馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
2-21 だって面がないでしょう
「――――氷風よ」
開始早々に、ホロウがそう言葉を紡ぐ。
ホロウの声が重なるように聞こえたそれは魔法の言葉だ。
するとホロウの手に持った槍を、青く輝く氷が覆う。それだけで倍ほどに長く、大きく変化した。
ぶん、
と振るうと、その動きに合わせてキラキラと氷の粒子が舞う。
白い息を吐きながらシズが目を細めた。
「うわ、エグいくらいリーチが増してる。コシュタ・バワー、範囲は分かるだろう? 入らないように頼む」
『心得ました』
「アナスタシアちゃん、無茶しないでね」
「はい。とりあえずあれ、溶かしましょう。少々、お時間をいただきます」
「りょーかい!」
シズが笑顔で言うと剣を構えてホロウに突進する。
ホロウは動じず、回転させた槍でシズの剣を受け流す。
思った以上に強い力に上空に吹き飛ばされたシズは、空中で体をねじって態勢を立て直す。そして落下するままに、ホロウの体めがけて剣を振り下ろす。
だが、それも槍に受け止めらてしまう。
ぎちぎちと散る火花。
シズは槍を足で蹴って飛ぶと、数歩離れた場所に着地した。
そのシズ目掛けてホロウは槍を向けて突進する。
巨躯に似合わぬスピードで眼前に現れたホロウの槍を、シズは仰け反る形で避けた。
(見た目以上にリーチが長い……!)
ホロウの槍を躱しながら、シズは内心、ひやりと汗をかいた。
氷で倍ほど大きくなったホロウの槍。それに加えて槍が纏う冷気が、振るった瞬間だけ形を作るのだ。
自在か、否かは分からない。だがこれは距離感が狂うなとシズは思った。
そんな二人の様子を見つつ、アナスタシアはコシュタ・バワーの背で、螢晶石を作っていた。
馬から教わった、アナスタシアの武器。
手のひら大の螢晶石を捏ねていくと、複数個の赤色をした透明な石へと変化する。
アナスタシアはその一つを手に取ると、シズが離れたタイミングを見計らって、ホロウ目掛けて投げつける。
「うお!?」
ホロウにぶつかった途端、その体は炎に包まれた。
燃え広がることはなく直ぐに収まったものの、それなりの熱さはあったようで、氷の槍などからシュウシュウと水蒸気が立ち上った。
『火精石……!』
コシュタ・バワーが驚いた様子で言った。
火精石は魔力をもった鉱石の一つだ。
まるで火を閉じ込めた琥珀のような見た目をしており、石の中では常に火花が弾けている。
主に火口で採取されるこの石は衝撃に弱く、ぶつかると砕けて中から炎が飛び出すのだ。
使い道としては小さいものは火種に、あとは投擲か、武器に一時的に炎を付与する魔法の媒介で利用されることが多い。
大きさや質によって値段もピンキリだが、こちらは旅人や騎士などが携帯するものであって、伯爵家のご令嬢が持ち歩く品ではない。
なのでさすがにホロウもぎょっとして、
「火精石!? なぜそのようなものを持ち歩いている!?」
「持ち歩いてはおりませんけれど、ちょっと最近、使うことがありまして」
だからサッと作れたんですよ、とでも言うように、アナスタシアはしれっと答えた。
実は火精石は孤児院に贈る予定だった道具の素材として使ったのだ。
運が良かったなぁと思いながら、アナスタシアはホロウに向かって投げ続ける。
(私の腕力だと飛距離に限度があるなぁ……何かこう、クロスボウみたいに打ち出すものがあったら便利かも)
そんなことを考えながら、コシュタ・バワーの背に揺られ、火精石をぶつけていく。
最初は防いでいたホロウも、ぶつかる度に弾けて燃え上がる火精石に、だんだん苦戦し始めたようで、
「ぬっ! このっ、なんの……いや、ちょっ、待っ!」
何て言いかけていたがアナスタシアはお構いなしだ。
馬直伝の業で作り上げた火精石を投げつける。幸い氷で覆われた今ならば人目も気にする必要がない。
だってこれは決闘だ。勝たねばならない勝負なのだ。そしてアナスタシアが使える武器はこれだけだ。
ホロウが自身の持てる力で全力で来るのなら、アナスタシアも全力で応えるのが筋というものである。
「アナスタシアちゃん、ナイス! どんどん投げちゃって!」
「合点承知です!」
シズの明るい声に、アナスタシアも力強く答える。
そうして投げ続けていると、徐々にホロウの槍が纏った氷が溶け、その水滴がぽたぽたと地面に落ちる。
そのタイミングを見落とさず、シズは踏み込み、槍を目当てに思い切り剣で薙ぐ。
ガシャン、
とガラスが割れるような音を立てて、氷はすべて砕け散った。
それでもシズは止まらない。右足を軸に体を回転させ、振り向きざまにもう一撃を叩きつける。
防ぎきれずに、銀の鎧の胴にシズの剣を受けたホロウは、二、三歩後ろに後ずさった。
ぐ、とうめき声を漏らすと、その個所を手で押さえる。
「貴様、いくら何でも数がおかしい! そのスカートの中に入る量ではなかろうッ!?」
「フフ、目に見えるだけがすべてではありませんゆえ」
『確かに目に見えてはいませんでしたが』
アナスタシアが得意げにそう言うと、コシュタ・バワーが苦笑する。
背に乗せたアナスタシアが何をやったのか分かっているようだ。馬小屋でも一緒だったし、そもそもコシュタ・バワーも元は馬である。例の方法を知っていてもおかしくはない。
「それに、見えていないのは、それだけじゃありませんよ」
「なんだと?」
怪訝そうにホロウが聞き返す。アナスタシアはにこりと笑うと、左手を大きく広げる。
すると。
「――――アナスタシア、シズ! 無事か!」
「シズ、お嬢さんをしっかり守れ! すぐに突破する!」
「お嬢様! お嬢様無茶してませんか! 大丈夫ですか!」
「皆、いいかい! 料理をする時のように火を焚くんだ! 溶かすんだよ!」
「分かったー! シズ兄ちゃーん! ナーシャお嬢さーん! あとで焼き芋しよー!」
「父さん、道具は?」
「ああ、ありったけ持ってきた! 皆さん、薄くなったところから、叩いて割ってください!」
覆われた氷の外から、聞き覚えのある声が響いてくる。
シズも驚いたように目を瞬く。戦いの中心にいたシズとホロウには聞こえていなかったのだろう。
反対に、コシュタ・バワーの背に乗って、周りを駆けていたアナスタシアの耳には届いていた。
ローランドやライヤー、ロザリーにカサンドラや孤児院の子供達。領都の人間に、それにノエルやサイモンらしき声も聞こえる。
皆が集まって、助けようとしてくれている。
「これは……」
ホロウは驚いたように呟く。
「良い人達です。私は彼らへ返す必要があります」
対価とは支払うもの。
差し伸べられたこの優しさに、対価を支払うためにアナスタシアは死ねない。裁かれるわけにはいかない。
そう示すアナスタシアに、ホロウは小さく「なぜ」と漏らした。
「……なぜ百年前に、其方のような者がいなかったのだろうなぁ」
ひどく疲れた声だ。
そしてホロウの言葉は、アナスタシアたちが『悪党ではない』と認めたと同じだった。
「其方のような心根の者があの時、アーデン伯爵領を治めてくれていれば、きっと。きっと、皆は生きていた。……騙されたのは吾輩だ。吾輩がうまい話に飛びついて、口車に乗って皆を死なせた。吾輩が愚かであったがために、皆を苦しめ、村を滅ぼしたのだ!」
『違います、主! ブランロックの皆様は、主が領主様に取り立てられたことを、本当に喜んでいらっしゃったのです! ご自分の出世も将来も気にせず、村のためにと生きてきたあなたのことを!』
「だがその結果はこれだ! 村を離れるべきではなかった! 吾輩は決して赦されぬ選択をした!」
音が出るくらいに強く握った槍が、ホロウの震えを代弁する。
怒りか、嘆きか。そのどちらともか。
自身にしか分からない表情を浮かべ、ホロウは天に向かって吠える。
その声は、まるで泣いているように、アナスタシアの耳に届く。
「なぜ吾輩だけが生きている! なぜ吾輩だけが生かされた! 彼奴らの首を刎ねても! 悪党を討ち続けても! 何一つ変わらぬ、変えられぬ! いつになったら吾輩は――――」
ガラン、とその手から槍が離れて地面を跳ねた。
「――――皆に、謝る事が、できるのだ」
最後に力なくそういうと、ホロウは膝をついた。
項垂れるように体はガクリと前のめりになる。
無い頭から、流れるはずのない涙が落ちているように見えた。
「ブランロックの村は、今はレイヴン伯爵領内であると聞きました」
そんな彼にアナスタシアは話す。
「レイヴン伯爵領の北、危険種が住まう森の中。今は村は残っていませんが、焼け落ちた家屋はそのまま、朽ちてはいるものの僅かに残っているそうです」
ホロウはアナスタシアを見ない。
けれどアナスタシアはまっすぐにホロウを見つめながら言葉を続ける。
「その村の中に、お墓があると聞きました。たくさんのお墓があると聞きました。それはホロウさんが作ったのでしょう?」
「…………吾輩には、それしか出来なかった」
「ホロウさん。お墓参りにいきませんか?」
「……なに?」
そこで初めて、ホロウはアナスタシアを見た。
聞き返すホロウにアナスタシアは少し表情を和らげる。
「ずっと行ってないのでしょう? コシュタ・バワーさんから聞きました」
「コシュタ・バワー……?」
ホロウは驚いたようにコシュタ・バワーの方を向いた。
コシュタ・バワーは静かに、そして心配そうにホロウを見ている。
ホロウは何か言いかけて、そのまま再び黙り――やや時間をかけて、
「吾輩には、合わせる顔が、ない」
と言った。
「でも、会いたいのでしょう? 会って謝りたいのでしょう? ホロウさんはそう仰いました」
「今更、どの面を下げて――――」
「ホロウさん、今、面がないじゃないですか」
呆気らかんと言うアナスタシアに、聞いていたシズが思わず、面、と噴き出す。
ホロウは明らかに困惑した様子であった。
確かにホロウの頭はないのだが、そういう意味ではない。
けれど「それはそうだが」と妙に納得してしまって、ホロウは何も返せなかった。
「赦されなくとも、会いたいんでしょう? 合わせる顔だって今はないでしょう? なら、ホロウさんが怖いのは何ですか?」
「吾輩は」
問われてホロウは言葉に詰まる。
それから自身の両の手を広げ、持ち上げた。
「――――吾輩は」
「百年ちょっとです」
「?」
「あなたの村が失われてから、百年ちょっと経ちました」
言葉を探すホロウに、アナスタシアは話す。
「また、どこかで生まれているかもしれません。生まれた誰かがどこかで生きているかもしれません。そしてどこかでご親族の方が生活しているかもしれません」
なので、とアナスタシアは柔らかく笑う。
「もしかしたらを探す時間が、その平穏を守る時間が、ホロウさんにはあるんです」
「―――――」
思わずホロウは息を呑んだ。
そんな風に考えたことなどなかったと、ホロウは衝撃を受ける。
「もしか、したら」
「はい」
「もしかしたら――――」
ホロウの声が震える。
「――――ああ。もしそうであったら。吾輩は――――意味があったのか」
その時、パキパキと音を立てて、周囲の氷にヒビが入る。
そこから割れるまでは数秒もかからなかった。
割れた氷から陽射しが差し込む。そして見えた秋の空は高く、青く、澄んでいた。
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