馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

5-9 夢魔の霧を解くためには


「なるほど、そのような事が……」

 ホロウに事情を説明すると神妙な声でそう言った。
 彼と相棒の首無し馬コシュタ・バワーは、ちょうど領都の巡回に出ていたところだった。
 そろそろ屋敷へ戻ろうかと考えていた時に、この霧に遭遇したらしい。
 呪術への心得があったホロウは、すぐに夢魔の霧である事に気づいたそうだ。
 ロザリーと同じように――方法こそ違うが――呪術で相殺しつつ、発生源の特定をしたところ、レイヴン伯爵邸である事が分かり、大急ぎで戻って来てくれたらしい。

「しかし、ナイトメアか。外では、それらしき気配は感じませんでしたな」
『ええ、主。むしろこの屋敷の中の方が、匂いが強いですね。恐らく誰かの夢の中に入っているのではないでしょうか』

 するとコシュタ・バワーはそう言って、眠っている人達の方へ体を向けた。
 首の無いコシュタ・バワーがどうやって匂いを――――とは思ったが、食事もできるし、いつもの事である。
 なので特に気にせずアナスタシアは「どなたか特定はできますか?」と聞いてみると。
 コシュタ・バワーは『は、少々お待ちを』と言って、匂いを嗅ぐような動作をしながら、床に倒れた者達一人一人の周囲を歩き始めた。
 そして、程なくしてオーギュストのところで動きを止める。

『この方ですね。この方は、ナイトメアと縁が深い方だったのでしょう?』
「はい。ナイトメアに変化させられた方が、婚約者だったそうです」
「なるほど。それならば、ナイトメアの中に残っている記憶が、彼に惹かれたのかもしれませんな」

 アナスタシアが頷くと、ホロウは納得したようにそう言った。 

「記憶、ですか」
「ええ。死者は、生前に抱いていた強い記憶に、影響を受けますからな。この様子では、そのナイトメアがプリメラと言う人物というのは、間違いがないでしょう。まったく、酷い事をする」

 ホロウは声に怒りを滲ませる。アナスタシアもその言葉に同感だった。

「ひとまず、この霧をどうにかする方が先だな」
「そうですね。ホロウさん、ロザリーさん。どうしたら解けるか分かりますか?」
「えっと、方法としては三つあります」

 ロザリーは頷いて、指を一本ずつ立てながら教えてくれた。
 一つ目はナイトメアを作り出した術者に魔法を解かせる方法。
 二つ目はナイトメア自体を消滅させる方法。
 それから三つめは……。

「これはナイトメアが作られて日が浅い場合にのみ可能ですが、その時に使用した魔法陣を正式な手順で消して、ナイトメアを元の魂の状態に戻す事です。そうすれば夢魔の霧も自然と解けます」
「元の魂の状態ですか」
「はい。作り出されたばかりのナイトメアは不安定ですから、安定するまでは術者からの魔力供給が必要なんですよ。ただこの方法の場合、魔法陣の近くまでナイトメアを連れていかないと駄目なんですが」

 フローズンホースと少し似ているな、とアナスタシアは思った。
 だが、それならば。

「三つ目ですね」
「ああ、そうだな」

 アナスタシアの言葉に、ローランド達は頷いてくれる。
 夢魔の霧を解く方法と、ナイトメアを助ける方法が同じだからだ。

「昨日会った時は、オーギュスト伯父様の態度は普通でした。リヒト・ベーテンの夜を利用して生み出したなら、近場にその魔法陣があると考えても?」
「間違いないな。その状態であるならば、テレンスもそこにいるだろう」


◇ ◇ ◇


 それから直ぐに、ロザリーとホロウが、屋敷を覆えるくらいの大きさで、夢魔の霧を相殺する結界を張った。
 呪術は呪術で防ぐものらしい。
 そうして二人が作り出した半円型の光に包まれた屋敷の中から、夢魔の霧が消えた。

 念のため屋敷の中の様子を手分けして確認すると、やはり今起きている者達以外は眠りに落ちていた。
 アナスタシアも馬小屋へ様子を見に行くと、ユニやフローズンホースを始めとした馬達も、すやすやと寝息を立てている。
 皆、苦しんでいる様子がない事だけは幸いだった。

 さて、問題はナイトメアである。

 一通りの確認を終えてエントランスホールに集まり、今後について相談を始めると、

「では先にナイトメアを、この御仁から追い出さねばですな」

 とホロウが口火を切った。

「廃人になるのは心配ですが、中にいた方がナイトメアの居場所が分かりやすいのでは?」
「いえ、お嬢様。魔法陣を破壊してナイトメア元に戻す場合、一度外に追い出さないと、二人に魂が混ざって厄介な事になるんですよ」
「えっ想像以上に怖い事になるんだね!?」

 その言葉に、シズはぎょっとした。
 ホロウは「まぁ死霊術ですからなぁ」と呟く。
 これが自然発生だったら別だが、人為的に作り出した魔法であるだけに、魂同士が干渉しやすくなるらしい。

「ちなみに混ざるとどうなるのですか?」
「記憶と人格が混ざって、発狂しますな。まぁごく稀に、望んでなる者もいるらしいですが……気が知れない」

 ホロウがそう肩をすくめた。
 確かに、発狂すると言われている事を自ら行うのは、アナスタシアも理解できない。
 アナスタシアも馬が好きだが、会話をしたり一緒にいるのが好きなのであって、混ざり合って一つになりたいわけではないからだ。

「ナイトメアを追い出すにはどうすれば良いのですか?」
「外からの干渉は難しいですからな。実際に夢の中に入って追い出します」
「夢の中……あ、この間のホロウさんの呪術みたいな」
「うぐ。そ、そうですとも!」

 実際に、夢を繋げたのはコシュタ・バワーではあったが。
 気まずそうなホロウに、アナスタシアは小さく笑った。

「ふむ。問題は誰が中に入るかだな」
「同じ術に触れた者の方が、するっと入りやすいですな。つまりシズかアナスタシア殿か」
「はい! 出番ですね!」

 アナスタシアが元気に手を挙げると、とたんにローランドが心配そうな顔になる。

「夢の中に危険はないのか?」
「夢は夢ですからな。それにナイトメアは、その夢の主にしか影響を及ぼす事は出来ませんから、入った者への危険度は低いでしょう。しかし――――」

 ホロウは腕を組む。

「……見たくないものを、見るかもしれませぬ。アナスタシア殿ならば分かるでしょう?」

 そう言って、ホロウはアナスタシアの方へ体を向けた。
 彼が言っているのは、以前、アナスタシアとホロウの夢が繋がった時の事だろう。
 ホロウの魔力を利用し、コシュタ・バワーが夢を繋げて見せた、ホロウの記憶。
 悲しい夢だった。辛い夢だった。当事者ではないアナスタシアもそう感じたほどだ。
 ああいった夢を見る事になるかもしれない、とホロウは言っている。

「オーギュスト殿が目覚めれば、ナイトメアはその者の中にはいられず外へ追い出されます。同時に中へ入ったものも追い出されます。ですので、とにかくオーギュスト殿を目覚めさせる事が重要です」
「どうすれば起せるでしょう?」
「夢というものは、案外単純なもので、本人が心から『起きよう』と思えば、起きる事が出来るのですよ」

 ただ、とホロウは続ける。

「……夢というものは、離れがたいものでもありますからなぁ。素直に起きてくれるかどうか」

 ああ、それは――――あるかもしれない。
 そう思いながら、アナスタシアはオーギュストを見た。
 彼はアナスタシア達に『大事な人を助けて欲しい』と頼んだ。
 あの場でそんな事を言えば、何かしらの身の危険があるかもしれないのにだ。
 それでもオーギュストはアナスタシア達に助けてくれと言った。

 彼から信用される理由なんてなかったのに。
 オーギュストはテレンスの脅しの末の約束よりも、アナスタシア達の方に勝機があると信じてくれたのだ。
 だから、きっと。

「……きっと起きます。大丈夫、オーギュスト伯父様は、目覚めます」

 アナスタシアは、はっきりとした声でそう言い切った。
 ホロウは少し驚いた様子だったが、直ぐに小さく笑って、

「さすが肝が据わっておられる」
「フフ。……あ、でも、ナイトメアを追い出したら対処しないとですよね」
「そうなりますな」
「でしたら私が一人で行きます。こちらの方が人数が必要でしょうし。テレンスさんが来た時に大勢を庇って戦うには、動ける人数が少なすぎます」
「アナスタシアちゃん、だけど……」

 シズが心配そうな顔をする。
 しかしアナスタシアは笑って、

「シズさんは、もし私が起こせなかった時にお願いします。ローランドさん、それで構いませんか?」
「……分かった。けれどくれぐれも気を付けるように」
「はい!」

 ローランドの許可が出ると、アナスタシアはホロウを見上げた。

「お願いします、ホロウさん!」
「承知した!」

 ホロウはガツッと、籠手に覆われた両手を合わせる。
 そして呪文を唱えると、ふわり、と彼の周りで水色の光の粒が現れ始めた。
 まるで氷の欠片みたい。
 そう思いながら見つめていると、その光がアナスタシアの身体に吸い込まれ始め、徐々にアナスタシアの瞼は重くなり。
 アナスタシアは、夢の世界へと落ちて行った。

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