馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

6-14 真剣な言葉が届く人

 控室を出ると、アナスタシア達はそのまま人気のない場所へと移動した。
 フリッツは青褪めた顔のまま俯いて、胸の真ん中あたりを手で押さえている。
 そんな彼を見上げて、アナスタシアは問いかけた。

紅玉の星ルビー・ステラの像の欠片をお持ちですね」
「……はい」

 フリッツは重々しく頷くと、首から下げていたペンダントを、鎧の隙間から引っ張り出した。
 ひし形をした、銀色のペンダントだ。加工されてしまっているが、確かに星銀である。

 これ、大槌の形に合わないけれど直るんだろうか。アナスタシアは、むむ、と思ってそれを見つめる。
 先ほども、ごく小さい部分であれば、スヴァジルファリの出してくれた星銀で補えた。
 だが、形も違っていると難しいのではないだろうか。
 そう思ってスヴァジルファリへ目を向ければ『いっぱい、はげちゃう……』なんて呟いていた。
 ……量は使うが大丈夫そうだ。
 はげてしまうのはかわいそうだが、と思いながら、アナスタシアはフリッツへ視線を戻す。

「フリッツさんは、これが何かご存じですね」
「……はい。受け取った時、聞きました。数日前にカイラル隊長から渡されたんです。……これがあれば、奉納試合に勝てるから、と」

 どうやらカイラルも、星の像について知っている様だ。
 話を聞いたライヤーが、ふう、とため息を吐く。

「これに頼らなくても、お前の実力ならば正々堂々と勝負が出来ただろう」
「そ、それじゃ駄目なんです! 勝てなきゃ、駄目なんですよ……!」

 ライヤーの言葉に、弾かれたようにフリッツは叫ぶ。そして両手で頭を抱えながら、ガタガタと震え出した。

「フリッツ?」
「これで負けたら、騎士隊を追い出される……。追い出されたら、俺の居場所なんて、もうどこにもない……ッ」
「いや、おい、待てよフリッツ。何を言っているんだ?」
「お、俺みたいな! こんな、こんな臆病で、駄目な奴なんて、もう、他じゃ……っ」

 動揺か、それとも恐怖によるものか。焦点の合わない目で、フリッツはぶつぶつと言い続けている。これでもかと見開かれた目は血走っていた。

「お、おい、大丈夫なのか? 様子が……」

 イヴァンも心配そうな目を向けている。その時、ふとロザリーが、

「…………あれ、これって」

 と顎に手を当てて、そう呟いた。
 彼女の瞳は真っ直ぐにフリッツを――彼が握っていたペンダントを見つめている。少しして、彼女はフリッツに近づくと、

「ちょっと失礼」

 と言って、彼の手からペンダントを取った。そしてじっと見つめた後、小さく何かを呟きながら、ペンダントの中央を指で軽くこすった。
 すると、ふわり、と紫色の光で出来た魔法陣が浮かび上がり、程なくして霧散した。

「あー、やっぱり、これだったのね」
「ロザリーさん、今のは?」
「お嬢様、これ、呪術がかけられていましたよ。人の精神に作用する類の。これを使われると、普段感じている不安が、倍増するようになるんです」

 説明しながら、ロザリーはペンダントから手を放す。それからフリッツを見て「気分はどう?」と尋ねた。
 フリッツは夢から覚めたように目をぱちぱちとしていたが、少しして、

「…………え、と。大丈夫、です」

 と、呆けた顔で答えた。

「ロザリーさん、すごいです!」
「あっお嬢様に褒められた、嬉しい! 呪術学んでいて良かった!」

 アナスタシアが褒めると、ロザリーが感極まった様子で胸の前で手を組んだ。
 そんなロザリーの様子にシズが微笑ましそうに笑う。

「んでも、かみさまの像のかけらに呪術って、やばくないですか。奉納試合ですよ?」
「はい。かみさまが泣いちゃうらしいです」
かみさまって泣くんだ……」

 スヴァジルファリから聞いた話を伝えると、シズは神妙な顔になる。
 まぁ、それはともかく。

「で、フリッツ。落ち着いたか?」
「う、うん……。何か、すごくスッキリしたっていうか……」
「憑き物が落ちたような顔をしてるぜ」
「そんな感じだよ……。あの、ありがとう、ございます」
「いえいえ」

 フリッツにお礼を言われ、ロザリーはうふふ、と笑って軽く手を振った。
 どうやら今までのフリッツのおかしな様子は、呪術が絡んでいたらしい。

「それでフリッツ、話は戻るが。それはカイラルから渡されたんだな」
「はい。最初は俺も断ったんです。だけど、無理矢理渡されて……。それで、これで勝てなかったら、うちの隊をクビにしてやるって言われて。その事を考えている内に、不安でたまらなくなってしまったんです」
「あいつは、本当に……」

 ライヤーが眉間にしわをよせ、苦い顔になる。
 フリッツの話を聞いてアナスタシアは不思議そうに首を傾げた。

「でも、クビになったとしても、他の隊に入れて貰ったら良いのでは?」
「そうだね。騎士団長や副団長に経緯を説明すれば、考慮してくれると思うぜ」
「それは……」

 アナスタシアとシズがそう言うと、フリッツは視線を落とす。

「……話せば、カイラル隊長に伝わるだろう。そんな事になったら、俺の家は、潰されてしまう」
「カイラル隊長は伯爵家の人間ですが、ご当主はお兄様でしょう。その方は、同じ様な振る舞いをされる方なのですか?」
「いや、現ホーン伯爵家の当主は、とても大らかで真面目な人だよ」

 アナスタシアが聞くと、ライヤーはそう答えてくれた。
 同じではないだろうなとは、アナスタシアも思っていた。
 もしカイラルと同じような性格の人間であったなら、ホーン伯爵領の領民達からの評判は悪いはずだ。
 自分より身分が低い者を見下し、罵倒する。そんな人間であったなら、レイヴン伯爵家のように国へ嘆願が届くだろう。
 代替わりしたのがいつかは分からないが、そうなっていない時点で、大丈夫なのだろうとアナスタシアは考えていた。

「で、あれば。カイラル隊長個人に、家を潰す力はありませんね」
「…………」

 アナスタシアの言葉に、フリッツは目を大きく見開いた。
 それから数回瞬きをしながら、手で口を抑える。

「目から竜の鱗が落ちた……何で今まで気づかなかったんだろう……」
「恐怖心で思考が狭くなっていたんだろう、無理もない」
「それなら、じゃあ、テレンスだって……」
「――――テレンス?」

 彼の口から出てきた言葉に、イヴァンとスヴァジルファリ以外の全員の表情が変わる。
 ジョストの話なら分かるが、なぜここでテレンスの話題が出たのだろうか。

「おいフリッツ。テレンスがどうしたんだ? あいつ、ホーン隊じゃなかっただろう?」
「シズは知らないか。異動があったんだよ、配属後、すぐに」
「異動だって?」
「うん。元々配属された奴が、カイラル隊長に目を点けられて。ほら、同期の。今回の奉納試合で、シズの次に選ばれた」
「ああ、あいつか」
「うん。あいつ、元々正義感の強い奴だったからさ。それで隊長の態度に反発したら、酷いやり方で追い詰められて。それを見かねてテレンスが、自分から異動を願い出たんだ」

 あまりの話に、一同は絶句した。

「自分は大丈夫だからって。……でも、大丈夫じゃなかった。異動してずっと、カイラル隊長から罵倒されて、酷い扱いをされていて」

 ぐっ、とフリッツは拳を握る。

「――――テレンスは騎士を辞めた。俺は隊長が怖くて、何も出来なかった。逆らわなければ、無事でいられたから。……俺は最低だ」
「いいえ」

 自分を責めるフリッツの言葉を、アナスタシアは力強く否定する。

「最低なのはあなたではなく、カイラル隊長です」
「いいえ、俺なんです。俺は、知っていたのに。見ていたのに。あの時、友達を見捨てたんだ……ッ」

 フリッツの青色の目が、後悔で滲む。
 ぼたぼたと涙を落としながら、彼は歯を噛みしめた。

「では、まだこれからです。過去は変えられません。けれど未来は如何様にも返られます。正すべきは未来です」
「……え?」
「ちょうどこちらにドミニク騎士団長がいらっしゃいます。ドミニク騎士団長は、真剣な言葉が、届かない人ではないと思います」

 そんな彼を見上げて、アナスタシアは言う。
 ドミニクと言葉を交わしたのはほんのわずかな時間だ。けれど、ドミニクはアナスタシアのような子供の話にも耳を傾けてくれる人だった。
 ローランドやライヤーの存在が大きいのも、その理由の一つだろう。しかし、それでも助けを求める相手を無下に扱う人間には思えない。
 何より彼は愛馬であるアドリエンヌと信頼関係が築けているのだ。馬が信頼しているならば、悪い人ではない。アナスタシアはそう考えている。
 話を聞いていたのなら、その場を目で見たのなら。公平に判断してくれる人ではないだろうか。

「というわけで!」

 ぽん、とアナスタシアは手を鳴らした。
 急に明るい調子で言われ、その場の全員が首を傾げる。

「ちょっと仕掛けましょう」
「仕掛ける?」
「はい。奉納試合の後に」
「えーと、アナスタシアちゃん、何する気?」
「それはですね……」

 ふっふっふ、とアナスタシアは笑って、人差し指を立てる。

「私達から伝えた言葉では少し弱い。なので、カイラル隊長に実際に、お話いただこうかなと」
「アナスタシア。よく分からないんだが……どういう事だ?」
「ほら、兄様。カイラル隊長は奉納試合の結果に執着しているでしょう。だから、そこで勝っても負けても、本音が出ると思うんです」
「それはつまり、気が緩んだ時に、色々白状させるって事か!」
「そうです」

 アナスタシアの言葉に、ライヤー達は興味を持ったように身を乗り出す。

「ただ、これにはフリッツさんの協力が必要です」
「お、俺ですか?」

 話を振られたフリッツは目を見開く。だが直ぐに覚悟を決めた顔になる。

「わ、分かりました! 負ければ良いんですね!」
「いえ、そこは違います。奉納試合ですから、真剣にやってくださらないと」
『うん。かみさま、そういうの、楽しみにしてるから』

 アナスタシアの言葉に、スヴァジルファリがそう補足する。もっとも彼の言葉はフリッツには聞こえないのだが。

「正々堂々戦ってください。カイラル隊長との勝負はその後です」
「…………正々堂々」

 フリッツは自分の胸にぶら下がる、像の欠片のペンダントを見る。
 そしてそれを掴み、力任せにチェーンを引きちぎった。

「……やります!」

 そしてそれをアナスタシアに差し出して、力強く言った。
 その顔に、先ほどまでのおどおどした様子はない。
 アナスタシアは頷くと「あっ!」と思い出したようにシズの方を向いた。

「でも、奉納試合ではシズさんを応援しますので!」
「アナスタシアちゃん、嬉しいけど、このタイミングで言うんだね!?」
「大事な事なので!」

 そこはしっかり主張するアナスタシアに、一同は揃って噴き出したのだった。

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