馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
7-23 その言葉が嬉しくて
家族というものはどんなものだったのだろうなと、アナスタシアは時々考える。
アナスタシアにとっての家族は、優しく図太い母と、優しくて母が大好きな父、仲の悪い第一夫人のエレインワースと彼女の三人の子供達だ。
それが『家族』としての形になっていたかはともかくとして、そんな人々が書類上で記されたアナスタシアの家族である。
レイヴン伯爵家の家族の形は実に歪なものだった。
その原因であるのが父レイモンドと母オデッサ、それからエレインワース三人の関係である。
この国では一人が複数の妻や夫を持つ事は法律上で認められている。
もちろん推奨はされていないが、そういう状態になったという事は何かしら理由があるのだろうと考えられて、基本的に悪く思われることはない。
ただいくら認められていたとしても、上手くいくとは限らない。
よほど上手く双方と向き合わない限り、良い関係を作り上げる事も、維持する事も難しい。
そしてアナスタシアの家族は、それが出来なかった。
「ナーシャお嬢さーん! シズ兄ちゃーん!」
「クラレットさん! お待ちしていました」
「クラレット、途中で転んでないか? 大丈夫か?」
「私そんなにドジじゃないよ?」
翌日、レイヴン伯爵邸に明るい声が響いてる。
ヴァルテール孤児院のクラレットがやって来たのだ。
少し引っ込み思案なこの少女は、ゆるく三つ編みにした赤毛を跳ねさせて屋敷へやって来た。
実はクラレットはここへ本を借りに来ているのである。
クラレットは小さい頃から本を読むのが好きで、領都の図書館へもよく訪れているらしい。
その話を聞いたアナスタシアが、ローランドから許可を取って「うちの本も読みますか?」と聞いてみたところ、とても喜ばれた。
図太くて大らかなアナスタシアと、引っ込み思案だが穏やかなクラレットは相性が良いらしく、恐らく孤児院の子供達の中では一番仲が良い。
いつか『ナーシャお嬢さん』ではなく、トリクシーのように呼び捨てを狙いたいとアナスタシアは密かに心に決めている。
まぁ、そんな理由で。
本を貸す約束をしてクラレットはやって来たというわけだ。
彼女達がレイヴン伯爵邸で働いたり、学んだりするようになれば――もう間もなくだが――この頻度も上がるだろう。
その日をほわほわと想像しながら三人で書庫を目指して歩いていると、
「ナーシャお嬢さん、ちょっとだけ元気ないね? 大丈夫?」
とクラレットに顔を覗き込まれた。
元気がない、というわけではないが、気になっている事があったのは事実だ。
顔には出ていないと思っていたのでクラレットに聞かれて少し驚いた。
「え、アナスタシアちゃん大丈夫? 具合悪い?」
「はい、大丈夫です。具合が悪いとかじゃなくて、実はちょっと考え事が」
「考え事?」
「昨日、薬は毒にもなるというお話を聞きまして」
アナスタシアが素直にそう答えると、クラレットは考えた後、
「それってもしかしてだけど……幻薬のお話?」
と少し首を傾げて言った。
おや、とアナスタシアは目を瞬く。どうやらクラレットは幻薬について知っているようだ。
本を読むのが好きな子だから色んな知識も蓄えられているのだろう。そう思いながらアナスタシアは「はい」と頷く。
「クラレットさん、ご存じでしたか」
「うん。私のお母さんとお父さん、その薬で死んじゃったから」
「――――」
しかし返ってきた言葉にアナスタシアは固まった。同時に足も止まる。
知識としてという話ではなかった。言葉にはしなかったものの、アナスタシアは浅薄だったと反省する。
「それは……知らないとは言え、申し訳ありません」
「え? どうして謝るの?」
「辛い事を思い出させてしまったと」
申し訳なく思いながらアナスタシアが謝ると、クラレットは笑って首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。ほら、兄ちゃんも止めなかったでしょ?」
そう言いながらクラレットがシズを指さす。
見上げれば彼は優しい顔で「大丈夫だよ」と頷いてくれた。
「もちろんね、お母さんとお父さんが死んじゃって、すごく悲しかったよ。でもいつまでも悲しんでいても、何も出来なくなっちゃうもの」
そしてクラレットは胸に手を当て、すう、と息を吸い。
次の瞬間キリッとした顔で、
「蹲って泣いていても、明日食べるパンが増えるわけじゃない。お腹が空くだけさ。だけどね、悲しい時はあたしのところにおいで。あたしが一緒にいるからね」
と言った。何となくカサンドラに似ている気がする。
そう思っているとクラレットは再び元の彼女に戻って、
「……って院長先生がね、ずっと抱きしめてくれたの。兄ちゃんも皆も一緒にいてくれたの。だから私はもう大丈夫なの」
とへにゃりと笑った。
やはりカサンドラの真似だったようだ。シズが指で頬をかいて笑ったのが横目で見えた。
(……本当に良い家族だ)
クラレットの話を聞いて、シズの笑顔を見て。ヴァルテール孤児院の皆を見るたびにアナスタシアはいつもそう思う。
眩しくて、優しくて、大好きで――――そしてやっぱり少し羨ましい。
胸に温かさとほんのりとした切なさが浮かび上がるのを感じながら「はい」とアナスタシアが頷くと、
「あのね、ナーシャお嬢さん。私ね、お医者様になりたいんだぁ」
とクラレットは言った。
「お医者様に?」
「おおっ、クラレット、そうなのか?」
「うん! お母さんとお父さんみたいな人を治したい。……あ! これね、まだ誰にも言ってないから内緒ね。兄ちゃんも話したらダメだよ」
「オーケー、まかせて! 俺、口は堅いからさ!」
「はい、私もお任せください!」
胸を叩いて言うシズ。アナスタシアもその真似をして力強く言えば、クラレットが「ありがとう」とはにかんだ。
「それにね、お医者様ってなるのは大変だけど、お給料もすごく良いんだよ」
クラレットはそうも続けた。
この国で医者になる方法は一つ。
医学と薬学、それから語学の授業の三つを最低限選択して学校を卒業し、資格試験に合格する必要がある。
クライスフリューゲルに限定すると、その授業があるのはランツェモントアカデミーだ。王都にある騎士学校と対をなす、領主や文官などを目指す者が通う学校である。
ちなみに騎士学校と違い、貴族が多く通う学校ではあるが、平民の入学を禁じているわけではない。優秀な者ならば身分問わず入学は可能だ。
ただやはり『貴族の学校』というイメージが強いのは否めないが。
ちなみに他国の学校に留学し、必要な授業を修た後、卒業証明書を得て資格試験に挑む事も出来る。
そのように選択肢は幾つかあるがどれも難易度は高い。特に資格試験は何度も落ちている者がいるというくらいだ。
資格を得ても直ぐに医者を名乗れるわけではなく、二年の研修期間を必要とする。
なるのは難しく、なった後も困難。そういう仕事だ。
クラレット本人も「大変だけど」と言っているので理解しているのだろう。
「院長先生や兄ちゃんや孤児院の皆を助けられるし、お金もいっぱい貰えるし。すごく良いお仕事だと思うんだぁ。お医者様になったら、ナーシャお嬢さんが困っている時も、私、助けてあげるねぇ」
クラレットはそう言うと、アナスタシアの手を両手でぎゅっと握った。
その温かさにアナスタシアは、昔繋いだ母の手を思い出した。
「…………」
「どうしたの?」
思わず呆けてしまっていたようだ。
首を傾げるクラレットの声にハッとして「いえ」とアナスタシアは慌てて首を振り、
「嬉しくて」
「そっかぁ」
そう答えると、ほわっと彼女は笑った。
アナスタシアも同じように笑っていると、シズがバッと口を押えた。そして何やら涙ぐんでいる。
「魔法念写機が今ここに欲しい……切に……!」
「…………シズ? 何を口走っているんだ?」
すると廊下の奥からライヤーがやって来て、そこの言葉だけ聞いたらしく何とも言えない眼差しをシズに向けた。
「うわ! いたんすか、ライヤー隊長!?」
「今来たばっかりだよ」
「タイミング……! あまりにタイミングが悪い……! いや、違うんですよ! あまりに! 微笑ましくて!」
「シズ?」
「何でそんな疑いの眼差しを向けるんですか、ライヤー隊長!?」
シズが大慌てでそう言ったが、ライヤーからはしばらくそんな目で見られていた。
◇ ◇ ◇
さて、そんな騒ぎが起きている中。
ライヤーが歩いてきた方向に、ローランドとガブリエラの姿があった。
実は先ほどまでライヤーもここにいた。
「ライヤーに行って貰ったが……君はこれで良いのか?」
ローランドはガブリエラにそう聞く。
三人のやり取りは、たまたま聞こえてきた。幻薬の話題が出た時にガブリエラの足が止まったのだ。
それを気遣ってライヤーがアナスタシア達の方へ行って、出会うのを止めたというのが、つい今の事だった。
「合わせる顔がない。……いや、違うな、どんな顔をしてあの子に会えば良いのか分からないんだ。私は……とんだ臆病者だよ」
「傲岸不遜が服を着ているのが君だろう、ガブリエラ・パナケア」
「いやいやいや、さすがにそれは言い過ぎではないかい? 君は一体どういう目で私を見ているんだ」
「幻薬の件は冤罪だ。確かに君の弟は幻薬の事件の後に姿を消した。だがそれ以前の行動に不審な点は一切見当たらなかった」
目を伏せるガブリエラにローランドはそう続ける。
ガブリエラの一つ年下の弟ロータス。幻薬の事件の首謀者とされるその男は、事件が発覚して直ぐに行方不明となった。
ローランドも一度か二度ロータスと会った事はあるが、少々引きこもり気質ではあるが、とにかく優しい性格の人物だった。
子供の頃から頭が良く、それを遺憾なく発揮してお金を稼ぎ、そのすべてを投げ打って良い薬の開発に取り組んだり、貧しい人に薬が行き渡るように手配したり。
薬師の一族パナケア家の名を体現するような人間だったのだ。
それが幻薬をばらまいたとは思えない。実際にその行動を細かく辿った調査に関わった人間のほとんどがそう判断した。王もだ。
犯人は別にいる。そう発表したにも関わらず、それを壊したのはとあるゴシップ紙だった。
ウワサ話を面白おかしく書いては利益を得ているその新聞が『パナケア家が幻薬を売りさばいていた』と、さも事実のように書いたとたん。
ウワサがウワサを呼び、人の記憶は上書きされた。悪い話の方が人の記憶には残りやすい。
国はそのような事実はなかったと訂正したにも関わらず、後から後から微妙に違う情報が飛び交い、パナケア家の悪事として広がって行った。
それが『薬師パナケア』の事実だ。
「だが世間はそう思っていないさ。弟も行方不明、犯人もまだ捕まっていないからね」
「ああ、そうだ。だから這い上がってきたんだろう、君は。必死に、家族の無実を証明するために。だったら堂々としているべきだ」
ローランドははっきりとそう言った。
力強い言葉にガブリエラは少し驚いたように目を瞬く。
「君は……少し変わったな」
「そうか?」
「ああ。もっと理知的というか……感情をセーブしていたように思えるよ」
ガブリエラに言われ、ローランドはそうだっただろうかと腕を組む。
その時ふっと、その先で会話をしているアナスタシアの声が聞こえてきて、ローランドは視線だけそちらへ向ける。
「ならばそれは、アナスタシアのおかげだ。あの子の言葉でハッとさせられる事も多い」
少し表情を緩めながらそう返すローランド。
するとガブリエラもアナスタシアの方へ視線を向けて、
「――――ああ、私もだ」
と言ったのだった。
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