馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
7-2 ユニとフローのよく分からない喧嘩
『フロー、せっかく春になったのだから、周りを凍らせないでほしい』
『いやだよ、ユニ。だって僕には暑い。本当は氷花湿原みたいに冷やしたいのに、我慢しているんだ。感謝してもらっても良いんじゃない?』
『寒いのはちょっと困るわね……』
『でも凍ったニンジンはなかなかの食感』
『食を取るか、環境を取るか、実に悩ましいですなー』
レイヴン伯爵邸の馬小屋。なぜか一部が氷漬けになったそこで、馬達がそんな会話をしていた。
中心にいるのはユニコーンのユニと、フローズンホースことフローだ。
アナスタシアはやや険悪気味な二頭の間に立って、まぁまぁと双方をなだめていた。
「ユニちゃん、フローさん。お二方とも、とりあえず落ち着いて話をしましょう。対話はとても大事だと私も学びました」
『大丈夫だよ、アナスタシア。私はじゅうぶん落ち着いている。アナスタシアも寒いでしょう? 今フローを蹴り飛ばすから安心して』
「それはとっても物騒なのでは?」
『蹄と地面を氷で接着して耐えるから心配ないよ、アナスタシア』
「体が大丈夫ではなさそうなんですが、それは」
真顔でアナスタシアはツッコミを入れる。
どう転がっても物騒だし、落ち着くつもりはないらしい。アナスタシアは頭を抱えた。
この二頭、朝食を終えたアナスタシアが馬小屋に戻ってきた時には、すでにこんな様子だった。
朝起きた時は普通だったし、馬小屋も特に凍っていなかったのに、何がきっかけでこうなったのだろうか。
アナスタシアが「ううむ、これはどうしたら……」と困っていると、
「アナスタシアちゃーん、ジャック会長が来たよー……って何コレ!?」
馬小屋の扉が開き、ひょいとシズが顔を覗かせた。
そして中の事態を見るなり、ぎょっと目を剥く。
何せ馬小屋内の一部は氷漬けだし、ユニとフローが険悪そうな雰囲気で向かい合っている。
意味が分からないのは当然の事だろう。アナスタシアもまだよく分からない。
「視界から得られる情報量が多いんだけど、この状況は一体何事?」
『フローが氷漬けにした』
『ユニが怒った』
「簡潔で分かりやすいのに、理由が省かれていてすべて謎のまま……ッ」
ユニとフローのそれぞれの言い分を聞いたシズが慄いた。
状況説明としては簡潔だが、何一つ分からない。アナスタシアが苦笑して、代わりに「実は……」と経緯を話した。
きっかけは分からないが、こうなった理由は知っているからである。
アナスタシアが説明をするとシズが納得した様子で軽く頷いた。
「あー、なるほどね。フローズンホースの生息地は雪に覆われた場所だから、春の気候が合わないって事か」
「そうみたいです。朝食から戻ってきたらこんな状態になっておりまして。でも氷菓を作るにはちょうど良さそうですよね」
「ロンドウィックでも聞いた気がする! ってか、アナスタシアちゃん、もしかして氷菓好きなの?」
「フフ、馬小屋生活の夏に、氷はとても良いものでした。水精石を使った魔法道具の器に水を入れると、ちょうど良い感じに固まるんですよ」
そうして出来上がった氷の欠片を口の中にいれると、ひんやりしてとても美味しい。
そこにちょっぴり花の蜜やハチミツを加えたりなんかするとなお良い。
そんな事を思い出しながらアナスタシアがしみじみと言えば、シズが手で口を押え、バッと顔を背けた。
「アナスタシアちゃん、そんな、そんな気丈に……ッ!」
若干涙ぐみながら彼はわなわなと震えている。
この反応はずいぶん久しぶりだが、どうやらまだその辺りの誤解は解けていないらしい。
だが以前と比べると立ち直りはずいぶん早くなったようで、彼は直ぐに戻ってきた。
「うーん、でも春でこれなら、夏とかはだいぶ厳しそうね」
それは確かにとアナスタシアも思った。
春だけで氷漬けにしたいくらいと言うのなら、夏の暑さは耐えられなさそうである。
周辺の温度を下げる魔法道具や、常時冷気を発生させる魔法道具の案はあるが……。
そんな事をアナスタシアが考えていると、
『うん。だから夏前には氷花湿原へ帰りたいと思ってる。魔力も溜まって来たし』
フローはそう言った。
先ほども名前が出たが、氷花湿原というのはフローの故郷である。
レイヴン伯爵領の北にあり、隣にあるワーズワース侯爵領とも繋がっている土地だ。領都からはだいぶ距離がある。
フローを保護した時は魔力の消耗により仔馬サイズだった。だが今ではユニと同じくらいの大きさに体が戻ってきている。見た目だけならすっかり大人の馬だ。
氷花湿原までは遠いが、今のフローならば春の気候であっても、道中は問題なく耐えられるだろう。
――――だけれど。
故郷へ帰ると聞いて、アナスタシアは少し寂しい気持ちになった。
もちろんアナスタシアも、フローが元気になったら故郷へ帰る手助けをしたいと思っていた。
だがそれはそれ、これはこれだ。
喜んで良いのか、それともしょんぼりしても良いのか、ちょっと悩ましい。
アナスタシアが「うーんうーん」とこっそり反応に迷っていると、
『そう言えばお客さんが来たんだよね。ここにいて大丈夫?』
とフローに言われ、ハッとした。シズもである。
「あ、そうだったそうだった。ジャック会長が来たんだよ、アナスタシアちゃん」
「お約束の時間、そろそろでしたものね」
「そうそう。あとウィリアムとトリクシーちゃんも来ているよ。護衛のお仕事だって」
「お二人も! それは嬉しいですねぇ。……あ、ですが、ええと」
直ぐに行かねばならないが、果たして馬達をこのままにして良いものだろうか。
どうしたものかとアナスタシアが考えていると、スッと栗毛の馬がアナスタシアの方を向いた。この馬小屋で一番年長のアガーテという馬だ。
『大丈夫よ、アナスタシア。この子達には私がしっかりお説教をしておくから、安心して行ってらっしゃい』
『えっ!』
『えぇ……』
頼もしい言葉をくれたアガーテに、ユニとフローが同時に反応する。
アガーテはレイヴン伯爵家の馬達のお母さん的な存在だ。ユニやフローのように魔法の力はないものの、馬達をしっかりとまとめ上げている。
彼女の一声でどんな喧嘩も収まってしまうのが不思議なところだ。前に他の馬は『怒らせると怖い』と言っていた。
そう言えば最初の頃ローランド達に『うちの子に何すんのよ』と怒っていたのもアガーテだったな、と思い出す。
「ではお任せします。でもアガーテさん、お説教はほどほどに……」
『ええ、分かっているわ。ほどほどに、ね?』
ほんの少しフォローしてみたが、含みを持たせた言葉が返って来た。
ダメそうである。
アガーテからのお説教が確定したユニとフローは、
『アナスタシア……』
『置いてかないで……』
なんて縋る目をアナスタシアに向けた。
うるうると潤む眼差しがアナスタシアの胸を刺す。
しかし、そこへすかさずアガーテが、
『ダメな事はダメと、ちゃんと教えないといけないのよ、アナスタシア』
と釘を刺され、うっ、とアナスタシアは胸を押えた。
そうか、それならば仕方ない。アナスタシアもローランドやライヤー達からそう教わっている。
「ユニちゃん、フローさん……ファイト!」
ぐっと気持ちをこらえながら、アナスタシアは馬小屋を飛び出した。
背後からは『アナスタシア……アナスタシア―!』という悲痛な二頭の声が聞こえて来る。つらい。
そんな光景を目の当たりにしたシズは、
「何だろう、これ……」
と困惑しながらも、アナスタシアの後を追いかけたのだった。
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