馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
4-14 やれるものは、やるべきだ
アナスタシアはシズとミューレと共に氷の階段を駆け上がる。
劇場を越えて、高く、高く。青く輝くそれを一段ずつ登っていく。
「二人とも滑りやすいから気をつけてね」
「大丈夫です、シーホースさんの背と似た感じですゆえ!」
「比較対象がよく分からないね!?」
シズのツッコミが飛ぶ。そうだろうか、これ以上ない例えだと思うのだが。
賛同を求めてミューレを見れば、彼女も不可解そうな顔をしていた。
おかしい、こんなはずでは。
ガーン、
とアナスタシアが軽くショックを受けていると、ざわざわとした人の声が耳に届いた。
ずっと下の方だ。ちらりと視線を向ければ、領都の人々が「何だ何だ」と集まっている姿が見える。
それはそうだ。突然クロック劇場の天井を突き破って氷の塔が建てば、気にならないという方が難しい。
「みんな、見ているね」
「ですねぇ。これ、さすがに目立ちますから」
「この分だと時計塔より上に行くかもしれないね。二人とも、高い所は大丈夫?」
「はい、平気です!」
「も、もちろん!」
アナスタシアは力強く、ミューレは僅かに声が震えたが、そう答える。
まぁアナスタシアもあまり高いとどうなるかは、体験した事がないので分からないが、とりあえず下を見なければ大丈夫だろう。
ミューレはともかく、アナスタシアは基本的に図太いのだ。よほどの事がなければ慌てたりはしない。
(むしろ、慌てて足を滑らせる方が危なそうですね)
何といっても、今アナスタシア達は、手すりのない氷の塔を駆け上がっているのだ。
階段の横幅自体はしっかり余裕があるが、足場のない場所へ滑り落ちたらひとたまりもない。
滑らないように、落ちないように、下を見ないように。
その三点に注意しながら、アナスタシア達は氷の塔を登る。
そうして、しばらくして。
三人はようやく頂上に辿り着いた。
頂上は幅こそ塔の大きさと同じだが、天井部分は半円型になっている。
透けたそこから、冬の日差しが差し込んでいた。
キラキラ、キラキラと。
場違いなほどに美しいそこでは、フローズンホースが唸っている。
『苦しい、苦しい、止まらない、苦しい……! 止めて、止めて……!』
痛々しい声がアナスタシアとシズの耳に届く。
苦しむ氷の馬の背には『ユイル』が変わらず跨っていた。
「おや、意外と早かったですね。フフ、しかしまぁ、首無し騎士殿が来ないのは意外ですねぇ。せっかく、敢えて氷を使ってあげたのに」
冷めた目で『ユイル』は言う。
だが直ぐに「まぁいいか」と手を広げた。
「やる事も、結果も変わりませんし。――――さあ、フローズンホース、やりなさい」
『ユイル』が握る光の鎖が強く輝きを放ち始める。
フローズンホースは喉を反らせた。
すると周囲から光が集まり始め、目の前に小さな氷の馬達がずらりと現れた。
無理やり魔法を使わせているのだ。
氷の馬達は直ぐにアナスタシア達目掛けて襲い掛かって来る。
「二人とも下がってて」
シズは短くそう言うと剣を抜き、氷の馬達を薙ぎ払う。
その硬度は劇場内で遭遇したものと同じか、それよりも脆いくらいだ。
しかし数はその比ではない。
倒した後からどんどん湧いてくるのだ。
一体一体は弱くても、こう数が多いと近づき辛い。しかもアナスタシア達を庇いつつである。
じりじりとした動きでシズは前へと進む。
その中でアナスタシアは冷静に、氷の馬達の様子を観察する。
一体倒せばまた一体生まれる。
戦いの流れを見ていたら、ある事に気が付いた。
「…………絶対数は変わっていない?」
そう。無限に湧いているかのように見えて、最初に出した数以上は現れていないように感じられた。
恐らく今のフローズンホースが出せる限度が、この数なのだ。
それが分かれば話は早い。
アナスタシアはスカートのポケットから、白いボールを複数取り出した。その幾つかをミューレに差し出す。
「ミューレさん、これ投げるの手伝ってもらえますか?」
「いいよ。……これは何?」
「『トリモチ』です。馬の皆に聞いた、東の領地の食べ物を参考にしました。護身用なんですけどね。こういう風に使うんです!」
言うが早いか、アナスタシアは『トリモチ』を、生まれたばかりの氷の馬に投げつけた。
『トリモチ』のボールは真っ直ぐに飛び、コツン、とぶつかる。
次の瞬間、ボールは、
パンッ、
と軽い音を立てて弾けて、マントくらいの大きさに膨れ上がった。
それだけけでなく、馬達の体ににべっとりとまとわりつく。
「は?」
間抜けな声を出して『ユイル』は目を剥く。
『トリモチ』が当たった馬達は、まとわりついたそれから逃げようと、必死で暴れている。しかし動けば動くほど酷くなる。
それもそのはず。まとわりつかせたその物質は、粘着性が強い素材で出来ている。
まともにくらえば、碌に体を動かす事ができなくなるほどに。
ミューレもそれを見て『トリモチ』をどんどん投げる。一体、二体と、氷の馬達の数はどんどん減って行った。
それを見てシズがニッと笑う。
「また使い勝手が良さそうなもの考えたね!」
「フフ、ちなみにちょっとした仕掛けもありますよ。ここでは役に立ちませんけどね! 続いて――――シズさん、行きます!」
「了解っ!」
アナスタシアは、今度は『風の扇』を手に持ち振り上げて、加減しながら振り下ろす。
途端に『風の扇』から突風が発生する。
「――――ッ!」
その突風に『ユイル』の体が浮かび上がった。
手は鎖を握っている。しかし、隙が出来た。
シズはそれを見逃さない。
背後から吹く風を利用し、一気に距離を詰める。
そして「ふっ」と鋭く息を吐き、その剣を鎖を掴んだ『ユイル』の腕側の肩から斜めに振り下ろした。
氷が割れる音が響く。
その断面は氷。やはり生身ではない。
しかしどういうわけか『ユイル』は苦痛に顔を歪めていた。
だが『ユイル』もやられっぱなしではない。
シズが与えた傷口から、氷を槍の様に発生させたのだ。
幾本もの氷の槍がシズに向かって伸びる。
「遅い」
けれどシズの方が上手だった。
『ユイル』の体に刺さったままの剣を利用し、力任せに振り回し、彼の体を氷の床に叩きつける!
ヒビが入る音が響いた。
その瞬間フローズンホースは、糸が切れた人形のように蹲った。
「――――魔力の繋がりが」
切れかかっているのかもしれない。
アナスタシアは咄嗟に螢晶石を作り出し、捏ねて『空色の液体』に変化させた。
これはアクアベールの媒介に使う薬品――――『空の雫』だ。
アクアベールは、ロンドウィック村でローランドが使って見せた水の膜を張る魔法だ。
主に毒物に使用されるが、呪いに対処するにも一定の効果があるものだ。
魔法による使役とは、感嘆に言えば相手を魔力で縛り付けるものだ。
フローズンホースの体に巻き付いている光の鎖がそうである。
それを遮断するにはどうするか、それを考えて浮かんだのがアクアベールである。
アクアベールは呪いにも一定の効果を持つ。
呪いだって魔力を使って出来るものだ。ならば似たようなことは可能ではないか?
アナスタシアはそう考えたのだ。
しかしアナスタシアはアクアベールの魔法について習っていない。そもそも魔法だってまだ全然だ。
アクアベールの魔法を見たのだって、ローランドのあの時の一度である。うろ覚えだ。
でも。
やれるものは、やるべきだ。
両手に『空の雫』を乗せて、必死で記憶を辿り、アナスタシアは呪文を唱える。
あちこち言葉は間違っているし、魔力の分配だってチグハグだ。
けれど――――意味だけは通じるように繋げた。曖昧な部分に文章と言葉を必死で当てはめる。
すると空色の液体が霧状――やや凸凹しているが――になりながら浮かび上がり始めた。
それはフローズンホースに覆いかぶさる。
『ユイル』の表情が驚愕のものに変わる。彼は自身の手を見て、そして、
「――――ハ、やられた」
と卑屈に笑った。
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