客観的恋愛曖昧論

白山小梅

理不尽な言い分3

 晃は大きく項垂れ、カウンター席に寄りかかる。

「……自由な暮らしだぞ? 何にも縛られず、好きなことが出来る。何が悪いんだ?」

 口を開こうとした二葉の肩を匠が優しく叩く。

「悪くはありませんよ。あなたのように、そういう生活を望む人だってたくさんいる。ただ先生はそれを望んでいないということです。お二人は結婚生活を続けるうちに、きっと価値観や望む未来の姿が変わってしまったんです」
「……真梨子はそんなに子どもが欲しかったのか?」
「たぶんそれだけじゃありません。あなたからの愛情も欲していた」

 そう……それが叶わないから、逃げたんだ。

 二葉は匠の腕を握りしめると、晃をじっと見つめた。

「前に友人が言ってました。体の関係がなくなると、恋人というより友達のような気持ちになるって。あなたはそれで良かったかもしれない。でも真梨子さんは愛されたかったんです。言葉もない、行為もない、一方通行の愛情。それってただの同居人ですよね」

 今も愛してる人なのに、夫婦なのに……。何度も何度も訴えたのに、欲しいものに手が届かない葛藤。この人はそんな真梨子さんの気持ちをきっとこれっぽっちも理解していない。それが悲しかった。

「先生はすごく面倒見が良くて、厳しいけど信頼出来て……。いつも笑顔で、生徒に愛情を持って接してくれる良い先生でした」
「君は……生徒だったのか?」

 匠は頷く。

「お子さんがいたら、たくさん愛情を注いで、一緒に楽しんだり悲しんだりしてくれるお母さんになるんじゃないかな……」

 不思議だな。こんな風に先生の話をする日が来るなんて。それもこれも、真っ直ぐに誰かのことを考えられる一生懸命な二葉に感化されてるからだろうな。

 本当に二葉ってすごい。俺にこんな想いを抱かせて、行動にまで移させるんだから。でも二葉の尻になら敷かれていたいとさえ思える。

 二葉は匠の手を握ると、晃の前に立つ。

「真梨子さんの話をちゃんと聞いてください。そして真梨子さんの気持ちを受け止めてあげてください……。お願いします」

 晃は二人の方を見ようとはせず、よろよろと起き上がると、店の入口へと歩き出す。そしてそのまま店を後にした。

 晃の姿が見えなくなると、緊張の解けた二葉は匠の胸に抱きつき、力が抜けていく。

 崩れ落ちそうになった二葉の体を抱きしめ、匠は笑い出す。

「本当に二葉って突っ走るよね〜! 冷や冷やしたよ〜」
「あっ……またやっちゃった……ごめんなさい。私言いすぎた?」
「さぁ、どうかな。あの人にはあれくらい言わないとわからないんじゃないかな」
「……それなら良かった……。あっ、真梨子さんは? 大丈夫だったかな……」

 匠は頭の中で、兄が真梨子を連れていなくなったシーンを回顧する。その上で、二葉には伏せておこうと考えた。

「結構時間稼げたし、大丈夫じゃないかな。ただこれからどうなるかはわからないけど……」
「うん……」
「もうここからは夫婦の会話だからね。二葉は先生からの連絡を待つこと。わかった?」
「も、もちろん」

 二葉が頷くと、匠は彼女の頭を撫でる。

 それからハッとしたようにバーテンダーに声をかけた。

島崎しまざきさん、お騒がせしてすみません」
「いえ、ちゃんと社長から連絡をもらっていたので大丈夫です」
「っていうか、なんで兄貴が……」

 匠が言いかけるが、島崎が遮る。

「匠さん、野暮なことは言いっこなしですよ」

 にっこり笑って人差し指を口の前に立てた島崎の仕草に、匠と二葉は意味がわからず首を傾げた。

「まぁいっか。二葉、これからどうする? 飲み直す? っていうか、俺は飲んでないけど」
「私も一杯しか飲んでないよ。でもちょっと疲れちゃったかも……なんか精神的にクタクタ……」

 その時、二人の視線が合い微笑み合う。

「……もしかして同じこと考えた?」
「それはわからないよ」
「じゃあ一緒に言ってみる?」
「いいね。そうしよう。せーのっ……!」

「匠さんのお家に行きたい」
「俺の家に来る?」

 意見がピタリと合い、二人は嬉しそうに手を繋ぐ。

 もういっそのこと、一緒に暮らしたい……と言いかけて、その言葉をグッと飲み込む。

 まだ早い。とりあえず《《あのこと》》を終わらせてからじゃないと……。匠は二葉にバレないように拳を握りしめた。

 

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