馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

幕間 アナスタシアの誕生日 四


「アナスタシアお嬢様、お誕生日おめでとうございます!」

 扉が開いた直後、軽快なクラッカーの音とともに、そんな言葉が聞こえてきた。
 目の前にふわわと紙吹雪が舞っている。
 その向こう側ではローランドやライヤー、屋敷の使用人達が満面の笑顔を浮かべて拍手してくれている。

「え? え? あの……」

 何が起きたのだろうか。
 アナスタシアが目を見開いてシズを見上げる。
 するとシズはにこりと笑って、

「お誕生日おめでとう、アナスタシアちゃん!」

 と言ってくれた。
 誕生日。そう言えば確かに、今日は自分の誕生日だ。
 そう思い出したとたん、彼らが自分の誕生日を祝ってくれていると理解して、アナスタシアはボンッと顔を真っ赤にする。
 そんなアナスタシアにローランドは、

「フフ、驚いたか?」

 と聞いた。アナスタシアは首をぶんぶんと思い切り上下に振る。

「お、驚きました。あの、その、もしやこれは現実ですか? ホロウさんの呪術とか、そういう類で見た夢ではなく?」
「ありませんぞ、アナスタシア殿! さすがに! 吾輩! 二度は繰り返しませぬゆえ!」

 アナスタシアの言葉に、ホロウが大慌てで両手を振って否定する。
 あまりの必死さに、ガースが呆れた顔がツッコミを入れる。

「いや、それ逆に怪しく見えますからね」
「なぬ!?」

 衝撃を受けた様子のホロウ。
 そんな彼に向かってロザリーが、励ますように背中を叩いた後、

「さあさあ、お嬢様! 座って座って! あ、フランツ様もこっちにどうぞ!」

 とアナスタシアに言った。

 促されるままに席へ座ると、目の前にはたくさんの料理が並べられていた。
 ニンジンたっぷりのミネストローネに、ポテトサラダ。ニンジンのグラッセつきのハンバーグに、ナッツとドライフルーツの入った古都風パン。
 そして中でも目を惹かれたのが、橙色をした大きなニンジンケーキだ。

 料理のすべてがキラキラと輝いているように見える。
 どれもがアナスタシアが好きなニンジンをたっぷり使ったメニューだ。

「…………」

 アナスタシアは、ぼうっとそれを見つめていた。
 目の前にあるのに、現実じゃない気がする、不思議な感覚だ。
 こうして大勢の人に誕生日を祝ってもらったのは、いつぶりだろうか。

「どうしたの、お嬢さん?」
「……いえ、あの。……あの」

 ライヤーに声をかけられたが、上手く答えられない。
 皆の優しさが、じわりと心に沁み込んでくる。
 胸がいっぱいになって、視界が少しぼやけて来た。

(――――嬉しい)

 そう、嬉しいのだ。
 自然とアナスタシアは笑顔になっていた。
 もしかしたら少し泣き笑いのように見えているかもしれない。
 アナスタシアは、その場にいる全員の顔を、順番に見る。
 それから少し震える声で、

「皆さん、ありがとうございます。とても……とても嬉しいです」

 と言った。
 こういう時に限って語彙が足りなくなってしまう。もっとたくさん、ありがとうを伝えたいのに。
 アナスタシアがそう思っていると、ローランドが隣に座った。

「フ。……それでは、アナスタシア。食事にしようか?」

 優しい笑顔だった。
 いつもローランドは、アナスタシアが悩んでいると手を差し伸べてくれる。
 アナスタシアは服の袖でごしごしと目をこすると、

「はい!」

 と大きく頷いたのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



 レイヴン伯爵邸の食堂を、アナスタシア達の賑やかな声が明るく照らす。
 今この時は貴族も平民も関係なく、皆が楽しげに会話し、食事をしていた。

 使用人頭のマシューは少し離れた位置で、それを微笑ましく見つめている。
 すると、そんな彼に気付いて、騎士のライヤーが近づいて来た。

「マシューは一緒に食事をしないのかい?」
「フフ。全員がそうですと、給仕の者がいなくなりますからね。後ほど頂きます。それに……こうして見ているのが、楽しくて」

 そう言ってマシューは目を細める。

 マシューの記憶にあるレイヴン伯爵家の食卓はいつも静かだった。
 ベネディクトが領主だった頃も、レイモンドが領主だった頃も。そこに笑顔はほとんどなかった。
 この家にとって食卓とは、静かでぎこちない、食器の音だけが小さく響くだけの空間だった。
 広い屋敷の中なのに、食事の時間は、その場の誰もが窮屈そうにしていた。

 そこに変化が訪れたのは第二夫人のオデッサがやって来た時だ。
 彼女がいると食卓に賑やかさと笑顔が生まれたのである。

 美味しそうに、楽しそうに、料理を食べるオデッサの姿は、マシューにとっても新鮮だった。
 そしてオデッサがいるとレイモンドも穏やかな笑顔を浮かべていた。オデッサに育てられたアナスタシアも同じだ。
 料理人にとって、作った料理を楽しんでくれるのはこの上ない喜びだ。給仕する者にとっても、その方がずっと嬉しい。
 その事だけでも、料理長のハンスや使用人達が、オデッサを慕う気持ちがよく分かる。

(――――ですが)

 マシューはフランツを見た。表情にはまだ少しぎこちなさと戸惑いが伺える。
 そんな彼を見て、マシューは同時にこうも考えるのだ。第一夫人のエレインワースは、オデッサ達を見て、どう思っていたのだろうかと。
 
 オデッサとエレインワースの関係や立場は実に複雑なものだった。
 平民として生活していたオデッサの行動は、貴族として教育されたエレインワースにとっては奇妙なものに映っただろう。

 けれどマシューは知っている。エレインワースは最初はオデッサと上手くやろうとしていた事を。
 そして何より――――エレインワースは自分の結婚が、ベネディクトによって、オデッサを妻に迎えるためにレイモンドに提示された条件だったという事も。
 承知して、理解して、彼女は嫁いで来た。

 しかし、どれだけ頭で理解していたとしても、心は別だ。
 愛情の多くがオデッサに向いているのを見て、エレインワースは耐えきれなかったのだ。

 もし、もう少しレイモンドが彼女達の事も気にかけてくれていたら。
 そして今のように、皆で和やかに食卓を囲む事が出来ていたら。
 今とは違う未来もあったのではないだろうか。

(それに、アナスタシアお嬢様も)

 家族の仲が良かったら、母を早くに亡くしたアナスタシアも、もっと穏やかに暮らせていたのではないだろうか。
 そうしたら――目の前に光景を、何度も見る事が出来たのではないだろうかとも、思ってしまうのだ。

「……ライヤー様。食卓に笑顔があるというのは、良いものですね」
「ああ、そうだね。……貴族の食卓とは全然違うけれど、でも」

 ライヤーは眩しそうに目を細め、

「……俺はこちらの方が好きだなぁ。ずっと見ていたくなる」

 そう言った。
 ああ、確かにとマシューも思う。

(願わくばずっと、この穏やかな時が続きますように)

 明るくて優しい、この時間が、途絶える事のないように。
 アナスタシアの笑顔を、そして変わろうとしているフランツを見て、マシューは心の中でそう祈るのだった。



幕間 END

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