馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
3-19 さす油がないのなら
「あの空の異常は、危険種の体内から漏れ出した過剰な魔力によるものです。その内、この辺りまで広がってきて、雷も落ちるでしょう」
そう話すヘルマンの言葉に、アナスタシアは空を見上げた。
確かに赤黒い雲は少しずつ広がっているようだった。
ヘルマンの言葉を信じるならば、海の底から危険種が上がってきている、という事になる。
「なるほど。雷が落ちれば、火事にもなりますね」
「はい」
アナスタシアがそう言うと、ヘルマンは頷いた。
そんな彼にフランツが怒鳴る。
「ヘルマン、どういう事だ!」
「どうもこうも。祝祭の火を打ち上げなかったのだから、こうなるのは当然でしょう?」
ヘルマンはしれっとそう答えた。役所で会った時と比べて、堂々とした態度だ。
そこまで話してからヘルマンは、カツカツと靴音高くフランツに近づく。そしてすれ違い様にその手からスッと鍵を奪った。
力づくではなく、掏るような動作である。
急に自分の手の中から鍵の感覚が消えたフランツは、目を白黒させていた。アレンジーナはそれを止める様子はなかった。
ヘルマンはそのままアナスタシアとローランドの前まで歩き、
「祝祭の砲台の準備は出来ています。スタンピードが完全に発生するまでにも、まだ少し猶予があります」
そして奪った鍵を胸に当て、深く頭を下げた。
「アナスタシア様、ローランド様。どうか祝祭の火を打ち上げるために、力を貸して頂けないでしょうか」
「其方……」
「大丈夫ですよ、ローランドさん。たぶんヘルマン町長は最初から、そういうつもりだったと思います」
「何?」
アナスタシアの言葉にローランドが目を丸くする。
同じく意外だったのだろう、思わずと言った様子でヘルマンも顔を上げた。
驚いた表情を浮かべるヘルマンに、アナスタシアは「そうでしょう?」と問いかける。
「アナスタシア様、いつから……」
「ウィリアムさんが乗っていた船の帆に、馬の絵が描かれていたのを見た時からですね」
「え?」
フフ、と笑うとアナスタシアは人差し指を立てる。
「この国は天馬に乗った星、翡翠の星が降り立った場所。天馬を帆に描いているのは国が保有する船を意味します。ウィリアムさんの乗っていた船は、上手く塗り替えてありましたけれど、少し透けて見えました」
ウィリアムの船に連れて行かれた時に見た、太陽に透けた海賊旗。アナスタシアにはあれが一瞬、馬の模様に見えた。
最初は見間違いかと思ったが、気になって何度か見上げている内に、やはり透けて見える事があり、あれの元が馬――翼を生やした馬の模様であると確信した。
つまりは塗り替えられた物だ。透けて見えたのは、例え色は同じでも、使用した塗料が違うからだろう。
この国クライスフリューゲルの紋章は、先ほどアナスタシアが言った通りの伝説から、天馬がモチーフとなっている。
その紋章を掲げた船が元であるとしたら、この船は国が保有している物である可能性が高い。
しかし、何故。
そう考えて浮かんできたのがヘルマンだ。
「ウィリアムさん達に国が直接貸し与えるとは考えにくい。ならばこの船は誰かが与えたか、奪ったかでしょう。国に喧嘩を売るなんてリスクを考えれば、後者である必要はありません。ならば、誰が与えたか。……レイヴン伯爵領で海に面しているのは海都だけです。そして管理をしているのは海都の役所で、さらにその権限があるのは役職持ち。つまりヘルマン町長です。それに――」
話しながらアナスタシアは今度はウィリアムの方へ目を向ける。ウィリアムはニヤニヤと、何やら楽しそうな顔をしていた。
「ウィリアムさんの船に積まれていた大量の水花火や食料、それからカジノの融通。あれらの充実ぶりから考えるに、海都の商人達や他にも色々と噛んでいるように思われます。まぁ、つまり――皆そろってグルなのでは?」
「正解!」
ビシッとウィリアムがサムズアップした。それを聞いてアナスタシアはぐっと両手の拳を握る。
「よし!」
「ハハハ、ガッツポーズするところかね。本当は俺の船が無事だったら良かったんだが、見事に"蜂の巣"にされちまってな。ヘルマンから借りたんだ」
そう言って笑うウィリアムに、ヘルマンの表情も少し緩んだ。
その後ろの方では、あまりの事態にフランツが、魚のように口をパクパクとしている。
ヘルマンは胸から手を放し、その中に握った祝祭の火の鍵を見下ろす。
「……私達は祝祭の火を打ち上げたかった。あれが形だけのものではないと知っている。けれどベネディクト様に表立って歯向かえば私は罷免され、海都ではなくベネディクト様の指示を守ろうとする者がここを任される事になりかねない。だから私は従うフリをして、ウィリアムさんやジャックさん達に協力を依頼した」
「お、お前は、お祖父様の側近だろう! 何故そんな、裏切るような真似を!」
「元側近ですよ。……私が尊敬していたあの方は、変わってしまった」
ヘルマンはフランツを振り返る。その目は静かに彼を射抜き、気圧されたようにフランツは半歩後ずさった。
「レイモンド様がおかしくなってしまわれてからずっと、私は機会を伺っていた。そしてようやく、レイヴン伯爵領を救ってくれそうな方がいらっしゃった。そして言葉を交わして確信した。この方は――この方々は大丈夫だと」
「……それは」
「どのみち、祝祭の火なしでスタンピードを抑えるのは一年が限度でした。そして祝祭には毎年ベネディクト様が視察にいらっしゃいますから、その目を盗んで打ち上げる事もできない。だからこそ、どうにもならなければ今日、強硬手段を取ってでも打ち上げるつもりでした。本当は祝祭以外でも打ち上げる事が出来たら良かったのですが……」
「祝祭の火は、祝祭の当日でなければ効果を得られぬものだからな」
ローランドの言葉に、ヘルマンは「ええ」と頷く。
「だからあの日、レイヴン伯爵家が抑えられ、ローランド様が領主代行となられたのは幸運でした。その事で、ベネディクト様も大っぴらに動く事が出来ず、フランツ様をよこしたのでしょう。そして今回、ローランド様とアナスタシア様が来て下さった。そういう意味ではロンドウィックの一件には感謝せざるを得ない」
ちらり、とヘルマンはガースとロザリーを見る。
ロンドウィックで二人が起こした事件を、ジャックから聞いているようだ。
ジャックからの手紙に「祝祭に招待したい」と書かれていたのは、そういう意図もあったのだろう。
呆然と話を聞いていたフランツは、力無く首を横に振る。
「お祖父様は、そんな事、お許しにならない。それで本当に……お前は、良いのか」
「それが何だと言うのです。私は海都の町長です。この街を守るためなら、何でもする。海都を守らぬ者の許しなど必要ない!」
弱々しい、消え入るようなフランツの言葉を、ヘルマンは一蹴する。
その声には、姿には、誇りが満ちていた。
本当はこういう人だったのかとアナスタシアは思いながら、ポンと両手を合わせて鳴らした。
「で、あれば、急いで動きましょう。時間はあまりなさそうなので」
「そうだな。ヘルマン、案内してくれ」
「はい!」
「じゃあ俺らは先に船を出して、海面に上がってきた危険種を討伐しとくわ」
ウィリアムがそう言うと「あ」とアナスタシアは声を上げた。
そしてローランドを見上げる。
「ローランドさん、私も行っても良いですか?」
「君がか?」
「ええ。爆発は、ちょっと得意です」
にこりと笑うアナスタシアに、ローランドは屋敷での爆発の件を思い出したのだろう。
少し思案した様子だったが、優先すべきものが何であるか直ぐに判断したようだ。
「確かにあれならば、海の危険種相手には効くだろう。シズ、頼む」
「はい!」
「あたしはまだ啄みの実が残っているので、念のため港周辺に『鈍足』の呪術の準備をしておきますね」
「なら私は船の方を手伝いますよ。おいウィル、クロスボウの予備はあるか?」
「おう、あるぜ!」
それぞれがそれぞれの仕事をするために、その場をバタバタと走り出す。
動けずにいるのはフランツと、彼の従者であるアレンジーナだ。
それでもアナスタシアが走り出したのを見て、フランツはハッとして、呼び止めた。
「ま、待て! アナスタシア! 何故お前まで行くのだ!」
「何故とは」
「何故とはって……」
聞き返され、フランツは困ったように視線を彷徨わせた。
恐らくアナスタシアを止めたのは、無意識の行動だったのだろう。
フランツは少しだけ言葉を探し、
「……人は、歯車だ。僕達は組み立て、指示を出す側だ。僕達のやるべき事は現場に行く事ではなく、全体を見て指揮を……そう、お祖父様が……」
と、しどろもどろに答えた。
貴族であるベネディクトが、同じく貴族であるフランツに教えたのならば、確かにその常識ではそうなのだろう。
けれどアナスタシアはそんな教育は受けていない。
そして出来る事があるのに黙って見ている上品さなんて、欠片も持ち合わせていなかった。
「フランツ兄様。人が歯車ならば、私達はただの油さしです。――――さす油がないのなら、口出しは不要」
「……っ」
それは決して強い口調ではなかった。だがその言葉はとても鋭い。
言葉に真正面から刺されるというのは、こういう事だろうかとシズは苦笑する。
(アナスタシアちゃん、たまにドキッとする事言うよねぇ)
シズはフランツを少しだけ気の毒に思った。
大人達から信じていたものを否定され、アナスタシアからは正論をぶつけられる。
それでもフランツは泣かずに立っている。それだけは褒められて良いものだ。
とは言え、それはシズの役割ではない。シズが一瞬アレンジーナに目を遣れば、穏やかな表情を浮かべていた。
シズは視線を戻すと、駆けて行くアナスタシアを追いかけて、その隣に並ぶ。
そうして走って行くのをフランツは何も言えずに見ていた。
「…………」
「……危ないから行くんじゃないって言えばよかったのにぃ」
「……誰が」
目を伏せたフランツに、アレンジーナは苦笑する。
それから空気を変えるように、殊更明るく声を出す。
「しかし、かっっっっっこいいわぁ! あれで本当に十歳? 坊ちゃん、もう少し見習ったら?」
「うるさい。あんなの――――あんなの、ただの綺麗事じゃないか。称賛されるようなものじゃない」
「そうですねぇ。でも、綺麗事ひとつ言えない奴に、ついて行きたいとは思いませんよ」
「…………アレンジーナ?」
フランツは目を瞬いた。
アレンジーナはそんな彼の目の前で膝をつき、目線を合わせる。
「坊ちゃん、知っていますか? その昔、貴族ってのは守られるだけの存在じゃなかったんですよ。戦いの最前線に立って、皆を守る存在。それが貴族です。そのための権力、そのための金、そのための身分です。そして今ここで、アナスタシア様は、誰よりも貴族でした」
「貴族……」
フランツはぽつりと呟き、港の方へ目を向ける。
「あれが貴族の姿なら。…………なら、僕は――」
上手く吐き出せない感情の変わりに、フランツは胸元を手で強く握る。
向けた視線の先に、もうアナスタシアの姿はなかった。
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