馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

7-19 『アーデンに気を付けろ』


 レイヴン伯爵邸に戻るとアナスタシア達は直ぐに、ローランドのいる執務室へと向かった。一連の出来事の報告をするためだ。
 『星辰』の事はもちろんだが、それ以上にその時に現れたメッセージやテレンスの話と、この短い間に色々な情報があった。正直多すぎて整理しないと混乱しそうだ。
 頭の中で報告する順番を考えながら中へ入ると、そこにはオーギュストの姿もあった。どうやら彼も彼で、得た情報の報告に来ていたらしい。
 オーギュストもいるならちょうど良い。そう思いながらアナスタシアとシズがこれまでの事を話すと、

「なるほど、アーデンに気を付けろ、か」
「『星辰』が隠されていて、そこにメッセージが残っていたとなると……とたんにきな臭くなってきたねぇ」
「ああ。我々が考えているより、面倒な状況なのかもしれないな」

 と、二人は揃って難しい顔になった。
 メッセージに書かれていたアーデンとは、ホロウ・デュラハンによってずっと昔に滅び、周囲の領地に吸収される形で消滅したアーデン伯爵領を指しているのは分かる。
 その領地を『気を付けろ』とは一体どういう事なのだろうか。
 そう考えて浮かんでくるのはテレンスの言葉だ。

「シズさん、狙われているのはレイヴンだけではないと、テレンスさんも言っていましたね」
「うん、そうだね。『星辰』のメッセージとは時間が違うけれど、併せて考えると……ちょっと嫌な想像が出来るよ」

 アナスタシアの言葉にシズは頷いた。彼の考えている事はアナスタシアも理解できる。
 アーデンに気を付けろというメッセージと、テレンスのレイヴン伯爵領以外を示唆する言葉。
 二つが同じ意味を持っているとすると、恐らくアーデン伯爵領に関係している領地――つまりアーデン伯爵領を吸収した領地に何らかの悪い事態が起こる可能性があるという事だ。

「アーデン伯爵領はうち以外に、どこに吸収されたのでしょうか?」
「レイヴンから北西にあるホーン伯爵領と、北東にあるワーズワース侯爵領だな」
「ホーンというと、カイラル隊長のご実家ですよね」
「ああ、そうだ。今の領主はあの男の兄だったな。それからもう一つ、ワーズワースは……」

 そこまで話して、ローランドは一度言葉を区切る。 
 腕を組み、目を細め。少し間を空けて彼は続けた。

「……実はカイラルを事情聴取している間に、ワーズワースの名が出た」
「と言いますと?」
「テレンス・ワード。あの男はワーズワース侯爵家の人間だったんだ」
「え!? あいつ、貴族だったんですか?」

 ローランドの言葉にシズが目を丸くした。
 シズは身分でどうこうと考える人間ではないにせよ、さすがに予想外だったらしい。

「と言っても事情が少々複雑でな」
「事情ですか」
「ああ。現ワーズワース侯爵、その姉がテレンスの母親だった。彼女は侯爵家を出て平民と結婚した。ワードはその相手の姓らしい。……しかし事故で二人共亡くなり、孤児になりかけたテレンスを侯爵夫妻が引き取ったそうだ」
「それはまた、何か私と似ていますねぇ」
「私もそう思ったが……何というか、やはり君は本当にスッパリしているな」
「馬と過ごしていましたので!」

 アナスタシアがあっけらかんと言うと、ローランドが少しホッとした顔になった。
 たぶん『似ている』と彼も思ったのだろう。だからこそアナスタシアがどう反応するか心配してくれていたのだ。
 その事が分かったアナスタシアはフフ、と微笑み。それからシズを見上げた。

「テレンスさんは、騎士学校ではワーズを名乗っていたのですよね」
「うん、そうだよ。あいつが侯爵家の養子だって知っている奴はいなかったんじゃないかな。だけどそういう立場なら、誰かが知っていてもおかしくはないんだよなぁ……」

 しかしそういう話を聞いた事も、テレンスが相応の態度を取られていたのを見た事がないとシズは言う。
 ローランドも「そうだな」と頷いた。そして、

「貴族間での話題は確認できなかったが、学校側は騎士学校長が絡んでいたようだ。ワーズワース侯爵に頼まれて、在学中は『ワード』を名乗る事を許可したらしい」

 と話を続けた。アナスタシアは首を傾げる。

「侯爵様がですか?」
「言い出したのはテレンスらしいが。学校長から聞けたのはそのくらいだ。詳しい事情については、今、ワーズワースに問い合わせている最中だ」
「あちらも色々と複雑そうですねぇ」
「そうだね、僕もそう思うよ。今の話だけ聞くと『ワーズワースを名乗りたくない』もしくは『名乗らせたくない』って状況を察するのだけど。……でもワーズワース家は仲が良かったはずなんだがねぇ」

 オーギュストが腕を組んで不思議そうに首を傾げた。
 するとシズも「そうですね」と頷く。

「テレンスも家族を守るために騎士になるって言っていましたから。それ以外の事は全部はぐらかされちまいましたけど……」

 家族仲は良いのは本当だろうとシズも断言した。
 アナスタシアは領都で会った印象しかないが、学生時代に友人だったシズが言うならきっとそうなのだろう。
 家族仲が良くて、家族のために騎士になろうとして。騎士になっても友達を庇って、評判の悪い隊長の元に異動して。
 そこまで出来る人間がどうしてこうなったのか。

(分かった事もありましたけれど、分からない事も多いですね)

 アナスタシアが神妙な顔でそんな事を考えていると、

「ところで監査官、ホロウにはこの事を伝えますか?」

 シズがローランドにそう聞いた。
 アーデンが絡みの件で一番因縁があるのはホロウである。
 それが良い思い出ではないのはアナスタシアも知っているが、レイヴン伯爵家で雇っている以上は避けては通れない道でもある。
 どうするのが最善かと問われたローランドは「ふむ」と顎に手を当て、少し考えた後。

「……彼の過去を考えると黙っておいた方が良いとは思う。だがもし何かでその情報を利用しホロウに伝えられた時が心配だ」

 と言った。これは信用と信頼の問題だ。彼の気持ちを考えて黙っている事を選んだ場合、それを利用されかねないとローランドは言う。
 その言葉にオーギュストも同意するように頷いた。

「確かにその情報は使いやすいだろうね。いざという時、ここぞという場面で。精神を揺さぶるにはこれ以上ないくらい良い手だ。僕でもそうするよ」
「ああ。……ホロウには頃合いを見て私から伝える。それまで君達は黙っていてくれ」
「分かりました」
「それと、そうだな。伝えた後は上手くフォローしてやってくれるとありがたい」

 ホロウは責任感も正義感も強い。そして罪悪感も然りだ。
 だからこそ「彼ならば大丈夫だ」と楽観的に考えない方が良い。
 そう話すローランドの言葉に、アナスタシアは「はい!」と力強く頷いた。シズとオーギュストもだ。
 よし頑張ろう、と思っていると。
 その時ふと、アナスタシアの頭にクロック劇場の騒動でヴィットーレと思わしき人物から言われた言葉が蘇ってきた。

『だけど、アナスタシア様。あなたには大変お気の毒ですが――――過去の負債は、あなたが思っているよりずっと大きいですよ』

 過去の負債と彼は言った。
 あれはもしかして、この事を言っていたのだろうか。
 そんな事をアナスタシアは思った。



◇ ◇ ◇



 同時刻、ワーズワース侯爵家にて。
 屋敷で仕事をしていたワーズワース侯爵、ディーターはレイヴン伯爵領からの手紙を受け取っていた。
 手紙は『天馬便』と呼ばれる、この国で一番早い便で届いた。これは緊急連絡等でよく使われる配達手段だ。

「旦那様、レイヴン伯爵領からお手紙が届いております」
「レイヴン伯爵領から? 何だろう、最近はあまり交流はなかったけれど……」

 艶のある黒髪を少し揺らし、ディーターは首を傾げた。
 ワーズワース侯爵領とレイヴン伯爵領は隣同士の領地だ。昔から良好な関係を築いていたし交流もあったが、ここ数年はそれがほぼなかった。領主を務めていたレイモンド・レイヴンの第二夫人が亡くなってから、最低限の挨拶や連絡はあったがそれだけだ。
 さすがに不審に思って調べていると、どうやら伯爵家で問題が起きているらしいと知った。ディーターの子供達と同い年の子が虐げられているという話まであったではないか。さすがに放っておけなくて何度も手紙を送ったが変化はなく。やがて国が動いた事で何とか落ち着いた形となったと聞いた。

「差し出し人はローランド・メールヴァイン様との事ですよ」
「ふむ?」

 ローランド・メールヴァイン。メールヴァイン侯爵家の三男で、監査官の仕事についている男だ。優秀で王の信頼も厚い。真面目で仕事熱心という印象をディーターは持っている。
 確か半年くらい前にレイヴン伯爵領の領主代行を任されていたはずだ。
 彼ならば再び領地間の交流を、という話になってもおかしくはない。
 ただ本当にそういう話であるなら『天馬便』を使う理由としては薄い。
 一体何だろうかと思いながらディーターは封を開けた。

「……………」

 順番に読み進めていく内に、その内容にディーターは顔色を変えた。
 それを見て心配した執事が「何か良くないお話ですか?」と聞くと、ディーターは軽く首を横に振る。

「あの子が……テレンスが見つかった……!」
「テレンス様がですか!?」
「ああ。レイヴン伯爵領で罪を犯し、捕らえられているらしい」
「そんな、まさか……! あのテレンス様がありえません!」

 驚愕する執事の言葉にディーターも同感だった。
 しかしローランドが手紙に嘘を書くとは思えない。
 これは早急に確認に向かわねばとディーターは手紙を畳み、

「直ぐに返事を書く。すまないが、エデルガルドを呼んできてくれ。予定の調整も頼みたい」
「承知いたしました。……ニコラ様とエルマー様にはこの事は?」
「まだ真偽が定かではない状態で、伝えるわけにはいかない。あの子達には秘密にしておいてほしい」

 ディーターはそう言うと、ペンを手に取った。
 





「…………聞いたかい、エルマー」
「聞いちゃいましたよ、ニコラ」
「聞いたら、やる事は決まっているよね」
「もちろんですとも、決まっているじゃないですか」

 ディーターの執務室の外。
 たまたま父親に用事があって会いに来ていた彼の子供達は、ぐっと拳を握り。

「「会いに行く!」」

 なんて決意していた事を、ディーターはまだ知らない。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品