かつて願いを叶えるのに失敗した最強の男は、今日も他人の願いを叶える〜辺境の街の鍛治職人〜
第9話 もう狼の声は聞こえない
スウォードの街では魔の森と呼ばている、そんな懐かしき森へと足を踏み入れる。
惨めなあの日から初めて訪れたそこは、なぜ魔の森と呼ばれるのか疑問に思うほど道中に獣も魔獣もなく、紅蓮蝶のあの丘のある林とさほどの違いも分からない。
切り株が1つ、腰掛けるのにちょうどいい。上手くいけばこれから生きるか死ぬかの大勝負を繰り広げるのに、はやる気持ちを落ち着かせる。
木々の間から漏れる日差しが、そよぐ風も心地よく不思議なほどにこの心を落ち着かせてくれる。
復讐に来た。それは間違いないがかつてのように激情に駆られてではない。
まるで儀式のよう。心にはさざなみひとつ立っていない。
遠く、獣の遠吠えが聴こえた気がする。
方角はラタンの街の方。
ザッザッザッ…と軽やかに獣が駆けてくる足音。獣ではあるが、その音は2本の脚によるもの。ヤツだ。
倒木の向こうに見覚えのある筋肉質の二足歩行の狼。
低く唸るそいつは俺を敵と認識している。間違いなくこいつは俺を憶えている。
剣を抜く。青白く輝くこの剣はこいつを倒すために作られた唯一無二。両手に持ち左脚を前に、剣は右手前にひき腰を軽く落とす。
オオカミ頭が駆けて倒木を飛び越えた勢いのままその剛腕と爪で首を狩りにくる。
下を潜るようにして、よけざまに斬りつける。
しかしあの時と同じに弾かれ、傷ひとつつけられない。
この剣で試し切りはしていない。作られた時その時が最高だと聞かされていたからだ。だが肉はおろかその剛毛に弾かれた。
期待値の分だけ焦りがやってくる。
敵はこちらの攻撃がやはり通らないと知りその裂けた口で笑みを深める。
オオカミ頭は姿勢を低く、まるで四つ足のように突進してその大きな口で噛みついてきた!
迎え撃つことも考えたがやはり魔獣。噛みつきに合わせ、両腕でも掴みかかろうとする動作に大きく横飛びで避ける。
肩で息をしている。痛手はないがすでに命の危機であると警鐘が鳴っている。
なぜ!通じない!!豚を惨殺せしめたあの武器を、それと同じ事を可能とする武器を俺は手に入れたはずなのに!
騙されたか!?いや、ダリルと行ったあの渓谷での出来事は間違いなく、ダリルはそれを魔剣によるものだと!俺のこの剣はこいつにあれと同じ結果をもたらすと!
またオオカミ頭が俺を喰うために構えている。今度はその長い腕を大きく広げて。
今度こそ躱すことは叶わないだろう。
焦りが俺の思考を埋め尽くす。
ダリルはなんて言っていた?この剣は魔剣。オオカミ頭を仕留めさせてやると。
違う、そこじゃない。
もっと大事なこと。そうダリルとの紅蓮蝶の時のこと!!
美味しい水!ダリルのサンドイッチ!冷たい水!!似合わない猫のぬいぐるみ!?
違う!ダリルはどうやって紅蓮蝶を仕留めた!?分からない。虫あみの振り方!?んなばかな!
焦りが邪魔をする。さっきまでの落ち着きはあれは嘘だったのか?何かを掴んだ気がして勘違いしていただけだ!
紅蓮蝶なんてこいつとは違うのに!
もう時間がない。黒い暴風のごとく迫り来る魔獣の攻撃を躱すことはできない。
思考は巡る、取り留めもなく。
光が。光の粒が視界を彩る。
死がそこまで迫っている。
記憶の奔流に咲き乱れる花たち。あの丘の。一輪のひまわり。
「いつかまたここで、ピクニックしようねー。」
なぜ、この窮地にそんなことが頭をよぎったのか。記憶にない女の子と交わした約束。胸が苦しくなるほどに愛おしい笑顔が、ひまわりが揺れた。交わした約束を守りたい。そのためには生きて…。
剣がほのかに桃色に光り、苦し紛れに振り上げた軌跡は苦もなくその首をはねとばし、勢いづいて迫り躱せないその巨躯はベールのようなものに阻まれはじかれて左後方へと通り過ぎて行った。
夢うつつ、命の危機を脱した俺はその場に両膝をつき、涙を流していた。仲間の仇を討てたのだ。
膝の上に横にして持った剣からは既に桃色の輝きは失われている。俺はなぜだか分からないまま、剣を抱えて泣き続けていた。
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