客観的恋愛曖昧論

白山小梅

始まりの場所1

 匠は二葉のアパートまで車で迎えに行く。片付いていないからと中には入れてもらえないが、淡いイエローの外観が可愛らしいアパートだった。二葉の部屋があるのは二階だが、既に階段の下で、いつにも増してウキウキしている様子で待っていた。

 泊まりの荷物を後部座席に乗せると、嬉しそうに顔を綻ばせる。

「どうしよう。今から楽しみで仕方ないの!」
「俺も。今回はスタートから二葉と一緒だからね。写経とか納経帳も大丈夫?」
「もちろん! あっ、あとこれも」

 二葉はカバンの中からあの日の輪袈裟を取り出す。

「俺も持ってきたよ。そのまま使う? 交換する?」
「……せっかくだから交換したいな。お互いのをずっと持っていたんだし、結願したらまた匠さんのをもらっていい?」

 覗き込むように尋ねる二葉に、匠はそっとキスをした。

「……朝からそういう可愛い表情をしないでくれる? 我慢できなくなるから」
「こ、これから巡礼なのに、煩悩だらけじゃない……」
「……大丈夫。着くまでに消し去るから」

 匠の返事を聞くなり、二葉は持っていたビニール袋を開ける。

「あのね、飲み物とかおやつとかいっぱい買ってきたの。何か欲しいものがあったら言ってね!」

 袋いっぱいに、飲み物や様々な種類のお菓子が入っていた。

「じゃあコーヒーある?」
「もちろん」

 まるで遠足みたいだな……匠は思わず吹き出した。

* * * *

 四萬部寺の駐車場にクルマを停めると、二人は各々の荷物を持ってクルマを降りた。

 二葉は匠のそばに駆け寄ると、輪袈裟を彼の首に掛ける。匠も思い出したように二葉の首に掛けた。

「六年振りだね……しかもこのお寺から始まったし」
「そうだね……ちょっと感慨深いかも」

 二人は本堂への道を進む。線香と蝋燭に火をつけ、写経を納めると、いつものように般若心経を唱え、納め札を箱に入れた。

 納経帳は二人とも三度の重ね印が押されており、今回は四巡目になる。

「匠さんは私と巡った後は来てないの?」

 二葉が聞くと、匠は気まずそうに笑った。

「うん、でも代わりに西国三十三観音様とか行っちゃった」
「えっ、いいなぁ。西日本はまだ一ヶ所も行けていないよ……」
「いつか一緒に行こうよ。でもその前に坂東三十三観音様を行かないとね」
「うん、楽しみにしてる」

 二人は車に戻る前に巡礼用品の店舗に立ち寄る。ここで二葉が匠に声をかけて、二人の旅が始まったのだ。

 縁って本当に不思議。まさかあの出会いがこうして繋がるなんて思いもしなかった。

「あっ、私お御影みえ入れが欲しかったんだ」
「あぁ、仏さまの姿絵を入れるやつ?」
「うん、きちんと保管したいなぁと思って」

 二葉が赤いお御影入れを選ぶと、匠は青を手にする。

「俺も買おうかな」
「うふふ。お揃いだ」
「だね」

 店舗を後にしてから車に戻る前に、思い立ったように二葉は八体佛に近寄り、そっと目を閉じ手を合わせた。

「匠さんと出会わせてくれて、ありがとうございました……」

 すると匠も隣に立って手を合わせる。

「これからも二葉との縁が続きますように……」

 二人の気持ちが同じ方向を向いていることが嬉しかった。顔を見合わせ笑い合うと、次の寺へ向かった。

* * * *

 五番札所の語歌堂ごかどうは無人のお堂のため、お参りを済ませてから長興寺ちょうこうじの納経所に行って御朱印をいただくことになっている。

 語歌堂に着くと、二葉は今までになく熱心に手を合わせていた。それを見て、匠は何となく感じるものがあった。

「二葉?」

 匠は背後から二葉を抱きしめる。二葉はその手を掴み、頬を寄せた。

「……ここってね、秩父の札所の中で唯一の准胝観音じゅんてい様なんだよね。准胝っていうのは『限りない清浄』を意味してるんだって」

 辛いことも苦しいことも、傷付いた人たちが癒されますように……そして……。

「あとは子授け、安産でしょ? 二葉、また先生のこと考えてるんじゃない?」

 二葉は驚いたように目を見張ったかと思うと、今度は下を向く。

「うっ……ごめんなさい……」
「まぁいいよ。自分だけじゃなくて、誰かの幸せのためにお参りをする気持ちも大事だと思うからさ」

 匠は笑顔で二葉の頭を撫でる。その優しさが、二葉の胸を苦しくさせた。

「でもそっか……。子授けと安産……ねぇ二葉、そろそろ俺たちの子どもでも考えちゃう?」
「えっ⁈」
「だって子授けと安産だよ。俺たち二人だってアリじゃない?」

 にっこり笑う匠に対して、二葉は顔を真っ赤にして挙動不審になる。

 その動きの意味が、嬉しいからなのか、それとも困っているのかは匠にはわからなかった。

 俺は今すぐにでもいいんだけどね。そう思いながら、匠は二葉の背中を叩く。

「さぁ、先に行こうか。九番の明智寺で二葉が愛してやまない如意輪観音様が待ってるよ」
「あっ、そ、そうだった!」

 二葉は匠が差し出した手を握り、長興寺へと歩き出した。

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