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グローバル中小企業

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顧客を選べない残念な現実


 カシメとはただ荷重をかけて変形させるという単純な方法であるが、部品の機械強度を保証するための締結技術であり、自動車業界では特殊特性といって通常の品質管理よりも高い基準の品質管理項目になっている。カシメの品質に問題があった場合に、その生産ロットのすべての製品の機械強度に影響が出るためだ。またカシメをする部位によっては、他の品質要求も存在する。例えば、電気機器の製品内部にカシメを実施する場合、カシメ部分にクラックやコンタミは絶対に許容されない。その破片が振動によって脱落する可能性があるからだ。金属片が脱落して製品内部に散乱すると通電部のショートが発生し、機能不良を引き起こす可能性がある。こういった部分にカシメを採用する場合、カシメ部位の外観検査やカメラによる自動判定を導入することもある。カシメ自体は単純な工法であるが、用途によっては極めて高い品質が要求されるのだった。


 簡単なプレス機しか納入していないトーマスであったが、品質問題が連発するようになった。その1つがプレス機の軸ズレだった。本井という中堅設計者が対応した装置物件で、顧客への納入後に何度か軸ズレ問題のクレームが発生していた。初期の報告では、治具の固定が甘く連続動作中に動いた可能性があるとして、位置決めピンを追加する変更を実施していた。その後の再発である。品質問題については、以前は各設計担当者が個別に対応していたが、今年から不具合案件は山本が窓口で対応することになっていた。
 シンプルな装置構造だったので、どこかに見落としがあるに違いない。疑わしいところをあげていくと、シリンダロッドの回転による振れが原因であることが分かった。通常、プレス機は無給油ブッシュやガイドシャフトなどを組み合わせて直進性を持たせた状態でプレスをするのだが、その装置は油圧シリンダロッドにカシメ治具を連結していた。問題は、シリンダロッドの直進性と振れが要求値に対してオーバーしていたことだった。単純に選定ミス、設計ミスだったのだ。実際にシリンダロッドを回転させてプレス先端部の振れを測定したところ、一回転で0.1以上の振れがあった。問題がわかれば対策は打ちやすい。シリンダロッドの回転を規制する構造を追加した。

 顧客からのクレームには、重大な品質不具合も含まれていた。これも過去の本井の設計案件で、不具合対応など誰もやりたくない仕事であったが、そういった面倒な仕事は出来る限り山本が処理していた。本井案件の不具合が連発したため、もしかしたら本人は気を悪くしたかもしれない。社内には「また本井の品質問題か」と悪意をもって捉える人物もいたが、山本は本井の仕事ぶりに不満はなかった。彼の業務スピードや仕事品質には満足していた。たまたま運悪く品質問題の汚名を被ってはいるが、設計者としての実力は十分にあった。
 機械設計者といっても、簡単に替えがきくものではなかった。ブレスユニット自体の設計業務や応力解析は世間一般で共通だったが、トーマスの独自仕様であるカタログ製品の知識を習得するには時間がかかる。トーマスは部品ビジネスで成り立っていて、油圧機器や汎用カシメ治具、プレス架台などのカタログ商品が大量に存在する。それらのカタログ製品を考慮してプレス設計をするのは、誰でもすぐにできることではなかった。本井は5年間在籍している中堅社員で、簡単に替えがきかない人材だった。

 同じような不具合が他にもあった。納入済みのプレス機で油圧の設定値が高く、先端のカシメ治具の耐荷重に余裕がないことが社内で発覚した。過去の履歴を調べると、初期の状態から油圧の設定値は高く設定されていたようだ。期待するカシメ品質(寸法)を達成するためには、そこまで設定値を上げる必要があったのだろう。原因調査には実際の出力荷重をロードセル(実荷重を検出する機器)で確認する必要があったが、装置にロードセルは搭載されていなかった。設備費を抑えたい顧客は荷重検出機構を設けない。
実際の出力荷重がわからないのだから出力荷重を測って検証するしかない。荷重不足の問題なのか、ストローク不足の問題なのか、現時点では不明だった。この原因調査をするためにロードセルを使って、現地で荷重確認をするように営業社員に依頼したことがある。ところが担当の営業社員は顧客にその打診をしたくなかった。
「その調査結果の先にある結論を準備しないと、顧客に調査提案などできない」

 それぞれの想定した結果、及びその対策案まで社内に要求してくるのだ。原因がわからないのだから、対策などできるわけがない。対策をするための前段階としての調査だったが、この不毛なやり取りでかなりの時間を浪費した。まるで別世界の人物、全く言葉が通用しない人物を相手にしているようなやりとりだった。
 いかにも日本的な考え方で、前職時代につくづく感じていた。海外で仕事をすれば違いに気付くのだが、日本社会は事前検討に非常に長い時間をかけ、いつまでたっても行動に移せない。日本の政治がその象徴だ。くだらない議論ばかりに時間を費やして何の結果もない。議論すること自体が仕事になっている。今回の事例もまさにその典型だった。
 顧客に直接話をすれば、こちらの意図を理解して調査に協力的な姿勢を示してくれただろう。残念なことに、社内相手の仕事の方がやりにくいのだった。営業社員が納得しないので、本井がロードセルを持参して現地で測定した結果、ストローク不足が問題だったことがわかった。出力荷重は油圧設定値と比例していた。ここまでわかれば対策は簡単だった。
 この事例からわかるように、営業社員はこの不具合解決に対して全く役に立っていなかった。何をするわけでもなく、自分たちの仕事を拒否するだけだ。実務面で対応するのは本井で、営業部門との対外的なやり取りや全体的な原因調査のマネージメントは山本が対応していた。
 こんな些細な納入不具合を発生させるトーマスも実力が乏しく、レベルが低い話であるが、原因を特定できないという点では顧客側のレベルも低かった。他の顧客も同じような傾向があるのだが、技術者でありながら課題を解決できる人物が少なかった。顧客のほとんどが、製造元の会社に不具合を連絡するだけで、問題の原因についての深掘りはトーマスに丸投げだった。日本の製造業界の技術レベルはかなり落ちてしまったようだ。日本国内には製造現場自体も少なく、設備投資も少ない。終身雇用の年功序列体質で大勢の人員で少ない仕事を分担している。仕事のやり方は下請けに丸投げ。そんな状況で高い技術レベルを維持すること自体が困難なように思えた。
 こういったレベルの低いやり取りが、山本には苦痛だった。トーマス社内では、営業部が特権を持っているかのようにふるまい、社内他部署に敬意を示さない。顧客を理由にして、自分(営業社員)がやりたくない仕事や交渉の言い訳にしていた。役職が上である山本の方が相手に気を使わないといけないことが多かった。営業から設計部門への依頼に対してほぼすべて対応するものの、設計部門から営業部へ依頼する内容が対応されることはほとんどなかった。
 大企業の場合はよくあることだった。いわゆる大企業病というもので、各部署が自部署最適化に基づいて行動するため、全体としてはマイナスに作用するような活動がみられる。全体最適のための活動はほとんど進捗せず、時間だけが過ぎるか、やがて消滅するのだった。だが、トーマスは中小企業だ。こんな規模の小さい組織で、そんな気苦労をしているのがバカらしく思えた。中小企業のメリットを台無しにしている。営業社員のほとんどが40代半ばだったが、その年齢で自分の立場だけを主張しているのが残念だった。そして山本は経験から知っていた。この年齢になると何を言っても変わらないということを。前職でも同じような事はあった。たとえ上司が指示しても、部下が指示を処理できるかどうかは別の話だった。今回の事例で言えば、いくら説明しても相手が理解するとは思えなかった。過去数十年の行動の結果が今の彼らなのだ。簡単に変われるのなら、彼らはいまのポジションにいるはずがなかった。


 会社の状況を考慮すると、営業社員の立場もある程度は理解できた。トーマスは顧客を選べる段階にはなかったからだ。忙しくて仕事を処理しきれないことはなく、どうにか受注してでも売上を伸ばしたいと考えていた。装置産業ではよくあることだが、受注の波が激しい。場合によっては、仕事がなくて従業員が遊んでしまうような受注状況の時もあった。そんな状況を避けるためには、たとえ利益が出なくても受注せざるを得ない。社内で人員を遊ばせておくほど無駄なことはないからだ。規模の大きな案件は不定期で、サイズの小さい案件はたいして売上にも利益にも貢献しない。治具レベルの案件は定期的に受注があったのだが、トーマスの次の戦略としては中規模の物件を定期的に受注することだった。500~600万円程度の物件を数多く増やしていくことができれば、社内の業務量も調整することができるし、場合によっては人員を増加するきっかけにもなる。
 ところが、そういう長期的な展望はあるようには思えなかった。何でもいいから売上につながる案件には全て手を出す営業社員がほとんどだった。仕事を受注できないリスクというのは、経営者からしてみれば大きな不安要素になる。営業社員を増員したにも関わらず、思ったように受注につながっていない。設計部門と製造部門への業務配分は営業部門次第のところがある。会社全体がどうしても営業よりの判断をしてしまいがちになってしまう。顧客が訳のわからない要求をしてきても、対応せざるを得ないのだった。これがトーマスの構造的な弱さだった。顧客を選べないし、顧客と交渉もできない。顧客要求に応えることは大切であるが、理不尽な要求にまで答える必要などない。だが、トーマスは交渉力・立場が非常に弱かった。顧客に対しては強気になれない一方で、社内他部署及び海外拠点に対しては強気になる者が多かった。いわゆる内弁慶の体質で、何の結果も出せていない営業部門の態度は大きかった。
 営業部門もそろそろ転換期に来ていたのかもしれない。増員して3年が経つ。人の教育には時間がかかる。たとえ即戦力といっても、半年や1年では結果も期待できない。ただ、2~3年経って同じ状況が続くとなると、もはや言い訳はできなかった。営業人員の割に 受注が伸びないのであれば、人員を減らすことも真剣に考えなくてはならない。そもそも代理店としてトーマスの製品を販売していたアール社にも営業機能があったのだ。別にトーマス社内の営業社員が数名減ったところで、何の影響もないように思えた。実際、アール社の営業部門とのただのパイプ役にしかなっていない営業社員もいた。アール社の営業社員がいればトーマスの営業社員はいらないようにも思えた。

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