【完結】あなた色に染まり……ません!~呉服屋若旦那は年下彼女に独占宣言される~

霧内杳

第1章 私の妻におなりなさい2

「き、き、貴様!
なにを!」

顔を真っ赤にして男が勢いよく立ち上がる。
受けて立つ、とばかりに少し上方にある男の顔を睨みつけた。

「これだから下賤の人間は!」

「あんたが上流階級の人間だとでも……」

「あはっ、はははっ、ははっ、ははははっ」

唐突にその場にふさわしくない大爆笑が聞こえ、不覚にも男と顔を見あわせる。

「あはははっ、もー、最高ですね」

笑いすぎて出た涙を、眼鏡を少し浮かせて人差し指の背で彼――若旦那は拭った。
そんな彼を見る男の顔にははっきりと「信じられない」と書いてある。

「若旦那。
笑い事では……」

「これは貴方が悪い。
そうじゃないですか、宅間たくまさん。
私はこちらの芸術性を高く買って取り引きのお願いにきたのです。
なのに、ごときなどと。
失礼千万、極まりない」

ぴしゃり、と若旦那が男の言葉を封じた。
さっきの大爆笑が嘘のように真顔の彼はまるで――抜き身の日本刀のようだ。

「も、申し訳ございません……!」

若旦那の方を見たまま男が後ずさってきて、危うくぶつかりそうになった。
なにをするのかと思ったら、そのまま勢いよく土下座をする。
でも、その気持ちはよくわかった。
それほどまでにいまの若旦那は、怖かった。

「宅間さん。
あたまを下げる相手を間違ってはいませんか?」

静かな声は、ひとつでも間違えたら切られてしまいそうなほど緊張をもたらす。

「はっ……!
様、このたびは大変な無礼を働いてしまい、申し訳ございませんでした……!」

土下座の姿勢のまま方向転換し、男がカーペットへと額を擦りつける。

「本当に申し訳ございませんでした。
私からもお詫び申し上げます」

ただあたまを下げただけなのに、若旦那のそれは、ほぅと感嘆のため息が漏れそうなほど美しい。

「あっ、いえ!
あたまをお上げになってください!
こちらこそ、うちのバカ娘がお茶をかけるなどしてしまいまして、申し訳ありません!」

ぎろっ、と眼光鋭く父から睨まれ、思わず出そうになった悲鳴は飲み込んだ。

「すみません、やり過ぎました。
申し訳ございませんでした」

素直に、あたまを下げる。
さすがにここまできて多少あたまも冷えると、お茶をぶっかけるのはやり過ぎだったと反省した。

「お許しいただけるのですか」

若旦那があたまを上げる。
男もソファーへ座り直し、騒ぎを聞きつけて母が持ってきてくれたタオルであたまを拭いていた。
幸い、夏で冷茶だったので、火傷の心配はない。
いや、だからかけたっていうのもあるけれど。

「ええ、はい。
それは。
こちらも悪かったですし」

しっし、と父に手で追い払われ、出ていこうとしたものの。

「では、というわけでもないですが。
……そこのお嬢さん、私の妻におなりなさい」

「……は?」

言った本人を除く残り三人、仲良く同じ一音を発して固まった。

「……わ、若旦那!
ご冗談を!」

三人の中で一番早く我に返ったのは、三橋の男だった。

「冗談など言っていません。
だいたい、父も、宅間さんだって、私に早く結婚しろとうるさいじゃないですか」

涼しい顔で若旦那はお茶を飲んでいるが、私はいまだに状況が理解できない。

「けれどそれは、しかるべきお嬢さんと、という話で」

「ほら宅間さん。
また貴方は有坂ありさかさんを下に見るのですか?
有坂のお嬢さんでは私の結婚相手には不足だとか」

「うっ」

さっきはごときなどと言われてあたまに血が上ったが、さすがにこれは宅間さん、だっけ?の言うことが正しいと私も思う。

「お嬢さんはいかがですか?
私の妻になるのは」

「へっ?」

自分のことなのにまるで他人事のように傍観していたところへ話を振られ、思わず変な声が出た。

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