馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

2-5 それなりに驚いておりますが


 糸目の男と出会ってから、アナスタシアはカサンドラに案内され、孤児院の中へ入った。
 さすがにユニは中に入るわけにはいかないので、外で子供達と待っている。
 楽しそうな笑い声が耳に届くたびに、アナスタシアは「良いなぁ」なんてこっそり思っていた。
 同い年くらいの子供と会話したのは実は初めてのアナスタシアである。出来れば自分もそちらで一緒にわいわいしたい。
 しかし――図太いアナスタシアであっても、今の状況をほっぽり出して遊びに行くことは出来ない。
 なので大人しくシズと並んで座り、テーブルを挟んで糸目の男と向かい合って座っていた。

「お客様がいらっしゃるとは知らず、失礼致しました」
「いえ、ちょうど帰るところでしたから。というか、私までまたお茶を頂いてしまってすみません」

 まずは軽くそう話しかけると、糸目の男は出会った時と寸分違わぬニコニコ笑顔を浮かべ、首を軽く横に振る。
 表情こそ笑顔なのだが何だか妙に圧があるなぁ、なんてアナスタシアは思いながら、カサンドラが淹れてくれたお茶に口をつけた。

「あ、美味しい」
「でしょう? 院長先生の淹れたお茶、私も好きなんですよ」

 アナスタシアが素直な感想を言うと、男もまた同じようにお茶を飲む。
 ほんのりとした甘さが優しい、良い味だ。お茶は淹れる人によって味が変わるとは聞くが、カサンドラが淹れてくれたこのお茶の味は、アナスタシアは好きだった。

(――――それにしても)

 お茶を飲みながら、ちらりとアナスタシアは男の服装に目を遣る。
 何だか見覚えのあるデザインだ。
 男とはもちろん初対面なのだが、服装だけは覚えがある。どこで見たものだったろう――そう考えて、ややあって、それがロザリーやガースが着ていた服と同じデザインであると思い至った。
 つまりは、カスケード商会の、である。

「もしかして、カスケード商会の方ですか?」

 遠回しに聞く必要もなかったので、アナスタシアがストレートに尋ねた。
 すると糸目の男が「おや」と片方の眉を上げる。

「良くお分かりに」
「いえ、服装に見覚えがありまして」
「なるほど。――申し遅れました、私はジャック・カスケードと申します。仰る通り、カスケード商会の者です」

 ジャックと名乗った男は、優雅な所作で胸に手を当て、軽く頭を下げた。
 名前を聞いてアナスタシアは目を瞬き、シズが「ジャック・カスケード、、、、、……!?」とぎょっと目を剥く。
 アナスタシアがカスケード商会の名前を出した時に、シズは特に驚いた様子はなかった。恐らく服装で、相手がカスケード商会の人間であると勘づいてはいたのだろうが、まさか会長本人だとは思わなかったのだろう。
 何だってこんな場所に。
 アナスタシアもそうは思ったが、とりあえず挨拶だけはキチンとするのが礼儀である。そう考えて、にこりと笑顔を浮かべた。

「カスケード商会の会長でらっしゃいましたか。ご挨拶が遅くなりました、アナスタシア・レイヴンと申します。こちらは騎士のシズさんです」
「これはご丁寧に。……正直に申し上げれば、もう少し驚かれると思っておりました」
「思ったより早くお会い出来たなとは」
「聞いた話通り、動じない方だ」

 落ち着いた様子で受け答えをするアナスタシアに、ジャックは面白そうにくつくつと笑う。
 それからス、と表情を真面目なものに変えて、

「先日はうちの商会の者がご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」

 と頭を下げた。ロンドウィックの件を言っているようだ。

「ああ、いえ、私への謝罪ならば結構です。それはロンドウィックへお願いします」
「ええ、分かっておりますよ。我々の仕事は信頼が第一ですからね」

 ジャックは真面目な顔から、すぐにキラキラした笑顔になる。
 わざとらしいほどに表情が豊かである。そんなジャックを胡散臭そうにシズは見ながら、

「ところでジャック会長はなぜ孤児院に?」

 と聞いた。自分の実家に、先日ひと悶着あったカスケード商会の、しかも会長がいたのである。
 しかもお茶がどうのと言っているのを聞くと、今日初めて来たという感じでもないだろう。
 一体どういう関係なのか気にならないわけがない。 

「いえ、資金援助をさせて欲しい、とお願いに来たんですよ」
「資金援助?」

 ジャックから帰ってきた言葉にシズは驚き、カサンドラの方を見る。
 カサンドラは丸眼鏡に手をあてて苦笑すると、首を軽く横に振る。

「生活していく分には問題はないからね。お断りしたところなんだよ」
「ええ。生活していく分には、とね」

 おや、とアナスタシアは首を傾げる。

「なるほど、生活していく以外の分は不足していると」
「フフ、お分かり頂けて何よりです。……まぁ、本来であれば、こういった場所への支援は領主や貴族の気まぐれ――もといご厚意が多いのですが。ここは領主のお膝元であるにも関わらず、見向きもされていませんでしたからね」

 そう話すジャックの言葉には棘がある。
 その言葉に「それは」と反応しかけたシズを遮り、ジャックは言葉を続ける。

「……ところでアナスタシア様は、生活していく以外に、どんなものが必要だと思いますか?」
「漠然としていますね」
「ええ、漠然としています。どう思います?」

 うーん、とアナスタシアは頬に手を当てて考える。
 生活していくのに必要なの最低限のものは水や食べ物、衣服、住む場所だ。
 それ以外となると、何だろうか。
 アナスタシアは馬小屋で暮らしていたころのことを思い出す。
 暦の上ならば今は秋、そしてこれから先は冬だ。寒くなる中で、必要となるものは――。

「……暖を取れるものが一つですかね」
「暖?」

 アナスタシアがそういうと、ジャックは少し首をかしげる。

「火を沸かすのも、暖炉を使うにも、薪などの燃料が必要です。山や森から採ってくる方法もありますが、ここの孤児院は大人は院長先生一人、あとは子供です。厳しいかと思います。ですので、そういった費用は必要でしょう」
「…………意外と考えてらっしゃるんですね」
「褒められました」
「褒めてはいないと思うよ、アナスタシアちゃん……」

 アナスタシアは笑って「ですが」と続ける。

「他に何が必要なのか、お恥ずかしながら、私にはまだ分かりません。良ければご教授頂けますか?」
「アナスタシア様は誤魔化さないのですね」
「その場しのぎで無知を誤魔化したところで、私が無知がであることに変わりはありませんゆえ」
「足元を見られると言ったのですよ」

 苦笑するジャック。さきほどより表情がやや柔らかくなっている気がする。
 だが眼差しは面白がるように鋭くなる。いわゆる悪い顔、とやらになっていた。

「うちに喧嘩を売ってくるにしては、馬鹿正直過ぎるとは思いましたがね」
「被った猫はどちらへ?」
「猫もまた気まぐれですからねェ」

 ジャックの目にやや剣呑な色を感じ、シズが剣の柄に手を当てる。
 するとジャックは直ぐに両の手の平を向け、首を横に振る。

「おっと、物騒な真似はナシでお願いしますよ、騎士のシズさん? 別に何かしようってわけじゃないんですから」
「不敬のひと言で片付く問題だと思うけどね」
「おや、確かにアナスタシア様はローランド監査官の庇護下にはありますが、権力を思うままに出来る立場にある方ではないでしょう? それに、そのひと言で片付ける方でもない」

 でしょう、と目を向けられるアナスタシア。

「とても褒められている気がします」
「まぁ七割くらいは褒めてますかねェ」
「まったくそうは聞こえないんだけど」
「大丈夫ですよ、シズさん。資金援助しごとを申し出た場所で、かつ騎士の目の前で、カスケード商会を背負う会長がおかしな真似はしません」

 アナスタシアがはっきりとそう言うと、ジャックは声を上げて笑う。

「ハハハ。ええ、そうですとも。おかしな真似は致しません。言いましたよね」
「…………」

 納得はしていないが、シズはしぶしぶといった様子で柄から手を放した。
 それを見てジャックも手を下す。
 
「いやぁしかし、本当に動揺しませんね。少しくらい怖がって頂けた方が、そうした甲斐があるのですが」
「それはご期待に添えず。普段はそんな感じなのですか?」
「ええ、こんな感じですよ、商会うちではね。対外的にはもっと大人しいですよ。猫、被りまくってますから」
「なるほど、気になっていたのでありがたいです」

 にこやかに話す二人にシズは「えっと?」と困惑している。
 ジャックはにこーと笑う。

「いやぁ、驚かせてすみません。アナスタシア様がロンドウィックで、私をダシに使ったと伺ったので、つい」
「ロンドウィックでって……ああ! あれか!」
「さすがよく調べてらっしゃる」

 アナスタシアがあっけらかんとそう言うと、

「それが分かっていて落ち着いているのもどうかと思いますけど」

 などとジャックは肩をすくめてみせる。
 アナスタシアは「いやぁ」と小さく笑った。

「焦ったところですでに掴まれていたものは仕方がないですからね」
「なるほど。まぁそうでしたら、今回のは意趣返しとでも思って楽しんで頂ければ」
「害意がしっかり籠ってる!」
「ハハハ。ああ、笑った、笑った。……さて、名残惜しいですが、そろそろお暇しなければ」

 冗談めかして言いながら、ジャックはちらりと時計を見上げる。
 それから静かに立ち上がり、カサンドラの方へ頭を下げた。

「お騒がせしました、院長。またお邪魔します」
「何度来てもお断りはすることになると思いますが」
「しつこいのが商人ですから」

 諦めませんよ、なんて暗に言ってから、ジャックはアナスタシアに向かって、

「ああ、そうそう。大事な話を忘れるところでした。アナスタシア様、最近ウワサの首無し騎士の件ですが、我々ではありませんよ」

 と、思い出したかのように言った。
 そう言えば屋敷でそんな話をしたなぁとアナスタシアは思い出す。
 ここに来てから話題には出していないが、ジャックは自分達がそう見られているという予想をしていたのだろう。
 なのでアナスタシアは頷いた。

「はい、そうだろうなぁとは思っています」
「それは良かった。……それでは、アナスタシア様。近々、また」
「はい、お気をつけて」

 そして恭しく礼をしてジャックは帰っていった。
 その背を見送りながら、

「……猫かぁ」

 なんてシズがぽつりと呟いた。

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