馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
7-1 プロローグ 領都に残る靄
アナスタシアにとって馬は友達で、誰よりも信頼できる相手だ。
馬達は賢く優しく、そして人間と違って正直で裏が無い。
人間と馬の言う事どちらを信じるかと天秤にかけられたら、ほぼ間違いなく馬と答えているだろう。
まぁ最近は選択肢にローランド達が混ざったので、そこはきっと迷うなぁとアナスタシアは思っているが。
そんな馬達から学んだ事はたくさんある。
アナスタシアを支える知識の半分は馬から教わったと言っても過言ではない。
たまにシズ達が「何を教えてんだ馬共」と頭を抱えるような知識もあるが、そこはまぁ馬である。人間とは基準が違うので仕方がない。
けれども、それでも。
馬小屋から外へ出るようになって、アナスタシアは色々と気付いた。
まだまだ知らない事や、人によっては知らなくて良いと言われる事が、世の中にはたくさんあるのだと。
「ううむ、またこれか。困った事になったな」
青空に薄桃色の花弁が舞う領都クロックボーゲン。
その路地裏で、首無し騎士のホロウ・デュラハンは深刻な声で唸っていた。
彼の傍らにいる首無し馬コシュタ・バワーも『まったくです』と同意している。
彼らの視線の先――もっとも頭がないのでそれらしいもの――には、黒色の靄がふわふわと漂っていた。
大きさは子供が両手で抱えられそうなくらい、といったところか。石畳から僅かに浮いて、そこに在った。
ホロウがこれを見つけたのは見回りの最中だ。
コシュタ・バワーの背に乗り領都をくまなく見ていた時に、これが目についた。
『主、やはり夢魔の霧ですね』
「ああ、そうだなコシュタ・バワー。これも恐らく先日のナイトメア騒動時の関係だろう」
コシュタ・バワーの言葉にホロウは同意する。
ナイトメア騒動というのは、リヒト・ベーテンの夜に起きた事件の事だ。
テレンス・ワードという元騎士の男が作り出したナイトメアが、領都中を夢魔の霧で覆ったのだ。
あれは大変だったなとホロウは思い出す。特に後処理がだ。
夢魔の霧とは、ナイトメアなどの魔性が、自らの食糧となる夢を食らうために、獲物を眠りに引きずり込む目的で使う呪術である。
放っておくと他の魔性を引き寄せる恐れもある危険なものだ。
あの時はナイトメアを作り出した魔法陣を消す事で、結果的に領都を覆う夢魔の霧は晴れた。
だが、それだけで事態は完全には収束しない。
その霧は目の前の靄のように、時々こうして『残る』事があるからだ。
あの霧自体は魔力の塊のようなものだ。その場に深く染み込んだり、相性の良い素材や魔力に引き寄せられる事で『残る』事があるのだ。
それを解決するための方法として、もっとも最適なのが星教会に頼る事だった。
実際にあの後ローランドは領都にある星教会に、街中の浄化を依頼している。
しかし。
『ローランド殿が星教会に依頼した浄化は、先日終わったばかりですよね』
「そうだな。この街の星教会の人間は真面目だ。手を抜く事などない。なのになぜ……」
そう言いながらホロウは懐から聖水を取り出し、その靄にかけた。
すると靄は数秒ですう、と、空気に溶けるように消えてく。
星教会謹製の聖水は不死系や魔性の類によく効く。それは魔性の使った呪術や魔法に対しても同じだった。
影響が濃かったり、規模が大きいと星教会の人間に何とかしてもらうしかないが、この程度ならば聖水をかけるだけでも済む。
なのでホロウは見つけるたびに、こうして靄を消していた。
(だが、それにしては多すぎる)
先ほどコシュタ・バワーも言ったが、街中の浄化はすでに完了している。ホロウも領都をくまなく見てまわって、残りがない事も確認したのだ。
しかしその後も、霧とまではいかないが、こうしてぽつぽつ靄が出る事態が発生している。
これは明らかに異常だ。
何か理由があるのではないか――そう思いながら、ホロウは領都の地図を取り出し、今いる位置に印をつける。
「ふうむ。こう見ると、領騎士団の詰所付近で起きているな」
地図の印を実ながらホロウはそう呟いた。
領騎士団というのは国ではなく領主に忠誠を誓った騎士団の事だ。
騎士になるためにはグナーデシルト騎士学校の卒業が必須とされているが、そこで国に仕える事が出来なかった、もしくは選ばなかった卒業生は、領地へ戻って領騎士団に入る事が多い。
つい先日まで落ちぶれていたが、レイヴン伯爵領にも領騎士団はある。
まともだった頃の騎士達――特に関りの深い領都の領騎士達は、第一夫人エレインワースに苦言を呈した事で彼女の機嫌を損ね、使用人同様に多くが解雇された。
領地を守る要の騎士団を解雇するなんて、普通ではありえない話である。それに関してローランドは「まったく意味が分からない」と、頭が痛そうな顔でこめかみを押さえていた。ホロウも同感だ。
一連の事情を知った海都と古都の領騎士達は、自分達がいなくなるわけにはいかないと口を噤んで、甘んじて受け入れて、配属された街を守る事を選んだようだ。
だからレイヴン伯爵領全体を見れば、いかにガタガタだったとしても、危険種や魔獣などの被害は抑えられていた。
その後、エレインワースは人のいなくなった領騎士団を見て、自分がしでかした事ながら流石にこれでは体裁が悪いと新しく騎士を雇った。
ただ集まった者達は寄せ集めという言葉がぴったりの騎士くずればかり。騎士学校を卒業してから色々と問題を起こしていた者達がほとんどだった。
それでも仕事をすればまだ良かったが、そうでもなく。第一夫人らのご機嫌取りばかりに精を出し、領民を守るという仕事がおざなりだったというわけだ。
なのでローランドが雇い入れた時からの勤務態度を調べ上げ、相応しくないと判断された者はすべて解雇されている。
そうなると騎士の数が必然的に足りなくなるため、現在は臨時でザルツァ隊の騎士達の一部が派遣されている。
また過去に勤めていた騎士達に再雇用の打診をしており、少しずつだが領騎士団が元の形に戻り始めているところだった。
さて、そんな領騎士団の詰所だが。
ホロウが地図につけた印を見る限り、どうもその付近に靄の発生が多い。
『詰所に何かおかしなものでも置いてあるのでしょうか? 昔、ワーズワース領に、呪術の核にしたローレライの涙を押収品に混ぜて、嫌がらせをしていた呪術師もいましたよね』
「おったなぁ。確か詰所の騎士が、その呪術師が好きだった人と付き合ったから腹いせに……という奴だったか」
『相手の事を考えない恋心とは実に迷惑なものです』
「うむ! その通りだ、コシュタ・バワー!」
ユニが聞いていれば『他人の事を言える立場か』と冷たい眼差しを向けられるような会話をしている一人と一頭。
まぁ、それはともかくとして。
今回はそういった嫌がらせではないだろう。
となると何なのか。そう考えて、ふとホロウはある事を思い出した。
「そう言えば、テレンス・ワードはまだあそこの牢屋にいたな」
『はい、主。未だに事件に関しては、何も話さないとローランド殿が言っておりました。雑談には応じるそうですよ』
「そこは応じるのか」
「あとプリンが食べたいと言っていたと、アナスタシア殿から聞きました」
「プリン」
「オムライスでも良いとか言っていたそうですよ」
良いとか悪いとかそんな話ではなく。
それは捕まっている人間が言う台詞ではないのだろうかとホロウは思った。
それにしても。
「アナスタシア殿……あの方は本当に肝が据わっておるなぁ」
小さな主を思い出し、ホロウはくつくつと楽し気に笑う。
「テレンス・ワードは、はぐらかして時間を引き延ばしているのか、別の意図があるのか、いまいち分からぬな」
『そうですね。何にせよ一切話す気はなさそうですし。忠誠心という奴でしょうか』
「忠誠心か……吾輩にはどうもそう思えんのだがな」
テレンスは死霊術を応用し、自らの魂を削って囮魔法で分身を作り出していた。
魂を削るという事は命を縮めるのと同意語だ。
命を賭けると言えば聞こえは良いが、あれを忠誠心と称するのはホロウには違和感が感じられたのだ。
本人の言動も含めると、テレンスの存在はただの使い捨てのように思えてならない。
それに……とホロウはある男の名前を思い浮かべる。
ナイトメアの件、クロック劇場の件。一連の騒動の容疑者として上がっているレイヴン伯爵家の長男ガラートの従者ヴィットーレ。
そしてつい先日の騎士学校で起こった件も、騒動を起こした張本人も取り調べの中で、どうもその男らしき人物が絡んでいるという話が出ている。
動機は不明、証拠も不十分のためまだ捕えるに至っていないが、アナスタシア達から聞くその男の評判は、お世辞にも忠誠心を捧げたくなるような相手ではなさそうだった。
テレンスの行動の裏にいるのがヴィットーレだとしても、テレンス本人の理由とは違う気がする。
それがホロウの考えだ。
で、あれば、何なのか。
そこはまだ掴めないが――――、
「だが、死霊術か」
『主、何か思いつかれたのですか?』
「うむ、この靄に関してはな。テレンスは魂を削って死霊術を使っておっただろう。奴の魂が消耗した部分を補おうとして、無意識に周囲にあった魔力の塊――夢魔の霧を取り込んだのではないだろうか」
『なるほど……ではそこから夢魔の霧が生まれていると?』
「そうなるな。そこから靄が漏れて漂って、ここまで来たと考える。魔力であるから壁をすり抜けられるしな……。うむ、こうしてはおれん」
そこまで言うとホロウはコシュタ・バワーの背に乗る。
「コシュタ・バワー、直ぐにローランド殿に相談に行くぞ!」
『承知しました!』
色々と気になる事は多いが、とにかくまずは靄を何とかする方が先決だ。
ホロウはコシュタ・バワーと共に、レイヴン伯爵邸を目指して駆けた。
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