馬小屋暮らしのご令嬢嬢は案外領主に向いている?

石動なつめ

1-10 趣味は人それぞれですが

 ロンドウィック山に流れる川は、上流に向かうにつれて透明度が失われ、逆に紫色へと変化していった。
 葡萄や花のような美しい紫色というよりは毒々しい。
 それを見て何かに似ているなぁとアナスタシアは思った。

 何だったけっとしばらく考えて、ふっと頭にレイヴン伯爵の第一夫人の顔が浮かんだ。彼女がごくたまにつけていた口紅の色が良く似ている気がする。
 正直に言うと、あの色は彼女に似合っていなかったとアナスタシアは思う。
 夫人は自分に似合う化粧と衣装――派手ではあったが――を熟知して身に着けていたのだが、その口紅だけは違った。
 彼女は華やかで派手な装いを好んではいたが、あの口紅だけは系統が違うのだ。

(そう言えば、お父様が帰ると連絡をよこしたのに、帰ってこなかった次の日につけていた気がする)

 アナスタシアの父親は、彼女の母親が亡くなってからはほとんど屋敷へ帰る事はなかった。
 仕事をしていたのか、愛人と過ごしていたのか、その辺りはアナスタシアには想像しかできない。
 ただアナスタシアの部屋が屋敷であった頃に、たまに「帰ってくる」と、第一夫人と彼女の子供達が嬉しそうに話しているのを見た事はあったが、実際に帰って来た事など片手の指の数より少ない。
 帰ると連絡が来るたびに第一夫人は綺麗に着飾って夫の帰りを待ち、そして帰って来なかった翌日にあの口紅をつけて香茶を飲んでいた。
 あれはもしかして、悲しい、苦しい、そういう気持ちを口紅で抑えていたのかもしれない。
 もちろんアナスタシアへの嫌がらせ等々は、帰ってこようがそうでなかろうがあったのだが。
 そんな事を考えていると自然と口数も減るもので、静かになったアナスタシアに気が付いたシズは、

「アナスタシアちゃん? 疲れた?」

 と心配して声をかえてくれた。アナスタシアはハッとして目を瞬くと、シズを見上げて首を振る。

「あ、いえ。まだまだ大丈夫です」
「そう? 疲れたら言ってね、俺背負うからさ」
「私はなかなかに重いですよ。成長期ですし」
「マジで。やだ嬉しい、俺、アナスタシアちゃんを背負ったら、毎回腕力鍛えられちゃう?」

 アナスタシアが遠慮すると、シズはニカッと笑って冗談交じりにそう言った。
 それを見てローランドが小さく息を吐く。

「心根は良いと思うが、君の言葉は少々危うい路線を走っている気がする」
「え!? どこがですか監査官!? 腕力の辺り!?」
「もっと前だ」
「マジの辺りか……」

 真剣な眼差しで呟くシズに、ライヤーが「行き過ぎだ」と笑う。
 何だか楽しくなってアナスタシアも笑っていると、ふとローランドが足を止め、目を細めた。
 進行方向を見つめるその目は睨むように鋭い。つられてアナスタシアもそちらを向けば、紫色の霧が漂っているのが見えた。
 川の色と似ているので、恐らく毒の類なのだろう。

「スカーフだけで突破できるでしょうか」

 表情を引き締めたライヤーがそう言うと、ローランドは腕を組む。

「毒の濃度にもよるが……アナスタシア。君が作った道具に風を発生させるものがあったな?」
「はい、ありますよ。えーと……これですね」

 アナスタシアは鞄に手を突っ込んで中を探ると、ひょいっと扇を取り出した。 
 淡い黄緑色をした扇で、親骨の端に透明な雫状の石がついている。

「お貴族様っぽいのキタ! ……ねぇねぇアナスタシアちゃん、それをびしっと突きつけて『この駄犬が』って言ってくれない?」
「だけん?」
「お前は何を言っているんだ」
「本当に何を言っているんだね君は」

 良く分からない事を言い出したシズにアナスタシアがきょとんとしていると、ライヤーとローランドが半眼になる。

「いやだって、こう、貴族のお嬢様にそう言われるの憧れません?」
「お前がそういう趣味なのは何となく分かっていたが後にしろ」
「後なら良いんすか?」
「良くない。アナスタシアにおかしな事を吹き込むな」

 ジロリとローランドに睨まれたシズは「ええー……」と残念そうに肩を落とす。
 三人の話がアナスタシアには良く分からなかったが、シズは「駄犬」と呼んで欲しいらしい。そしてローランドとライヤーからすればそれはおかしな事らしい。
 どちらを選択しても、両方が「オッケーだよ!」とはならない事が、世の中の縮図のように思えて難しいなぁとアナスタシアは思った。
 ので。

「これは『風の扇』と言いまして、普通の扇で扇いだ時の何倍もの風を発生させる事が出来ます」

 とりあえず話をぶった切って道具の説明をし始めた。
 これにはさすがのローランドも目を丸くして、

「君はこの流れで道具の説明を入れるのか」
「いえその、合いの手代わりに」
「何か違う気がする」
「会話って難しいですね」
「君との会話が時々難しいだけだと思う」

 ローランドがこめかみを押さえたのを見て、アナスタシアは「なんと」などと、やや芝居じみた様子で笑うと、つられたように三人も噴き出した。
 場の空気が少し緩むと、

「それじゃあ、それで扇いで進めば良いって事っすね」
「ああ。それではアナスタシア、頼む」
「合点承知」
「君はその言葉をどこで覚えたんだんだ?」
「馬です」

 さらっと答え、ローランド達がぎょっとして「馬たちの語彙力はどうなっているんだ?」などと話しているのを他所に、アナスタシアは『風の扇』を構えた。
 そして両手で大きく振り上げると、

「えい!」

 と、可愛らしい掛け声と共に振り下ろす。

――――途端に、激しい突風が通りぬけた。

 木々が揺れるほどの勢いである。
 すっかり散った毒の霧を前に、アナスタシアはやりきった笑顔でローランド達を見上げる。

「整いました」
「……そうだな」

 えへんと胸を張るアナスタシアに、何とも言えない顔でローランドは頷き、再び歩き出した。

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