馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

7-22 誰かを恨む時間より


 テレンス・ワード改め、テレンス・ワーズワースという男に対して、アナスタシアが受けた印象は『軽薄』だった。
 けれどシズから聞いた話や調査から得られた情報は、それとはかけ離れていた。
 座学や実技が優秀で、教師陣や同期の友人たちからの評判も上々。
 テレンスと対峙した時シズが、彼が誰よりも騎士らしかったと言っていたが、あながち間違いでもなさそうだ。

 で、あれば、どうしてテレンスは、あんなことをしでかしたのだろうか。
 もちろん騎士学校時代に周囲からそう見えるよう、欺いていた可能性はある。
 外から見ているだけならば、人の本質というものはなかなか見抜けないものだ。
 けれどそれでも――人の目はそれほど節穴でもないのもまた事実だった。 



 その日の夜、レイヴン伯爵邸の応接間で、アナスタシアはガブリエラと向かい合って座っていた。
 二人の間のテーブルの上には改良した『共鳴石』が乗っており、ガブリエラは真剣な眼差してアナスタシアの話のメモを取っている。

「ほほう、なるほど。つまり素材自体を魔力の多いものに変更する事で、幾つかを削れるようになったという事か」
「そうですそうです。それと共鳴石を光らせる事自体に魔力の多くを消費しているので、試しに文字の分だけに変えたら魔力消費が減ったのでそうしました。ちょっと複雑でしたけれど」
「なるほど……。距離を延ばせるようになったのも、変更したおかげかい?」
「はい。空いた部分に新しく素材を組み込んで繋げてあります」
「ふむふむ」

 サラサラと手帳にペンを走らせるガブリエラ。
 そんな彼女を見ながら、アナスタシアは楽しいなぁなんて思っていた。

 さて、二人が何をしているかと言うと、改良した共鳴石についての説明だ。
 実はテレンス関係の準備がひと段落し、あとはワーズワース侯爵の返事待ちという状態になっていた。
 ワーズワース侯爵領に手紙を出し、返事が来るまでにはまだ時間がかかる。
 処置を始めるにはその返事の内容や、テレンスと夢魔の霧の様子次第でもあるため、それまではやる事がない。
 要は暇というわけだ。
 それまではガブリエラはレイヴン伯爵領に滞在する事になったので、その時間を使って共鳴石の改良についての話を聞きたいという事になったのだ。

「フフ、共鳴石を餌になんて、よく考えたものだよ。褒めてあげよう!」
「よく考えるも何も、知り合いは大体分かるだろう」
「何を言うんだい。私はそんなに簡単に釣れる人間ではないよ!」
「何よりも簡単に釣れたんだよ……」

 なんてガブリエラとローランド、ライヤーはそんなやり取りをしていたが。
 そんな事情で、こうして話をしているというわけである。

「このやり方だと他も応用が出来そうだねぇ」
「そうですね。光や文字だけじゃなく、声を届けるような形にも出来たら面白いと思います」
「声か、それはいいな。音をそのまま届けるには、共鳴石の構造をガラリと変えてみる必要があるか……」

 アナスタシアの提案に、ガブリエラは楽しそうに笑う。
 つられてアナスタシアもフフ、と笑った。

「ガブリエラさんも魔法道具、お好きなんですね」
「ああ、好きだよ。薬や魔法薬を調合するのも好きだけどね。だからこうして話が出来るのは楽しいよ」
「私も魔法道具について相談が出来るの、ローランドさんだけだったので楽しいです」
「フフ、そうか。私も新しい発見や考えに触れられて楽しいよ」

 ガブリエラはそうも言った。
 それは良かった、とアナスタシアは心の中で呟いた。
 自分は楽しくてもガブリエラがそうではないのは、少し申し訳ないなと思っていたからだ。

「それにしても、アナスタシア君は私と普通に話をしてくれるのだね」

 そしているとガブリエラからそんな事を言われた。
 普通にとはどういう事だろうか。よく分からず、少し首を傾げて聞き返す。

「と言いますと?」
「『薬師パナケア』の話は聞いているだろう?」
「あ、はい。三日前に聞きました」
「三日前?」

 おや、とガブリエラは目を瞬いた。
 薬師パナケアは有名な話らしいので、知らない事が意外だったのだろう。
 アナスタシアは「はい」と頷く。

「私、ずっと馬の皆と暮らしていましたので、その辺りの人間の事情は今一つ分からないんですよねぇ」
「人間の事情」
「あ、でも、馬の事情なら分かります!」

 力強くアナスタシアが言えば、ガブリエラは何とも言えない顔になった。

「そうか……気を遣わせてすまなかった。君も複雑な境遇だったな」
「いえ、特に気を遣ったわけでは。皆さんから見れば複雑かもしれませんが、私は快適だったので問題ないですよ」
「傍から聞けば問題は大アリだと思うよ」

 まぁ、そういう風にも見えるのだろうなとアナスタシアは思う。
 その辺りは先日、ジャックの話から学んだばかりだ。

「そうですねぇ。私もついこの間、その話を聞いて考える事がありましたので、仰っている意味は何となく分かります。でも本当に問題なかったのですよ」

 そしてそう返した。世間の目から見える自分の姿は、自分の感情とは確かに違うのは理解した。
 だからそこは否定せず、アナスタシアは自分の気持ちを素直に話す。
 するとガブリエラは「そうか」と呟いたあと、少し苦さを混ぜて微笑んだ。

「君は随分とすっぱりしているのだね」
「ローランドさんにも言われましたねぇ」
「そうなのかい?」
「はい。先ほども言いましたが、ずっと馬と一緒でしたので似たんだと思います。あの子達、結構すっぱりしているんですよ」
「そうか、それは初めて知ったよ。……君は馬の事を話すと表情がより柔らかくなるな」

 ガブリエラに言われ、アナスタシアは少し驚いた。そう言われた事が初めてだったからだ。
 馬を好きな気持ちが顔に出ているのだろうか。それはそれで嬉しいなと思いながら、アナスタシアは「ありがとうございます」とお礼を言う。

「君は世間の評価を気にしないタイプなんだね」
「そうですね。領主を目指す上では気にするべきだと学びましたが、何を言われようと私は私で、他人は他人です。世間の目という曖昧な括りで見られても、特に気にはならないですね」

 もちろん個人の目で見られても、そんなに気にはならないが。
 それは言わなかったが、アナスタシアが答えればガブリエラは目を丸くした。そのまま彼女はくつくつ笑い、指で丸眼鏡を押える。

「アナスタシア君は強いのか図太いのか判断に迷うねぇ」
「図太いとはよく言われますよ。母に似ているそうです」
「そうか。君の母君もきっと面白い人だったのだろうな」

 ガブリエラはそう言うと、ふう、と息を吐いた。
 薬師パナケアと口にした時に若干強張た肩の力が少し抜けた様子だった。
 彼女は穏やかな眼差しで話を続ける。

「薬師の一族パナケア家。クライスフリューゲルに病を振りまいたクソヤロウ。それが私達に対する世間の評価だ」
「幻薬は薬の一種なのですよね」
「ああ、そうだよ」
「薬は身体を治すものでは?」

 頷くガブリエラにアナスタシアはそう言った。
 最初に幻薬の話を聞いた時に思った疑問だ。
 あの時は言うべきか迷って口を噤んだ。だがパナケア家の人間であり、薬についてよく知るガブリエラが目の前にいる。だから真っ直ぐにそう聞いた。
 だって心結晶を患っていたアナスタシアの母は、薬が合えば助かったはずなのだ。
 だから純粋に疑問だった。薬で人を壊すという事が。
 
「そうだね、その通りだ。けれど薬は毒にもなる。酒や呪術と同じだ。あれはそういうものだった。殺しながら生かすための毒のような薬だ」

 ガブリエラはそう言うと、一度言葉を区切り。

「それを私の弟は――ロータス・パナケアは売りさばいたと言われている」

 言われている、という言葉を聞いてアナスタシアは、おや、と思う。
 事実ではないと暗に言っているように聞こえたからだ。

「あちこちの領地に広めて人を駄目にし続けた。……何人も命を断ったそうだ」
「…………」
「軽蔑したかい」
「いいえ」

 静かに問うガブリエラにアナスタシアは首を横に振る。

「あなたはガブリエラ・パナケアさんです。あなた個人とパナケア家にまつわる噂は別の話です」
「君はそれを、身内が被害にあったとしても言えるかい」
「分かりません。ですがそれは仮定の話です」
「だが可能性の話でもある。『もしも』が明日あるかもしれない」

 どう思う、とガブリエラはさらにアナスタシアに問うた。
 幻薬でもそれ以外でも、アナスタシアの身内に被害があったとしたら。
 それを考えて出る答えはアナスタシアの中では一つだ。

「分かりません。でも」
「でも?」
「誰かを恨む暇があったら、助ける術を探します。どんなに泣いても嫌だと思っても、別れは来ます。明日の別れでも、一年後の別れでも。嘆いて過ごす余裕なんてありませんから」

 頭の中に母の顔が浮かぶ。
 必死で母を助けようとかけずり回っていた父の姿が浮かぶ。
 あの時アナスタシアは何も出来なかった。母の傍にいて、話をして、手を握って、そのくらいしかできなかった。
 だから今度こそ。もし身内が――大事な人達がそうなったら、自分の出来る限りで行動しようと決めているのだ。

「そうか。……君はやはり強いね」

 そう言う彼女に、アナスタシアは「いいえ」と再び首を振る。

「経験です」

 はっきりと言ったアナスタシアに、ガブリエラは少し驚いたように軽く目を見開いて、

「――――そうか」

 眩しいものを見るかのように。
 そんな表情でそう言ったのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品