青も虹も黒

先導ヒデ

陸上について思うこと2 (10/73)


 いつものように自転車を走らせる。
 しかし、いつもよりも気持ちは暗い。
 「高一の冬」のことを思い出す。自分の人生の大きな転機は「中二の冬」と「高一の冬」の二回あるがそのうちの一回だ。
 「高一の冬」に世界陸上で金メダルを取ったアフリカの選手がドーピングで4年の出場停止になったというニュースを見た。いつものようにドーピングをするなんて卑怯だなと思ったが、その日は違った。
 色々と過去のドーピング事件のことが頭に流れてきて、どん底に突き落とされた。
 過去に自分のドリンク剤に薬物を入れられてドーピング検査に陽性となったという事件。
 自分がどんなに頑張ってもクリーンに頑張っても、誰かに薬物を入れられたら全て終わりではないか。
 ある国では国家ぐるみでドーピングが行われている。幼少期からドーピングをさせてトレーニングをさせるという事件。
 生まれてから18歳までドーピングをさせてトレーニングをさせる。その間は国際大会には出ない。そして1年、2年かけて薬を抜き、ドーピング検査に引っかからないところで試合に出る。クリーンな選手が到底達することのできない肉体でとてつもない記録を出す。
 こんな選手に勝てるはずがない。
 大幅な自己ベストを更新して優勝するが、メディアにドーピングをしているという憶測記事を書かれ、世間からそういう目で見られるという事件。
 ジュニアの頃から国際大会に出てコンスタントに記録を出さないとドーピングを疑われる。本当に潔白を証明するには10歳からドーピング検査をしなければならないではないか。
 というか、本当に潔白な選手などいないのではないか。
 例えば、生まれてすぐに容態に異変を起こし、他の人には滅多に使われないドーピング物資の入った薬を注入される。
 それが本当に発育に影響を及ぼさないと言えるのか。同じ筋肉のダメージを負っても、回復が他の人よりも速くなる可能性があるのではないのか。
 その時、自分はとんでもないことに人生の時間を使っているのだと思った。
 失った人生の時間の大きさに絶望した。
 とんでもないギャンブルをしていたのだ。
 どんなにタイムを上げても、その先にはドーピングをした絶対に勝てない選手に負ける運命、潔白なのにドーピングを疑われる運命、薬物を入れられる運命が待っている。
 時期も悪かった。冬は夏に比べて精神状態がかなり不安定になる。そして家庭でも本当に家に帰りたくないような日々が続いていた。
 「中二の冬」の時よりも深い絶望に落ちる。
 サッカーに戻ろうかと思ったが、うちのサッカー部は中学時代より少し良くしたくらいだ。他校へ行くか。無理だ。家族が許してくれるはずがない。「中二の冬」に家族の呪縛から少し解放されたとはいえ、家族と戦う力も勇気もまだ持っていない。
 人生が詰んでいたことに気づいた。
 そこから何日間はどん底の精神状態だった。陸上を続けていたが、ジョグの最中は自分が何のために走っているのかわからなくなった。ポイント練習などの考える暇のない激しい練習の時だけ、現実から逃れることができた。それでも練習が終われば現実に戻ってしまう。
 自転車での帰り道も未来への不安のことで頭がいっぱいだったが、なんとか対抗選手の3人に入れる可能性がある高2の総体まではやろうと思い、なんとか精神を持ちこたえた。
 しかし、高2の総体も怪我で出ることができず、また、しばらく生きる目標も生きる活力を失っていた。とりあえず、東地区総体、県総体で最後までみんなを応援することを目的になんとか生きていた。
 その場しのぎの応急処置のような生き方しかできなかった。
 それから次の目標をずっと考えていたが、何も見つからないまま、いよいよ県総体の最終日になった。
 自分とトシは同じ審判部署の補助員だった。最後の片付けが終わり、みんなの所に戻る途中だった。
「来年は一緒に総体出ようね。」
 トシが神に見えたという訳ではない。だが、トシが自分と一緒に総体に出ようと言ってくれたのだ。
 神からの恩恵としか思えない。
 真っ暗闇の精神世界に光が射した。何度でもあの時の余韻に浸る事ができる。
 今、自分が走っているのは総体でトシと走るためだ。なんとしても対抗選手に選ばれ、東地区総体、そして県総体まで行く。
 「トシと総体に出る」。これが唯一の拠り所だ。
 気持ちが沈んでいたが、トシを思ったことで少し回復した。市街地の夜景を眺める。そして今日は満月だ。
 心がさらに少し回復する。
 それでもいつもよりマイナスの状態だ。家の前に着き、家の電気がついて父と母がいることがわかる。
 玄関を開ける時の心臓を締め付けられるような感覚はいつまで経っても慣れない。
「ただいまー。」
 さあ、今日も地獄が始まる。

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