馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
4-3 クロック劇場にて
レイヴン伯爵領・領都クロックボーゲンは時計塔の街とも呼ばれている。
この時計塔は、ここが領都となるよりずっと昔、初代領主アーサー・レイヴンが建てたものだとされていた。
さて、その時計塔だが、ここ領都の中央に立っている。
単純に並びを説明すれば、門・時計塔・領主の館、という形だ。
そしてそれらを繋ぐ通りは 時告げの大通りと呼ばれている。
今回、アナスタシアがガースから貰った観劇のチケット――ミステル一座の公演は、その大通り添いにある建物で行われる。
その名をクロック劇場と言い、ここが領都となった時に記念に建てられたものだった。
クロック劇場は左右対称の美しい白亜の建物で、入り口に建つ柱には天馬に乗った女性の姿が彫られている。
知識を司る星、翡翠の星だ。
「わあ……!」
それを見てアナスタシアは感嘆の声を上げた。
柱に彫られた馬はもちろんの事、クロック劇場の外観も素晴らしかったからである。
ここへ来たのは初めてだが、アナスタシアは両親から、ここでデートをしたらしいという話は聞いたことがあった。
興味津々に見ていると、入り口近くに『ミステル一座』と書かれた看板が掲げられている事に気が付く。
「ミステル一座は、領都で結成した劇団なんだよ。確か五年くらい前だったかなぁ」
シズがそう教えてくれた。
五年前と聞いて、アナスタシアは先日の古新聞の記事を思い出した。ネモ劇団が処罰されたのも、確かそのくらいだったはずだ。
(何ごともなければ今も、あの劇団の人達はこうして公演をしていたのかな……)
少し、苦い気持ちが胸に広がる。
そんな事を思いながら看板をじっと見ていると、
『アナスタシア殿、どうされましたか?』
と、首無し馬コシュタ・バワーに呼び掛けられた。
実はホロウが観劇に行くと聞いて、彼もついて来たのである。
残念ながら馬は劇場内へは入れないのだが、その辺りは承知の上だ。コシュタ・バワー曰く『主が嬉しそうな姿を見守りたい』との事だ。
ちなみにコシュタ・バワーはユニコーンのユニも誘っていた。しかし彼女からは『コシュタ・バワーとホロウが行くなら行かない』とすげなく断られたらしい。
やけに辛辣なお断りの言葉だったので、それとなく理由を聞いたところ、どうやら彼女達がホロウの故郷ブランロック村――ユニはさらに北の森だが――へ里帰りした時の道中に色々あったらしい。
ユニはうんざりした様子で『あの二人にはまともな恋愛小説か、それを忘れるくらいのめり込むような推理小説を読ませてあげると良いと思う』などと言っていた。
まぁ、それはともかくとして。
ユニへの恋心が絡まなければまともで紳士的な首無し馬は、ぼうっとしていたアナスタシアを心配してくれたようだ。
アナスタシアは慌てて首を降ってから、柱に手を向ける。
「いえ、この彫刻が綺麗だなぁと思いまして」
『ああ! 確かに素晴らしいですね』
若干、誤魔化した感じになってしまったが、コシュタ・バワーは特にどうとは思わなかったようだ。
アナスタシアの言葉に同意して、それから彼は周囲を確認するように体を動かす。
『しかし、受付はまだ始まっていないみたいですね』
コシュタ・バワーが言った通り、劇場の前に受付用のテーブルはあっても人はいない。
少々早過ぎたようだ。シズも時計塔を見上げ、
「出来るだけ時間が欲しいって言われたけど、さすがに早かったか」
「うむ、そうだなぁ」
ホロウと揃ってそんな事を言っている。
アナスタシアは首を傾げた。
「何か時間が必要な事があるのですか?」
『あっあ~、ええと……! そう、観劇にはお茶がセットなのですよ、アナスタシア殿』
「そうなんですか?」
それは聞いた事がなかった。
しかし考えてみれば確かに、両親は観劇の後にお茶を飲んでいたとは言っていた気がする。
今回に限っては逆だが、それはそれで良いのかもしれない。
「つまり、これは観劇のマナー……!」
『あ、い、いえ……ロ、ローカルルール! ローカルルール的なあれですので、一般的ではありませんが!』
アナスタシアが納得しかけると、コシュタ・バワーは大慌てで訂正した。
他の二人も焦った様子である。
……何だがちょっと怪しい。さすがにアナスタシアもそう思った。
「ま、まぁそれはそれとして! アナスタシアちゃん、時間潰しって意味でも、どこかでお茶でも飲む?」
強引な話の反らし方ではあったものの、それはそれで楽しそうだ。
そう思ったのでアナスタシアが「行きたいです!」と言っていると、
『それでしたら、良いカフェを知っています。なかなかの穴場ですよ』
なんてコシュタ・バワーが言い出した。
首無し馬の提案に、ホロウは意外そうな様子で、
「若干の不安を感じるが、どこなのだコシュタ・バワー?」
と聞き返した。馬の感覚で良いカフェと言うのだ。その気持ちは分からないでもない。
アナスタシアとシズもどんな場所だろうと思っていると、
『恋のグレイブヤードという名前のカフェです』
という答えが返ってきた。
グレイブヤード。つまり、墓場である。喫茶店に恋の墓場なんて、何を捻ってつけた名前なのだろうか。
するとそのカフェを知っていたらしいシズが、ひく、とが頬を引き攣らせる。
「いやそこ、失恋した奴とか、何かに失敗して落ち込んだ奴が行くカフェ……」
やはり名前の通り不穏だった。
「それは経営が成り立っているので?」
「まぁ、需要はありそうですが……コシュタ・バワー、其方、本当にそれで良いのか」
『何がです?』
主の心配そうな言葉に、きょとんとした様子で聞き返すコシュタ・バワー。
何が、ではないのだが。ユニに恋をしているコシュタ・バワーが行くのは、さすがにどうかと思うのだが、彼は気にしていないようだ。
ジンクスは気にしない性分なのか、その辺りは分からないが深くは聞かない方が良いだろう。
「うーん、確かに近いけど……さすがにちょっとなぁ……」
「吾輩もこれには賛同出来かねるぞコシュタ・バワー」
そう大人二人が悩んでいると、
「お前、もう一度言ってみろ!」
「ご希望なら何度でも?」
なんて、どこからか言い争う声が聞こえてきた。
男性の声だ。ずいぶんと険悪そうな様子である。
場所はクロック劇場の裏手のようだ。アナスタシア達が様子を見に行くと、そこでは眼鏡の男性と金髪の男性が言い争っていた。
「相ッ変わらず地味な演技だよねぇ、ヴァッサーは。だから主役を取れないんだよ? ほら、華がないって言うかさぁ」
「煩い。お前こそ、無駄な動きが多すぎる。大体、何だあのアドリブは? 周りが合わせられないようなアドリブなんて、ただの暴走だぞ、ユイル」
「アッハッハ! 僕のレべルに追いつけない周りが悪いのサ!」
ヴァッサーと呼ばれた方が眼鏡、ユイルと呼ばれた方が金髪のようだ。
演技、主役、アドリブ。その辺りの言葉と、今いる場所を総合して考えると、恐らく彼らはミステル一座の劇団員なのだろう。
「大体この一座は、僕とミューレのおかげで成り立っているようなものじゃないか。感謝して、もっと努力すべきだと思わないかい?」
「過信し過ぎだろう、金食い虫が。まぁお前はともかく、ミューレが素晴らしいのは事実だが」
ユイルの言葉に、ヴァッサーは呆れたようにそう言って眼鏡を押し上げる。
「それにお前、ミューレミューレと言っておいて、この街でも別の美人と懇意にしているそうじゃないか?」
「ファンを大事にするのは当然だろう? 別にあの人とはそういう不純な関係じゃないさ。ただ話をしているだけじゃないか」
「夜に二人っきりで会うのが、不純ではないと?」
「ああ、それの何が問題なんだい? 嫌だねぇ、そういう目でしか見られない視野の狭い男はさ」
ユイルは両手を広げて、笑いながら首を振った。
やり取りから想像すると女性関係の話題のようだ。恋の話は難しいなぁなどとアナスタシアが思っていると、
「何だと!?」
「ハ、言葉のままだよ、怒ったかい?」
ついに二人は取っ組み合いの喧嘩を始めそうな勢いになった。
さすがに領都の真ん中で殴り合いの喧嘩は困る。
するとホロウが「ふむ、これはいかんな」と二人に近づいて行った。
「良い大人がこんな場所で取っ組み合いの喧嘩なんぞ、するもんではないぞ」
「何だよ、放っておいてく……」
ヴァッサーとユイルは睨むようにホロウを見上げる。
二人の視界に入る、恐らく予想外であろう首の無い大柄な騎士。
「ギャー!!」
二人は揃って叫び声を上げる。
それを聞いて、ホロウの相棒であるコシュタ・バワーは少々ムッとしたらしい。
彼の後ろからひょいと顔を出すような仕草で現れた。
『ちょっとあなた方、主を見て叫ぶとは失礼では?』
「ギャー!!!」
声こそ聞こえはしないが、驚いている所へ更に首の無い馬の登場である。
それがトドメになったらしい。
予想外と恐怖が掛け合わされ限界を迎えたらしいヴァッサーとユイルは、そのまま白目を剥いて気絶した。
そんな二人の声を聞いて集まって来た劇団員達が、首無し主従を見て再び叫ぶのは間もなくの事である。
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