馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
2-19 たった一言、されど一言
アナスタシアたちと別れたホロウは、ノエルとともに領都を歩いていた。
首無し騎士と少女。二人が並んで歩いていれば自然と注目は集まる。
しかしアナスタシアとシズの説明を聞いていたものがウワサを広げたのか、その視線は好意的なものが多かった。
時々ホロウが視線の方を向けば、最初は少し驚くものの、手を振ってくれる。なんだか不思議な気分になりながら、ホロウが手を振り返していると、
「絶対に父さん怒ってる……」
と、隣で青い顔をしたノエルがぶつぶつと呟く声が聞こえた。
聞いた話によると、ノエルは父サイモンと、彼女たちが宿泊している宿で待ち合わせをしていたのだそうだ。
アナスタシアたちと面会した後、数日領都に滞在してから商会のある古都アーチボルトへ戻るらしい。
滞在目的は観光――というわけではなく、仕事である。その一環で、今日はノエルはサイモンと共に市場調査へ向かう予定だったらしい。
しかし時間までまだ余裕があったので、ノエルは領都の雑貨店や露店、街行く人たちのファッションをチェックしに行っていた。そこでアナスタシアたちと出会ったのだそうだ。
その結果、待ち合わせ時間が過ぎてしまっていた、というわけである。
ノエルはだらだらと冷や汗を流し、深々とため息を吐く。
「父さん怒ると怖いからなぁ……」
「まぁ、そこは吾輩が何とかしよう。アナスタシア殿に頼まれたからな」
「うう、さっきは遠慮しましたけれど、その、助かります……」
「うむうむ、任せておきたまえ」
ノエルに頼まれ、ホロウは機嫌よくそう答えた。
ホロウは人から頼みごとをされるのは、実は好きな方だ。
なにせ妖精騎士の本分は悪を挫き、弱きを助ける、そんな一種のヒーローであるとホロウは解釈している。
方法がすこぶる乱暴だとか、えげつないとか、そういうのは別として。
ホロウ・デュラハンという男は、誰かの助けになることが好きなのだ。
だからユニが攫われたと聞いた時、怒りを感じた。
コシュタ・バワーの想い馬だったからだけではない。
私欲で、故郷で家族と暮らしていたユニコーンの平穏を、奪ったことが許せなかったのだ。
そして少なからず――自分と重ねた。ユニのことが、故郷ブランロックとホロウの家族を奪われたあの時のことを彷彿とさせたからだ。
しかし――。
「……ノエル殿。其方には、アナスタシア殿とシズはどう見えた?」
「え?」
問いかけられてノエルは少しだけ首を傾げる。
それから顎に手をあてて、視線を少し上へ上げた。
「そうですね……。私が知っているお貴族様と、だいぶ違うなって思いました。うちの商会って、取引相手のほとんどはお貴族様だから」
「ふむ?」
「アナスタシア様って、すごく人っぽいんですよ。あっいえ、別に、お貴族様が人じゃないってわけじゃないですよ? 親しみやすいっていうか……騎士のシズさんもなんですけど」
ノエルは上手な言い方はないものかと「うんうん」唸りながら言う。
説明は抽象的ではあったが、ニュアンスはホロウにも伝わった。
確かに変わり者揃いではあるが、彼らは理由なく、上から見下ろすタイプの者ではない。
ホロウが小さく笑って「うむ、理解した」と言うと、ノエルはほっと息を吐いた。
「良かった。……実は私、レイヴン伯爵様のお屋敷にお邪魔したの、初めてだったんです。今までレイヴン伯爵様って、あまり良い評判を聞かなかったから、緊張していたんですけれど……」
「評判?」
ノエルの言葉にホロウが訝しんだ様子で聞き返す。
朗らかに話していた声が変わったことに気が付いて、ノエルがあっと言葉をもらす。
「いえ、違うんです。少し前までの話で、アナスタシア様の事では――」
不穏な気配を察知して、慌ててノエルが説明しようとした時、
「ノエル、何をしていたんだ!」
と、怒った声が飛んできた。反射的にそちらを向けば、苛立った顔の父サイモンが見えた。
話しながら歩いている内に、どうやら宿のすぐ近くまで来ていたようだ。
サイモンはツカツカとノエルに近づくと腕を組んでジロリと睨む。ノエルはひい、と小さく言うと、両手を合わせた。
「ごごご、ごめんなさい、父さん! 実は、ちょっとそこで、アナスタシア様と会って」
「アナスタシア様だと!?」
アナスタシアの名前が出たとたん、サイモンの目が吊り上がる。
あまりの剣幕に、思わずホロウが間に立った。
「まぁ待て、お父上殿。ノエル殿の言う通り、我々が彼女を引き留めたのだ。アナスタシア殿からも怒らないでやって欲しいと伝言を預かっている」
「あなたは……確かお屋敷で……」
突然視界に入ってきた首無し騎士に、サイモンがぎょっと目を剥いた。
だがすぐに誰なのか理解したのだろう。その目に僅かに悪意の色が混ざった。
「……ああ、領都でウワサになっている首無し騎士様とは、あなた様でありましたか」
「ふむ、正確には妖精騎士だがな。期間限定でレイヴン伯爵家で世話になっている」
「そうですか、伯爵様のお屋敷で」
先ほどまでの表情とは打って変わって朗らかな笑みを浮かべるサイモン。
しかしその目は笑ってはいない。ノエルは嫌な予感がして、
「ほ、ホロウさん! 送って頂き、ありがとうございました! そろそろアナスタシア様のところへお戻りならないと、時間が……」
と、帰るように急かす。だがそんなノエルの言葉を無視してサイモンは、
「最近お仕えになったのでしたら、ウワサのこともご存じないのでしょうなぁ。それはまた、お可哀そうに」
「可哀そう? 先ほども聞いたが、ウワサとは何のことだ?」
ホロウはそう聞き返す。ノエルが口にしたことが気になっていたのだろう。
サイモンは「掛かった」と言わんばかりに、ニヤァと口の端を上げた。
「おや、ご存じないので? レイヴン伯爵家と言えば、領民を虐げ、税を吸い上げ――我々のことなど気にもせず、贅沢の限りを尽くした落ちぶれた貴族なのですよ?」
「父さん!?」
なにを言い出すのかと、ノエルが青ざめた。
そして飛びつくようにサイモンの両腕を掴む。
「なにを言うの、父さん! アナスタシア様は違うわ!」
「違うものか。現にあの方は、我々商会のことをなにも考えては下さらなかった! あのような家柄もなにもない、育ちの悪い孤児は重宝するくせにだ! エレインワース様がずっと懇意にして下さったうちの商会を、自分は用が無いからと切り捨てるような方だぞ! このままではうちの商会はまた、カスケード商会にいいようにやられてしまう!」
「違うわ! アナスタシア様も、ローランド様も、ちゃんと私たちのことを考えて――――」
必死にそう訴えるノエル。
けれど焦りと怒りに染まったサイモンには届かない。
二人のやり取りをホロウは黙って聞いていた。声を荒げる二人と反対に、静か過ぎるまでに。
「……それは真か?」
ぽつりと、零すようなホロウの言葉に、サイモンは頷く。
「ええ、真ですとも。私の言葉が信じられないなら、領都の皆さんにも聞いてみたらいかがですか? まぁ、皆、同じことを言うと思いますけれど」
「父さん! ちが、違います、ホロウさん! 違うんです! だって、私、聞いたもの! アナスタシア様は――――」
ノエルは必死で呼びかける。しかしホロウには届かない。
ホロウは背負っていた槍を手に取ると、
ガン、
と、その柄を、地面に思い切り打ち付けた。
その音にノエルとサイモンはビクリと肩を震わせる。
「……そうか」
ぽつりと。
その声には落胆の色がはっきりと出ていた。
ホロウはそのまま踵を返す。一歩、また一歩、来た道を戻りながら歩くその姿は、スウ、と消えていった。
ノエルは「待って!」とホロウに呼びかけるが、返答はなかった。
明らかにまずい状態だ。ノエルはキッと父を振り返ると
「父さんの馬鹿! 何であんなこと言ったの!」
「……別に、どうせ大した影響はないだろう。貴族なんだから、上手くやるだろうさ」
「あのホロウさんの様子を見て、本当にそう言えるの!? アナスタシア様はね、ローランド様がエレインワース様のご実家に取り次いで下さるって教えてくれたのよ!?」
「え?」
ノエルの言葉に、サイモンはポカンとした表情になった。
それからだんだん青ざめて、
「そ、そんなはずはない! だって、あの時、そんなこと、一言も――――」
「ええ、言って下さらなかったわ。でも、それはこちらも一緒じゃない。取引がなくなるのは困るって、ロッド商会のことをどうか考えて欲しいって、ひと言も言わなかったわ」
「お貴族様相手に言えるわけがないだろう!? 聞いて下さるかどうかも分からない! それに機嫌を損ねでもしたら今度こそ……」
「なら何で、父さんはシズさんの事を、あんな風に言ったの」
ノエルは真っすぐに父を見上げる。
射貫くような眼差しだ。娘からそんな視線を受けたことなどなかったサイモンは、動揺したように視線を彷徨わせる。
「じ、事実だろう。あんな育ちの悪い……」
「ローランド様が父さんの言うようなどうしようもない人を、アナスタシア様の護衛につけると本当に思っていたの?」
「…………」
「……ローランド様はちゃんと契約を守って下さったわ。相手が平民だろうと、サインをした契約書を破り捨てるような方ではないのは、父さんも分かっているでしょう? あの人は平民の味方だって、あたしに話してくれたのは父さんじゃない。その庇護下にあるならアナスタシア様もきっと大丈夫だって。……だから、貴族を怖がっていた私に、一度お会いしに行こうって言ってくれたんでしょう?」
ノエルの言葉にサイモンの肩から力が抜けた。
そしてずるずると、地面に座り込む。
「……聞けば、答えて」
「きっと答えてくれたわ。……でも父さんは、シズさんを貶めて繋がりを保とうとした。平民の味方をしてくださる方に、真逆のことをしたのよ。ロッド商会が本当に切られるのだとしたら、理由は――――」
ノエルは最後まで言わなかった。だがサイモンには伝わったのだろう。
サイモンは両手で顔を覆って震えだす。
「わた、しは……とんでもない、事、を」
絞り出すような声だった。ノエルは蹲ったサイモンの肩を掴む。
「父さん、馬を貸して」
「馬? 馬なんて……」
「伯爵家に行って、ローランド様に伝えるの。アナスタシア様達が危ないって!」
ノエルの声にサイモンはハッと顔を上げる。
「信頼を取り戻すのは、商人の基本! そう言っていたのは父さんでしょう!?」
「…………!」
ノエルの言葉にサイモンの目に力が戻る。
そして親子は立ち上がると、走り出した。
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