馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

4-6 この一座になって五年目だから


 少しして。
 アナスタシア達は着替え終えたミューレに、客席へと案内して貰っていた。
 チケットに記載されていた席ではなく、通されたのは関係者席だった。舞台が良く見える席だ。
 今日のお礼に、とのヒンメルの計らいで、ここで見せてくれるらしい。

「何だか逆に申し訳ないです」
「いいの。チケットだって、ちゃんとあるんだから」

 アナスタシアの言葉にミューレは笑った。
 そんな彼女もまた、準備を整えて綺麗な衣装を身に纏っている。
 白を基調とした動きやすそうなドレスで、額には赤い石の飾りをつけていた。

 今回の演目『王の騎士と聖なる馬』で彼女は、聖なる馬――アーサー・レイヴンの相棒のフランシュペーアを演じるらしい。
 史実によると、フランシュペーアは宝石のような赤い瞳をした、美しい白馬だったそうだ。
 正直に言うとアナスタシアの興味の比重はフランシュペーアに傾いているので、ミューレがどんな風に演じるのかとワクワクしていたりする。

「それにしても、あなたがレイヴン伯爵家のお嬢様だったって聞いた時は驚いたな。……本当に、口調はこのままで良いの?」
「はい、大丈夫です。その方が嬉しいですし」
「公の場ではありませんからな」

 アナスタシアが頷くとホロウもそう答えた。
 もちろん厳密に言えば大丈夫かどうかは微妙な話である。ここだけではなく、ヴァルテール孤児院だってそうだ。
 アナスタシアだからこそイエスであって、他の貴族であったらノーと言われるだろう。
 嬉しいとか、嬉しくないとか、そういう感情は別の話となってしまう部分だ。
 この辺りの匙加減はローランドも少し悩んでいるようだが、今のところは公の場でしっかりしていれば良いか、となっている。

「お貴族様って、もっと偉ぶってて嫌な奴だと思ってた。二年くらい前に、ここで公演した時も酷かったんだ」
「二年前?」
「うん。ちょうど見に来ていた中にお貴族様がいてね。碌な演者がいないなとか、粗末な衣装だとか色々言われたよ」
「それは身分以前に人としてどうかってレベルだねぇ。マナーが悪い」

 ミューレの話に、シズも苦い顔でそう言った。

「その子の従者が『これで少しはマシな物を食べさせてやったらどうだ? と、我が主が言っていましたよ。はい、良かったですねぇ』ってお金を投げつけてきた時は、座長すっごく怒って突き返してたなぁ。お金を粗末にするんじゃないって」
「……ん?」

 ふと、アナスタシアは首を傾げた。
 ミューレの話に出てきた貴族と従者に、何となく覚えがある気がしたからだ。

「……ミューレさん、その子って子供でした?」
「うん。今のアナスタシアより年上だと思うよ」
「従者の顔って覚えていますか?」
「二年前だからはっきりとは……あ、でも、確か眼鏡は掛けてたかな。黒髪で」
「それは……」

 アナスタシアが何とも言えない顔になった。

「恐らく、その人は兄様かと」
「え? フランツ様?」
「いえ、一番上のガラート兄様です。ヴィットーレさん……兄様の従者の方と特徴が合っています」

 そう言ってアナスタシアは頬に手を当てた。
 ガラートと言うのはレイヴン伯爵家の長男だ。アナスタシアより六つ年上で、今は十六歳になる。
 容姿は父レイモンドに良く似ており、第一夫人のエレインワースから赤毛と黒色の目を受け継いでいる。長男である以外に、その容姿の事からもエレインワースにはとても大事にされていた。
 レイヴン伯爵家の騒動がなければ、次期レイヴン伯爵はガラートだっただろう。
 そんな彼の従者を務めているのが話に出たヴィットーレという男である。

 フルネームはヴィットーレ・ヴュルガー。長男の従者であり、他の従者達をまとめる存在だった。
 とは言え、性格はお世辞にも良いとは言えず、三男フランツの従者であるアレンジーナとはすこぶる仲が悪かった。
 ちなみにアナスタシアの父もヴィットーレの話になると決まって苦い顔で「任せた仕事は完璧にこなすが性分に問題がある」と言っていた。
 それでもガラートへの忠誠心はある様子で、相性も悪くなかったため、解雇される事なく仕えている。
 アナスタシアも彼と会話をした事があるが「親しみやすさを装って、全力でぶん殴って来る」という印象を受けた。その時に「性分に問題があるとはこういう事か」と納得したものだ。

 件の人物がガラートとヴィットーレかどうか。
 確実にそうとは言えないが、上げられた特徴が合致し過ぎているため、恐らくそうだろうなぁとアナスタシアは思う。
 だから申し訳なくなって、

「ミューレさん、その節は大変失礼しました」

 と謝ると、ミューレはぎょっとした様子で首を横に振った。

「何であなたが謝るの。アナスタシアが何かしたわけじゃないよ」
「ですがうちの家族がやった事です。そうでなくとも、レイヴン伯爵領の貴族が行った事。それは領主の子である私の責任でもあります。……申し訳ありません」

 アナスタシアの言葉にミューレは目を丸くする。
 それから頬をかいて、ちょっと苦笑気味に、

「……アナスタシアみたいな貴族も、いたんだね」
「変わっているという自覚はあります。貴族っぽくない事も含めて」
「ううん、そういうのじゃないよ。……私達もっと早く、あなたみたいな貴族に会いたかったなって」

 ほっとしたような、驚いたような。
 それでいて優しい響きを持った声だった。

「私達ね、この一座になって、、、、今日で五年目なんだ」
「なって、ですか」
「そう。元はね、違う劇団だったんだ。それが一度解散して、今のミステル一座になったの」

 話しながらミューレは舞台へ顔を向けた。
 灯りに照らされたそこではちょうど、座長のヒンメルがヴァッサーとユイルを呼んで何か話をしているところだった。恐らく今日の配役についてだろう。

「ミューレさんはその時から一緒に?」
「うん。私、歌だけは好きでよく歌っていたから。ヴァッサーと一緒に……あ、幼馴染なんだけどね。二人とも舞台が好きで。劇の真似事をしていたら、それを見た座長が一緒にやらないかって誘ってくれたんだよ」

 ミューレの目は光りに照らされてキラキラと輝いていた。
 黒い瞳に星が宿っているようで、まるで夜空みたいだとアナスタシアは思った。
 ミューレはフフ、と微笑む。

「あの時は嬉しかったな……。自分の好きなものを、座長は褒めてくれて。勉強も、生きていく上で必要な技術も、全部座長が教えてくれた」

 だから、とミューレは膝の上に置いた手で拳を作る。

「……私、座長に恩返しがしたいんだ。やっとここまで大きくなって、皆がミステル一座の事を知ってくれるようになって。五年目の今日の公演、絶対に成功させたい」

 その言葉や声から、ミューレにとって今日が、どれだけ大事な日なのかが伝わってくる。
 アナスタシアも観劇自体は楽しみだった。
 けれどそれ以上に、彼女の真剣な気持ちが伝わってきて、心の底から「見てみたい」と思ったのだ。

「ミューレさん」

 月並みな言葉だが「楽しみにしています」と伝えようとした時、

「納得がいかない! どうしてヴァッサーが主役なんだい!?」

 ホールにユイルの大声が響き渡った。

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