かつて願いを叶えるのに失敗した最強の男は、今日も他人の願いを叶える〜辺境の街の鍛治職人〜
第85話 【追憶】バレッタの
「バレッタ、君は何者なんだい?」
エミールの疑問は尤もでしょうね。
答えは、何者でもない。でしょうか。
かつて私はこことは違う世界で生きていました。
平和な田舎町で、家族揃って裕福ではないけど、ただの子どもをやっていました。
友達もたくさんいて、ガッコウが終わればいつもあちこちとみんなで遊んだものです。
何も知らない愚かな子どもでした。
どこからダメになっていたのかもわかりません。
ある時両親は離婚しました。借金が膨らみすぎて仕方ないとか。その世界においては子どもたちは母親が引き取るのが一般的で、私たち兄妹もそうでした。
けどまともに働いたことのない母親に生活力などなく、親戚のお世話になることになりました。
引っ越しして、テンコウして、友達はその時にみんな無くなりました。借金で夜逃げなんて言うわけにはいきませんでしたから…突然のテンコウだったはずです。
それから、私は子どもなのに子どもで居られなくなりました。ガッコウには行かせてもらいましたが、それ以外は労働力でした。主に売り子などをして、新しい友達と遊ぶことも無くなりました。
母親は離婚してからは全てを父親のせいにしました。私たち兄妹もそう吹き込まれて、信じてました。
面会に一度だけ訪れた父親は、“いつかみんなで住もうな”と儚い希望を語ってましたが、それ以降父親は来ませんでした。無責任な人と思いましたが、後で聞くと面会を母親たちで断っていたそうです。
ある時祖父が高齢で転がり込んできましたが、母親もその親戚も邪険にして結局放り出してしまいました。
祖父は捨てられる時に、“お前だけは良くしてくれた、ありがとう”と言ってくれました。それからそう掛からないうちに死んだとの連絡がありました。私は良くしてなんかいない。大人の言葉を信じて、無関心でいただけ。そんな私に感謝して、ひとり死ぬなんて。
父親はいつしか死んだと聞かされていました。しかし、年月を過ぎたある日、父親の死をケイサツから知らされ面会に呼ばれました。
そこにいたのは変わり果てた父親。腐敗が始まる前ではありましたが、全身は緑がかり腫れ上がったようになってましたが、遺品のメンキョショウの名前は知っていて、そこの写真は確かにその死体のものでした。死んだと聞かされて信じて私が探しもしなかった父親でした。
私は写真の顔と死体の顔を照らし合わせて答えたのです。私は、愚かな子どもであった私は、父親の顔すら忘れていたのですから。
残ったのは都合の良いことを吹き込み、嘘を吹き込み、自分が被害者だと信じて疑わない、かつては永遠の愛を誓った夫婦の片割れと親戚。
人は都合の良いように嘘をつくのです。何も知らない分からない子どもに嘘を吹き込むのです。
愚かな子どもの私はそれを信じて、見殺しにしたのです。
父親の顔すら忘れる非情な生き物。直接何もしていなくても手を差し伸べることすらしなかった愚かな子ども。
私はこの時から大人を信じることをやめました。
私は疑念の塊。こんな愚かな私は幸せなど望むべくもなく、ただ朽ちてしまうだけの存在であるように生きてきました。
今の全ての記憶が私のものではありません。
いえ、その記憶をひっくるめて私なのです。
これはキスミ様のいつかの昔の記憶。
私はキスミ様の中にあった、暗く陰鬱な墨の様に広がる記憶を固めて生み出された存在。
「こんなものか…。」
私自身の記憶の始まりがその言葉からです。
「…俺に仕える俺の分身…むさ苦しいのはかなわんな。となるとやはりメイドだろう。服はこう…背丈はそう、このくらいか。ふむ…髪型?そうだな…茶色の三つ編みで前はパッツンにしてみるか。案外悪くないと思うぞ。」
キスミ様はそう独り言を口にしながら、壁に真っ黒のシルエットを描いていました。
人から見れば落書き。それを真剣に楽しそうな顔をして描いていました。
「うむ、上出来だろう。そうだな…これだと偏屈な奴が出てきそうだし…これも加えておくか。今の俺にはもう不要な物だからな。」
そう言ってもう少しだけ描き足してキスミ様は両手を合わせる。
「我が魂の分体よ、今ここにその姿を顕せ。生命創造。」
そして私はこの世界で生を受けたのです。
それは生き物では無いかもしれません。キスミ様の心の深くにある負の感情。恐らくは本人にしか分からない後悔の念、猜疑心なども主成分に、最後に与えられたそれは、違う世界でのキスミ様の淡い恋心でした。
キスミ様の心に墨の様に広がる強烈な記憶と、その中にあって大事にされてきた優しい心で形作られたもの、それこそが私なのです。
「お前の名はバレッタ。俺の分体としてサポートして欲しい。出来るか?」
キスミ様の初めてのお言葉。
「はい、キスミ様。仰せのままに。」
最初から知っている丁寧な仕草で挨拶をしました。
「ああ、よろしく頼む。…しかしあれだな。俺の好みがバッチリと反映され過ぎて無いか?これは隠さないと困る。けど不審者にするわけにもいかん…まあ、こう言う時はお約束の似合わない丸メガネの出番だな。そうこれこれ、バレッタ掛けてみろ。」
どこからか取り出して手渡されたそれはなるほどセンスを疑う眼鏡ですが、言わんとすることは分かります。分体ですから。
「うむ、完璧だな。ところで、分体とは言え自意識はあるはずだが、どうだ?お前はキスミか?それともバレッタか?」
「私は…」
その問いかけに少し考えて
「私はバレッタです。キスミ様に恋するメイドのバレッタです。どうぞよろしくお願い致します。」
「そうか、そう作用するか。まあいい、バレッタ。俺が成すことは春色めいたことなどではない。だが死臭漂う荒野の道のりを俺と共に歩んでくれ。」
「承知致しました。プロポーズとして受け取っておきます。」
キスミ様の苦笑いはとても可愛いものでした。
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