馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

3-21 星に願いを

「シーサーペントだ! 総員、気を引き締めろ!」

 ウィリアムの号令が飛ぶ。
 緊迫した空気の中、アナスタシアはシーサーペントを見上げた。
 深い青の鱗を身にまとった巨大な海蛇は、目を爛々とさせ船に向かって牙をむき出しにする。

「あれがシーサーペント。初めて見ました」
「時化の船出にシーサーペント! まさにだねぇ」

 そう言いながら、シズは抱えたアナスタシアとガースを庇うように少し下がる。

「あのレベルの奴が、スタンピードだとわんさか出てくるんだ」
「なるほど。ちなみに生態などは?」
「基本的にエラ呼吸だから、ああして頭を出しても、定期的に海中に戻らなきゃならない。毒はないから、噛みつきや体当たり、巻き付き辺りが主な攻撃手段かな」
「なるほど。ヘビと言っても毒はないんですね」
「そうそう。それだけがラッキーだね」

 シズが安心させるように笑って見せると、アナスタシアもつられて笑う。
 そこへ指示を飛ばしつづけるウィリアムの補足が入る。

「ついでに深海育ちだから、熱には弱ぇぞ! 大砲撃ちまくれ!」
「なるほど! ガースさん、頑張って撃って下さい!」
「この揺れで無茶を言いますね!? 大体、命中率さらに悪くなりますよ!」
「シズさんがちゃんと守ってやるから頑張れ!」

 そう言ってシズはいったん剣をしまうと、アナスタシアを抱えたまま、ぎょっとするガースの服の背を掴む。
 さすがにこの揺れでは、二人が海へ落ちると判断したらしい。
 安定しない、と文句を言いながらも、ガースはクロスボウを撃ち続ける。そんなガースにアナスタシアは、火精石の矢を作っては渡し続ける。
 それを見てトリクシーは「何だか工房みたいね!」と評した。
 ひいひい息をしながら戦うガースは「こんなキツイ納期の工房はごめんですよ!」なんて言っていたが。

 船の大砲が、銛が、爆発する矢が。
 鱗の守りを貫いて、シーサーペントの体力を確実に削っていく。
 血を流し、ぐらりと揺れる体。しかしそれでもまだ、シーサーペントは倒れない。
 力を振り絞るように、シーサーペントは大きく仰け反った。反動をつけ、その巨躯を船にぶつけるつもりだ。

「玉は撃ち尽くしても良い! 手が空いてる奴は、何でも投げろ!」
「任せて! 得意だわ!」

 なんて言いながら、トリクシーは中身の入った酒瓶を、シーサーペントの顔めがけて投げる。
 細いながらも、さすがロープを伝ってマストに登ると言われるだけあって、なかなか腕力があるようだ。
 ガシャン、と割れた瓶からこぼれた酒が、シーサーペントの口に流れ込んだ。
 ウィリアムが「俺の秘蔵の!」なんて言った言葉は皆から黙殺された。何でも投げろと言ったのはウィリアムである。
 しかし、これは好機だ。
 東の方の領地では、無数の頭を持つ蛇や竜の危険種を、酔わせて退治したという逸話があるらしい。
 あの程度で酔うか分からないが、シーサーペントは突然口に流し込まれた液体に、苦しみ始めた。

「アレ、もしかしてリシュリー酒造の?」
「ええ。しかも結構、度数高い奴ですよ……って、うわ!」

 ちらりと見えたラベルにシズがそう言うと、ガースが頷く。
 しかし全部を言い切る前に、船が大きく揺れ出した。
 シーサーペントが暴れているのだ。酒に喉を焼かれたのか、苦し気な悲鳴を上げて体を捩っている。
 船の破壊は猶予が出来たが、逆に沈没の可能性が出てきた。
 アナスタシアはシズに抱えられたまま、良いアイデアがないか頭を捻る。

「浮力になるもの、浮力になるもの……浮いているのは星とか月……」
「確かに星は浮かんでいますけれども!」

 星なんて作れるわけないだろう、とガースが思いながら顔を上げる。

「――――あ」

 その時、ガースの目が一点で止まった。
 シーサーペントの背後。
 赤黒い雲で覆われた空の、僅かな切れ目。
 そこに白く輝く星が見えた。 
 それは、船乗りのめがみと慕われる、真珠の星パール・ステラだった。
 
かみさまにお願いすれば、いつかきっと叶うよ』

 かつてこの海都の孤児院で、ガースの恩人のイレーナはそう言って、夜空に向かって手を合わせていた。
 願い事は「叶うまで内緒」と教えては貰えなかったが、ガースも真似をして、手を合わせた覚えがある。
 あの頃、イレーナに促されて願ったものは何だっただろうか。

「…………かみさま

 ほぼ無意識に口が動き、掠れた声が漏れた。
 ガースは誰かに助けを求めたことなど、イレーナが亡くなってから一度もなかった。
 だって家族を自分が助けなければならなかったからだ。
 苦しかった。辛かった。けれど一度だって弱音を吐いたりしなかった。そんなものを一度でも言葉にすれば付け込まれるからだ。
 そんな自分にウィリアムも、ジャックもカレンも、手を差し伸べてくれた。
 何とか利益を出そうと、恩を返そうと焦って――気が付いたら全部に雁字搦めになって、馬鹿をやっていた。
 けれど。

『底があるだけマシでしょう』

 アナスタシアはそう言って、ガースにチャンスを提示してくれた。
 諦めるな、、、、と言ったのだ。
 ガースにとってアナスタシアはクソガキだという認識は変わらない。
 流れる血の半分は貴族で、変り者で、お花畑でクソガキで――イレーナのようにお人好し。
 だから。
 だから自分はこのクソガキを、、、、、、、、ここで死なせてはなら、、、、、、、、、、ない、、のだ。

「シズさん、しっかり押さえてて下さい!」

 ガースは怒鳴るようにそう言うと、シーサーペントに狙いをつける。
 矢はアナスタシアから受け取ったそれだ。
 矢の先の揺れ幅が減る。シズが歯を食いしばって、必死に堪えてくれている。
 アナスタシアもシズに協力するようにガースの服を掴む。
 ガースは瞬きする事も忘れ、食い入るようにシーサーペントを睨み、そして――――クロスボウを撃つ!

 放たれた矢は真っすぐにシーサーペントに飛び、その目に刺さる。
 そのとたんに爆発した。
 これにはシーサーペントもたまらないようで、断末魔のような叫び声を上げた後。その巨躯をゆらりと揺らし、海に向かって倒れ込んだ。
 倒れた衝撃で、海面が大きく揺れる。
 しかし船も乗組員達も何とか耐えきり、海水でずぶ濡れになりながらも、誰一人として落ちた者はいなかった。

 そこへ、流れ星のような光が、海都の方角から放たれた。
 祝祭の火だ。
 空にキラキラと光の軌跡を描きながら飛ぶ祝祭の火は、ちょうど船の真上近くで花開く。
 色とりどりの光の雨が、空一面に咲き誇ると、赤黒い雲が徐々に散り始めた。
 ああ、これが祝祭の火――花火なのか。その鮮やかさと迫力に、アナスタシアは目を奪われる。

「……やった」

 そんな中で、誰かがぽつりと呟いた。
 それからやや遅れて、あちこちで歓声が上がり始める。
 両手を振り上げ喜ぶもの、隣のものと肩を組んで笑いあう者。
 アナスタシアを降ろし、ガースから手を離したシズが、二人に向かって両の手のひらを向けてくる。
 ニッと笑うシズの意図を察知したアナスタシアは、同じように向けた手のひらで、ぱんっと軽快に打ち当てる。
 次いで向けられたガースは、照れくさそうな顔を必死で隠しながら、同じように鳴らして、そして。

「お疲れ様です!」
「お疲れ様ー!」
「……お疲れ様です」

 なんて言いながら、アナスタシアとも同じように、手を打ち当てて。
 肩の力が抜けたように、ふっと笑ったのだった。

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