馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

6-8 たかがと言うほど、あなたには

 声の主は紫色のマントを纏った騎士だった。丸眼鏡をかけた神経質そうな顔立ちの男である。
 年齢は二十代後半――ライヤーと同じくらいだろうか。
 そう思ってアナスタシアがライヤーを見上げると、彼はこめかみを押えていた。

「カイラル・ホーン、お前か……」

 その名前には聞き覚えがあった。確かライヤーを目の敵にしている騎士隊長だったはずだ。
 そしてシズを公衆の面前で負けさせたいとか思っている――であろう――人物である。

「嫌味を言う暇があるお前には言われたくないな」

 ライヤーがため息を吐いてそう言った。声からうんざりした気持ちが滲み出ている。
 するとカイラルはキッと目を吊り上げた。

「私のどこが暇なのだね!」
「言葉のままだ。わざわざ暇だと言ってくるところだよ」

 ライヤーは珍しく毒のある返しをしている。
 その様子から見ても、彼とのやり取りは、今まで相当大変だったのだろうなぁという事が伺えた。

「そもそも、お前は何でこんなところにいるんだ」
「ハッ、決まっているじゃないか。奉納試合の最終調整だとも!」
「最終調整?」

 カイラルの言葉にライヤーが怪訝そうな顔になった。 
 確かに彼の隊の騎士は奉納試合に出る。事前に装備の点検や、使用する魔法及び魔法道具の確認など、やる事はあるだろう。
 しかし、それをするのは参加する騎士であって、隊長ではない。
 もちろん手伝いだと言うなら話は分かるが、目の前のこの騎士隊長は、どうもそういうタイプには見えなかった。
 アナスタシアが思ったくらいだ。ライヤーだってそうなのだろう。彼は不可解そうに、

「最終調整って、お前が手伝うのか?」

 と聞いた。
 するとカイラルは眼鏡を押し上げ、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。

「ああ、そうだとも。何だい、私が手を貸してはいけないとでも?」
「そんな事はないが……」
「良いか、ライヤー。今回こそ、私の隊が勝つ。あの平民出の騎士が無様に負けた時のために、慰めの台詞でも考えておきたまえよ」
「奉納試合はかみへ捧げるためのものだ。真剣勝負に、無様も何もないだろう」

 部下シズの事を悪く言われ、さすがにムッとしたのだろう。ライヤーは言い返すが、カイラルは鼻で笑った。
 そんなカイラルの態度にロザリーも黙ってはいたが怒っていたし、イヴァンも眉間にシワをよせている。エルケも不快そうに顔をしかめていた。

「そうですよ! それに暇仰られましたが、ライヤー隊長はお仕事の真っ最中です!」
「其方は……ああ、何だ。ドロッセル男爵家の人間か」

 エルケに顔を向けると、カイラルは馬鹿にするように、露骨に顔を歪めた。

「ハッ、たかが男爵家の人間が、伯爵家の私に生意気な……」

 カイラルの目には、エルケを蔑む色が宿っていた。
 それを見て、ぴくり、とアナスタシアが反応する。
 こういう目を、アナスタシアも向けられ事がある。父の第一夫人エレインワースや、彼女の子供達、ほんの数回しか会った事のない親族からだ。
 向けられたところで、別にアナスタシアは傷ついたりはしない。ただ。

 ――――ただ、この目は嫌いだった。

 そう思ったら、自然と足が動いた。後ろにいたイヴァンが「あ」と慌てた様子で手を伸ばしたのが分かったが、気にせずアナスタシアは前へ進む。
 近づいた距離で、アナスタシアカイラルを見上げた。
 菫色の瞳が真っ直ぐにカイラルに向けられる。その眼差しに射貫かれ、カイラルは虚を突かれた顔になった。

「……何かね?」
たかが、、、などと言葉に出来るほど、あなたは彼女がどういう人間であるかご存じではない」
「は?」
「エルケさんはブラックウッド隊に配属された騎士。ドミニク騎士団長に認められた騎士です。騎士団長の目が選んだ騎士に、あなたは否と仰いますか」
「………………」

 静かだが怯えの無い口ぶりに、カイラルだけではなく、他の者達も目を丸くしている。

「私は別に、否などと」
「言外に仰っておりましたが」
「す、推測で物を言うのはやめたまえよ」
「そうですね。推測で物を言うのはおやめになった方が良いかと」

 意味こそ違えど、まったく同じ言葉を返されて、カイラルがぱくぱくと魚のように口を動かす。
 それから程なくして、カッ、と顔が赤くなった。自分よりと年下の子供に、言い負かされたのに気が付いたのだろう。

「……ッ失礼する!」

 言い返す言葉を思いつかなかったのだろう。そう言うと、カイラルは乱暴に靴音を立てながら、逃げるようにその場を離れて行った。
 思ったより打たれ弱かったな、なんて感想をアナスタシアが抱いていると、エルケが思わずと言った様子で噴き出した。

「フフ……あはは! い、今のカイラル隊長の顔! 爽快でした!」

 エルケはくすくす笑うと、アナスタシアの方へ体を向け、頭を下げる。

「ありがとうございます、アナスタシアさん。……その、嬉しかったです。えへへ」
「確かに爽快だったけど、俺はちょっとひやひやしたよ」
「おや、それは失礼を」

 皆から安堵した眼差しを向けられ、アナスタシアは指で頬をかいて笑う。
 その後ろではアドリエンヌも楽しそうな様子で、

『フフ、そうね爽快だったわ。でもね、アナスタシア。あれは優雅ではない人間よ。同族以外にも、馬達への態度も悪いわ。気をつけなさいね』

 と教えてくれた。どうやら人間だけではなく、馬に対しても良くない態度を取っているらしい。
 それは要注意である。馬にまで酷い態度を取るなんて何という奴だ。
 そんな事を思いながら、アナスタシアは頷く。

「ありがとうございます、気を付けますね」

 そんな話をしていると、エルケが「あ」と胸元から懐中時計を取り出した。

「そろそろ行かなければ」
「ああ、悪かったな、時間を取らせて」
「いえ! では、私はこれで! 皆様もジョスト、楽しんでくださいね!」

 エルケはそう言うと走って行った。
 確かにジョストは楽しみだが、アナスタシア達には先にやる事がある。

「では、私達も行きましょう!」

 そう言って、アナスタシアは厩舎の側ーー紅玉の星ルビー・ステラの像が保管された倉庫に顔を向けた。

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