馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

幕間 アナスタシアの誕生日 三


 それから少し経った後。アナスタシア達は食堂に向かって、屋敷の廊下を歩いていた。
 実は今日の夕食はそちらに用意されているらしい。
 一緒に歩いているのはシズとフランツ、アレンジーナだ。
 何故かローランド達は、

「準備があるので、少ししてから来て欲しい」

 と言って先に行ってしまったので、四人で向かっている。
 その時のローランドの言葉には、若干の建前もあるように感じられた。
 たぶん、フランツから怖がられている事が分かっているので、気を遣ってくれたのだろう。
 応接間から出る時に、

「私はそんなに怖いだろうか……」

 などとライヤーに零していたのがアナスタシアは聞こえた。
 そんなわけで、アナスタシアは四人で歩いている。
 食堂という事は皆で食事が出来るのだろう。そう考えてアナスタシアはワクワクしていた。

 アナスタシアは大勢で食事をするのが好きだ。何せローランド達がやってくるまでの三年間、馬以外の誰かと一緒に食事をした事はほとんどなかったからだ。
 大勢だと賑やかで楽しいし、食事もより美味しく感じる。
 だから今日も嬉しかった――――のだが。

 実のところアナスタシアは少々困っていた。

(……話をしたいと言ったものの、果たして何と話しかければ良いのでしょうか)

 そう、フランツとの会話である。元々アナスタシアは馬とよく会話をしていたため、人間との会話がほんの少し苦手だった。
 話題があれば話は出来るが、自分から話を振るというのは案外難しい。
 初対面ならまだしも、それなりに知っている相手である。一体何から話を始めれば良いのだろうか。

(今日は良いお天気ですね……はダメです。もう夜ですし。ここはフランクに調子はどうですかとか……いやこれもダメでは? 意図せず嫌味になりかねない……)

 アナスタシアが脳内で必死に話題を考えながら歩いていると、食堂の方向から、ふんわりと良い香りが漂ってくる。
 その時ハッとアナスタシアは閃いた。

(ハンスさんの料理、どんどん美味しくなっているんですよ、はどうでしょうか。これはかなり良いのでは。そのまますんなりと食事楽しみですね、とかそんな感じに繋げられますし!)

 これは名案ではなかろうか。アナスタシアの表情が明るくなる。
 ならば善は急げである。これを逃したら食堂に入ってしまう。今が勝負時だ。
 そう思い、アナスタシアは口を開き、そして――――

「あの!」
「あの!」

 ――――フランツと同じタイミングで声をかけた。
 思わず二人は固まって無言になる。

「ぶっ……」
「うくく……」

 一瞬静かになった時、別の方向から笑いをこらえる声が聞こえた。
 シズとアレンジーナだ。二人は肩を震わせている。

「……シズさん?」
「……アレンジーナ?」

 アナスタシアとフランツが揃って怪訝な目を向ければ、もうダメだと言わんばかりに二人は噴き出した。

「ご、ごめ……あははは……いや、ごめん、だって、まったく同じ顔で考え事してたから……!」
「それで同じタイミングで話しかけるもんですから、いやぁ、もう……! あっははは!」

 そうしてシズとアレンジーナは腹を抱えて笑い出す。
 アナスタシアとフランツは「うう……」と唸って顔を赤くしていたが、つられて笑ってしまった。

「そう言えば、料理長の――ハンスが戻ってきたんだな」
「はい。ローランドさんが来て少し後くらいですね」
「……そうか、懐かしいな。料理人が違うと、全く味が変わる事を、お祖父様のお屋敷で知った」

 フランツはぽつりとそう言った。
 そう言えばとアナスタシアは思い出す。ローランドから聞いたが、フランツは今、他の兄弟達と共にベネディクトの屋敷で生活しているらしい。
 アレンジーナもフランツの言葉に「そうですねぇ」と頷いた。

「ベネディクト様のお屋敷で出る料理も美味しいんですけどね。味付けがベネディクト様の好みに合わせられたものですから、やっぱりちょっと違うんですよ。あたしはハンスさんの料理の方が好きですね」
「ああ。僕もハンスの料理の方が好きだ。……好きだと、ようやく気が付いた。そういう風に作ってくれていたのだな」

 目を伏せるフランツの言葉には後悔が滲んでいた。

「せっかく僕達のために作ってくれていた料理を、僕はずっと無駄にしていた。……ここにいた時に、もっと早く気が付けば良かった」
「十三年で気づいたのなら、早いのではないでしょうか? ねぇシズさん」
「そうだねぇ。フランツ様はまだ十三歳でしょう? まだまだ仕切り直すには十分すぎる年齢だと思いますよ」

 そんなフランツにアナスタシアとシズはけろりとそう言った。
 意外な返答にフランツは「え?」と目を丸くする。

「いや、それはそうだが……」
「でしょう? それにハンスさんの料理を食べる機会は、まだまだこれからもありますよ」
「それはないだろう。僕はもうここへ戻る事はないだろうし……」
「はて。兄様の家はここでしょう? 絶対に戻らないとか戻れないとか、そんな事はないと思いますけれど」

 元々この屋敷はレイヴン伯爵領を治める領主が住む屋敷である。
 領主やその関係者でなくなったなら出ていく必要があるが、今のところはアナスタシアが住む事を許されている。
 これから先どうなるかは分からないが、もしアナスタシアが領主を継いだ場合はフランツは親族だ。ならば関係次第で戻る機会は幾らでもあるだろう。
 アナスタシアがそう言うと、フランツはどう反応したら良いのか困った顔になった。そして助けを求める様にアレンジーナに視線を向ける。

「アレンジーナ……」
「坊ちゃん。先ほどシズさんが言ったでしょう? 仕切り直すには十分すぎる年齢だって。どうなるかは坊ちゃん次第です。良くも悪くもね」
「僕次第……」
「まー、あたしは坊ちゃんの従者ですからね! どう転がってもついていきますけれど!」

 笑ってアレンジーナは胸を叩く。フランツは少し笑った。
 きっと良い主従関係を築いているのだろう。ほっこりとした気持ちになって、アナスタシアは微笑む。

「……あ、でも、それは私もですね。出来ればずっとここにいたいですけれど、領主になれなければ出ていく事になるでしょうし」
「もしもの時はうちへおいでよ、歓迎するよ!」
「あの時の言葉はまだ有効期間ですか、シズさん!」
「もちろん!」

 両手を広げて歓迎を示すシズと、嬉しそうに声を弾ませるアナスタシア。
 二人の話を聞いて、アレンジーナが思わずと言った様子で再び噴出した。

「あっはっは。いやーそれにしても、お二人とも仲が良ろしいんですねぇ」
「はい、仲良しです。友達なんですよ!」
「いや待てアナスタシア。護衛騎士と友達にはなれぬだろう?」
「でもなれたから良いのでは? なれないと決めた人はおりませんし」
「それはそうだが、こう……。ううむ、会話とはこんなに難しいものだったか?」

 アナスタシアのスッパリした様子にフランツは頭を抱える。最初に出会った時と比べて、アナスタシアへの態度はだいぶ丸くなっていた。
 シズは明るく笑うと、

「ハハハ。でも、俺にあるくらいなんですから、フランツ様にも可能性はあるでしょう?」
「今更、どんな顔をして……」
「どのつらも何も、今その面を下げて来ているのでは?」
「いやつらとは……会話とはこんなに殴り合いだったか?」

 思わずフランツが半眼になった。
 その様子がおかしかったのか、アナスタシアはくすくす笑う。

「フフ。でも、時間が経てば変わるものがありますよ。例えば発酵もそうです。パンが出来ます」
「誉め言葉かどうか悩むが、使い方が間違っている事だけは分かる」
「なんと」

 アナスタシアがおどけたように言うと、フランツも小さく笑った。

「フフ……ハハハッ。もう、何なのだ、お前は」
「何と仰られまいても、今も昔もアナスタシアです」
「そうだったな。……そうだったんだ、本当に。……僕はずっと、お前に酷い事ばかりしてきた。お前だけじゃない、使用人達にもだ。本当に、どんな神経でここへ来たんだと思われても仕方がない」

 フランツが真っ直ぐにアナスタシアを見る。

「謝って許される事ではないとは分かっている。だが、すまなかった、本当に」
「はい、受け取りました」
「さ、先ほどもそうだが、そんなに簡単に……」
「先ほども今も、簡単ではありませんでしたよ。もちろん私だって、昔の兄様は好きではありません。でも今の兄様はちゃんと話をして下さいます。……それに私も、寂しくてどうしようもない気持ちは分かります」

 アナスタシアがそう言うと、フランツは言葉に詰まった。
 そんなフランツに向けて、アナスタシアは話を続ける。

「兄様が良いのなら、少しずつで構いませんので、お話をして頂けると嬉しいです」
「…………」

 フランツは数回瞬きしたあと、少し泣きそうな顔になる。
 そして慌てて服の袖で目をこすると、

「僕も……僕も、少しずつで構わないから、話を……して貰えると、嬉しい」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしく頼む」

 少し照れくさそうにアナスタシアとフランツは笑い合う。
 そんな二人を、シズやアレンジーナ達は微笑ましそうに見ていた。

 そうしている内に、四人は食堂へと辿り着く。
 両開きの扉の向こうは不思議と静かだ。
 あれ、とアナスタシアが首を傾げていると、シズが前に出た。そしてそのドアを軽く二回ノックする。

「シズさん?」

 いつもはしない行動だ。どうしたのだろう、とアナスタシアが声をかければ、彼はとても優しい笑顔で振り返る。
 それから紳士がするように胸に手を当て、恭しく礼をし、そして。

「さあ、どうぞ。――――レディ」

 そう言って、食堂の扉を大きく開いた。

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