馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
2-13 ブランロックの悲劇
「アーデン伯爵領とは、今から百年ほど前に消滅した領地だ」
ソファーへと移動し、ローランドはそんな前置きから語り始めた。
レイヴン伯爵領の北に隣接したその土地は、同じ伯爵家とはいえ、ずっと広く、力があった。
しかしいくら土地が広くとも豊かであるとは限らない。アーデン伯爵領には危険種の生息地が点在しており、昔からその対応に頭を悩ませていたという。
必死で戦い、領民を守り――やがて領主の目は『外』へ向けられるようになった。
危険種の生息する土地など捨てて、新たな土地へ領民を移住させればどうか。そう考えた領主や、彼の側近はそう考えたそうだ。
そしてアーデン伯爵領は、他の領主が守る土地を侵略し、奪い始めた。
「それは国が許さなかったのでは?」
「ああ。国は許さなかった。しかし――当時は今よりもずっと、国が領主や領地を統制する力が弱かったのだ」
アナスタシアの質問にローランドは首を振ってそう答える。
当時、アーデン伯爵領に問わず、他領を侵略しようとした領地は他にもあって、争いや諍いも多かった。
そして巻き込まれるのは領民ばかり――何とかしようと国は必至に働きかけてはいたそうだ。
けれど、なかなか改善することは出来なかった。
それを取り締まる『法』がなかったのだ。
「他の領地を侵略してはならない。安寧を、平穏を望むならば、そんなことは言われずとも分かることだ。初めに法を定めた者もそう考えていたのだろう。言われないことは禁止されてはいないのだと、だからこれは違法ではないと、声高らかに他領を脅かす者が現れると思わなかったのだろう。アナスタシア、君は人間を危険種と同等だと言ったが、それはあながち間違ってはいないと私は思う。人間は危険種に成りうる存在だ。例えやむを得ない事情があったとしてもな」
ローランドの小雨の降る空のような灰色の目が、アナスタシアを真っすぐ見つめる。
「そんな時代、レイヴン伯爵領に統合された北の地。アーデン伯爵領からすると西だな、そこにブランロックという小さな村があった」
ブランロックは魔獣などの危険種の多い森の中にある村で、領都や商売の中心となる都市からも遠い、貧しい村だったそうだ。
なぜそんな森に村が出来たんですかとアナスタシアが尋ねると、その村の近くにはかつて星教会が有する聖なる泉の一つが存在していたらしい。
聖水はその泉の水から作られており、ブランロックは星教会から依頼を受けて、聖水を汲み、教会へ卸すという仕事で生計を立てていたそうだ。
しかしいつしか泉は枯れ、そういった仕事も無くなり、村だけがポツンと取り残された。
「その村にとても腕の立つ男がいたと言う。大きな魔獣が数匹現れても、槍を振りまわし、一人であっという間に倒してしまうほどだそうだ」
「お一人で。それまた、お強い」
「ああ。騎士団でもそこまで強い者はなかなかいないだろう。だからこそ、周辺領地との争いの最中であったアーデン伯爵は、そのウワサを聞きつけて彼を召し抱えたいと言ったそうだ。けれど、男はその誘いを断った。村を守るために離れるわけにはいかないと」
領主に仕えれば村に住んで細々と生計を立てるより、給料や待遇はぐっと良くなるだろう。
しかし男はそれをしなかった。義務感だったのかもしれない。けれど、それでも村を愛する気持ちが一かけらもなければ、領主の頼みを断ったりはしないだろう。
「そこで領主はある提案をした。それならば領都近くに村を移転させないか。その費用もこちらで持とう。だからその代わりに自分に仕えて欲しい、と」
「条件が破格ですね」
「履行されていればな」
ローランドの言葉に、アナスタシアは「え?」と聞き返す。
それは約束など守られなかった、守る気がなかったと言っているようだったから。
「領主は男を他領との争いに引っ張り込みたかっただけなのだろう。戦績さえ立ててくれれば、戦死したとしても構わない。むしろ戦死してくれた方が、村の方は何だかんだと理由をつけて放置しておけばいずれ滅ぶだろう。――そう言っていたと記録に残っている」
「それは領主の考えることではないのでは。だって領地と領民を守るのが領主の仕事でしょう?」
「そうだ。……しかし、焦燥と争いは人の心を歪ませる。平時では『ありえない』と踏みとどまることも、平気で行えるほどにな」
ありえない、と言いかけたアナスタシアの言葉を、ローランドは先に言葉にする。
「それでも男は帰ってきた。村を守るために必死で戦って、生きて帰ってきたのだろう。男の立てた功績と、その強さに領主は喜んだ。しかし村の件があった。約束の件をどうすれば良いか、どうすれば得かを考えた領主は『村が無くなれば良い』と結論づけた」
「まさか領主がブランロックを?」
「……誰も反対しなかったそうだ。もともと危険な土地だから何かあってもおかしくはない、と。――――そうして村は滅び、事実を知った男は怒りのままに槍を振るって、領主やそれに連なる者たちは一人残らず息絶えた。これがアーデン伯爵領が消滅した理由だ」
ローランドは資料を閉じるとアナスタシアに差し出す。
他の本と比べて薄い資料が、なぜかずっと重いものに見えた。
アナスタシアはそれを両手で受け取る。
「……皮肉なことだが、その一件が領主や領地に国が介入する理由となった。各領地に国の調査が入り、そして民の声が等しく王に届く仕組みが正式に確立したのだよ」
「ローランドさんの監査官というお仕事も、もしかしてその時に出来たのですか?」
「ああ。その時に作られた。その事でようやく国が、王が、領主からも民を守る、そんな国に成ったのだ」
そう話すローランドの声には、誇らしい、という感情が込められているようにアナスタシアには聞こえた。
ローランドは国や王を信頼しているのだろう。
「ローランドさん。レイヴン伯爵領みたいな事は、他の領地では起きているのですか?」
「少なからず、な。……アナスタシア。君も、我々も見られている。それを、よく覚えておきなさい」
警告とも、激励とも取れる言葉に、アナスタシアは神妙な顔で「はい」と、しっかり頷いた。
ソファーへと移動し、ローランドはそんな前置きから語り始めた。
レイヴン伯爵領の北に隣接したその土地は、同じ伯爵家とはいえ、ずっと広く、力があった。
しかしいくら土地が広くとも豊かであるとは限らない。アーデン伯爵領には危険種の生息地が点在しており、昔からその対応に頭を悩ませていたという。
必死で戦い、領民を守り――やがて領主の目は『外』へ向けられるようになった。
危険種の生息する土地など捨てて、新たな土地へ領民を移住させればどうか。そう考えた領主や、彼の側近はそう考えたそうだ。
そしてアーデン伯爵領は、他の領主が守る土地を侵略し、奪い始めた。
「それは国が許さなかったのでは?」
「ああ。国は許さなかった。しかし――当時は今よりもずっと、国が領主や領地を統制する力が弱かったのだ」
アナスタシアの質問にローランドは首を振ってそう答える。
当時、アーデン伯爵領に問わず、他領を侵略しようとした領地は他にもあって、争いや諍いも多かった。
そして巻き込まれるのは領民ばかり――何とかしようと国は必至に働きかけてはいたそうだ。
けれど、なかなか改善することは出来なかった。
それを取り締まる『法』がなかったのだ。
「他の領地を侵略してはならない。安寧を、平穏を望むならば、そんなことは言われずとも分かることだ。初めに法を定めた者もそう考えていたのだろう。言われないことは禁止されてはいないのだと、だからこれは違法ではないと、声高らかに他領を脅かす者が現れると思わなかったのだろう。アナスタシア、君は人間を危険種と同等だと言ったが、それはあながち間違ってはいないと私は思う。人間は危険種に成りうる存在だ。例えやむを得ない事情があったとしてもな」
ローランドの小雨の降る空のような灰色の目が、アナスタシアを真っすぐ見つめる。
「そんな時代、レイヴン伯爵領に統合された北の地。アーデン伯爵領からすると西だな、そこにブランロックという小さな村があった」
ブランロックは魔獣などの危険種の多い森の中にある村で、領都や商売の中心となる都市からも遠い、貧しい村だったそうだ。
なぜそんな森に村が出来たんですかとアナスタシアが尋ねると、その村の近くにはかつて星教会が有する聖なる泉の一つが存在していたらしい。
聖水はその泉の水から作られており、ブランロックは星教会から依頼を受けて、聖水を汲み、教会へ卸すという仕事で生計を立てていたそうだ。
しかしいつしか泉は枯れ、そういった仕事も無くなり、村だけがポツンと取り残された。
「その村にとても腕の立つ男がいたと言う。大きな魔獣が数匹現れても、槍を振りまわし、一人であっという間に倒してしまうほどだそうだ」
「お一人で。それまた、お強い」
「ああ。騎士団でもそこまで強い者はなかなかいないだろう。だからこそ、周辺領地との争いの最中であったアーデン伯爵は、そのウワサを聞きつけて彼を召し抱えたいと言ったそうだ。けれど、男はその誘いを断った。村を守るために離れるわけにはいかないと」
領主に仕えれば村に住んで細々と生計を立てるより、給料や待遇はぐっと良くなるだろう。
しかし男はそれをしなかった。義務感だったのかもしれない。けれど、それでも村を愛する気持ちが一かけらもなければ、領主の頼みを断ったりはしないだろう。
「そこで領主はある提案をした。それならば領都近くに村を移転させないか。その費用もこちらで持とう。だからその代わりに自分に仕えて欲しい、と」
「条件が破格ですね」
「履行されていればな」
ローランドの言葉に、アナスタシアは「え?」と聞き返す。
それは約束など守られなかった、守る気がなかったと言っているようだったから。
「領主は男を他領との争いに引っ張り込みたかっただけなのだろう。戦績さえ立ててくれれば、戦死したとしても構わない。むしろ戦死してくれた方が、村の方は何だかんだと理由をつけて放置しておけばいずれ滅ぶだろう。――そう言っていたと記録に残っている」
「それは領主の考えることではないのでは。だって領地と領民を守るのが領主の仕事でしょう?」
「そうだ。……しかし、焦燥と争いは人の心を歪ませる。平時では『ありえない』と踏みとどまることも、平気で行えるほどにな」
ありえない、と言いかけたアナスタシアの言葉を、ローランドは先に言葉にする。
「それでも男は帰ってきた。村を守るために必死で戦って、生きて帰ってきたのだろう。男の立てた功績と、その強さに領主は喜んだ。しかし村の件があった。約束の件をどうすれば良いか、どうすれば得かを考えた領主は『村が無くなれば良い』と結論づけた」
「まさか領主がブランロックを?」
「……誰も反対しなかったそうだ。もともと危険な土地だから何かあってもおかしくはない、と。――――そうして村は滅び、事実を知った男は怒りのままに槍を振るって、領主やそれに連なる者たちは一人残らず息絶えた。これがアーデン伯爵領が消滅した理由だ」
ローランドは資料を閉じるとアナスタシアに差し出す。
他の本と比べて薄い資料が、なぜかずっと重いものに見えた。
アナスタシアはそれを両手で受け取る。
「……皮肉なことだが、その一件が領主や領地に国が介入する理由となった。各領地に国の調査が入り、そして民の声が等しく王に届く仕組みが正式に確立したのだよ」
「ローランドさんの監査官というお仕事も、もしかしてその時に出来たのですか?」
「ああ。その時に作られた。その事でようやく国が、王が、領主からも民を守る、そんな国に成ったのだ」
そう話すローランドの声には、誇らしい、という感情が込められているようにアナスタシアには聞こえた。
ローランドは国や王を信頼しているのだろう。
「ローランドさん。レイヴン伯爵領みたいな事は、他の領地では起きているのですか?」
「少なからず、な。……アナスタシア。君も、我々も見られている。それを、よく覚えておきなさい」
警告とも、激励とも取れる言葉に、アナスタシアは神妙な顔で「はい」と、しっかり頷いた。
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