馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

2-16 ニンジンをおかわりできる程度に不調らしい


「しかし貴様、意外と堅物なのだなぁ」

 その日の昼下がり。
 馬小屋の外でユニやコシュタ・バワーなど馬たちにブラッシングしていたアナスタシアに、庭掃除をしていたホロウがそう言った。
 堅物とは今まで言われた事のない評価にアナスタシアは目を瞬く。

「え? 私ですか? 渋格好良い評価を頂けて嬉しいですが、そうでしたかね?」
「ほら、午前中に来た……確かロッド商会と言ったか? あそこの商人とのやりとりだ。ドア越しに聞こえてきたのでな」
『聞き耳……』

 半眼になってユニがボソリと呟く。聞こえたホロウは大慌てで両手を振って抗議する。

「ち、違うぞ!? 決してどんなやましい取引をするのかと、聞き耳を立てていたわけではない!」
『主、自白しております』
「なぬ!?」

 コシュタ・バワーからもツッコミを入れられ、ホロウは観念したようにガックリと肩を落とした。
 そのままザッ、ザッ、としょんぼりした様子で箒を動かす。

「語るに落ちたとはこの事か……」
「ドア越しの声って意外と聞こえますからねぇ。聞かれて困るようなものでもないですし、大丈夫ですよ。そもそも、そうでなければローランドさんが許可を出したりしませんもの」
「そ、そう……か?」
「はい」

 不安げなホロウの声に、アナスタシアはしっかりと頷く。するとホッとしたようで、箒を動かす勢いが戻った。
 ザッ、ザッ、と景気よく庭を掃く音が辺りに響く。
 つい先日、決闘だ何だと物々しい雰囲気であったのが嘘のように穏やかな光景だ。
 少ししてホロウが話の続きを始めだす。

「まあ、あれだ。贈り物など、受け取ったところで大した問題ではないだろうと思ってな」
「受け取ったら約束を交わしたと同じになります。私は出来ない約束はしたくありません」
「出来ぬ約束か……。しかし、正式な書面で交わさぬ約束を破ったところで、貴族を咎める者はおらぬだろう?」

 ホロウは不思議そうにそう言った。
 言葉自体にはやや険を感じるものでもあったが、アナスタシアに対して向けられたものではない。
 ここにはいない誰かを思い浮かべて言うようなホロウの言葉に、アナスタシアは「はて」と首を傾げる。

「書面に認めていないからと、約束を守らぬ理由を豪語する輩などクソくらえです」
「ク!?」

 あまりの物言いに、ホロウはぎょっとして言葉を失った。コシュタ・バワーも同様だ。
 ユニと馬たちは満足げに「そうそう」と言わんばかりに頷いている。
 呆気にとられたホロウは、

「貴様、言葉遣いを何とかした方が良いのではないか……?」

 と心配した様子で言った。貴族のご令嬢としては、やはり相応しくない物言いに面食らっているようだ。
 アナスタシア自身、言葉遣いが馬の影響を受けていると分かったのは、つい先日のことだ。数年かけて馴染んだのだ、一朝一夕で治るものではない。
 明らかに貴族相手だと問題が発生するだろうなぁとホロウとコシュタ・バワーは思った。
 しかし当のアナスタシア本人はどこ吹く風である。

「大丈夫です、公の場では一考します」
『アナスタシア殿、それは実行に移す気のない方の台詞です』
「いえ、そんな。ホホホホ」
「笑い方だけ取ってつけたようなものを……」

 ホロウは呆れてそう言った。今まで見たことのないタイプの貴族だったからだろうか。
 珍妙だなぁと思っている様子がまざまざと受け取れた。
 アナスタシアは朗らかに笑って、ブラッシングを続ける。

「まぁでも、本当に、考えはしますよ。私のせいで、私と同じように平民の血を引いている方が、悪し様に言われるのは嫌なので」
「それは……。……まぁ、何というか、貴様も大変だったのだな」

 ホロウは言い辛そうに、言葉を選んでそう労る。屋敷の使用人たちからアナスタシアのことを多少聞いたのだろう。
 しかしアナスタシアは「うーん」と首を捻った。

「大変というのは、少し違うかもしれません。生活は実に快適でございました」
「馬小屋で暮らすことがか?」
「住めば都どころか、もともと都でしたし」
『外より都。ご飯も出る』
『我々にとっては都ではありますが、人には生活しづらい場所だと思います』

 肯定するユニとは反対に、コシュタ・バワーは納得出来かねる様子で言う。
 まぁ、そこは主観によるものだと、アナスタシアは笑う。

「私のことより、ホロウさんやコシュタ・バワーさんは、屋敷の暮らしはいかがですか?」
「む? うむ、それこそ快適に過ごさせてもらっている」
『ええ。それに、こうして穏やかに過ごせることなど、何十年もありませんでしたから』
「でしょう! うちの使用人の皆さんは働き者ですから!」

 ホロウとコシュタ・バワーの言葉に、アナスタシアは嬉しそうに胸を張った。
 自分が褒められた時よりも喜んでいるのではないか、というくらいの喜びっぷりだ。
 誇らしげにそう話すアナスタシアに、ホロウが噴き出した。

「何というか、言動と思考がチグハグ過ぎないか?」
「つまりギャップという奴ですね。大事です」
「大事かどうかは分からんが、自分で言うものではなかろうに」
「なんと」

 キリッとした顔になったアナスタシアに、ホロウはくつくつ笑う。ユニやコシュタ・バワーも体を小刻みに震わせて笑いを堪えている。
 ほんわりと空気が和んだところでアナスタシアは、

「ホロウさんとコシュタ・バワーさんは、ずっと旅をされていたのですか?」

 と聞いた。笑っていたホロウは、穏やかな調子で「ああ」と答える。

「どこかに定住しようと思ったことはないのですか? 拠点と言うか」
「このような見た目だからなぁ……。どこへ行っても怖がられてしまうのだ」
『こちらの屋敷の皆様のように、普通に受け入れて下さる方が稀なのですよ』
「つまりレアリティ……」

 稀、という言葉に、アナスタシアは満更でもなさそうにそう呟く。
 そういう反応にはならんだろうと、ホロウとコシュタ・バワーは思った。

「それではいっそ、ここに定住すれば良いのでは?」
「は?」

 アナスタシアの提案に、ホロウが間抜けな声を上げた。理解できないという感情が八割方こもっている。
 ホロウは困惑しながら、

「い、一体何を言っておるのだ、貴様は。決闘するのだと言ったであろう」
「コシュタ・バワーさんの調子が戻らない限りは延期ですし」
『申し訳ありません、主。まだまだ本調子ではなく……』
「いや、ニンジン、おかわりしてなかった?」

 ホロウの的確なツッコミにコシュタ・バワーは『何のことやら』とすっとぼける。
 ちなみに今朝、馬小屋で起きたアナスタシアも、その光景はしっかり見ている。
 よほど美味しいニンジンだったのだろう、コシュタ・バワー以外の馬たちもしっかり食べていた。

『主、こう言って頂いていることですし。お仕事もさせて頂いていることですし。このまま、こちらにご厄介になったら……』
「――いいや、そうはいかぬ。決闘を申し込んでおいて、有耶無耶にするなど妖精騎士の名折れだ」
『主……』

 きっぱりと断るホロウに、コシュタ・バワーは悲しそうにつぶやいた。
 二人のやり取りを見ていたアナスタシアは、コシュタ・バワーが決闘を延期させようとしている目的がこれ、、のような気がした。
 理由は分からないが、コシュタ・バワーはもしかしたら、ホロウが穏やかに暮らせる場所を探しているのではないか。
 アナスタシアがそう思っていると、

「……しかし、聞いた話や想像していたものと、違うというのも分かる」
「え?」
「本当に貴様たちは、こちらのお嬢さんを無理やり攫った悪漢なのか、ということだ」

 ホロウはそう言うと、箒を動かす手を止めて、アナスタシアの方へ体を向けた。アナスタシアもブラッシングする手を止める。
 頭こそないが、目が合っているようにアナスタシアには感じられた。

「人違いです」
「そうか。……まだ直ぐには判断できないが、もし本当にそうであるならば、決闘のことは考えねばならぬな。……アナスタシア殿」

 ホロウの言葉にアナスタシアは喜びを満面に浮かべた。ようやく、少し話が通じたようだ。素直にそれが嬉しかった。
 この調子で時間をかけてユニと一緒に話せば、犯人であったロザリーたちの件も分かってくれるかもしれない。
 アナスタシアが嬉しそうに笑っていると、ホロウはハッと顔を反らすような動作をする。照れたのだろう。

「では、それが判断出来たら、定住します? 屋敷の皆とも仲良くして頂いていますし、騎士の数が足りないので有難いのですが」
「いいや、吾輩は――そのようなことなど、赦されてはいないさ」

 アナスタシアの誘いを、ホロウは再び断った。
 そして体を北の方へ向ける。つられてアナスタシアもそちらを見た。

「……ブランロック」
「!?」

 何を見ているのか考えて、アナスタシアがぽつりとつぶやくと、ホロウはぎょっとした様子で反応した。

「知って、いるのか」
「ローランドさんから、領地内のことに関する資料を読ませて貰っているので」
「……そうか」

 ぽつりと、小さな声でそういうホロウ。
 それからたっぷりと時間をかけたあと「ふう」と息を吐いた。
 
「村に何があったのかも、知っているか?」
「はい。資料に書かれている範囲なんですが。大変な……ことがあったと」
「……そうか」

 気の抜けたような声で呟くとホロウは再び、ザッ、ザッと箒を動かす。
 頭こそないが、その視線はやや下を向いているように見えた。

「……ああ、そう言えば間違いかと思ったが、夢の中で貴様を見た気がする」
「ええ。私も見ました」
「不覚だったなぁ……」

 本当に失敗した、と言わんばかりにホロウは肩をすくめる。

「あの、ホロウさん」
「…………」

 アナスタシアが声をかけたが、ホロウは「それ以上は聞くな」と言うように、箒で掃きながらどこかへ歩いて行ってしまった。
 その後ろ姿は普段よりずっと小さなものに見える。
 出す話題ではなかったな、とアナスタシアが少し後悔していると、

『……ずっと帰っておられないのです』

 と、コシュタ・バワーがホロウの方を向いたまま言った。

「ずっと?」
『はい。ここ百年ずっと、ああして村のある方角を見るだけで、帰ってはおられないのです』
「村は……」
『ええ、ありません。あの晩、夢でお見せした、、、、、ままです』

 ああ、やはりな、とアナスタシアは思った。
 目が覚める直前に聞こえた馬の声は、コシュタ・バワーだったのだろう。

「あなたがホロウさんと夢を繋げた」
『はい。その呪術に、私の魔力を少し混ぜたのです』
「器用ですね」
『百年生きている内に、私も色々と器用になりました』

 アナスタシアの言葉にコシュタ・バワーは小さく笑う。
 だが、その声にはやや力がない。気落ちしているように思えた。

『……主は敵を討った後、たった一人でブランロック村に墓を作りました。全員の墓です。これは自分の罪だと飲まず食わずで。人の身であれば、そんなことをして無事に済むはずがない。私が止めても、主は聞いては下さりませんでした。そうして主が死にそうになったところに、銅の星コパ・ステラが現れました』
「創造神……!?」

 これにはさすがのアナスタシアも驚いて目を丸くする。
 銅の星コパ・ステラとは、この世界を創りたもうた三兄弟の創造神の一柱で、末の女神だ。
 先日、アナスタシアはローランドから、ブランロックには聖水の湧く泉があったと聞いた。
 そのあと、勉強するようにと積まれた本の中に、聖水はかみさまの御力とも言われていると記載されているのを読んだ。
 つまり、そういうことなのだろう。にわかには信じ難いが、馬は嘘を吐かないと信用しているアナスタシアは、コシュタ・バワーの話を信じる。

銅の星コパ・ステラは、それほどに償いたいならば叶えてやろうと仰った。妖精騎士として、生きて償う時間をあげようと』

 しかしホロウは自分だけが生き延びても、合わせる顔がないと言ったそうだ。
 すると銅の星コパ・ステラは主の頭を奪って、いらぬ物なら預かっておく、と言って消えたのだそうだ。

「コシュタ・バワーさんの頭もその時に?」
『少しあとです。主が私を置いて行こうとなさったので、銅の星コパ・ステラに必死で頼んで、同じにして頂きました』
「なるほど」

 コシュタ・バワーは本当にホロウが大好きなのだろう。
 忠誠心とも言うのだろうか。騎士のようだな、とアナスタシアが思っていると、コシュタ・バワーは『しかし』と続ける。

『主には、それが……負担であったのかもしれません』
「ホロウさんはコシュタ・バワーさんと一緒で楽しそうでしたよ。ね、ユニちゃん」
『うん。迷惑なくらい。コシュタ・バワーは、主に似て気にしすぎ』
『そうでしょうか……』

 ユニにまでそう言われてコシュタ・バワーは苦笑する。
 それから、ホロウの歩いて行った先をもう一度向いて、

『……私は主に、もうご自分を赦して欲しかった。悪夢に苦しまず、心穏やかに暮らして欲しかった。だから、ここへ来ました』
「なぜ?」
『旅の途中で、ここの馬と話したという動物たちから聞いたのです。アナスタシア殿ならば、我々の話を聞いて下さるだろうと』
「……………」

 意外なところで出た自分の話題に、アナスタシアは少し照れた。
 何だか、良いように評価され過ぎている気がしたからだ。何と答えたらよいものかとアナスタシアが言葉を考えていると、

『…………どうしたら』

 と、コシュタ・バワーは呟く。その声は苦渋に満ちていた。
 心の底から主を心配する首無し馬の言葉に、アナスタシアはブラシを持った手を強く握る。
 何が、出来るだろうか。何を、出来るだろうか。
 答えは出ないまでも、力になりたい。アナスタシアはそう思いながら、ブランロックがある方角を見る。
 その空には馬の形をした雲が、まるで駆けるように浮かんでいた。

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