出世街道か、失踪か

篠原皐月

(2)超優良企業の闇

『全社員に通達。本館9階男性用トイレ、右端個室は終日使用不可とする。この警告を無視して立ち入った者がいかなる不測の事態に陥っても、我が社は一切関知しない』

 某総合商社で、そんな一見意味不明なメールが一斉送信された翌日。本社ビルの一角で、定例役員会が開催された。

「会議を始める前に、報告がある。昨日新人一名が例のトイレに侵入し、無事に勤務を続行中だ」
 社長の口から淡々と告げられた内容に、居並ぶ幹部達は含み笑いで応じる。

「それはそれは……」
「何年振りでしょうか」
「最近の若い者は、チャレンジ精神が欠如していて困る」
「今年は骨のある奴がいたな」
 すると困惑顔で円卓を囲んでいた外部取締役が、恐る恐る周囲に問いかけた。

「あの……。今話題になったトイレは、不定期に異世界に通じるパワースポットと化して、入った者は出られないか未知のパワーを得て帰還するとか、社内で変な噂がありますよね?」
 それを聞いた役員達は、揃って面白そうな顔になる。

「そうでしたか?」
「それで、ここにいる皆さんは、全員その問題の場所に問題の日に入られたとか……」
「うん? どうだったかな?」
「なにぶん昔の事で、記憶が定かじゃないな~」
「あらあら、常務。呆けるには早いですよ?」
 「あはは」と楽しげに笑う生え抜きの役員達を、外部取締役が顔を引き攣らせながら見やった。そんな彼の腕を、監査役が軽く引っ張りながら囁く。

「駄目ですよ。どう考えても、触らぬ神に祟りなしの案件です。年商5000億に達する大企業が、隣に高層階の自社ビルを建てたのに、いまだに築40年のこのビルを本社としているだけでも相当な訳ありです。余計な事は口外せず、黙って役員報酬だけ貰っておけば良いんですよ」
「……ああ、そうだな」
「それでは、定例役員会を始める」
 その社長の鶴の一声で、会議室は瞬時に静まり返った。

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