馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
7-33 彼の目印
――――思い返せば、そんなに悪くない人生だった。
テレンスは自分の弟妹達に向かって足を動かしながら、そんな事を思った。
身体のあちこちは痛くて、麻痺したみたいに感覚がない。目もぼやける。あちこちが結晶化して人間に見えなくなってきた自分の身体を、歩くたびに激痛が走る身体を、テレンスは力を振り絞って動かしていた。
そんな状態なのに、不思議と耳だけはいつも以上によく聞こえた。
「兄様、止まって!」
「動いては駄目です、兄様……!」
ニコラとエルマーの必死な声が、テレンスの耳にずっと届いている。
自分を呼ぶ泣き声混じりのそれを頼りに、テレンスは前へ、前へと歩く。
視界がぼんやりとしているテレンスにとって、その声だけが目印だった。
(…………今だけじゃなくて、ずっと、そうだったなぁ)
両親が亡くなって、ワーズワース侯爵家に引き取られてから、ずっと。
ニコラ、エルマー、ワーズワース夫妻。テレンスにとっての目印は、気付いたらワーズワース家の家族になっていた。
周囲から自分がどういう目で見られていたのかは知っている。
平民の血を半分引く子供が、とんだラッキーだ。
領主の座を狙っているんじゃないか。
自分の立場を考えたら、あんなに平気な顔でいられないだろうに。
そういう影口をよく叩かれた。けれど自分の事ならテレンスは聞き流せた。
半分は事実だったからだ。後は自分はそんなつもりはないと、行動で示せば良いだけだった。
だけれど。
『あんな醜聞のある子を引き取るとは、ワーズワース侯爵家も落ちぶれたものだ』
――――あれだけは駄目だった。あれだけは耐えられなかった。
自分の事で優しい家族が貶められる事だけは、聞き流す事が出来なかった。
だからテレンスは騎士を目指した。騎士として功績を立てれば、出世出来れば、ワーズワース侯爵家は見る目があったと言われる。
かつて存在した偉大な騎士――身分は低くとも実力と人柄で王の信頼を得た、アーサー・レイヴンのように。
そして騎士学校を卒業して騎士隊へ配属がされた時、偶然、ある話を聞いた。
ワーズワース侯爵領が狙われているというウワサ話だ。
調べて行くと辿り着いたのはとある男だった。眼鏡をかけた黒髪の男、どこか蛇を彷彿とさせるそいつはテレンスに「助けてあげましょうか?」と言った。
ワーズワースを狙われたくなければ協力しろと。どれを先にしようか迷っていたところだったと。
『どれか落ちれば、まぁ、一つくらいは別にね。構わないんですよ、失敗したって。上も満足するでしょうし』
馬鹿馬鹿しいと一蹴したかった。だが話を聞けば聞くほど、現実を見れば見るほど、テレンスは恐怖した。
自分の大事な家族に明確な悪意が向けられている。
身分がなければ、立場がなければ組織は動いてくれない。挙げた声も数がなければ国は動いてくれない。
それを嫌と言うほど学んだテレンスは、その男の提案を受けた。
友達を助けるふりをして、最低の隊長だと評されるホーン隊へ移り、自然に見えるように騎士を辞め。
姿を隠してずっと、そいつらを手伝って来た。
今考えると、遠目に家族を見守る事だけが、テレンスの生きる楽しみになっていた。
(何で、こうなっちまったのかなぁ……)
企みが失敗して、素性がバレて、家族にも知られた。
その時のために、せめて切り捨てて貰おうと最低な人間を演じてみたのに、ちっとも上手くいかない。
それどころか自分のせいで家族に危険が迫っている。
ああ、何て。
(本当に、何て愚かだろう)
だけどそれでも、家族だけは。
歯を食いしばってテレンスは必死に足を動かす。
「兄様、危ない!」
エルマーの悲鳴が聞こえる。次の瞬間、影で出来た狼のような姿をした魔性がテレンスの腕に食いついた。
結晶化した部分に当たったのだろう。ガラスが割れるような硬質な音が響く。ぼたぼたと血が流れる音が聞こえた。激痛にテレンスは顔を歪めながら、もう片方の手で魔性の頭を掴む。そして力任せに引きはがそうとする。
けれど上手く動かない体ではそれもままならない。牙がテレンスの身体を深く抉る。
その時、魔性の頭上に何か光が見えた。
何だと思った瞬間、魔性が頭から真っ二つになる。
ぼやけた視界でもそれだけは分かった。
「テレンス!」
次に聞こえたのは覚えのある声だった。
騎士学校の同級生で友人だった男の声だ。
「ここで倒れるんじゃねーぞ!」
そいつはあの頃と同じ調子でそう言った。
シズ、と声は出なかったが口が動いた。
その時、足元や周囲に、眩い金の光の線が見えた。
光はテレンスの腕にも触れる。感覚の薄くなっていた身体に、熱を感じた気がした。
(さっきより、身体が動く……!)
理由は分からない。だが今なら歩ける。助けられる。
テレンスはぐっと力を込めて弟妹に向かう。先ほどより歩みは速い。
魔性と戦う音が響く中を、空から降り注ぐ金色の欠片の中を、ただ真っ直ぐにテレンスは進む。
あと数歩。あと数歩だ。
歩きながら手を伸ばす。指先にもはや残りかすほどになった魔力を集める。
その指先が、ニコラとエルマー達を取り込む魔呼びの泥に触れた。
「俺の、家族を――――返せ……ッ!」
指先から魔力が雷の矢となり放たれる。
とても細く小さな矢。しかしその矢は、自分の魔力で生み出した魔呼びの泥に阻まれない。
雷の矢は泥を貫き、その中央にある核を砕く。
その途端、その泥は砂のように変化し、サラサラと崩れ落ちた。
泥に囚われていた双子は、よろけながらもそこから抜け出し、テレンスに飛びつく。
「「テレンス兄様!」」
ぎゅう、と抱きしめられて、テレンスは目を見開く。
そしてやや遅れて自分の腕で抱きしめ返した。
ほぼ同時に、その霧をすべてアナスタシアが螢晶石へと変化させた。
キラキラと空から螢晶石の欠片が降るその様は、まるで光の花弁が舞っているかのようだった。
その中で。
その光の中で。
テレンスは双子を抱きしめたまま、ゆっくり地面に倒れた。
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