かつて願いを叶えるのに失敗した最強の男は、今日も他人の願いを叶える〜辺境の街の鍛治職人〜

ノベルバユーザー589618

第93話 【追憶】山神への生贄

 これで残りは北側にある山に据えるだけとなった。
 しかしこの山において守り人として適切な相手を俺は知らない。
 条件さえ合えばそれこそ熊でも狼でも何でもいいのだが、どうやらそういう者も居ない。
 南を見れば、緩やかではあるが呪いが進行していく王国が見え、北を見れば別の国が隣接する国と諍いを起こしている。
「お困りのようですね。」
 そこに何かがいたのは気づいていたが、声を掛けてくるとは思わなかった。なにせそいつからは生者の気配が感じられなかったからだ。死者であればもしかしたら念を飛ばしてきたりはしたかも知れないが、まさか肉声でコンタクトを取りに来るとは。
 振り返るとシャツにデニム、紺色の薄い上着を着たヒョロっとした青年がそこに立っていた。やはり生者では無いのだろう、この山頂でそんな格好でいるのはさすがに不自然だ。荷物もなく、この標高の気温と風に寒がりもしない。
「お前は一体?」
「お初にお目にかかります。私はこの度のサポート役に命ぜられましたナツと申します。得意な事は占いです。ダリル様の目的が成就されるようにと遣わされました。以後、お見知り置きを。」
 目の前の青年はそう言って深々と頭を下げてみせる。
「命ぜられた?一体、誰に…?」
 目の前の生きていない青年を遣わしたのは誰なのか?そういえばあの元奴隷の少年も既に聞いていると言っていた。それは誰か?考えるまでもない。あの幼女だ。
「守り人の選定は簡単ではないでしょうから。ダリル様の馴染みのない当地においては特に。ですので、そのお手伝いをするようにと精霊界の女王より承りました。」
「そして占いで見つけてくれるということか?」
「はい。というよりは既に。」


「この山の北側にある街では、山神信仰があるのをご存知でしょうか?この山には山神様がいらして、国難においてその力をもって救ってくださるという。」
 この世界にも宗教の類は呆れるほどにあるが、自然を対象としたものはその最たるものと言えるだろう。とりわけこの険しい山などはそうなり易い。
「その山神とやらに守り人を頼むのか?神に知り合いなどはいないが。」
「ええ、もちろん違います。この世界において地上におられる神はダリル様のみです。そして山神様などと言うものは存在しません。街の者が勝手に想像して勝手に信仰しているだけにすぎません。祈って叶えば山神様のおかげと感謝して、叶わなければ祈りが足りないと更に祈るだけです。」
 俺は神ではないと、否定しようかとも思ったがどうせ聞きはしないだろう。とりあえず好きに語らせておくのが吉か。
「そして祈っても祈っても叶わないものをそれでも叶えたいという、そんな時に行われるものが生贄という手段です。神などいないこの山には少なくない数の者たちが生贄として捧げられております。そしてその生贄に選ばれるのは、神に仕えし者だけでそれなりに使える者です。」
「使える者。つまりはその生贄として捧げられる者を守り人にすると。」
「ええ、そして今この山の麓にその生贄が来ております。ダリル様にはその生贄を迎えにあがって頂きたいということです。」
「それではまるで俺がその山神とやらのようではあるが。」
ナツは貼り付けた笑顔のまま、手で促した。


 ナツの言う通り、麓にまで降りてきた俺は確かにその生贄がいるのを見つけた。とても山に入るとは思えない恰好で、道なき道をひたすらに登る姿。何度も転んだのだろう、飾り気のない白い装束は既に泥に塗れており、顔まで汚れとすり傷があり痛々しい。
 俺はその生贄をしばらく見ていた。ナツは山神のフリでもして近づけば簡単だと言っていたが、これから頼み事をするのに嘘はつきたくない。嘘には散々振り回された俺だから…。
「お前はこんなところで何をしているんだ?」
 生贄の少女につい聞いてしまった。生贄が何をするも何もない。叶えたいことがあるのだろう。それを聞いておきたかったのだ。
「あなたは…山神様ですか?」
 少女はそう聞いてくる。こんなところで出会えばそう思ってしまうのかも知れないが、俺は神ではない。
「そうではない。だがお前のことが気になって、な。」
「聞いていた通りです。山神様はご自分のことを神とは仰られないと。山神様、街をお救い下さい…今、街は病に蝕まれております。街が救われるならこの命を貴方様に捧げますゆえ。」
 想定外に勘違いさせてしまった。だが、これで聞きやすくなる。
「流行り病か?そのためにお前のような子どもが生贄にされる、と?馬鹿馬鹿しい…死ぬなら老い先短い連中が死ねばいい。帰って伝えろ。神は子どもなど捧げられてもどうしようもない。魔力に溢れた年寄りでも連れて来いと。」
 俺の都合に巻き込むにしても年寄りならいくらか罪悪感も薄れるかも知れない。ここでは知り合いなど望めそうもないから赤の他人か動物にでもしたいところだが、こんな未来ある少女は気がひける。
「そんな…いえ、魔力なら、マイもたくさんあります!どうかこの命で、街を救ってください!!」
 これはどうやら上手くはいかないらしい。生贄も大変な役割なのだろう。なら今のところは諦めて街を救ってこの少女を返してやるか。
「その流行り病の特徴と、街の大きさ、ここからの距離を教えろ。」
「…!!はいっ!!」
 そうして聞き出した情報から、魔術を構築して山からの吹きおろしの風に乗せて運ばせた。そも話を聞く限り隣国との争いの中の魔術攻撃のようだった。それが分かれば対処は容易い。金色の風が街にまで届きその手応えを感じる。
「これで大丈夫だ。生贄の必要はない。お前も街に帰るが良いだろう。」
 一連の魔術を黙って見ていたマイは、真剣な顔で首を振り、
「街には…マイの居場所はないのです。いつか生贄にするために売られて育てられただけのマイにはあの座敷牢しかないのです。あそこに戻るのはいやなのです。誰もマイのことは受け入れてくれないのです。生贄にもなれないマイの居場所はもう座敷牢にもないかも知れないです。もうマイは…どこにも…なんで生贄にしてくれないのです?食べて下さい。マイはもういいのです。食べて…ください。この通りです…。」
 マイは抑揚なくそんな事を口にしながら、一枚だけ着せられていた装束を脱ぎ去り、その身を差し出すように平伏した。
「マイは…泥だらけですけど…怪我もしちゃいましたけど、生贄にするからって、ご飯は食べさせて貰っていたので、食べるところはあると思うのです。だから、マイは山神様に食べてもらいたいのです。生贄になれないとマイは生きてきた意味も生まれてきた意味も…これだけはやって来いと言われてきたので…山神様、食べて下さいです…。」
 平伏したというより、ここで終わりだと、やっと終われるのだと、俺にはそう見えた。折り畳まれた身体のどこにも力はこもってなくて、ただただそこで終わりの存在。
「マイは、マイはきっと美味しいですから。食べて食べ…て、くだしゃい…はやく…たべて…。」
 うわ言のように繰り返されるそれは次第に弱々しく、泣きそうになるのを堪えているようでもあった。

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