かつて願いを叶えるのに失敗した最強の男は、今日も他人の願いを叶える〜辺境の街の鍛治職人〜

ノベルバユーザー589618

第94話 【追憶】現人神と山神


 マイは普通の女の子である。ただ少しだけ運が悪かっただけの女の子である。マイの住む街は国もそうだが自然の中に神がいると信じて各地それぞれに信仰の対象をもつ。それがマイの住む街の場合は山神であり、そして有事の際に対処しきれないような時は山神に祈ったのだ。
 マイはその街で6歳になるまで普通の女の子として暮らしていた。だがある時街で出会った1人の男に呼び止められる。その男は、国から派遣されてきた使者であるその男はマイを一目見てこの少女には類い稀なるチカラがあると、同行していた従者に説明していた。
 日を改めて、その男は別の男を連れてマイの家を訪れる。大人たちの難しい会話はマイには分からなかったが、しかしひとつだけ分かることがあった。マイは親元を離れて街の中央、つまりは街長の元で暮らすことになるということ。
 両親はマイを説得した。これは名誉な事だと、同じ街だからいつでも会えると。マイは両親を信じている。大人を信じている。それが正しい事なのだと信じて離れていった。
 しかしマイと引き換えに大金を手にした両親がマイに会いにくる事はついになかった。

 それからのマイの生活は特に何もなかった。高い塀に囲われた建物の扉にはいつでも外から鍵が掛かっていた。
 日に一度は先生が来る。作法のお勉強だ。偉い人に会ったり発表会をしたりするわけでもない、その作法は山神様に供えられる時のものだ。
 供えられるということが何なのかマイは分からなかった。笑顔、懇願、畏れ、尊敬、こうべを垂れて差し出す…。
 繰り返すそれは別にその先があるとか難しい問題があるとか、別の科目があるとかはなく、それだけでそれだけがマイの人間関係となった。
 都合が合わずなかなか会えない両親からは手紙が届く。それだけがマイの楽しみで、締めくくりにはいつも、いい子で居なさい、山神様を敬いなさいと書かれていた。
 マイは両親を信じている。大人を信じている。でも会いたい。それを口にして、疑問を投げかけて、先生を困らせた。散々泣き喚き困らせて先生は退散してしまった。
 そのあとマイは先生に会う事はなかった。住むところは窓一つだけの小さな部屋になった。外に出してくれる事はなくなった。

 食事の提供はある。必要ならば風呂も使えるが、誰にも会えない小さな部屋で綺麗にしておく理由もなく、見かねた配膳役がたまにマイを洗っていくだけだった。
 両親からの手紙は届く。いつもいつも似たような文面。それでもマイを心配する内容に心が安らぐのを感じる。

 マイが記憶している通りなら13歳のある日、その日も両親から手紙が届いたが、内容はいつもとは違った。
 街では病が蔓延していて、両親もそれに倒れたというものだった。
 マイは取り乱して大声で叫んだ。人を呼んだ。
 そして現れたのはいつかの男たち。何事かと聞いてくる男たちにマイは手紙の内容を読み上げて、両親に会わせて欲しいと頼み込んだが、それは却下される。
 その代わり…としてマイはここに囲われている理由を知らされる。山神様への供物としての役割を。
 山神様は大きなオオカミで普段は人の姿をしている。とてつもない神聖なチカラで街を救ってくれる、そのためには生贄が必要、特別に魔力の強い、無垢の少女。
 そして、マイがその役目を果たせば、街は救われて両親も助かるのだ、と。
 手紙にもマイが頼りだと書いてある。両親はわかっていたのだと、その上でマイはここに連れてこられたのだ、と。このときマイはそう知る事になった。
 それでもマイは両親を信じている。大人を信じている。

 身体を清められ、一枚だけの白装束を着せられて、マイは箱馬車で山へと連れて行かれた。両親を助けるためにマイは食べられてしまう。けれどそれで助かるのなら…。
 マイの育った環境が、自身の死についてその認識を曖昧なものにさせていた。だが、馬車を降りる頃にはマイの想いは少し変わっていた。


 俺にはこの少女の気持ちは分からない。何故死ねる?これは諦観か懇願か。目の前で力なく平伏する裸の少女をもちろん俺は食べることなどない。しかしこうなっては街に帰す事も出来ないのだろう。とりあえず少女を起こして服を着るように促す。イヤイヤをする少女に後で食べるからとりあえず着ろと説得してやっと話が出来る状態になった。

「まず、お前はなんなんだ?」
 生贄。それは分かっている。だが少女からそれをきちんと聞かない事には何も判断できない。
「マイは生贄です。山神様に食べられるだけのエサです。」
「自分で自分のことをエサなどと言うものではないぞ。」
「マイは…お父さんとお母さんに愛されていました。ずっと手紙をくれてましたから…。でもそれは嘘でした。マイが居なくなって、お父さんたちにはお金がたくさん…マイは売られたのです。手紙は違う人が書いていたそうです。マイは生贄になるためにあそこに閉じ込められていたのです。お父さんもお母さんも新しい子どもと幸せに暮らしているそうです。」
 俺は黙って聞く。
「マイはいらない子になってしまっていたのです。売られて、新しい子どもと暮らしていて、手紙は違う人で。
 馬車の中で教えてくれました。マイを買った人が教えてくれたのです。マイを生贄にするから、沢山のお金を払ったって。両親は喜んでくれたって。マイはその時だけ役に立ったんだって。だから、今度は生贄になって街の役に立てって…。そうしないと街のたくさんの人が死ぬかも知れないから。」
 マイの顔には悲しみの色と絶望が混在している。こんな子どもがする表情なのだろうか。
「マイが戻ってきたら殺すって…マイも両親も、新しい子どもも…みんな殺すって。だからマイにはもう戻るなんて出来ないのです。ここで…食べてください…マイをひとり、殺して食べてください…。」
 気づけば俺はマイを抱き寄せて慰めるようにしていた。
 この子も俺と同じ…大人を信じて、信じて、信じられなくなったのだ。俺のその記憶はバレッタを作る材料として切り取ったが、全て忘れているわけではない。
 マイはそのまま寝付くまでうわ言のように、食べてと繰り返していた。残念ながらその願いを聞くことは出来ない。俺にはカニバリズムの気はないからな。

 山の中腹で木を背にしてマイを抱きかかえたまま座って寝ていた。朝日が昇って夜が明けた事を知る。
 マイは俺の腕の中で寝ている。どれだけ泣いたのか涙の跡が胸を切なくさせる。
「ダリル様。王国には遅延の魔術がかかったままではありますが、それでももうこの子以外にはないかと。」
 ずっと離れたところから俺たちを見ていたナツがそう進言してくる。この男が言うのなら、この先代わりが現れる未来は少なくとも封印に間に合ううちにはないのだろう。
「だが、この子は裏切られたのだ。俺も同じように騙して使い捨てるなどという事はできない。」
「それですと、封印は…。」
「その時はその時で、別の方策を考えるしかないだろう。」
 そんなものはきっと無いのだろうが。願いに喚ばれた俺はそれでも願いに縛られている訳では無い。叶えられなかったとしたらそれは仕方のない事なのだろう。その場合、王国は混沌のまま、俺は失望されて消えてしまうのかもしれんな。
「山神様…。」
「起きたか。少しは落ち着いたか?」
「はい…。山神様はマイを食べてくれないのですか?」
「何度も言うが、俺は山神ではない。それにヒトを食べもしない。」
「では、マイはここで死ねばいいですか?」
 もはや帰る所もない、帰ると皆殺しの憂き目にあうのが分かっていて、それに対して憤慨したりするでもなく、死ぬしかないとこの子は決めているのだ。ならば。
「お前はどうあっても死にたいのか?他に道がないとも限らないのに。」
「マイには道なんてないのです。死ぬしかないのです。」
「そんな事はない。生まれてきて、生きているなら何だって出来る。やりたい事をして、帰る家を作ることも。」
「マイは…もうしょんなことはぁ…うぅ…。」
「ダリル様は現人神でいらっしゃるのですから、救って差し上げれば良いのではないですか?」
 ここまで傍観を決め込んでいたナツが口を挟んできた。この子がどうしようもなくそれでも死ぬ事しかないと言うのであれば提示したかも知れない選択肢を、先に言わせてしまった。こいつのスタンスからそれは無いと思い込んでいた。
 ありったけの殺意をナツに向けてしまう。それは何を提示しても死ぬという選択をした場合の最後の手段だというのにこいつが…こいつがこの子の他の可能性を捨て去り縛ってしまう提案を!
 ナツは顔を青ざめさせて後ずさり、出過ぎた事を…申し訳ありません…と辛うじて肉声にして搾り出している。
「山神様は山神様じゃない神様なんですか?」
 目を腫らしたマイがこちらを見上げてそう聞いてきた。
「俺は自分では神だなどとは思ってはいないが、どうやらそれに近い者ではあるらしい。」
「マイを食べますか?」
「だから食べん!」
「じゃあ…マイは死にますか?」
「死なせん!」
「じゃあ…マイのお父さんになってくれますか?」
「お父さんにな…あ?」
「マイにはもう帰る所もないです。もうお父さんにもお母さんにもマイはいらない子です。でも帰ったらみんな死んじゃいます。だからマイにはお父さんもお母さんももう会えないです。でもマイは寂しいのです。マイはまた泣いちゃいます。でも…神様はマイに優しくしてくれるのです。マイが死ねないなら、マイのお父さんになって欲しいのです。ダメですか?」
「だがそれは…お前が本当に欲しいものではないだろう。」
「マイは、神様にお父さんになって欲しいです。神様にそんなことお願いしちゃダメかも知れませんけど、マイはもう寂しい気持ちになりたくないのです。死ねないなら、寂しくなりたくないのです。神様がお父さんになってくれたら、マイはそれだけで幸せです。ダメですか?」
「お前は…。」
 この子は優しさに飢えているのだ。愛情を求めているのだ。
「マイって呼んでください。神様…お父さん。」
 ここまできてしまうと俺には断れない。縛られてはいないが、願いに気づいてしまった以上、俺がどうにかしてやりたいと願った以上、俺の本来の目的に使うという下心があると自分でわかっていてそれを避けたいと思っていてもナツを締め上げてやりたいと思っていても、もう叶えてやりたい。
「ああ、マイ。そうだな。これからは…マイは俺の娘だ。神様の娘、さしずめ“山神マイ”とでも言うか。」
 俺はこのあとマイにするお願いを含めてそう言う。結局そうして利用する事になるということに嫌悪感を抱きながら、それはマイに寂しい想いをさせてしまわないかと不安に思いながら、より強く抱きしめて頭を撫でてやる。
「えへへ…お父さん、大好き。」
 嬉しそうにそう言って頬ずりしてくるマイは、その身体を薄く発光させたかと思うと、俺が山の神様ってこんなかなとか思った衣装…前世で山伏と呼ばれる人の恰好に変わっていた。
「なんだ…これは?」
「え?なにこれ…可愛い!これもお父さんのチカラですか?ありがとう!大事に着るね!」
 マイはよくよく観察すると、先ほどまでより内から漲るものがあり、それはこの世界において一般的とは程遠いほどの魔力と神聖さである。
「ダリル様の御力が彼女を神化させたのでしょう。只人を神にしてしまうとは…あるいは転移者の名付けによるものでしょうか。」
 おそらくはその両方なのだろう。精霊界の幼女が言っていた名前の話。それに俺の存在、スキル。見れば見るほどにこの少女は山神のマイである。迂闊な名付けはこれから出来ないなと目の前の幸せそうに抱きつくマイをみてそう心に留めた。
「んもう…お父さん、そんなに見つめられると恥ずかしいよ。でもまだしばらくこうしていて欲しいな。もっとぎゅっとして欲しいな!」
 俺のその力はマイの心もそれに合わせて明るくしてしまったのだろうか、それともいよいよ遠慮がなくなっただけなのか。ともあれ、今少しこの新しい娘のお願いを聞くのも悪くはないだろう。

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品