馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

3-9 意図的に時間をかぶせて来たらしい


 海都レインリヒト・役所。
 街の建物と同じく白い壁に、鮮やかな青い屋根が特徴の建物だ。壁には水の雫や鳥、星をモチーフとした模様も彫られており、実に海都らしいデザインだ。
 そんな役所に入ったとたんアナスタシア達は、出迎えた役人から謝罪を受けていた。

「来客中?」

 ローランドは怪訝そうに片方の眉を上げる。

「どういう事だ? 我々は約束をしていた時間に来ているのだが」

 ローランドが眉間にシワを寄せて役人に聞く。
 役人はだらだらと流れる冷や汗をハンカチで拭きながら、

「しょ、承知しております。誠に、誠に申し訳ございません……!」

 と何度も頭を下げて謝るばかりだ。
 今にも死にそうなほどの顔をしている役人を見てアナスタシアが、

「それではこちらで待たせて貰っても?」
「いえ、あの、それは……」

 と聞いたが、そんな調子である。
 しどろもどろの役人にローランドがため息を吐いた。

「……そこまで怯えなくてよろしい。待つのも拒むほどの、誰が来ていると言うのだ?」
「じ、実は……その……」
「この僕だ、ローランド! それに貴様も来ていたのか、アナスタシア!」

 口ごもった役人の言葉を引き継いで、刺々しい声が飛んできた。
 カツカツと聞こえる足音の方へ顔を向けると、アナスタシアと似た容姿の少年がこちらへ向かって歩いて来るところだった。歳は十代前半、彼の直ぐ後ろには中世的な容姿の麗人もいる。
 その二人組に見覚えのあったアナスタシアは「おや」と目を丸くした。

「フランツ兄様?」

 アナスタシアが名前を呼ぶと、少年がフンと鼻を鳴らした。
 フランツこと、フランツ・レイヴン。前レイヴン伯爵の第一夫人エレインワースの三男で、アナスタシアより三つ年上だ。
 アナスタシアは一応は「兄」と認識しているが、記憶の中のフランツはいつも尊大な態度だった。まぁ母や上の兄弟がそうであれば、フランツも自然とそうなるのは仕方のない事もであるが。

「フランツ・レイヴン。其方は今、ベネディクトの所にいるはずだが? ……ああ、そうか。そちらの指示か」

 ローランドが腕を組んで、ちらりと役人を見ると、彼は胃を押さえ「はい……」と力なく頷いた。
 フランツがここにいるは、どうやらベネディクト――アナスタシアの祖父が絡んでいるらしい。
 こちらを睨みつけてくるフランツに、さてどうしたものかとアナスタシアが考えていると、

「こらこら坊ちゃん、そう怒鳴っちゃだめだって言ってるじゃないですか~」

 などと、場違いなくらい呑気な声で、フランツの後ろの麗人がそう言った。
 彼――もしくは彼女だろうか。中性的な容姿と声のせいで、アナスタシアには未だに性別が分からないが、麗人の名前は知っている。

「アレンジーナさん」
「はぁい! お元気そうで何よりです、アナスタシア様。ローランド様も失礼致しました」

 アナスタシアが名を呼ぶと、アレンジーナはへらりと笑って恭しく頭を下げる。

「アレンジーナ! 何を勝手に挨拶をしている!」
「だから坊ちゃん、目上の方にはちゃんとご挨拶をなさいといつも言っているでしょう?」
「目上だと!? あんなの、ただの略奪者と平民の子ではないか!」

 怒鳴るフランツに、シズとライヤーの目が細くなる。とたんにピリリとした剣呑な空気になった。
 アレンジーナはそれに気が付いて困ったように笑う。そして主を諫めようと「坊ちゃん」と口を開いた時、

「略奪者、ねぇ?」

 と、アナスタシアの後ろにいたガースが馬鹿にしたように言った。

「何だ、貴様は」
「ただの一般市民ですよ。いやー、しかし、好き勝手やってさんざん領地を食い物にしてきたあなた様から、そんな言葉が聞けるとは驚きですね!」

 盛大に皮肉を込めたガースにフランツの顔が怒りで赤くなる。

「貴様――――」
「失礼、私もですがね」

 そしてその言葉を遮るように続けた。
 ガースの言葉にローランドは意外そうに目を丸くする。
 それから「仕方ない」とローランドは再びため息を吐いた。

「……ここにいては他の者の仕事の邪魔にもなろう。面会は、先にそちらに譲ろう」
「そうですね。役人の皆さんの体調も心配ですし」

 ローランドとアナスタシアがそう言うと、胃を押さえたままの役人が驚いた顔をする。

「ひとまず、そちらの話が終わるまで、待たせてもらおう。シズ、頼めるか?」
「はーい、もちろんでーす!」

 良い笑顔で頷くシズに、ローランドは透明な水晶のようなものを渡す。
 あれは『共鳴石』と言う名前の、主に連絡手段として使われる魔法道具だ。
 シズが渡された水晶と同じものがもう一つあり、それぞれに魔力を込める事で、片割れの水晶を光らせる事が出来る。
 共鳴石の光る長さやテンポなどで相手とやり取りをする道具のため、使用にはそれを熟知する必要がある代物だ。
 【一対の魔法道具ジェミニ・ツール】に分類されるもので、二つあって初めて意味を成す魔法道具である。

(あれ、良いなぁ)

 ローランドが懐から出した時に、アナスタシアは目が釘付けになった。
 だが状況が状況なので我慢である。屋敷に帰ったら教えてもらおうとアナスタシアは心に誓った。

「それじゃ、お話が終わるまで待たせてもらうね」
「は、はい……」

 ね、と念を押して笑うシズの言葉に、役人は青い顔のままこくこくと頷いた。
 
「お、おい、何を勝手な事を!」
「何をと言われましても。兄様が先に用事を済まされたいとの事なので、私達が約束をしておりましたが譲りますと言いました」
「そんな事、誰が許すか!」
「そもそも其方の許しなど必要はないし、そのような権限があると思っている事が大間違いだ。想定していた通りになって良かっただろう? 大方、あえてこの時間に来たのだろうが、な」

 その言葉に後ろで聞いていたロザリーはガースに「つまり?」と小声で聞く。
 ガースは両手を広げて、

「意図的に時間をかぶせて来たんでしょ、という話さ」

 と答えた。ロザリーも納得したようで「なるほど、性悪ね」と感想を述べた。
 
「ではシズ、ここは任せたぞ」
「はーい! お気をつけて!」

 元気にそう言って手を振るシズと、何度も何度も頭を下げる役人に見送られ、アナスタシア達は役所を出る。
 そんなアナスタシア達を、フランツはただ茫然と見つめていた。



 役所を出て少し。
 アナスタシア達を乗せた馬車は、海都の大通りを走っていた。
 この通りは真珠の大通りパール・アベニューと呼ばれている。
 海都の門から港まで真っすぐに続く、白い石畳が敷かれた下り坂だ。
 ここを中心に、中小の道が左右に複数、大樹の枝のように広がり続いている。

 時間が余ってしまったアナスタシア達は、駄目で元々とカスケード商会に約束を早められないかと連絡を取った。
 するとジャックからは「大丈夫ですよ」と快い返答を貰う事が出来た。
 なのでアナスタシア達は今、カスケード商会へと向かっている最中だった。

 カスケード商会があるのは、この大通りの中央近くの道だった。商業通りとも呼ばれるそこには、多くの商人達が店を構えている。
 食料を扱う店から、装飾品や武器などを取り扱う店、旅行客向けの土産物屋に、果ては何をメインに売っているのか良く分からない店まである。
 商業通りの反対側には飲食店も多く立ち並んでおり、そういった関係でこの通りは、海都では一番賑わっている場所だった。

 もともと人が多い商業通りだが、今は秋の祝祭の関係もあって、いつも以上に大勢の人が出歩いている。
 秋の祝祭用に星と葡萄をモチーフにした飾りで彩られた通りからは、馬車の中まで賑やかな声が聞こえて来た。
 アナスタシアはその声を聴きながら、馬車の窓から外の風景を眺めていた。

 アナスタシアは賑やかな場所が好きだ。
 人が大勢いて、わいわいと楽しそうにしているのを見る事が好きだ。
 海都は綺麗で海も広くてアナスタシアは楽しいが、何よりも人に活気がある事が一番好きだった。
 秋の祝祭で海都はどれほど賑わうのだろうか。そんな事を考えていると、ふと、母親に手を引かれた子供が見えた。子供はこちらを見て指をさし、気づいた母親に叱られている。

「アナスタシアお嬢様、商業通りが珍しいですか?」

 何となく見ていたら、ガースに話しかけられた。海都に到着する前の問いかけと似ているが、あの時と比べるとそこに他意は混ざっていない。
 目の前の席に座ったガースは、窓枠に肘をついてアナスタシアの方を見ている。
 相手によっては失礼だとも言われかねない姿勢だが、ガースは出発した時からこんな様子である。ロザリーが何度も注意したが結局直らなかったので、ローランドは「今回は」と前置きして諦めている。
 ちなみにアナスタシアは元より気にしていない。

「珍しいと言うか、賑やかで良いなぁと思いまして。色んなお店があるんですねぇ」
「ああ、なるほど。海都はレイヴン伯爵領で一番、活動している商人が多いですからね。それに合わせて店も多いんですよ」
「ほほう。ガースさんのオススメのお店はありますか?」

 ワクワクしながらアナスタシアが聞くと、ガースは少し考えて、

「そうですね……飲食店とかオススメですかね。海鮮料理とか、海鮮鍋とか」
「海のお魚……! お刺身とかあるんですか?」
「チョイスが渋くないですか!?」

 アナスタシアの言葉にガースがぎょっと目を剥いた。

「というか、良く知っていますね……。海都のお貴族様でも生臭いってあまり好まないから、広めたがらないんですけどね」
「以前、馬に聞きました。新鮮で良いよって」

 アナスタシアが胸を張って答えると、ローランドとロザリーが小さく笑う。
 ガースは困惑した様子で「馬に聞いた……?」なんて呟いた。
 ローランドは「ふむ」と軽く頷くと、

「まぁ経験してみるのもありだろう。滞在している間に、機会があれば行ってみるか?」
「行きたいです!」

 アナスタシアは両手で拳を作って元気に頷いた。
 するとロザリーが「あれっ」と不思議そうに首を傾げた。

「ローランド様はお刺身大丈夫なんですか?」
「いや、食べた事はない。だが以前から一度チャレンジしてみたかった」

 ロザリーの疑問にローランドがしみじみとそう言った。心なしか目の輝きがアナスタシアと似ている気がする。
 それを見てガースは脱力したように「似た者同士か……」などと納得した顔になった。
 まぁ、似た者同士である。
 どのみちシーホースの件を何とかしてからになるのだが。

 そんな話をしているうちに、彼女らを乗せた馬車はカスケード商会に到着した。

「ここがカスケード商会ですか。屋根が綺麗ですねぇ」

 青空に映えるエメラルドグリーンの屋根を見上げながら、アナスタシアはそう言った。
 海都レインリヒトに構えられたカスケード商会の本店。その目の前に彼女達は立っている。

 馬車を降りたアナスタシアが屋根を見上げていると、ライヤーが「南の方の領地では、海の色がこんな風に見えるんだよ」と教えてくれた。
 屋根の色がこんなに綺麗ならば、きっと海の色はもっと綺麗なのだろう。
 見てみたいなぁとアナスタシアが思っていると、建物のドアが開いて中から女性が現れる。
 この辺りではあまり見かけない褐色肌の美人だ。
 彼女はアナスタシア達を見ると微笑んで、

「ようこそお越し下さいました、ローランド様、アナスタシア様。私はカスケード商会の副会長を務めております、カレン・カスケードと申します。この度はお時間を作っていただき、ありがとうございます」

 と、深々と頭を下げた。

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