第一章　始まりが雨でなく運命？

仔ウサギの大冒険（間奏１）

　か細い両腕。ちいさな段ボールを抱える爺さんのつぶやきだ。

「黒いロップとネザラン白の交じりそんなんできらぁ思わんし。
おまえさん育てられへんねやわぁ。ほんま悪りぃしすまんのぉ」

　ひろい公園の休憩ベンチ。近づくと躊躇わずに箱を手放した。
「おまえにもちゃんとメシくわせるご主人できたらえぇよなぁ」

　恥じる感情もある爺さん。つぶやいて逃げるように走り去る。

　ほのかに暗い夕暮れだ。月星の明りは地上を鮮明に灯さない。

　飢え渇きが襲いうずくまる〝彼〟は死を間近に怯えるだけだ。

　月がはべらせる眷属である星々の瞬きに照らされた死に体だ。

　死も身近な〝彼〟は白毛がまとう体。哀れな仔ウサギだった。
　右瞳は血流よりも濃い紅。見上げた琥珀の左眼で星が瞬いた。

　頭上は夕闇うす明り……〝彼〟のオッドアイが動きをなくす。
　体は飢え次第に輝きを失くした双眸で明るい夢はみられない。

　生後まもない赤んぼうの〝彼〟は状況をしらない捨てられ子。

　ビル街狭間の公園ベンチだ。段ボールに伏せた体は動かない。

『夜空の月にみえる模様だ臼と杵で餅つきをするウサギの連想』

　眼に見える印象。異能を身に秘めたウサギが伝承に残された。

『ウサギが悲しいとそれだけで死ぬ。弱すぎる生き物だからさ』

　出処の怪しい都市伝説。長く語られるが科学的な根拠もない。

　迷信がひろまった要因にウサギは草食。胃腸を常時働かせる。

　半日なにも食べられないだけで胃腸が弱る。体機能も衰えた。

　飼育を数日おこたる行為だ。結果として過去に死が頻発する。

　原因は明白で飼主に気がつけない重病だ。未発の死が訪れた。

「寂しいウサギは死んじゃうんだよね」名作ドラマのセリフだ。

　引用元も定かでない言葉がおおきく影響したと噂されている。

　己の過去や出自を記憶していない〝彼〟はかなり残念だった。

　生命を得た状況。そこからの暮らしをまったく覚えていない。

　現状のまま動けないなら〝彼〟は空腹で死ぬ。哀れな運命だ。

　危機感もないなかで突如として発生した轟音が周囲に響いた。

『？』……屹立する右の白耳に響く轟音で身体がジャンプする。

　強烈な揺れで〝彼〟が伏せた段ボールも地盤と同時に消えた。

　その瞬間【世界は前兆もなく】巻きこんだ現実ごと変容する。

　この突如として発生した地震を〝彼〟が理解することはない。

　果てのない宇宙。太陽系第三惑星として『地球』は存在する。

　おおまかに星が誕生してから現在。およそ４５億年経過した。

　おおきな質量の地球は惑星。太陽を一年かけた周期でめぐる。

　いくつかの大陸に生命の発祥とされる海だ。ほぼ表面すべて。

　空を舞う種をふくめて６７０万。動植物が生息する星である。

　生き物が呼吸して活動する地球。頂点に君臨するのが人間だ。

　だがしかし表面下。活動の場所が異なる種族も複数存在する。

　地盤ごと姿を消した〝彼〟が再出現するのは不思議な空間だ。

　あわい岩肌がひろい周囲を照らす。視界は遮断されていない。

　おおきな左の黒耳を伏せた〝彼〟のオッドアイが呆然とする。

　まったく理解のできない状況。戸惑うだけでなにもできない。

〝彼〟に判断つかない場所なのだ。周囲まで視線をめぐらせる。

　見上げたのは高い天井。すべてが岩肌の空間に疑問をもった。

　純粋な好奇心なんだろう。疑念として〝彼〟が案じた状況だ。

　ほのかに暗い岩肌。前で曲がりくねる通路が奥に誘っている。

　とにかく前に進もうと眺めた前方。一か所で双眸が釘づけだ。

〝彼〟の体よりのびる胴長短足。黒い長毛でおおう角鼠だった。

　角鼠の頭上に生える違和感。〝彼〟に理解できない突起物だ。
先端に向け鋭敏にとがる角は鬼の物語として伝承にも残される。

　気になるらしい〝彼〟も身を伏せた角鼠から視線を外せない。

　音もなく身体ごと近づけて巨体を見渡すと――ちょいちょいと
器用に前足を動かした。尖る爪先で突いたが動きもない角鼠だ。

《…………》視線だけを動かす〝彼〟が角鼠の足先まで眺める。

〝彼〟は愛玩用に配合されて生まれた種ミックスミニウサギだ。

　多様な血統が交配されたペット種の末裔で小動物にすぎない。

　憶病すぎて慎重な〝彼〟もおそらく無意識の行動なんだろう。

　好奇心が背部の裂傷に集中した。左爪で勢いよく突いたのだ。

　勢いだけで到達したのが拍動する角鼠のおおきな心臓だった。

〝彼〟は左掌で心臓を引きずりだすとそのまま力強く咀嚼した。

　伏せて動きのなかった角鼠が一瞬だけ体を激しく蠢動させる。
無意識のまま永遠に生命を失い――その瞬間〝彼〟は驚愕する。