馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
7-35 死んで守った気になって
(……何だか温かい)
そんな事を夢にうつつに思いながら、テレンスの意識がふっと浮上した時。その目に最初に入って来たのがレイヴン伯爵家の末の子供だった。
その小さな領主候補は、額に脂汗を浮かべながら何かをしている。
この反応は魔力だ。アナスタシアはテレンスの身体にザラザラとした石のようなものを押し付けながら、大量の魔力をぶつけていた。
(何をしているんだ、この子は)
テレンスはそう思ったが、口が上手く動かない。
そこでようやくテレンスは、自分の身体と魂が、死霊術の使い過ぎでおかしくなっていた事を思い出した。
(ああ、いよいよか……)
ようやく死ねる、そうテレンスは思ったが、何故か感覚がないくらい冷たくなっていた身体に、少しずつ熱が戻り始めている。
それと同時に他人の魔力を体内に取り込んだ時特有の不快さも感じた。
何だ、これ。
そう心の中で呟いて、そこでテレンスは気が付いた。
この少女が――アナスタシア・レイヴンが自分を助けようとしている事に。
(どうして誰も、放っておいてくれないんだ)
見限って欲しいのだ。捨てて欲しいのだ。
最低の存在として、誰の目にも映って、そして。
誰よりも自分の家族に捨てて欲しいのに。
体中を覆う温かさに、彼女の姿に、自分の弟妹達の姿が重なった。ぼやける目に、もうとっくに枯れたと思っていた涙が滲んだ。
◇ ◇ ◇
「……お人好しめ」
アナスタシアが必死で魔力を叩き込んでいると、ふとテレンスの声が聞こえた。
絞り出したような、掠れた声だ。
彼の声に「兄様!」と二コラとエルマーが名を呼ぶ。
泣きそうな顔を向ける双子を見て、テレンスは気まずそうに目を逸らし、アナスタシアを見上げた。
「……頼むよ、頼むから、俺を放っておいてくれ。このまま死なせてくれ。俺を……俺を最低な奴のまま、消させてくれよ……!」
「テレンスさん?」
「俺はもう、これでしか……家族の役に立てない、守れないんだ……!」
テレンスはそう言いながら、縋るような目をアナスタシアに向ける。
それをアナスタシアは静かに受け止めながら、
「死ぬ事と守る事は同じ意味にはなりません」
と答えた。だがテレンスはかぶりを振る。
「なるんだよ、俺にとっては。そのために、死ぬためにずっと俺は生きてきたんだ……!」
テレンスの叫びに、双子が酷く傷ついた顔をしたのを、アナスタシアは横目に見えた。
家族に会いたい一心で無茶をしてきた二人。
その瞬間、アナスタシアは自分の中の血が沸騰するのを感じた。
アナスタシアは目を見開いて、テレンスの頬をその手で叩く。
パァン、
と乾いた音が、喧噪の中でやけに大きく響く。
その音に驚いて周囲の視線がアナスタシアに集まる。
怪我人にする事ではないと後になって気付いたが、止められなかった。
アナスタシアは手を押えながら、ドクドクと波打つ心臓の音を聞きながらテレンスを睨む。
「死んで守った気になって、それで家族のためですか」
「…………ッ」
「あなたがずっと大事にしてきたのは、あなたの家族でしょう! なのにスッパリとあなたが手放してどうするんです!」
「スッパリだの何だの、簡単に言うな! 何も知らない奴に、俺の何が分かる!」
「ええ、知りませんとも! あなたは誰にも何も話してくださらないので!」
目を吊り上げて怒鳴るテレンスに、負けじとアナスタシアも怒鳴り返す。
こんな風に声を荒げた事なんて今まであっただろうかと、自分でも思うほどに。
「あなたはどうしようこうしようってずっと足掻いてきたんでしょう! そうやって決めたんでしょう! でもその結末に否を突きつけられたなら! 今度は別の方法を考えて、今これからまた足掻いたって一緒でしょう!」
「何を」
「勝手に完結して諦めて、それで一体、何が変わるって言うんです!」
ぐ、とテレンスは言葉に詰まったように歯を噛みしめる。眉間にしわを寄せて、苦し気な表情になる。
それからしばらくして、もう片方の手で悔し気に地面を叩く。
「好き放題言ってくれるよ……」
「言いますよ。あと、ぐーで叩いておけば良かったです」
「ハ、ヘロヘロ過ぎて効かねぇわ、そんなもん」
テレンスは馬鹿にするようにそう言って、一度目を瞑った後。
「…………だけど、痛かった、なぁ」
ぽつりとそう呟いた。
アナスタシアは再び作業を開始しながら「そうですね」と返す。
「私も痛かったです。人を叩くと痛いんですね」
「そうだな。……本当にお人好しだよ。助けたところで俺はそんなに長く生きられないのに」
「何をおっしゃる。あなたはまだ生きているでしょう。一日だろうが、一週間だろうが、一年だろうが。本当に死ぬ時まで、あなたはまだ生きている」
静かにアナスタシアはテレンスに言う。
「先に逝く方が、きっとあなたには楽でしょう。でも、だからこそ、あなたは生きるべきです」
「……楽」
「そうですとも。それに顔も知らないその他大勢のクソッタレな意見なんて、馬の皆の蹄の音で消えるくらい小さいです。何も知らない他人の言葉で、その人の価値は変わらない。それであなたは大いに反省したら良いと思います」
「――――」
アナスタシアがそこまで言うと、テレンスは目を見開いた。
ハハ、とその口から小さな笑いが漏れた。
「……そうか」
「はい」
「そうだったのか」
ああ、とテレンスは空を見上げた。
ふわり、と舞っていたスリジエの花びらがテレンスの方へ落ちて来る。
視界が滲む。上を向いたままテレンスは、
「――――ありがとよ、クソガキ」
と、言った。
その声に、表情に、先ほどまでの悲壮さはない。
顔色は相変わらず悪いままだし、疲労の色も濃いけれど、死を望む色は薄れて見れた。
アナスタシアはと言えば微笑んで「どうも!」と返したのだった。
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