馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?
2-6 シズの家族
――――天気雨みたいな人だったなぁ。
ジャックが帰って行った後。
アナスタシアは少し前までのやり取りを思い出しながら、二杯目のお茶を飲んでいた。
この二杯目はシズが淹れてくれたお茶だ。ジャックの姿が見えなくなって肩の力が抜けたのか、
「ちょっと気分転換に淹れてくるね」
と言ってシズが淹れてきてくれたのである。シズはお茶を淹れると落ち着くようだ。
アナスタシアの場合で言えば、魔法仕掛けの道具を作っている時がそれにあたる。
さて、そんなシズが淹れたお茶だが、カサンドラと同じ味がした。
ほんのりとした自然な甘さと熱が心地よい。飲んでいたらアナスタシアは自然と笑顔になっていた。
これ好きだなぁと思いながら、アナスタシアは向かいに座るシズを見る。
「シズさん、お茶を淹れるのも上手なんですね。甘くておいしいです」
「やったー褒められた! いやぁ、最近は自分で飲む時以外に、誰かにお茶を淹れることがほとんどなかったから、ちょっとほっとしたよ」
シズはガッツポーズして笑う。
彼の言葉にアナスタシアが意外に思って目を丸くした。
「そうなんですか?」
「うちの隊の連中、大体がコーヒー派だから」
「あー」
理由を聞いてアナスタシアは納得した。
黒くて苦くて、ちょっと酸味のするあの飲み物。アナスタシアは少々苦手だった。
砂糖やミルクをたっぷり入れれば飲めなくはないが、自分から飲みたいとは言いづらい。大人になったらあの苦みが良いと感じるようになるのだろうか。
ただ、匂いは良かったなぁと思い出す。
そんなことを考えていると、カサンドラがお茶を飲んで軽く頷いた、
「うん、美味いね。腕は落ちていないようだ。フッやはり師匠が良いからか」
「それ自分で言っちゃう?」
カサンドラの言葉にシズは苦笑する。
「シズさんのお茶――とか料理の師匠はカサンドラさんなんですか?」
「そうそう。聞いてよアナスタシアちゃん、これが結構スパルタでさぁ」
「何がスパルタなもんだい。放っておくと延々とジャガイモの皮むきしてるんだよ、この子は」
「ジャガイモ?」
「蒸かしたジャガイモ、この子の好物でねぇ」
「なるほど、蒸かしたジャガイモ」
シズは蒸かしたジャガイモが好物。
カサンドラが教えてくれた情報に、これは覚えておかねばと、アナスタシアは頭の中にメモを取る。
そう言えば、自分の好みは知られているが、相手の好みはあまり知らないなとアナスタシアは思った。
今度、もっと周りの皆を注意深く見てみよう、そんな風に決意しているアナスタシアの前で、
「バターをのせると最高」
シズはサムズアップしてそんなことを言った。最高らしい。
いわゆる『ジャガバター』という奴だ。蒸かしたジャガイモにバターを乗せた食べ物である。
食材的にも、調理の行程的にも、そんなに難しいものではない。料理をほとんど作ったことのないアナスタシアでもチャレンジしやすい一品である。
シズの好物でもあるらしいし、自分でも食べてみたい。そう思ったアナスタシアは今度料理長に頼んで教えて貰おうか――なんて考えていると、シズが徐にテーブルに突っ伏した。
「あー、それにしても、何か危険種相手にした後の気分。言葉が通じる分、あれより厄介かも」
「ジャックさんのことですか?」
「そそ」
シズは顔を少し上げて肯定した。
うさん臭い笑顔を浮かべた糸目のあの男は、シズにとっては危険種に近いものだったようだ。
「まさかここで会うとは思わなかったよ。こう、心の準備がいる系だと思う」
「お前、そんなに繊細じゃあないだろう」
「ひどい!?」
カサンドラの言葉にシズが目を剥く。
その様子が楽しくてアナスタシアは小さく笑った。
「ジャックさんはいつ頃からこちらに?」
「二、三か月前くらい前からかねぇ。買出しに行った時に、たまたま知り合ったんだよ」
「マジで。えー、ちょっと、言ってくれたら良かったのに」
「取り立てて言うほどのことでもなかったからねぇ。たぶん、シズが思っているよりも、あの人は紳士だよ」
少し拗ねたように言うシズに、カサンドラは苦笑しながらそう言った。
その様子が普段の気さくなお兄さんというシズの雰囲気と違い、少しだけ子供っぽく見えた。
家族の前にだけ見せる姿なのだろう。アナスタシアが微笑ましく思ってみていると、視線に気づいたシズは「あっ」と慌てて体を起こす。
それからコホン、と誤魔化すように咳ばらいをした。
「ま、まぁ、でも? ニ、三か月前ならロンドウィックの件とは関係なさそうだね」
「そうですね。今日も本当に、援助の話のためだけに、ここへ来たのでしょう」
「だよね。さすがに行動まで読まれていたらシャレにならないし。そうなったら監査官に報告案件。――まぁ、今回も一応、報告はするけれども」
「人間は危険種と変わりませんからねぇ」
シズの言葉に頷いて、アナスタシアはけろりと言う。
相変わらずアナスタシアの中で人間=危険種の図式は崩れていないようで、シズは肩をすくめた。
「人間は危険種か。なかなか面白い考え方をするお嬢さんだねぇ」
「でしょ?」
カサンドラが楽し気に言うと、シズはニッと笑って頷いた。
それから、やや間を開けると少しだけ真面目な顔になる。
「……あのさ、先生。お金、厳しいの?」
眼差しに心配そうな色が混ざっている。ジャックから援助の話を聞いてから、ずっとそこが気になっていたのだろう。
一方、そう聞かれたカサンドラは「大丈夫だ」と首を横に振った。
「さっきも言った通り、生活していく分には問題ないんだよ。食事も十分に、衣類だって綺麗なものを身に着けられる。シズが仕送りをしてくれているおかげだよ」
「生活していく以外は?」
「大丈夫。……シズ。お金のことは、本当に良いからね。そもそも仕送りだってする必要はないんだよ。あんたが稼いだお金は、あんたのために使いなさい」
孤児院を巣立っていったシズに、これ以上負担をかけたくない。
暗にそう言っているカサンドラの言葉に、シズは「違う」と首を横に振り、手で軽く胸を叩く。
「心配しなくても、ちゃんと俺のために使っているよ。俺が使いたいところに、お金を使ってるだけ。俺の家はここで、俺の家族はここの皆」
「シズ……」
「これが俺のやりたいこと。院長先生は心配しすぎだって」
そう言ってシズがニカッと笑うと、カサンドラは困ったように、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。
「……すまないね。あたしももっと頑張らないとだ」
「それ以上頑張ったら、また腰痛めるでしょ。先生だってもう歳なんだから、体を大事にしないと」
「レディーに向かって歳の話題はタブーだって教えただろうに」
カサンドラが半眼になると、シズは「おっと、しまった」と手で口を塞ぐ。
そんな二人のやり取りを聞いていたアナスタシアは、何だか胸が温かくなった。
本当に仲の良い家族だなぁ、良いなぁなんてアナスタシアが思っていると「そう言えば」とシズがこちらに目を向けてくる。
「どうしました?」
「アナスタシアちゃん、あんまり驚かなかったなーって」
「驚くとは?」
「ほら、孤児院出身のこととか。話すと大体驚かれるか、突っ込まれるかと思ったから意外でさ」
シズが指で頬をかきながらそう言った。
アナスタシアは目を瞬くと、
「人は無からは生まれますまい」
と不思議そうにそう答えた。するとシズがぎょっと目を剥く。
「予想以上に深い回答が返ってきた!」
「まぁ地図上で残っているかどうかは別ですが、生まれた場所がない生き物はおりませんし」
「あっはっは! そりゃそうだ。本当に、面白い考え方をするお嬢さんだねぇ」
「褒められました!」
アナスタシアがえへんと胸を張ると、シズとカサンドラが笑う。
理由は良く分からなかったが二人は何だか嬉しそうだ。
嬉しいのは良いことだとアナスタシアも笑っていると、
「そこにいるんだろう! 出てこい、悪党どもがッ!」
突然、ビリビリと空気が震えるほどの怒声が響いた。
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