちも危機的な状況に陥ってるのは間違いないだろう。もしかして未来永劫自分はこのままかもしれない。この暗く冷たい世界に閉じ込められたまま死ぬこともできず永遠に漂い続けるのかも……。
 終わりのない底なしの悲しみに囚われるルコア。
「主さま……、助けて……」
 どこへも届かぬ悲痛な思いが漆黒の闇の中に響いていた……。

      ◇

 月がだいぶ小さくなってきた。そろそろ月の引力圏からは脱出しそうだ。しかし、地球はあまり大きくはなっていない。三十八万キロはやはり遠すぎる。

「地球に戻ったらまずはどうするんですか?」
 レヴィアに聞いた。
「まずは江ノ島に向かってくれ」
「江ノ島……ですか? どこにあるんですか?」
「あー、王都からずいぶんと東の島じゃ。我がナビするから心配するな」
「お願いします。江ノ島には何があるんですか?」
「あそこの第三岩屋に海王星への秘密ルートがあるんじゃ」
「海王星?」
 ヴィクトルは初めて聞く名前にとまどう。
「太陽系最果ての青い惑星じゃよ。そこに地球を作り出してるコンピューターがあるんじゃ。そこまで行けば我も元に戻れる」
「えっ! コンピューターも見られるんですか?」
「なんじゃお主、あんな物見たいのか? 単に機械がずらーっと並んでるだけのつまんない代物じゃぞ」
「いや、だって、この世界の全てがその機械の中にあるんですよね?」
「うーん、それは半分当たっとるが、半分は違うんじゃな」
「え? どういうこと……ですか?」
 ヴィクトルは禅問答みたいな話に困惑する。
「人類はな、文明が発達しだしてからだいたい一万年でコンピューターを発明するんじゃ。そして、その後百年で人工知能を開発する。そしてその人工知能が発達してさらに五十万年後、また人類が活動する新たな星が出来上がるんじゃ」
「必ずそうなるんですか?」
「出来の悪い所は間引いてしまうから、確実にそうなるか定かではないが、多くの場合そうなるな」
「えっ? それでは星の中に星が生まれるということが繰り返されるって……こと……ですか?」
 ヴィクトルは予想もしなかった展開に驚かされる。単純に最初の人工知能が作った星がたくさんあるわけでは無かったのだ。
「まぁ、そうなるのう」
「最初のコンピューターができたのが五十六億年前だとしたら……、もう一万世代くらいあるって事じゃないですか!」
「さすが大賢者、まさにその通りなんじゃ」
 レヴィアはそう言って笑った。
 ヴィクトルはその圧倒的なスケールの構造に言葉を失った。自分たちを構成する世界が見えない所でそんなことになっていたとは、全く想像もしてなかったのだ。

        ◇

 やがて地球がどんどんと近づき、目の前に大きく広がってきた。大陸の形も砂漠や森の様子も、台風や前線の雲も手に取るようにわかる。実に美しい、雄大な景色にヴィクトルは見ほれる。
「さて、いよいよ大気圏突入じゃ。失敗すると燃え上がるか月へと逆戻りじゃ、慎重に行けよ」
「わ、分かりましたが……どうすれば?」
「地上から高度百キロにかすらせるように、地球の横を通過していくイメージで行け」
「百キロ? それはどの位ですか?」
「地球の直径が12,742キロじゃから127分の1くらい上空じゃ」
「へぇっ!? もうほとんど地上じゃないですか」
「それだけ大気の層が薄いって事じゃな。ギリギリを攻めるイメージじゃ」
「うわぁ……」
 何の観測機材もなく目視で大気圏突入、それはあまりにも無謀な挑戦だったがそれ以外地球に戻る方法はない。MPはもう十分減速できる程には残ってないのだ。ヴィクトルは冷や汗をタラリと流しながらも覚悟を決めた。

      ◇

 ヴィクトルはレヴィアと相談しながら慎重に方向を調整し、徐々に高度を落としていく。やがて太陽が真っ赤な光を放ちながら地球の影に隠れ、夜のエリアへと入った。眼下には真っ黒な海が広がり、上には満天の星々。ヴィクトルはものすごい速度で大気圏へと突入していく……。

 コォ――――……。
 かすかにシールドから音がし始めた。
「大気圏に入ったぞ、落ち過ぎないように注意じゃ!」
 耳元でレヴィアの緊張した声が響く。

 徐々に風切り音が強くなり、シールドの前方が赤く発光し始めた。
「ちょっと落ち過ぎじゃ、あと地球半周分飛んでから落ちないと江ノ島までたどり着けん」
「わ、わかりました」
 ヴィクトルは少し上向きに修正する。
「地球にまでくれば、我も少しずつ回復できるぞ!」
 レヴィアがうれしそうに言った。
 見ると確かにヒヨコ大に大きくなっている。
「力はまだ復活しないですか?」
「悪いがまだじゃ。今使ったら消滅してしまうわ」
 レヴィアは首を振った。


















4-10. ファイナルアプローチ
 
 微調整を続けながら飛ぶ事十分、真っ赤に輝くまぶしい太陽が顔を出した。昼のエリアに戻ってきたらしい。広がるのはどこまでも海、地球は本当に海の惑星なのだ。
 やがて陸地が見えてくる。雲間にはジャングルのような鬱蒼とした森が続いていた。

「さて、そろそろ本格的に降りるぞ」
「わかりました」
 ヴィクトルは進行方向を少し落としていった。
 強くなる風切り音と激しく光を放ちだすシールド。その熱線はシールドを何枚も重ねているのにジリジリとヴィクトルたちをあぶった。

「アカン! このままじゃ蒸発してしまうぞ!」
 レヴィアが弱りながら言う。
 ヴィクトルは氷魔法を展開し熱線を遮ったが、鮮烈な光線の輝きはどんどんと悪化し、氷魔法では追いつかないほどの熱線が強烈にヴィクトルたちを襲う。
 直後、ボン! という破裂音がしてシールドが一枚吹き飛んだ。

「ヤバいヤバい! シールドを守らんと!」
 焦るレヴィア。
水壁ウォーターウォール!」
 ヴィクトルは、水魔法を展開し、前方に水の壁を出現させた。水の壁は超音速でぶち当たってくる激しい空気の圧縮にさらされ、瞬時に蒸発し、吹き飛ばされていくがその際に熱も奪ってくれるようで、熱線は少し和らいだ。
 しかし、水魔法を延々と使い続けないとならないのは、ヴィクトルには負担だった。
「MPがそろそろヤバそうです! あとどれくらいですか?」
「あと三分我慢しろ!」
 レヴィアは遠くに見えてきた暗黒の森をにらみながら言う。
「三分!? くぅ……」
 ヴィクトルは片目をつぶりながら両手を前に出し、熱線に耐えながら水の壁を張り続けた。
 直後、激しい閃光が地上から放たれる。
「敵襲! 急速回避!」
 レヴィアが叫んだ。
「へぇっ!?」
 ヴィクトルは仰天した。大気圏突入でいっぱいいっぱいなのに、敵襲なんて手に余る。
「これでどうだ!?」
 ヴィクトルは金色の魔法陣を前方に斜めに出し、かじとして方向を強引に変えた。
 ぐわぁぁ! ヒィィィ!
 いきなりの横Gで体勢が崩れかけ、そのすぐそばをエネルギー弾がかすめていく。
「あっぶない……」
 ヴィクトルが胸をなでおろしてると、
「何やっとる! 集中砲火されとるぞ!」
 と、レヴィアが叫ぶ。
 見ると無数のエネルギー弾が群れになって押し寄せてくる。ヒルドの徹底した攻撃は恐るべきものだった。
「こんなの無理ですよぉ!」
 ヴィクトルは泣きそうになりながら叫ぶ。
「くっ! 仕方ない!」
 レヴィアは何かをつぶやき、いきなり風景が変わる。
「えっ!?」
 驚くヴィクトル。どうやら場所を少し移動したようだった。だが、速度はそのまま、シールドは灼熱で輝き続けている。
「我ができるのはここまでじゃ。早くあの島へ……」
 見るとレヴィアはまたミニトマトサイズに戻ってしまい、弱っていた。
「ありがとうございます! あの島ですね!」
 前方には、弓状に長く続く砂浜の向こうに小さな島がぽつんと浮かんでいた。
 ヴィクトルは覚悟を決め、一気に高度を落とす。
 激しくかかるGと、爆発的に閃光を放つシールド。まさに命がけのファイナルアプローチだった。
「ぐわぁぁ!」
 レヴィアが叫ぶが、構わず多量の水を浴びせながらまっすぐに江ノ島へと降下して行く。
 もたもたしていたら撃墜されるのだ。限界を攻める以外活路はなかった。
 ヴィクトルは険しい表情で水魔法を全力でかけ続ける。
 ズン! パン!
 次々破損し、飛び散るシールド……。
「シールド追加じゃぁ!」
 レヴィアが叫ぶ。
「無理です! 水魔法を中断できません!」
 ヴィクトルは冷や汗をかきながら、残り一枚となったシールドがきしむのをじっと見つめていた。

 真っ白な雲をぶち抜き、ブワッと視界に真っ青な海面が広がる。

 ドン!
 衝撃音がして発熱が収まっていく……。
「帰還成功……じゃ。地球へ……ようこそ……」
 レヴィアが疲れ果てた声で言った。音速以下へ速度が落ちたらしい。

 なんとか、最後の一枚でギリギリ耐えきったのだ。
「よしっ!」
 勢い余って海面を何回かバウンドしながら、ヴィクトルはガッツポーズを見せた。

       ◇

「ヒルドが来る、急げ!」
 レヴィアに急かされ、ヴィクトルは江ノ島の崖に開いた洞窟へと海面スレスレを高速で飛んだ。
 洞窟は海面ギリギリに口を開けており、ヴィクトルは波が引いたタイミングを見計らいながら一気に突っ込む。
 洞窟は入ると上の方へと続いており、しばらく上がると広間になっていた。
 ヴィクトルは広間に着地し、魔法で明かりをつけて見回していると……、

 ズン!
 いきなり巨大地震のような激しい衝撃に襲われた。上から石がパラパラと落ちてくる。爆撃を受けているようだ。

「急げ! そこの隅の床の石を持ち上げるんじゃ!」
 ヴィクトルは急いで、床石を吹き飛ばして転がす。
 すると現れる漆黒の穴。井戸のようでもあったが、底の見えない不気味な穴が姿を現した。
 直後、入り口付近が爆破され、爆風がヴィクトルたちを襲う。
 ぐはぁぁ!
 そして、吹き飛ばされるように穴へと落ち、ヴィクトルは意識を失った……。













4-11. 魂の故郷

 ベシッ!

 頬を叩かれてヴィクトルは目を覚ました……、が、何も見えない。
 真っ暗だったのだ。
「う?」
 ゆっくりと起き上がり、明かりの魔法をつける。
 そこは洞窟の中だった。冷たく湿ったゴツゴツとした岩の上に寝ていたらしく、身体の節々が痛い。
「起きたか大賢者! いくぞ!」
 見下ろすと、ヒヨコサイズの龍がピョコピョコ動いていた。
 ヴィクトルは両手でそっとレヴィアを抱き上げると、聞いた。
「ここが海王星ですか?」
「まだじゃ、気が早いのう。ここは地球のコアじゃよ」
「コア?」
「見てもらった方が早い。あっちじゃ」
 レヴィアは洞窟の先を指さした。

 岩がゴツゴツとして歩きにくい洞窟内をしばらく進んでいくと、甘く華やかな香りが漂ってくる。それは疲れ切った心を癒してくれる優しい香りだった。
 さらに進むと、洞窟の先から明かりが差し込んでいるのが見えてくる。
 ヴィクトルはふと、ここの事を知っていることに気がついた。それこそ生まれる前から良く知っている。しかし……、なぜ知ってるのか、ここが何なのかが分からない。あまりにも奇妙な話で冷や汗がじわっと湧いてくる。

「どうした? 大賢者」
 レヴィアはニヤッと笑って聞いた。
「僕……、ここ、知ってる気がするんですよ……」
 ヴィクトルは困惑しながら言う。
「当たり前じゃ、お主は生まれる前から、そして今この瞬間もずっとここにいるんじゃから」
 ドヤ顔のレヴィア。
「ずっとここに……?」
 何を言われているのか分からず、首をひねりながらヴィクトルは足を速めた。そして、明るい出口にまでたどり着く。ヴィクトルは無造作にのぞき込んだが、そこはまぶしい光の洪水だった。
「うわっ!」

 思わず腕で目を覆ったが、徐々に目が慣れてくるとその全容が明らかになってくる。
 なんと眼下にきらめく巨大な花が咲いていたのだ。
 洞窟の先に開けていた巨大な体育館程の広間、そこには床を埋め尽くす壮大な一輪の花があった。正確には、光る珠のついた塔が中央にめしべのように立っていて、周りに花びらのような光り輝く巨大なテント状のシートが展開された構造物である。無数の煌めきに覆われた花びらは荘厳で神秘的な美しさを放っていた。

「うわぁ……」
 ヴィクトルはその神聖な輝きに思わず見とれる。そして、その瞬間、それが何かを思い出した。この輝きは全て人々の喜怒哀楽の発露……、この花は全人類の魂の故郷だったのだ。全ての人の魂はここで生まれ、ここで煌めき、そして、死んでしばらくすると消えて命のプールへと還っていく。つまりヴィクトルの魂もずっとここにあったのだ。
 ヴィクトルはその煌めきにくぎ付けとなり、自然と流れてくる涙をこぼしながら立ち尽くす。この煌めきの一つ一つが誰かの命の営み、輝く命のエネルギー……、この輝きこそが人間であり、この花こそがこの星の全てだったのだ。

「すごく……綺麗……ですね……」
 ヴィクトルがつぶやくと、レヴィアは、
「これがこの星のコア、マインドカーネルじゃ。この花をもっと強く、煌びやかに輝かせることが我の仕事なんじゃ」
 そう言って愛おしそうに煌めきを眺めた。

       ◇

「僕の魂はこれですかね?」
 床に降りて花びらの下に潜り込み、ヴィクトルは黄色く光る点を指さした。それはヴィクトルの呼吸に合わせて強くなったり弱くなったりしている。
「そうじゃな。お主の光もずいぶんと元気になったのう。アマンドゥスの時は青くて今にも消えそうじゃったぞ」
「え!? 見てたんですか?」
「お主の事は若いころからチェックしとったが、仕事のし過ぎで心が死んどったわ」
 ヴィクトルはうつむいて、改めて仕事中毒だった自分の前世を反省した。今世では必ずやスローライフを勝ち取らねばならない。そして、そこにはルコアが居て欲しい。
「ル、ルコアはどれですか?」
 ヴィクトルが聞くと、レヴィアはため息をついて言った。
「そこの黒く消えとるところじゃ……」
「えっ!?」
 ヴィクトルの光点の近くにある黒く消えた点……。ヴィクトルは思わず息をのんだ。
「ヒルドに乗っ取られて仮死状態にあるだけじゃと思うが……」
 ヴィクトルは居ても立っても居られなくなり、
「は、早く海王星へ行きましょう!」
 と、叫んだ。

















4-12. 海王星の衝撃

 マインドカーネルの先にある通路には、飛行機のドアのようなハッチが並んでいる。ヴィクトルはレヴィアに言われたドアノブを力いっぱい回してみた。

 バシュッ!

 派手な音がしてドアが開く。
 恐る恐るドアの向こうを覗いてみると、広い部屋になっている。そこには家具が一つもなく、単にカーペットが敷かれているだけ……、引っ越し前のオフィススペースのような部屋だった。奥には大きな窓が並んでいるが、夜のように真っ暗である。

「うわぁ、ここが海王星ですか?」
 ヴィクトルはピョンとだだっ広い広間に降り、キョロキョロする。
「いかにも海王星じゃ!」
 元気な声が返ってきて驚くと、レヴィアは金髪おかっぱの女の子に戻っていた。
 そして、彼女は指先を空中でクルっと回し、浮かぶ椅子を出してピョンと飛び乗る。そして、目の前に大きな画面を三つ、ポンポンポンと出すと画面をパンパンとタップし始める。しばらく画面をにらみながらパシパシして、
「これでヨシ! 地球の時間を止めてスクリーニングをかけたから、しばらくゆっくりできるぞ」
 そう言ってヴィクトルを見て、満面の笑みを浮かべた。
 そして、テーブルをポンと出すと、コーヒーをマグカップに入れ、ヴィクトルにも差し出す。
 部屋中に立ち昇る香ばしい香りが苦難の旅の終わりを告げたのだった。

「ルコアは……、どうなるんですか?」
 ヴィクトルは心配そうに聞く。
「今、地球のデータ全てを全部ひっくり返してチェックしているから、ルコアを見つけたらヒルドを分離して元に戻せるじゃろ」
 そう言ってレヴィアは椅子の背もたれに寄り掛かり、両手でマグカップを持ってコーヒーをすすった。
「ふぅ……、良かった……」
 ヴィクトルはニッコリと笑うとへなへなと座り込んだ。
「なんじゃ、そんなにルコアの事が好きなんか?」
 レヴィアは上目づかいにヴィクトルを見て、笑みを浮かべる。
「そ、そんなんじゃないですって」
 ヴィクトルは真っ赤になって両手を力いっぱい振って否定する。
「ワハハ、分かりやすい奴じゃ。おっぱいが大きい所が気に入ったんじゃろ、スケベ!」
 レヴィアは意地悪な顔でいじった。
「お、お、おっぱいは……、関係ないです!」
 耳まで真っ赤なヴィクトル。
「ふーん、それじゃ、再生する時に胸は小さくしておくとするかのう」
「ダ、ダ、ダ、ダメですよ! そんなの!」
 必死に抗議するヴィクトル。
「お主は分かりやすいのう」
 そう言ってレヴィアはケタケタと笑う。
 ヴィクトルは両手で顔を隠してうつむく。百年以上生きてきたのに、こんな事でからかわれるとは全く情けない話だ。

      ◇

 ヴィクトルは何も言わず、テーブルにつくと静かにコーヒーをすする。激闘の疲れをいやす苦みが心地よくヴィクトルに沁みていった。
 ふと窓の方を見ると、何か青い物が下の方に見える。
 何だろうと思って窓に駆け寄ると……。
「うわぁ!」
 思わず叫んでしまうヴィクトル。
 なんと、そこにはあおい巨大な星が眼下に広がっていたのだ。
「はっはっは。海王星に来て海王星見て驚くとは変な奴じゃな」
「こ、これが海王星!?」
 その地球の七倍にも達する巨大な惑星は、深く澄んだ青色をたたえながら満天の星々をバックに浮かんでいる。薄い環が美しい円弧の筋の模様を描きながらその巨大な星を囲み、その向こうには雄大な天の川が流れ、クロスして壮大な宇宙のアートを構成していた。
「うわぁ……、綺麗ですね……」
「この青は我も気に入っておる」
 レヴィアは画面をパシパシとタップしながら答える。
「それで……、コンピューターはどこにあるんですか?」
「ここからは見えんなぁ。その星の中、何キロも深くに設置されておるんじゃ」
「えぇ……。せっかく来たのに……」
 レヴィアはチラッと不満そうなヴィクトルを見ると、画面をパシパシとタップして、
「仕方ないのう、ほれ」
 そう言ってホログラムのように、空中に直径一メートルくらいの真っ青な海王星を浮かべた。
「おぉ!」
 ヴィクトルはその映像に走り寄る。
 映像はどんどんと海王星の表面をクローズアップしていく。やがて青い表面を潜り、どんどんと濃紺の奥に沈む漆黒の中を進んでいく。
 しばらくすると、吹雪のように白い粒が吹き荒れる向こうに巨大な黒い構造物が現れてきた。それは一つの街くらいのサイズの漆黒の直方体で、あちこちの継ぎ目から白い光が漏れていた。
「な、なんですかこれは!?」
 その異様な構造体に圧倒されるヴィクトル。
「何ってお主が見たかったものじゃよ。ジグラートと呼ばれる巨大なコンピューターサーバーじゃ。これ一つで地球一個分じゃよ」
「これが……コンピューター!?」
 さらに映像は進む。その黒い構造体の向こうに、さらにもう一つ同じ構造体が見えてきた。
「えっ? もう一個出てきましたよ?」
「全部で一万個はあるからな」
 当たり前のように言うレヴィア。
 地球が一万個ある……。それは全く想像を絶した話だった。ヴィクトルは呆然とその連なる漆黒の構造体を眺める。
 やがて映像はそのうちの一つの内部を映し出す。そこには小屋くらいのサイズの円柱がずらーっと奥にも上下にも横にも延々と並んでいた。
「これ一つ一つが超スーパーコンピューターじゃよ。もう、数えられないくらい並んどるが全体で十五万ヨタ・フロップスの計算力を誇っておる」
「こ、これが僕たちの星の正体……」
「満足したか?」
 レヴィアはニヤッと笑う。
 ヴィクトルは目をつぶり腕を組んで考え込む。海王星に来て見せられた以上疑う余地はない。この無骨な構造物があの美しい地球を作り出し、自分はそこに百年以上暮らしていた。しかし、これは一体どう受け取ったらいいのだろうか? 五十六億七千万年前から延々と続くこのコンピューターシステムの系譜。その中に息づく自分達……。あまりにも考えることが多すぎてヴィクトルは大きく息をつき、首を振ると席に戻ってコーヒーをすすった。
「何も悩む事は無かろう。実体が何であれ、お主もみんなもマインドカーネルで輝く光なのじゃから」
「もちろん、そうです。僕たちの価値は何も変わりません。でも、そうであるならばもっとこう……やりようがあるのじゃないかって……」
 はっはっは!
 レヴィアは笑い、
「お主はつくづくスローライフに向いとらんようじゃな」
 そう言ってうれしそうにコーヒーをすすった。

















4-13. 古のバトルウォーシップ

「おかしいな……。奴はどこにもおらんぞ……」
 レヴィアは画面をにらみながら眉をひそめる。
「えっ!? ルコアがいないんですか?」
「地球を抜け出すなんてこと無いはずなんじゃが……。海王星も探してみるか……」
 レヴィアは怪訝けげんそうな顔をしながら隣に新たな画面をポコッと開くと、パシパシとタップしていった。
「ん? なんじゃこれ……?」
 つぶやきながらさらに情報を表示させ、流れる文字を読んでいくレヴィア。
「おった! え? こいつどこに向かっとるんじゃ!?」
 レヴィアは急いで画面をさらに一つ増やし、パシパシとタップして行く。
「どこ……ですか?」
「あそこじゃ!」
 レヴィアが指さしたのは何と窓の外、海王星だった。
「あ奴め、衛星軌道上のスカイポートからシャトルを奪取して海王星へと降りて行っとる。どうするつもりじゃ?」
「ど、どうなるんですか?」
「海王星にはコンピューターしかない。コンピューターに行く理由は……改造するか壊すか……」
「改造なんてできるんですか?」
「あ奴にそんな能力などない。となると……」
「破壊……ですか? 壊されたらどうなるんですか?」
「そりゃぁ……、地球は壊れるしかない……な」
 レヴィアは苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「ダ、ダメですよ! そんなの! 止めなきゃ!」
 レヴィアは画面をパシパシと叩き、シャトルの通信回線へとつなげた。
 しばらくして映像が浮かび上がる。
 そこには赤い目をしたルコアがにやけて座っていた。
「あーら、ロリババア、何か用かしら?」
 勝ち誇った顔のヒルド。
「お主……、何するつもりじゃ?」
「何って決まってるじゃない。私がきれいさっぱりあなたの星を消してあげるわ」
 ヒルドはいやらしい笑みを浮かべる。
「ま、待て。話し合おう。星が消えたらお主も消えるんじゃぞ」
「ふふっ、別に私は消えないわ。消えるのはあなた達だけ……。チャオ!」
 そう言ってヒルドは回線を切った。
 レヴィアは唖然あぜんとしたまま動かなくなった。
「自分は消えないって……、そんなことできるんですか?」
「分からん……。あ奴め何を企んどる……」
 レヴィアは頭を抱えてしまった。
「何にしても止めないと! みんなが死んじゃう」
「止めるって……どうやって?」
 レヴィアは頭を抱えたままボソっとつぶやく。
「えーと……、他の船に制止してもらうとか……?」
 ヴィクトルは思い付きを言ってみる。
 レヴィアは渋い顔をしながら画面をバシバシ叩き、船のリストと、船の所在地図をずらりと出した。
「やっぱりダメじゃ……。近くには一そうもおらん……」
「何か攻撃手段はないんですか? 遠距離をバーンってできる魔法みたいな奴?」
「バカ言うな。海王星では戦争なんかもう何十万年もないんじゃ。武器なんか無いわ!」
 レヴィアは両手で顔を覆った。
 しかし、諦める訳にもいかない。
 ヴィクトルは横から必死に画面を見入って、何か手立てがないか一生懸命考える。
 リストには貨物船や作業船らしき船の情報が並んでいる。
 ヴィクトルは画面をフリップしてずーっとリストを眺めていった。すると、変な船を見つけた。
「Battle war ship Yamato ってありますけど、これ、何ですか?」
「へ? バトルウォーシップ? 戦艦って意味じゃが、戦艦大和……お主何を馬鹿な事言っ……へっ!?」
 レヴィアは画面を食い入るように見つめ、動かなくなった。
「戦艦……大和……だと……?」
 レヴィアは急いで画面をパシパシ叩き始める。
 そして画面に浮かび上がったのは真っ青な海王星をバックに疾走するいぶし銀の巨大な戦艦。それは三連装砲塔が並び、荘厳な艦橋が屹立きつりつする見まごうなき戦艦大和だった。
「なんじゃこりゃぁ!」
 レヴィアは叫び、さらに画面をパシパシと叩いて情報を次々と表示させる。
 そして、唖然としながらつぶやいた。
「本物じゃ……」
 はるか昔、鹿児島沖で撃沈された世界最大の戦艦、大和。それが建造時そのままの姿でなぜか海王星のそばを航行している。そのあまりにも現実離れした事態に混乱を隠せない。

「何々……。全長263m、排水量64,000トン、主砲9門の口径は46センチ、射程距離50キロ……は換装されてエクサワットレーザー!? どこかの星でも滅ぼすつもりか!?」
「なんで軍艦が宇宙を飛んでるんですか?」
 ヴィクトルがもっともな質問をする。
「そんなの我が知りたいわ! 戦艦大和は昔、iPhoneの星で大戦があった時に開発された超弩級戦艦じゃ。いまだに我が星系でも最大にして最強……。なぜそんな物を宇宙に持ってきたんじゃ?」
「この武器ならヒルドを止められますか?」
「主砲を当てさえすれば瞬殺じゃ……。撃って当てられればじゃが……」
「でも、他に手はないですよね?」
「……。そうじゃな。オーナーは……シアン様……か……何を考えられとるのか……」
 そう言うと、レヴィアはiPhoneを取り出しておもむろに電話をかけた。










4-14. 究極の選択

「レヴィアです――――、ご無沙汰しておりますー。はい、はい。その節は大変にお世話になりまして……。いや、とんでもないです。それでですね。戦艦大和をお借りしたいんですが……。いや、そうじゃなくて主砲をですね……。え? まだ、テストしてない? うーん、それじゃ、テストかねて私の方で試し撃ちを……。はい、はい。分かりましたー!」
 電話を切ると、レヴィアは画面をパシパシと叩く。
「よしよし! エクサワット・レーザーでヒルドも木っ端みじんじゃ!」
 レヴィアは悪い顔をして、画面を戦艦大和のコントロールセンターへとつなげた。
 画面に浮かび上がる大和のステータス。そこには現在位置と周囲の状況、兵装の状況や機関の稼働具合、居住空間の各種管理状況などがびっしりと表示されている。
「えーっと、ヒルドはどこじゃ? むぅ……、このままじゃ狙えんのう。艦全体を90度右旋回じゃ!」
 そう言いながら、画面をパシパシと叩く。
 艦橋からの風景がゆっくりと動き出し、右手から真っ青な海王星がぽっかりと姿を現してきた。満天の星々を背景に浮かぶ紺碧の星、それはまるで宇宙に浮かぶオアシスのようだった。
「そして、主砲は……これか……。目標海王星!」
 レヴィアはパシパシと画面を叩く。
『ヴィーッ! ヴィーッ! 主砲、旋回します。総員退避してください!』
 警告が流れる。
「えーっと……、スタビライザーをオンにしてっと……、旋回!」
 レヴィアは画面をにらみながら叫んだ。大和の主砲は一基二千五百トン。これが三基一斉旋回すれば艦の姿勢も当然影響を免れない。スタビライザーは必須だった。
 ズズズズという重い振動音と共にゆっくりと主砲が次々と旋回を始める。やがて、三基九門の砲塔が、天の川を背景にポッカリと青く浮かび上がる海王星をとらえた。
 レヴィアは横目でその様子を眺めながら、マニュアルを読んで発射準備を進めていく。
「えーっとなになに……。次はエネルギーを充填しろ? 充填しすぎると壊れるから注意……ね。ホイホイっと」
 レヴィアは画面のボタンを次々と押していく。
『充填装置初期化プロセススタート』
『核融合炉稼働周波数率上昇。十秒後最大です。9、8、7……』
 淡々と案内が流れる。
 レヴィアは計器の針をにらみ、動き出したのを確認すると叫んだ。
「よしっ! エネルギー充填開始! 大賢者! お主は照準を担当しろ!」
 レヴィアはヴィクトルの前に画面を開く。
「発射指示から着弾まで約十秒かかる。画面を操作して十秒先の位置に照準を合わせるんじゃ!」
 任された画面には隅の方に小さな光の点が動いている。これがヒルドの乗ったシャトルだろう。
 ヴィクトルは画面を動かし、拡大し、十秒後に中心の×印を通過する位置に合わせてみた。
「何とかできそうです。でも、ちょっと待ってください。これ、ルコアはどうなるんですか?」
「ルコアは再生させてやる」
 レヴィアは画面をパシパシと叩きながら答える。
「そ、それは……、ルコアの魂がよみがえるってことですか?」
 レヴィアは答えなかった。
 無言でパシパシと画面を叩く。
『エネルギー充填80%。主砲安全装置解除。これから先発射プロセスは中止できません』
 システムメッセージが淡々とスピーカーから流れる。
「も、もしかして……、ルコアの魂は死んでしまうんですか?」
「ルコアには申し訳ないが、今は星を守る方が重要じゃ」
 レヴィアは冷たく言い放つ。
「ちょっと待ってください! ルコアを殺すってことですか!?」
「じゃぁどうするんじゃ? このまま破滅を選ぶのか? 言っとくが、我とルコアは千年来の友人じゃぞ! 最近会ったばかりのお主よりつらいわ!」
 レヴィアは涙を浮かべた目でヴィクトルをギロリとにらんだ。
 ヴィクトルは言葉を失い、ただ茫然として椅子の背にどさりともたれかかる。
『キュイィィ――――ン!』
 高周波音が響き始める。
『エネルギー充填100% 発射ボタンを押してください』
「早く押せ! 逃げられるぞ!」
 レヴィアは厳しい口調で言った。
「えっ……、ル、ルコア……」
 ヴィクトルは指先が震え、目の前がにじんで動けなくなった。
『エネルギー充填120% システムの許容量を超えます。速やかに発射してください』
「何やっとる! どけ! 我が押す!」
「だ、大丈夫です! 押します!」
 そう言うとヴィクトルは照準を設定しなおし、
「ル、ルコアぁ……」
 と、涙をポロポロとこぼしながらボタンを押した。
『ヴィヨッ――――!』
 奇妙な電子音が鳴り響く。直後、激しい閃光が大和を覆い、まばゆい光の筋が次々と海王星方向へと放たれていく。
『ボン!』
 爆発音が響いた。
「ああっ! 主砲がぁ!!」
 レヴィアが叫ぶ。見ると後ろ甲板の主砲が爆発して炎上してしまっている。
「お主が躊躇なんかしとるからじゃ!」
 怒るレヴィア。しかし、ヴィクトルはうなだれたままもう何も考えられなくなっていた。
 あの可愛くて美しいルコア、『主さま』と、にこやかに話しかけてくれた彼女を手にかけてしまったのだ。
 愛しい彼女、一緒に人生を歩みたいと初めて思った女性、それを自らの手で撃たねばならない不条理……。ヴィクトルは震える自分の手を見つめ、ただ涙をこぼした。
 レヴィアは大きく息をつくと、暗い顔をして言う。
「そろそろじゃ……」
 ヴィクトルは窓に駆け寄って海王星を眺めた。すると流れ星のような閃光が一瞬キラリと光り、直後、ポッと赤い点が浮かんだ。そのあと、海王星の表面に赤いラインが輝き……。やがて何もなかったようにまた紺碧の海王星へと戻って行く。

「撃墜……じゃ」
 レヴィアは目をつぶり、静かに言った。
「う、う、う……ルコアぁ……」
 ヴィクトルはひざからガックリと崩れ落ちる。
 ぐわぁぁぁぁ!
 ヴィクトルは頭を抱え、張り裂けんばかりの叫び声をあげて泣いた。
 『主さま』と、微笑みかけてくれた彼女はもういない。ヴィクトルはかけがえのない者を失った悲しみに、自らが壊れるような衝動でグチャグチャになりながら泣き叫んだ……。
 うぉぅおぅおぅ……。

 レヴィアは海王星に手を合わせ、目をつぶってキュッと唇を噛む。

 しばらく部屋にはヴィクトルの嗚咽おえつが響いていた……。

 









4-15. 大都会東京

「お主、そんなにルコアが大切か?」
 レヴィアは腕を組んで淡々と聞いた。
 ヴィクトルは放心状態で静かに首を振る。
 そして、静かに口を開いた。
「失って初めて……知りました。僕は彼女無しでは……もう生きていく自信がないです……」
 そう言ってヴィクトルはまたポトリと涙をこぼす。
「彼女のために人生をなげうつ覚悟はあるか?」
「えっ? それはどういう……?」
 ヴィクトルはレヴィアの言葉の意図をはかりかね、キョトンとした顔で聞く。
「一人だけ……、ルコアを復活できるお方がおる……」
「えっ!? ……。あっ! ヴィーナ……様?」
「そうじゃ。女神様なら……可能じゃろう。じゃが……本来そんな願いなど許されん。何を言われるか……」
「えっ! えっ! なんでもします! 彼女を! ルコアを復活させてください!」
 ヴィクトルは飛び上がってレヴィアにすがりついた。
「なんでも?」
「たとえこの命を失っても、彼女を復活させたいです!」
 レヴィアは、大きく息をつくと、
「お主がそこまで入れあげるとはのう……」
 そう言ってヴィクトルをじっと見つめた。
 ヴィクトルは眉間にしわを寄せ、真っ赤な目でレヴィアを見つめる。
 レヴィアにとって女神は高位の存在。業務外の願い事を直談判するなど本来あってはならないことだった。
 レヴィアはしばらく目をつぶり……、意を決すると言った。
「では……、聞いてみよう」
「ありがとうございます!」
 ヴィクトルはレヴィアに抱き着いた。まだ若く甘酸っぱい香りに包まれる。
「おいこら! やめろ! 離れろ! ルコアに言うぞ!」
 ヴィクトルは慌てて離れ、赤くなって照れた。
 レヴィアはジト目でヴィクトルをにらむと、iPhoneを取り出し、じーっと画面を見つめる。そして大きく息をつくと、電話をかける。
「レヴィアです――――、ご無沙汰しておりますー。はい、はい。その節は大変にお世話になりまして……。いや、とんでもないです。それでですね、一つお願いがございまして……」
 そう話しながら向こうの方へと行ってしまう。
 ヴィクトルはジリジリとしながらレヴィアの様子を見ていた。
 話し終わると神妙な顔をしてレヴィアが戻ってくる。
「な、なんですって!?」
 待ちきれないヴィクトル。
「まずは話を聞きたいそうなので、田町へ行くぞ」
「田町?」
「この宇宙をつかさどる最高機関があるところじゃ。このiPhone買ったのもそこじゃ」
「iPhoneの星ですね?」
「その星はスティーブ・ジョブズという天才を出した星なんじゃ。行くぞ!」
 レヴィアはそう言うとヴィクトルの手を取って空間を跳んだ。

       ◇

 気づくと、石畳の街並みが見える……。
「あれ? 王都ですか?」
「まずは手土産を買わんと……。戦艦大和もぶっ壊しちゃったしのう……、ふぅ……」
 レヴィアは暗い顔をして言う。
「え? 大和のオーナーなんですか?」
「オーナーはシアン様。ヴィーナ様と同じオフィスにおられるようじゃ。さっき笑い声が聞こえとった」
 そう言いながらレヴィアはケーキ屋のドアを開けた。
 店内には、綺麗に彩られたショートケーキや焼き菓子が棚に丁寧に並べられている。
 レヴィアはそれらを真剣に見ながらうなる。
「手土産がそんなに重要なんですか?」
 ヴィクトルが聞くと、
「お主、手土産をなめとるな? この手土産が当たるかどうかですべてが決まるんじゃ」
「えっ!?」
「間違えたらルコアは生き返らんぞ!」
「そ、そこまで!?」
「あっちの星になくて、それでも奇抜な味じゃなくて、高級で、口に合うもの……。どれか分かるか?」
 ヴィクトルは固まってしまった。
「大賢者も勉強せねばならんことがたくさん残っとるな」
 レヴィアはそう言って笑う。

 結局、いちじくのレアチーズケーキと、桃のタルトを選び、田町へと跳んだ。

        ◇

 ヴィクトルが目を開けると、そこはコンクリートジャングルだった。立ち並ぶ高層ビル、大通りをビュンビュンと走り過ぎていくトラックにタクシーにバス。そしてビルの間には真っ赤な東京タワーがそびえている。
「えぇぇ!?」
 初めて見る大都会東京にヴィクトルは思わず大声を上げた。

 はっはっは!
 レヴィアはその様子をおかしそうに笑うと、
「いいか、大賢者。この星には魔法が無いのじゃ。本来魔法が無くてもここまでの事はできるんじゃ」
 そう言ってドヤ顔でヴィクトルを見る。
「これは……、とんでもない事ですね……」
 ヴィクトルはゆっくりと首を振りながら感嘆した。
「うちの星もこのくらい栄えて欲しいものじゃが……」
 レヴィアはため息をつく。
「この国にも王様はいるんですか?」
「おるよ、この先に皇居という宮殿があってな、そこにお住まいじゃ」
「ではその方がこの国を統治されている?」
「いや、この星の多くがそうじゃが、王様は君臨すれども統治せず。政治は国民が選んだ人がやるんじゃ」
「えっ!? そんなことができるんですか?」
「大賢者ですらそういう発想にいたらないことが、うちの星の問題なんじゃな」
 そう言ってレヴィアは肩をすくめ、ヴィクトルはうつむいた。
「とはいえ、この星の発展ももう終わりじゃ」
 レヴィアは目を閉じて大きく息をつく。










4-16. ドラゴンスレイヤー

「え?」
 あまりに意外な話にヴィクトルは驚く。
「今、急速に人工知能が進歩してるんじゃよ。あと二十年もすればシンギュラリティが来る」
「人工知能が人間を……上回るんですか?」
「そうじゃ、そうなったらあとは人工知能が人工知能を進化させるフェーズに入る」
「そうなったら……、人類はどうなっちゃうんですか?」
「どうもならんよ。静かに消えていくだけじゃ」
「消えていく……?」
「今のこの国の出生率は1.3。二人の大人が産む子供の数が1.3人しかおらんのじゃ。つまり、世代が進むごとに人口は35%ずつ減っていくんじゃ」
「自然とどんどん減る……なぜですか?」
「なんでじゃろうな? これはほかの星もみな同じなんじゃ。人工知能が生まれると急速に人口が減るんじゃ。きっと人類の遺伝子の中に、後継者を作ると子供を産まなくなるような設定がされておるんじゃろうな」
「それは……、人類にとっていい事なんでしょうか?」
「さて、我は人類じゃないから分からんのう」
 そう言ってレヴィアはカッカッカとうれしそうに笑った。
 ヴィクトルは大きく息をつくと考えこんでしまう。

「まぁええ、今は人類よりもルコアじゃ。お主覚悟はいいか?」
 レヴィアは高級マンションの前で足を止め、緊張した面持ちで見上げながら言った。
「私はいつでも……。ここ……ですか?」
 瀟洒しょうしゃなエントランスがのぞくマンションは、高級な石材をふんだんに使い、静かにたたずんでいる。
「ここの最上階に全宇宙、百万個の星々を統べる最高機関『Deep Child』がある」
「見た目は……、普通なんですね……」
「見た目で判断しちゃイカン。中におられる方はそれこそ宇宙全体のあり方を決め、ヒト、モノ、星を自由に操作し、全ての生き物の生殺与奪の権利を持っておられる。不用意な一言で星が消された事などいくらでもあるんじゃ」
 そう言ってレヴィアはブルっと震えた。
「それだけの力があるから、ルコアも生き返らせられるんですよね?」
「まぁ、そうとも言えるがな」
 二人はエントランスを開けてもらって最上階へと上がる。

          ◇

 ピンポーン!

 呼び鈴を押すと、ドタドタと誰かがやってきてドアを開けた。青い髪の可憐な女の子だった。
「いらっしゃーい!」
 彼女はにこやかにヴィクトルたちを迎え入れる。
「こ、これはシアン様。大和をありがとうございました」
 レヴィアは焦って頭を下げる。
 ヴィクトルは驚いた。この可愛い女の子が海王星で超弩級戦艦を運用しているオーナー……。その若く美しい見た目からは全く想像も及ばない話だった。
「あ、役に立った? 良かったね」
 シアンはニコニコしながら言う。
「はい、それはもう助かりました。これはお礼の品でございます」
 レヴィアは桃のタルトの箱を渡した。
「あら、サンキュー!」
 シアンは目をキラッと輝かせて喜ぶ。
「ただ……」
 口ごもるレヴィア。
「ん?」
「主砲が一機吹っ飛んでしまいまして……」
「へっ!?」
 目を丸くするシアン。そして宙を見つめ、何かを思案すると、
「エネルギー充填し過ぎはダメって説明あったよね?」
 と、今にも殺しそうな勢いの視線をレヴィアに向ける。
「そ、そうなんですが、この子が発射を渋りまして……」
 真っ青になって弁解するレヴィア。
「子供のせいにしない!」
 そう言うとシアンは、目にも止まらぬ速さでレヴィアの額にデコピンをバチコン! とかました。

 あひぃ!
 吹っ飛ぶレヴィア。
 人間をはるかに凌駕してるはずのドラゴンを、いとも簡単に吹っ飛ばしたシアンの強さにヴィクトルは唖然とした。
「もー、直すの面倒くさいんだよ?」
 シアンは腕を組んでプリプリとする。
「すみません。ボタンを押すのをためらったのは本当で、僕が悪いんです」
 ヴィクトルはビビりながら頭を下げた。
 するとシアンはひょいっとヴィクトルを持ち上げ、じっと見つめる。
 その目鼻立ちのきりっとした美しい顔、長いまつげに鮮やかな碧眼へきがんにヴィクトルはドキッとする。そして、その澄んだ青い瞳に吸い込まれるような感覚にとらわれた……。
 シアンはニコッと笑うとヴィクトルを抱きしめ、
「君、可愛いから許しちゃお~」
 と、言いながら柔らかいプニプニとした頬に頬ずりをする。
 ヴィクトルは爽やかな柑橘系の香りに包まれ、赤くなった。

「我も可愛いのに……」
 レヴィアは額をさすりながら、ボソっとつぶやく。

         ◇

 奥に通されると、そこはメゾネットタイプの広間となっていた。オフィスとして使われ、二階分の高さの天井と明るい大きな窓ガラスの開放感が心地よい。また、脇に階段があって、上の階の部屋へと繋がっている。
「気持ちのいいオフィスですね」
 ヴィクトルが広間を見回しながら言うと、シアンは、
「ふふ、いい所でしょ? ここで働く?」
 と、言ってニコッと笑った。
「えっ、い、いいんですか!? お、落ち着いたら相談させてください」
 ヴィクトルは予想外のオファーに驚いた。全宇宙の最高機関で働く、それは想像を絶するチャンスである。ただ、今はルコアのことで頭がいっぱいなのだった。













4-17. ドラゴン降臨

 広間の会議テーブルで桃のタルトを切り分け、食べながら雑談をしていると、ガチャッと音がして、上の階の部屋のドアが開いた。出てきた中の一人に見覚えがある。チェストナットブラウンの美しい髪の毛をフワッとゆらしながら歩いてくる……ヴィーナだ。
 ヴィクトルとレヴィアはガタッと立ち上がり、背筋を正してヴィーナが階段を優雅に降りてくるさまをじっと見つめていた。

「おまたせー」
 ヴィーナは透き通るような白い肌に琥珀色の瞳を輝かせながら、にこやかに手を振る。
「お忙しいところすみません!」
 レヴィアは頭を下げた。
「いいのよぉ。あー、君が大賢者? ずいぶんと可愛くなっちゃったわねぇ」
 ヴィーナはうれしそうに笑う。
「その節はありがとうございました。今日はお願いがあってまいりました」
 ヴィクトルは深く頭を下げて言った。
「あー、ついに愛する人を見つけたんだって? 良かったじゃない」
「はい、それで……、彼女を生き返らせていただけないかと……」
「レヴィア、彼女の情報を頂戴」
 ヴィーナは事務的な口調でレヴィアを見た。
「メッセンジャーで今送りました」
「どれどれ……?」
 ヴィーナは空中に黒い画面を浮かべると、パシパシと叩いた。
「あら、可愛い娘ねぇ……。この娘のどこが気に入ったの?」
「優しい所とか……健気な所とか……それでいて芯があって賢いんです」
 ヴィクトルは照れながら言った。
「決め手はおっぱいじゃな」
 レヴィアは下品な顔でニヤッと笑う。
「そ、そんなことないです!」
 ヴィクトルは顔を真っ赤にして否定した。
「分かりやすい子ね……。もう触ったの?」
 ヴィーナも意地悪な笑みを浮かべ、悪ノリして聞く。
「が、我慢しました……」
 ヴィクトルは耳まで真っ赤になった。
「ふふっ、真面目ねぇ……。ただ……、生き返らせるのは自然の摂理を曲げること……。気軽にはできないわ」
 ヴィーナはヴィクトルをじっと見つめる。
「僕にできることなら、何でもやらせていただきます!」
 ヴィクトルは必死に訴える。
「何でも?」
「何でもです!」
 ヴィーナはヴィクトルの瞳の奥をのぞき込む……。
 ヴィクトルの目には揺るがぬ決意が浮かび、ヴィーナは少し懐かしそうにそれを眺めた。
 そしてニコッと笑うヴィーナ。
「前よりいい目してるわね。いいわ。生き返らせてあげる。何してもらうかは……ちょっと考えさせてね」
 そう言うとヴィーナは画面をパシパシと叩いた。
「あ、ありがとうございます!」
 ヴィクトルは涙目になって頭を下げた。
「あれ? この娘、二人いるわよ。全く同じデータで二人……。どういうこと?」
 怪訝けげんそうなヴィーナ。
 レヴィアが焦って説明する。
「ヒルドという元副管理人が彼女を乗っ取ったので、その時にバックアップか何かを残したのではないかと……。私の方でどっちが本物か調べてみます!」
「いや、いいわ。面白いじゃない。大賢者、あなたなら本物はどちらか見破れるんでしょ?」
 ヴィーナはニヤッと笑ってヴィクトルを見た。
「もちろんです!」
 ヴィクトルはしっかりとした目でヴィーナを見かえす。
「よーし、それじゃ、ルコアちゃんカモーン!」
 ヴィーナはそう言って右手を高く掲げ、何かをつぶやいた。

 直後、ボン! という爆発音がしてマンションの壁や屋根が吹き飛ぶ。
「うわ――――!」「ひぃ!」
 壊れた天井の部品がバラバラと落ちてきて、騒然となる。
 そして、爆煙の中から現れたのは二頭のドラゴン。その厳ついウロコに覆われた巨体、鋭い爪と牙は、オシャレなオフィスには似合わず異様な存在感を見せた。
「え――――っ!? 何よコレ!!」
 叫ぶヴィーナ。

美奈みなちゃん! 何すんだよ!」
 ドラゴンに倒された棚の下敷きになってる男性が、ヴィーナに怒った。
「知らないわよ! なんでドラゴンなのよ!? まこともそのくらい自分で出てきなさい!」
 ヴィーナが不機嫌そうに答える。
「あ――――! パパ――――!」
 シアンがピョンと跳んで棚を起こし、誠と呼ばれた男性を救出する。
 ヴィクトルはドラゴンに駆け寄ると、
「ルコア! 人! 人になって!」
 と、呆然としている二頭のドラゴンに向かって叫んだ。














4-18. あの時のお願い

 ボン! という音がして、上がった煙の中から銀髪の美少女、ルコアが二人現れる。
 二人とも透き通るような白い肌につぶらなあおい瞳、見た目は全く同じで区別がつかない。
 「主さま~!」「主さま~!」
 同じ声を出して二人はヴィクトルに抱き着いた。
 二人に抱き着かれて足が宙に浮くヴィクトル。
「うわぁ! 待って待って! 一旦離れて!」
 焦るヴィクトル。抱き着かれるのはうれしいが、一人は宿敵ヒルドである。さすがに心臓に悪い。
 ヴィクトルはちょっと距離を取る。
 二人の娘は少しにらみ合い……、そして、ちょっと心配そうにヴィクトルを見つめた。

「あの約束、覚えてるかな? 僕が一つ言う事を聞くって奴。それを何にしたか教えて」
 ヴィクトルは二人を交互に見ながら聞いた。
 すると一人がすぐに答える。
「あの約束ですね。私ずっと考えてました。何がいいかな~って。それで、決めたんです」
 その娘はそう言うと、愛おしそうな目でヴィクトルを見る。そして、ちょっと恥ずかしそうに言った。
「ずっと……お側に居させてください」
 その娘の頬は真っ赤になり……、ヴィクトルは静かに微笑んだ。
 廃墟と化したオフィスの中、二人はじっと見つめあう……。
 ヴィクトルは一旦目をつぶり、大きく息をつくとその娘の手を取って言った。
「僕はあなたが居なくなって、初めてあなたの大切さに気がついたんだ。いつも隣にいて微笑んでくれたあなた……。もう僕はあなたなしでは生きていけない……。結婚……してくれないか?」
 いきなりのプロポーズに目を真ん丸に見開き、手で口を押さえるルコア……。

 ヒュゥ――――!
 ヴィーナは驚いて思わず声を上げてしまう。
 ルコアは涙をポロリとこぼし、両手で顔を覆うと、
 うっうっう、と嗚咽おえつを漏らす。
 そしてヴィクトルに飛びつくと、
「うわぁぁぁん! 一生……、一緒ですよ!」
 そう言って涙をポロポロとこぼす。
「うん……。二人で一緒に生きて行こう」
 ヴィクトルもそう言って、流れる涙をふきもせずルコアの頭を優しく何度もなでた。

 パチパチパチパチ

 自然と拍手があがり、壊れた部屋中に大きくこだまする。

 ルコアの格好をしたヒルドは焦る。策をろうする間もなく偽物認定されてしまったのだ。
「と、なると、お主がヒルドじゃな!」
 レヴィアは鋭い目でヒルドを射抜く。

 くっ!
 ヒルドは、テーブルの上に残っていた、ケーキ用のナイフを手にすると、そばに立っていたシアンを捕まえ、首筋に突きつけて言った。
「動くな! 変な真似をするとこの娘が死ぬぞ!」
 目を血走らせるヒルドだったが……、なぜか白けた雰囲気が部屋を覆う。
 ヴィーナたちは憐れみを浮かべた表情をし、首を振っている。
「な、なんだ? ……、ほ、本気だぞ!」
 ヒルドは吠えるが、誰もシアンの身を案じない。
「お主……、そのお方は宇宙最強じゃぞ。お主がどうこうできる方じゃないんじゃ」
 レヴィアはそう言って肩をすくめる。
「は? 宇宙最強? 宇宙最強って……確かシアンとかいう……」
 ヒルドはそう言いながら、恐る恐る捕まえた娘の顔を見た。
「僕がシアンだよ! きゃははは!」
 シアンはうれしそうに笑う。

「知るかそんなの!」
 真っ青になったヒルドはナイフをシアンに突き刺そうと力を込めた。だが、ナイフの刃は水銀のようにドロリと溶け、床にポタポタとしたたる。

「ええい!」
 ヒルドはそう叫ぶとドラゴンの力でシアンの首を力いっぱい絞めた。

 ぬおぉぉぉ!
 野太い声が部屋に響き、ヒルドはシアンを乗っ取ろうとハッキングを仕掛ける……。

 ボン!
 爆発音とともに煙が上がった。

「キャ――――!」「うわっ!」
 ヴィクトルたちは思わず頭を抱える。

 直後、ゴロンと、何かが床に転がった……。
 それはしっぽを出した黒焦げの死体……ヒルドだった。ブスブスとあちこちから煙をふき出しながら完全に炭になったヒルドが無残な姿をさらす。
 あれほど手こずったヒルドが瞬殺されている。ヴィクトルは宇宙最強の女の子の次元の違う強さに、思わずブルっと身震いをした。

 死体はすぐにボロボロと崩れだし、やがてすぅっと消えていく……。

「悪い子はおしおき! きゃははは!」
 シアンはすすだらけの顔で屈託のない笑顔を見せた。

       ◇

「はい、顔だして!」
 誠が濡れタオルを持ってきて、シアンの顔を拭いている。
「お前も女の子なんだからもっと気を配らないと……」
「パパ、ありがと! きゃははは!」
 シアンはうれしそうに笑い、誠も世話ができることを内心喜んでいるようだった。

 誠はシアンを拭き終わると壊れはてたオフィスを見回し、ヴィーナに声をかける。
「美奈ちゃん、何でもいいけどオフィス直してよ……」
 ヴィーナは面倒くさそうにレヴィアを一瞥いちべつして言った。
「あー、もう! レヴィア! あなたやりなさい!」
「えっ!? 私ですか!? でもこれ……相当大変……ですよ?」
 レヴィアはめちゃくちゃに破壊された、瓦礫の山状態のフロアを見ながら答える。
「嫌なの? お前の星の査定をこれからやってもいいのよ?」
 不機嫌を隠さずヴィーナは言う。

「やります! やります! やらせてください!」
 レヴィアは敬礼して叫んだ。

















4-19. 新アドミニストレーター

 レヴィアは黒い画面を展開し、
「部分修復は境界の設定が大変なんですよねぇ……」
 と、ブツブツ言いながら画面をにらみ、パシパシと叩いた。
 そして、微調整が終わると、
「それいけ!」
 と、叫びながら画面を叩いた。
 壊れたフロアは一瞬で消え去り、そして、ワイヤーフレーム状の線画がニョキニョキと展開され、部屋全体がワイヤーフレームで修復されると、最後には壊れる前の状態が復元された。
「よしよし」
 レヴィアは満足そうにニヤッと笑う。

「あら、上手じゃない」
 ヴィーナは直ったフロアをキョロキョロと見回りながら言った。
「では、査定はまた今度ということで……」
 レヴィアは引きつった笑顔で揉み手しながら答える。
「まずはお茶にしましょ。ケーキもあるんでしょ?」
「は、はい……」
 渋い顔のレヴィア。

       ◇

 レヴィアは手土産の『いちじくのレアチーズケーキ』を切り分けて、みんなでテーブルを囲んだ。
 誠はコーヒーを丁寧にいれて、みんなに配る。

「いい相手見つけてよかったじゃない」
 ヴィーナはヴィクトルに笑いかける。
「良かったです。全てヴィーナ様のおかげです」
 ヴィクトルは隣のルコアの手をぎゅっと握って言った。
「我は?」
 レヴィアはボソっと言った。
「結婚式もしないとね。レヴィア! 開いてあげて」
「えっ!? 私がですか?」
「他に誰がやるのよ? それとも……」
「あー、やります! 私がやります!」
 レヴィアは焦って手を上げた。
「すみません、僕らのために……」
 ヴィクトルはレヴィアに頭を下げる。
「まぁ、ルコアは我の妹みたいなもんじゃからな。いい式にしてやろう」
 レヴィアは優しく微笑みながらラブラブの二人を見た。

「で、ヴィクトル君、うちで働く?」
 シアンが口の周りにクリームをつけたまま聞いてくる。
「え? 何? 働くのはもう嫌じゃなかったの?」
 ヴィーナはちょっと意外そうに聞く。
「とてもやりがいがありそうな仕事なので、妻が許してくれるならやってみたいなって……」
 ヴィクトルはルコアを見る。
「主さまがやりたいことをやってください」
 ルコアはニコッと笑う。
「『主さま』はやめてよ。もう、きみの夫なんだからさ」
「え――――、じゃぁ……。あ・な・た?」
 赤くなってモジモジしながらルコアが言った。
「なあに?」
 デレデレしながら答えるヴィクトル。そして幸せそうに笑いあう二人……。
 ラブラブの二人に当てられて、周りの人はちょっとウンザリぎみに苦笑する。

「はいはい! じゃあ大賢者はレヴィアの下で副管理人サブアドミニストレーターね!」
 ヴィーナはそう言ってヴィクトルとレヴィアを見た。
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いいたします!」
 ヴィクトルは頭を下げる。
「レヴィアの星は今、要注意リスト入りしてるから君が頑張って盛り上げてね」
 ヴィーナはニヤッと笑う。
「えっ? このままだと消されちゃうんですか?」
「停滞してる星をそのままにしておくほど余裕が無いのよね……」
 ヴィーナはウンザリしたように言った。
「それは……、誰が何のために……そういう決まりになってるんですか?」
 ヴィーナはヴィクトルをじーっと見つめ、淡々と聞く。
「畑に種をまくじゃない?」
「はい」
「一斉に芽を出してたくさん伸びてくるじゃない?」
「……、はい」
「そのまま放っておくとどうなる?」
 ヴィクトルは腕組みをしてしばらく考えて言った。
「中途半端に繁茂して……全部枯れちゃいますね」
「それと一緒よ。間引くことは全体の健全化のためには避けられないの。あえて言うなら宇宙の意思ね」
 そう言って肩をすくめた。
「消される星の人は皆殺し……なんですか?」
「殺しはしないわよ。また新たな星で生まれ変わるわ。あなたと一緒ね、転生」
 そう言って、ヴィーナは上品にレアチーズケーキを食べる。
「あら、美味しいじゃない」
 ヴィーナはパァッと明るい顔をして言った。
「うちの星の文化も捨てたものではないのです!」
 レヴィアはここぞとばかりにアピールする。
「食文化はまるにしておくわ」
 ヴィーナはニヤッと笑ってコーヒーをすすった。












4-20. 神の使徒

「でも、住民に干渉したら……ダメなんですよね?」
 ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「そりゃあ私たちが口出しちゃったら、既存の文明・文化の劣化コピーになるだけよ。そんなの全く要らないわ」
 ヴィーナはつまらなそうに首を振る。
「では、何をすれば……」
「天才の発掘と保護ね」
 ヴィーナはケーキをフォークで切りながら言った。
「あー、新たな変革は天才が起こすけど、天才は潰されやすいから……ってことですね?」
「そうね、あなたもずいぶんレヴィアに守られてたのよ?」
 ニヤッと笑うヴィーナ。
「えっ!?」
 驚いてレヴィアを見るヴィクトル。
「賢者の塔に入れるよう便宜を働いたのはワシじゃからな」
 そう言ってレヴィアはケーキをパクリと食べた。
「そ、そうだったんですね……。そうとは知らず、失礼しました」
「ええんじゃ、それが仕事じゃからな。でも、これからはお主の仕事じゃぞ」
 レヴィアはフォークでヴィクトルを指す。
「は、はい! 分かりました! 頑張ります!」
 ヴィクトルは深々と頭を下げる。
「あっ! じゃあこうしましょう。この娘を生き返らせた見返りに、大賢者はこの星を宇宙一にしなさい」
「えっ! う、宇宙一……ですか?」
 焦るヴィクトル。
「何でもするって言ったでしょ?」
 ジト目でにらむヴィーナ。
「わ、わかりました! やらせていただきます!」
「よろしい!」
 ヴィーナは満足げにほほ笑んだ。

「よし、じゃあまずはシアン様のところで研修からじゃな」
 レヴィアはうれしそうに言う。

「結婚式終わったらおいで」
 シアンはケーキを頬張りながらうれしそうにフォークを揺らした。

        ◇

 それから数カ月後、王都で魔物撃退の祝賀会が大々的に開催された。気持ちのいい青空のもと、広場には群衆が所狭しと集まっている。十万匹の魔物を瞬時に消し去り、伝説の妖魔妲己を瞬殺したという英雄を見ようと、多くの人が詰めかけていたのだ。

「それでは王国の守護神『ヴィクトル』さん、お願いします!」
 司会の女性の案内で、ヴィクトルは青いローブをはためかせながらステージに上がった。
 広場を埋め尽くす観衆が一斉に静まり返り、可愛い金髪の子供、ヴィクトルを見つめる。
 ヴィクトルはそんな人々をうれしそうに見回すと、拡声の魔法を展開し、広場に響きわたる声をあげた。
「みなさん、来てくれてありがとう!」
 ヴィクトルが手を上げると、

 ウォォォォ!
 観衆は一斉に歓声をあげた。
 ヴィクトルはその様子を見て満足そうにニコッと笑う。
「ありがとう。今日は皆さんに報告があります。先日、神様の所へ行ってきて、『神の使徒』になることになりました」
 いきなり何を言い出したのか、観衆は訳が分からずざわつく。
 ヴィクトルは、そんな様子をニコニコと見回しながら言った。
「神様はお怒りです。このままだとこの星を消すとおっしゃっています」
 いきなりの爆弾発言に会場はどよめく。英雄を見に来たらいきなり滅亡を予言されたのだ。みんなどう受け取ったらよいのか困惑してしまう。

「では、どうしたらいいか……。みなさん、もっと夢を見ましょう!」
 ヴィクトルはニッコリとした笑顔を崩さずに言った。
「こうなったらいいな、ああなったらいいな、どんどん夢を見て、一歩だけ夢に向けて行動しましょう」
 聴衆は首をひねりつつも、じっとヴィクトルに聞き入る。

「列席の貴族の方々、市民の方々、全員、一人残らず夢を見て動き出しましょう。そうでないとこの星は生き残れないのです」
 貴族たちは怪訝けげんそうな顔でお互いを見合った。
「どう動いたらいいか、神様は決して示されません。一人一人が『こうなったらいいな』を行動に移すこと、それを神様はお望みです。これが神の使途として、僕の最初にして最後のメッセージです。皆さん、夢を見ましょう!」
 すると、憲兵たちがドヤドヤと壇上に上がり、槍をヴィクトルに突きつけて叫んだ。
「国家転覆罪の現行犯だ! おとなしくお縄につけ!」
 ヴィクトルはゆっくりと彼らを見回すと、
「それがあなた達の夢ですか?」
 そう言ってニコッと笑った。
「ゆ、夢!? こ、これは仕事だから……」
 憲兵たちは何も言えなくなってお互い顔を見合わせる。

 直後、広場を大きな影が覆う。ドラゴンだった。
 どよめく聴衆。

 暗黒龍がバサッバサッと大きな翼をはばたかせながら旋回し、ステージの前まで下りてくると、ヴィクトルはピョンとその背中に飛び乗った。
「それでは皆さん、いい夢を!」
 ヴィクトルはそう言うと、暗黒龍を操って空高く舞いあがっていく。

 すると、天からまぶしい光の筋が下りて来た。まるでそれは天へ上るための梯子のように厳かな美しさを放つ。そして、暗黒龍はその光の中に溶けるように消えていった。

 残された観衆たちはその神秘的な光景に魅了され、まるで夢を見ているかのようにしばらく呆然とただ空を見上げていた。ドラゴンに乗って消えた可愛い金髪の子供、神の使徒の言葉は彼らの中に大切な何かを残したのだった。

 ヴィクトルの発言は新聞などでは一切報道されなかったが、市民の間ではあっという間に広がり、あちこちでいろいろな動きが出始めることとなった。













4-21. トラとウサギ

 それから数カ月――――。

「ルーちゃん、そろそろお昼にしようか?」
 暗黒の森深く、壮麗な火山のふもとに開拓した牧場で、ヴィクトルが牧草を刈る手を休め、額の汗をぬぐいながらルコアに声をかけた。
「そうね、お昼にしましょ、あ・な・た!」
 うれしそうに笑うルコア。
 二人は木陰に作った丸太のベンチに座り、手作りサンドウィッチを頬張る。
「僕の思ってたスローライフって畑だったんだよね~」
 ヴィクトルはそう言って、牛が点々と草をはむ、広大な牧場を見渡しながらコーヒーをすすった。
「ごめんなさいね。私、肉しか食べないので……」
 ルコアは申し訳なさそうに言う。
「いやいや、僕はルーちゃんと一緒に居られるだけで幸せだからいいんだよ」
 ヴィクトルはそっとルコアの頬にキスをした。
「ありがとっ、私も幸せよ」
 ルコアはお返しにヴィクトルの口を吸った。

 その時だった、ヴィクトルの索敵魔法に何かが反応する。
「ちょ、ちょっと待って!」
 ヴィクトルはルコアから離れ、ピョンと飛び上がると、侵入者の方へすっ飛んで行った。
 魔物除けの結界を突破してきているのだから人間だろう。こんな暗黒の森の奥深くまでやってくるとは尋常じゃない。一体だれが何の目的で……。ヴィクトルはいぶかしく思いながら速度を上げる。

 どうやら五人の男たちが暗黒の森の中を進み、牧場を目指しているようだ。
 ヴィクトルは彼らが森を抜けるあたりに着地し、腕を組んで彼らが出てくるのを待ってみる。

「やっと森を抜けました……」
「おぉ、到着じゃな」
 男たちが話をしながら出てくる。
 ヴィクトルはその顔を見て驚いた。なんと、国王に騎士団長、それに班長たちだった。
「国王陛下!? ど、どうなされたんですか?」
 国王はヴィクトルを見つけると帽子を取り、驚いて言った。
「おぉ、アマンドゥスよ、いきなり訪ねてすまん。ちょっと話できるか?」
「も、もちろんです。おっしゃっていただければ私の方から出向きましたのに……」
「いいんじゃ、お主がどういう暮らしを選んだのか見ておきたかったんじゃ」
 ヴィクトルは丸太のコテージへと案内した。

       ◇

「のどかでいい所じゃな」
 国王はきたての香り高いコーヒーをすすりながら言った。
「神の使途としての仕事をしながら、牧場もやっているんです」
「おぉ、そうかそうか、ご活躍じゃな……。それで……。お主が言っておった『変わらないと神に滅ぼされる』って話じゃが、余はどうしたらいい?」
 国王はまっすぐな目でヴィクトルを見た。
 ヴィクトルは悩んだ。助言はご法度だ。それに国王といえどもできることには限界がある。周りの王侯貴族の同意が得られないことはできないからだ。
「規則により、私は助言できません。申し訳ありません」
 頭を下げるヴィクトル。
「ふむ……。そうか……」
 残念そうな国王。
 ヴィクトルはしばらく思案して、口を開いた。
「陛下……。トラとウサギはどちらが強いと思いますか?」
「えっ? それはトラじゃろう」
 国王はすっかり白くなった眉をひそめながら答える。
「そうです。対戦させたら必ずトラが勝ちます。でも、トラはわが国では絶滅し、ウサギはたくさん繁殖し、どこにでもいます」
「むむ……。実はウサギの方が強い……という事か?」
「ウサギは住む場所を変え、エサを変え、どんどん環境に合わせて生き方を変えていったんです。トラはトラのままでした」
「変わらねば……滅びるってことじゃな……」
 国王は腕を組んで黙り込んでしまった。
 ヴィクトルはコーヒーを一口飲み、少し考えると言った。
「一つアドバイスすることがあるとしたら、若者がやりたいことに専念できる環境があるか? これが目安になるかと」
「若者?」
 国王は顔を上げ怪訝けげんそうな表情で言った。
「そうです。国の未来を作っていくのは若者です。彼らが思う存分斬新な事をできるのならそこに変革が起こり、きっと神様も満足されるでしょう」
「なるほど……、若者か……」
 国王はそう言ってしばし、思索にふけった。

         ◇

 その後、外で控えていた騎士団長たちを交えて簡単なパーティを開く。
 ルコアが急いで東京で買ってきた、芸術的な造形のチョコが乗ったケーキをふるまった。
「なんじゃこりゃぁ!」
 その斬新な見た目と繊細な味に驚く国王。
「神様のおわす国の若者が作ったケーキです。若者が夢を持ち、研鑽けんさんするというのはこういうことなんです」
「なるほど、神様が求められていることが少し分かった気がするぞ」
 国王はパクパクと食べながらうなずいた。

 騎士団長は質素なコテージを見回しながら言う。
「『神の使徒』であれば宮殿や神殿に住んでいると思ってました」
「僕は素朴に、静かにのんびりと暮らしたいんですよ」
 ヴィクトルはニヤッと笑う。
「あー、余もこういう暮らしには憧れるぞ」
「そ、そうなんですか!?」
 騎士団長は驚く。
「田舎で休暇を取りたい時はおっしゃってください。別荘をご用意してお迎えに上がります」
 ヴィクトルはニコッと笑って国王に言う。
「おぉ、それは嬉しいぞ。楽しみじゃ」
 国王はうれしそうに微笑み、ヴィクトルはゆっくりとうなずいた。












4-22. 限りなくにぎやかな未来

 月日は流れ、ルイーズや国王の尽力により、街のニュースにも斬新な話題が混ざるようになってきた。ヴィクトルが秘かに支援する若者の数も増えている。
 ヴィクトルは朝の日課となっている若者のチェックを行っていた。画面に映される天才たちのやる気に満ちた熱いまなざし……。ヴィクトルはうんうんと軽くうなずき、この星の未来を左右する彼らの活動をしばし見入った。
 果たして彼らの活躍が神々のお気に召すものになってくれるのか、ヴィクトルにはよくわからない。だが、彼らの非凡な挑戦は心に迫るものがあり、きっといつかは何らかの成果につながってくれるだろう。
 ヴィクトルは大きく息をつくと、負けていられないなと気持ちを新たにする。

        ◇

 朝食後、牧場の作業をするべく作業着に着替えていたヴィクトルは、
「パパ~、どこ行くのぉ?」
 という声で振り返る。
 そう、娘が生まれていたのだ。ヴィクトルの身長はもう180センチを超え、ガッシリとたくましいパパになっていた。
「おぉ、ツァルちゃん、おいで」
 ヴィクトルはかがんで手を伸ばし、銀髪碧眼のルコアそっくりの可愛い子供を抱き上げた。幼児独特のミルクの甘い匂いがふんわりとただよってくる。
 きゃは!
 ツァルはクリクリとした目を見開いて、うれしそうに笑う。
「パパはね、お仕事へ行ってくるよ。牛さんにエサをあげないとね」
 そう言って、柔らかく細い銀髪の頭をゆっくりとなでた。

 その時だった、
 ヴィーン! ヴィーン!
 コテージの中に警報音が鳴り響く。
 ヴィクトルはハッとして急いで空中に映像回線を繋げる。
 浮かび上がったのは金髪のおかっぱ娘、レヴィアだった。
「おぉ、ツァルちゃん! 可愛いのう……。お姉さんのこと、覚えとるかぁ?」
 開口一番、娘に絡むレヴィア。
 きゃは!
 ツァルはうれしそうに手を振った。
「で、何があったんですか?」
 ヴィクトルはツァルをゆっくりとゆらしながら、渋い顔で聞く。
「おぉ、そうじゃ! 今、シアン様から連絡が入ってな。どうやら指名手配のテロリストがうちの星に潜入したそうじゃ。お主、捕まえてきてくれ」
「え――――? またですか?」
「我に文句言うな。情報は送っといたから今すぐ発進してくれ」
「レヴィア様も手伝ってくださいよ」
「何言っとるんじゃ、これはお主の研修。場数を踏んで早く立派な管理者になってもわらんと。ただ、どうしても我の助けが欲しくなったら『レヴィア様愛してる!』って叫ぶんじゃぞ。飛んで行ってやる」
 ニヤッと笑うレヴィア。
「絶対言いません!」
 ヴィクトルはブチっと通信を切った。
 そして、ふぅとため息をつくと、メッセージを確認する。
「えーと……南極!? なんでこんな寒そうなところに……」
 そう言って憂鬱な顔をした。
「パパ、だいじょーぶ?」
 ツァルはそう言って首をかしげ、つぶらな青い瞳でじっとヴィクトルを見る。
「大丈夫だよ――――!」
 ヴィクトルはパァッと明るい顔をしてすりすりと頬ずりをする。
 すると、ツァルは
「ふわっ!」と言って動かなくなった。
「え?」
 直後、
 ハックチョン!
 と、可愛いくしゃみと共にボン! と、爆発音が上がり、ツァルはドラゴンの幼生に変化した。幼生といってももう体重は一トンを超えている。
「おっとっと!」
 ヴィクトルはバランスを崩し、
 ズン!
 床が抜けそうな衝撃音を放ちながら倒れ、あえなくドラゴンに押しつぶされた。
 ぐぇっ!
「キャ――――! あなたぁ! ツァルちゃんどいて!」
 ルコアが飛んできてヴィクトルを助け出す。
「ツァルはだいぶ重くなったな」
 そう言いながらヴィクトルは這い出して、キョトンとしてる幼生のドラゴンをなでた。そして、
「では、ひとっ飛び南極まで行ってくるね」
 と、言ってルコアにハグをした。
「あなた……、気をつけて……」
 ルコアは不安そうな目でヴィクトルを見る。
 ヴィクトルはルコアに軽くキスをすると、
「大丈夫、ツァルをお願いね」
 そう言って優しく頬をなでた。
 ゆっくりとうなずくルコア。

 ヴィクトルは牛皮の靴を履き、ウッドデッキに出る。
 両手をグンと伸ばし、気持ちいい朝の澄んだ空気を大きく吸い込むと、トンッと跳びあがり、そのまま澄んだ青空へと舞いあがった。
 まだ朝もやの残る森の木々が徐々に眼下へと小さくなっていく。
 振り返ると、人間に戻ったツァルを抱いて、手を振っているルコアが見えた。二人の銀髪が朝の風に揺れている。
 
 この瞬間、稲妻に打たれたように、ヴィクトルを愛しさと切なさの衝撃が貫く。
「あぁ……」
 ヴィクトルはしばし胸がいっぱいになって動けなくなる。
 そして、自分の生まれた意味を初めて理解した。

「そうか、僕はこのために生まれてきたんだ……」

 心の奥から溢れてくる温かいものについ涙ぐみ、そして大きく手を振り返した。
 愛する人と共に暮らし、そしてみんなのための仕事をする。そう、これがずっと欲しかった本当の人生だったのだ。

 二度目にして手に入れた最高の人生。

「ありがとう、ルコア、ツァル……そして、みんな……」

 こぼれてくる涙をふきもせず、ヴィクトルは目をつぶり、五十六億七千万年前から延々と続く、命と想いの織りなす奇跡の系譜全てに感謝をする。

 爽やかな朝の風が、森の香りを載せてヴィクトルの頬をなでていく。

「よし! 約束通りこの星を宇宙一にするぞ!」
 輝く朝日の中、ヴィクトルはそう誓うと、心の奥底からとめどない力が体中に湧き上がってくる。

 ヴィクトルはクルクルとキリモミ飛行をし、
「よっしゃ――――!」
 とガッツポーズで叫ぶ。

 そして、ドーン! と音速を突破すると、一直線に飛行機雲を描きながら、そのまま南極へつなげたゲートをくぐっていく。それはテロリストがかわいそうになるくらいの勢いだった。

「パパ、いっちゃった……」
 ツァルが不安そうにつぶやく。
「大丈夫、すぐに戻ってくるわ」
 ルコアはそう言って、ツァルの柔らかな頬を優しくなでた。
 そして、澄み切った青空にたなびく飛行機雲が、朝日にまぶしく輝いているのを愛おしそうに見つめた。




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