馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
4-13 其方らが羨ましい
氷の塔が建った直ぐに、ホロウ達も駆けつけてきた。
氷漬けにされた扉は、ホロウが魔法で干渉して脆くした後、蹴破ったらしい。
控室に飛び込んだホロウは、直ぐに状況を把握した。
体の半分が氷漬けになったユイルの容体を診て、苦い声を出す。
「……これは吾輩では駄目だな。緩和する事は出来るが、根本的な解決にはならない。フローズンホース自身に解かせる必要がある」
「なるほど、となると……」
アナスタシアは空を見上げた。天に向かって高く伸びた氷の塔。恐らくその頂上付近に、小さく『ユイル』とフローズンホースの姿が見えた。
「あの子は苦しいと言っていました」
「これだけの魔力を無理やり消費させられたのでしょう。魔力が枯渇しかけているのだと思います。あの分だと死ぬまで続けさせられるでしょうな。――――酷い事をする」
アナスタシアと同じように空を見上げてホロウは言う。
それから少しだけ間を空けて「かわいそうだが、一度、倒すしかありますまい」と言った。
「魔力が枯渇すれば、氷水晶になる事も叶わない。受け継いできた記憶もそこで途切れてしまう。倒して氷水晶に変化させれば、また次へ繋げることが出来る。もしくは術者に魔法を解かせるか、ですが――――」
あの『ユイル』がそれを承諾する保証はない。
恐らく倒す方が確実な手段だろう。ホロウの言わんとした言葉を理解して、アナスタシアは小さく頷いた。
「…………分かりました。ホロウさん、あそこまで道を作れますか?」
「可能ですが……やはり行かれますか、アナスタシア殿」
「もちろんです、だって馬のことですからね! それに……」
言いかけて、アナスタシアはミューレ達を見た。
「領民を守るのは、レイヴン伯爵家の人間である私の役割です」
「――――」
アナスタシアの言葉にヒンメルが息を呑んだ。
今はちっぽけで弱い自分だって、無力ではない。幾らでもやりようはあるのだ。
アナスタシアは拳を握る。
「そもそも原因はうちのごたごただと思いますので。ホロウさんはここで皆さんを守っていてください」
「……相分かった! シズ、しっかりお守りするのだぞ!」
「ああ、もちろんだ!」
「良い返事だ!」
ホロウは笑ってそう言うと、背中の槍を手で持った。そして空高く突き上げる。
冷気をはらんだ魔力が氷の塔を覆い出す。
次の瞬間、青く光る階段が現れた。
まるで螺旋階段のように、氷の塔をぐるりと周り、空へと続いている。
「行きましょう、シズさん!」
「待って、アナスタシア! 私にも出来る事はある?」
階段に片足を乗せた時、ミューレに呼び止められた。
「ユイルの姿を勝手に使って、ヴァッサーにこんな事をして……私達の事情を好き勝手に解釈して、関係ない人達を巻き込んだあいつを許せない!」
「ミューレ……」
激高する彼女の肩をヒンメルは掴む。止めようとしているようだ。
しかしミューレはその手を振り払う。
「座長、これは私達の問題でもあるんだよ! だって、私達は……」
ミューレはぐっと唇を噛む。
「……信用できないかもしれない。でも出来る事があるなら、私にも手伝わせて欲しい」
そう言って顔を上げたミューレの目は、舞台を見つめていた時の眼差しと同じだった。
夢と決意を語っていた、あの真剣な瞳だ。
だからアナスタシアは逆に聞き返す。
「ミューレさんは、レイヴン伯爵家の人間を――――私を信用してくれますか?」
「信じるよ。だってあなたはアナスタシアだもの。私はレイヴン伯爵家のアナスタシアをまだ少ししか知らない。でも過去のお貴族様はあなたじゃない! あなたは私達を助けようとしてくれた!」
即答だった。
迷いのない声に、アナスタシアはローランドの言葉を思い出した。
『過去は過去だ。遡る事は出来ない。大事なのはこれからだ』
過去は過去。遡って過ちを止めたくても、止める事は出来ない。
ならどうやって償えば良いのか、アナスタシアには分からなかった。
だけど今、ミューレの言葉で分かった気がした。
アナスタシアは大きく頷く。
「ちょうど良い道具があります! 手伝ってくれますか?」
「もちろん!」
「ハハ。でも二人とも、俺より前に出たら危ないからダメだよ!」
「はい!」
「うん!」
シズの言葉に元気に答えると、三人は氷の階段を駆け上り始めた。
◇
ヒンメルは呆然とした様子でそれを見上げていた。
「…………あたし達の過去の事を知っても、動いてくれるのね、あの子は」
ぽつりと、そう呟く。
「そうだな。そういう性分の方だ」
ホロウの言葉に、ヒンメルは目を伏せる。
「……あたし達が釈放された後も、領主様達は結局、どんどん酷くなって行ったわ。世代が変わっても一緒。だからその血を引く子供が、どんなものかと思っていたのよ。……でもあの子は優しい子だったわ」
「優しい事には同意するが、ああ見えてアナスタシア殿はとんでもない頑固者だ。柔軟ではあるがな。吾輩が仲間に合わせる顔がないと言ったら『だって面がないでしょう』と返って来たものだ」
「お嬢様が『面』って」
意外な言葉だったのだろう。ヒンメルは思わず噴き出した。
ホロウはフフ、と笑うと、
「理不尽を理不尽のままにしない方だ。今のこの国もそうだ。助けを求める声がちゃんと届く。――――吾輩は、其方らが羨ましい」
失った故郷の事を思い出しているかのようにそう言って、空を見上げる。
「過去は変わらぬ。だが未来は変わる。あの方を見ていると、そう思えるよ。ミューレ嬢もな。其方らもそうだろう? まだ諦めていないから、こうして再び立ち上がったのだろう」
「そんなに立派なものじゃないわ。……実際に、あたしは諦めようと思っていたのよ」
だけど、とヒンメルは呟く。
「……ミューレと、ヴァッサーがね、二人で演劇をしていたの。誰もが知っているおとぎ話よ。悪者がみんなを困らせていました。それを一人の若者がやっつけて助けたのです。めでたしめでたし」
「…………」
「それを見て、思い出した。――――人の心を動かすのは、怒りや憤りだけじゃないって。明るい世界を望むなら、暗いものばかり見せていてはだめだって」
ヒンメルは再び顔を上げ、空を見る。
氷の塔を上る三人の姿はあっと言う間に小さくなっていた。
「めでたし、めでたし。そういう世の中になって欲しい。だからあの子達を誘って、もう一度始めたの。そうしたら不思議よね、ユイル達仲間も増えて、あんた達に出会って。本当に見えるかもしれないって思ったわ。まだまだ全然、遠いのにね」
過去は過去だ。遡る事はできない。
しかし、とホロウは思う。
ホロウも昔ならば、未来の事など考えていなかった。
だがここへ来て、アナスタシア達に出会って変わった。
「未来ならば、如何様にも」
首無しでも――面がなくとも、未来は見えるのだと。
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