馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

5-6 五年の価値を


『私、レイモンド・レイヴンが何らかの理由で領主を引退する際には、オーギュスト・レイヴンに引き継ぐものとする』

 その書類に書かれていたのはそんな文章だった。

「これは……ローランド監査官」
「ああ。見た所、正式な書類ではあるな」
「そうだ。これは領主の任命状。そしてこの紙と形式は国が定めた通りの書類だ。領主を引退する際、もしくはその可能性がある時に発行するものがコレだよ。まぁあくまで領主がもしもの時に、との事で発行したものあであって、国の許可が下りるかは別の話だけどね。……まぁ、下りる可能性は十分にあるのではないか?」

 さして面白くもなさそうにオーギュストは言う。
 全く乗り気でも、やる気もなさそうな態度である。渋々やっていると言わんばかりの様子だ。
 テレンスとのやり取りを聞く限り、この行動に至った理由に何かがありそうだというのはアナスタシアにも分かった。
 アナスタシアがじっと見つめていると、ローランドが書類の一か所を指さす。

「発行日は五年前か」
「そう。……ずっと捨てよう捨てようと思っていたんだがね」

 肩をすくめるオーギュスト。それから隣のテレンスをちらりと見た。テレンスは軽く手を開いて続きを促す。
 オーギュストはため息を吐いた。

「……僕の所在が不明であったから、国はローランド君を代行として指名し、アナスタシアの教育を任せたのだろう。だがこうして僕はここにいる。すまなかったね、今まで面倒をかけた。と、いうわけで、だ。本当に申し訳ないのだが、引いてくれたまえ。僕であれば一通りの領主教育は受けているし、引き継いでも何の問題もないだろう」

 オーギュストの声は平淡だ。領主を交代しろと、半ば脅しのようにやって来たにしては、良くも悪くも熱がない。
 言葉通り申し訳なさそうなオーギュストに、ローランドは「ふむ」と呟くと、探るように目つきを鋭くする。

「十年以上不在で、領地に何一つ関わって来なかった其方へ引き継ぐことに、問題がないはずがなかろう」

 その言葉に反応したのはテレンスだ。

「ハハハ、あのローランド監査官様が正式な書類を無視するんですか? 複写の片割れ、もう国へ送っちゃいましたけど」
「そうだな、国へ届いたならばこちらへ確認が来る。そしてそれこそ許可が下りるかどうかは別の話だ」
「下りるでしょうよ。だって国はなるべく早く、優秀なあんたを手元へ戻したいでしょうから。オーギュスト様に領主としての能力があれば、問題ないと見て公平な判断を下すはずだ」

 人差し指を立ててそう言うテレンスに、ローランドは「論外だ」と切り捨てる。

「国からはアナスタシアが成人するまで見守り、素質ありとすれば領主とすると言っている。私はその判断役を兼ねている。早く戻るも何もない」
「ハハ、そいつは気の長い話ですねぇ。……でも、ねぇ。それではアナスタシアお嬢様はどう思っているんです?」

 ローランドと話していたテレンスが、ス、とアナスタシアの方へ目を向ける。
 表情は明るいが眼差しは暗い。沼の底にでも引きずり込もうとしているような、そんな目だ。

「本当に自分が領主にふさわしいと思っているんですか? お嬢様が領主として認められるとしても、年齢的にそれこそ五年以上は必要になるでしょう。ローランド監査官の大事な時間を、五年以上も奪ってまで領主になる価値が、あんたにあるんですか?」

 その瞬間、オーギュストが嫌そうにテレンスを見た。ローランド達もテレンスを睨む。
 ピリピリと空気が張り詰める中で、アナスタシアはハッとした。
 そんな事、考えた事がなかったからだ。アナスタシアは思わずローランドを見上げて言葉に詰まった。
 テレンスがニヤニヤと笑う。

「……ね? 大人の時間って意外と早いんですよ? 周りを巻き込んで迷惑をかけるより、オーギュスト様に放り投げた方が、皆のためになりますよ?」
「それは其方が決める事ではない。そもそも迷惑などと、思った事は欠片もない」
「へー? そいつは絵に描いたようなお綺麗なお答えですねぇ。真面目な御貴族様らしーい。わー、えらーい!」

 不快感を隠さず言うローランドの言葉を、テレンスはけらけら笑って一蹴する。
 あまりの物言いにライヤーから殺気が飛ぶ。今にも剣を抜きそうな様子だ。
 アナスタシアにだって分かるほどのそれだ。元騎士のテレンスが気づかないはずがない。しかし彼は眉一つ動かさない。

「……だけど、ねぇ? 大人は嘘つきですからね。口では立派な事を言っていたって、腹の底では何を考えているか分からない。……ねぇ、アナスタシアお嬢様。どうです? 今なら簡単に放り出せますよ?」

 どろりと、ことさら甘い声でテレンスは言う。
 彼の言葉はある意味で正しい事はアナスタシアにも分かる。
 ローランドの五年。それはとても大きくて、貴重で、大事なものだ。
 テレンスに言われるまでアナスタシアは気付かなかった。自分は彼の時間を貰っている。

(本当に価値があるのか――)

 一瞬、そう考えてしまった。思ってしまった。
 価値があるのか、ないのか。その答えは出ない。
 だけど。

 アナスタシアは昨日、フランツに『価値』について自分の言葉で言ったのだ。

「――――いいえ」

 テレンスを見上げ、アナスタシアは首を横に振る。

「いいえ。放り出しません」

 重ねて、もう一度。言葉に力を入れてアナスタシアは否定する。

「私はまだ未熟です。貴族としての価値観も、領主としての仕事も、世の中も、多くを知りません。領主としてふさわしいかどうかの判断基準にすら達していません。今なら確かに長い時間離れていたとしても、伯父様の方が領主としての仕事は出来るでしょう」

 でも、とアナスタシアは続ける。

「私は選びました。領主を目指すと決めました。ローランドさんにもシズさんにもライヤーさんにも。使用人の皆さんや商人の皆さんにも、頂いたもの、約束したことをまだ何一つ返せていません。だから頂いた時間で、私は価値を作ります。領主として認めれなかったとしても、頂いた分に見合う価値を形として必ずお返しします。故に投げ出しません。あなたが差し出す選択肢は、私には必要ない」

 はっきりとそう言い切った。
 アナスタシアはあまり未来の約束はしない。出来ない約束をしたくないからだ。
 ローランドの時間を貰ってまでの価値が自分にあるかは未だ分からない。
 分からないけれど、出来る出来ないの話ではなく、やると決めたのだ。その価値を自分で作るとアナスタシアは選んだのだ。
 だからアナスタシアは、テレンスの言葉を真っ向から払いのけた。

「……アナスタシア」

 ローランドが驚いた様子でアナスタシアを見た。灰色の瞳に温かな色が宿る。

「ハハハ、平民の血を引く子が領主ねぇ」
「皆様一様にそう仰いますが、平民の血を引かずとも、領主の資格無しと判断を下されたのがお父様です」

 アナスタシアは父の事は好きだが、それとこれとは別の問題だ。事実は事実として受け止める者である。
 しかしあまりにすっぱり言い切るものだから。何を言っても崩せないと理解したテレンスは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……ま、何でも良いですけどね。数日で連絡が来ると思いますし。さっさと諦めて従った方が身のため――――」

 テレンスが言いかけた時。
 オーギュストがその言葉を遮って、

「――――と、いう体で彼に脅されている」

 と、胸に手を当ててそう言った。

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