客観的恋愛曖昧論

白山小梅

真梨子の痛み1

 真梨子は二杯目のカクテルを注文する。

「……夫は医者でね、忙しくてなかなか家に帰って来ないの。そのことはわかってたから、家族からは反対された。でも好きだったから押し切って結婚したの。すごく優しい人、いい人。でも結婚してから私と彼の違いに気が付いた。私は子どもが欲しいのに、彼にはその願望がなかったの。子どもがいたら、今の仕事のやり方に私が文句を言うって思ったみたいね。だから、そんなことはないって言ったわ」
「……返事は?」
「納得してくれた。でもね、その話をした時は既に結婚四年目。私たちが性交渉をしなくなって二年が過ぎていた。もう今更出来ないって言われたの。私は子どもが欲しいし、性欲だってずっと我慢してきた。それならって人工受精も提案したけど、忙しいから無理って言われたわ」
「そんな……」
「だから諦めて二人でいる生活を選んだの。とは言っても、家にほとんど一人なんだけど……。結婚した友達は子どもの話ばかり。妊娠したって聞くと悔しくなる。独身の子は生活を謳歌してるし……あなたの言う通りよ。私は誰にも話せず、一人でずっと抱えてきた……」

 真梨子の瞳から涙が幾つも溢れ、止まらなくなる。二葉は居ても立っても居られず、嗚咽を堪える彼女のことを抱きしめた。

 カバンからハンカチを取り出して、真梨子に差し出すと、彼女は口元に当てて声を押し殺す。

 真梨子の苦しみ、悲しみ、辛さの全てを理解することは無理かもしれないが、その想いを少しでも軽くしてあげたい。

 そう思っても言葉が見つからず、何を言っても彼女を癒すことはできない気がした。

「……匠と再会したのはその頃だった。彼は私を好きだって言ってくれたし、きっと私を満たしてくれる……ううん、この埋まらない心を満たして欲しい……そう思ったの」
「……満たされましたか?」
「……性欲はね。この間匠が言ってたでしょ、言わされたって。確かに言わせてたかもしれない。主人の代わりに、私を愛するように強要したの」

 二葉の腕の中で、真梨子の声は徐々に小さくなっていく。

「……愛が欲しかった。孤独だった。子どもがいないならせめて夫から……でもそれもなくなって……だから匠に愛を強要した……最初から愛なんかなかったのに、彼の優しさを利用したのよ」

 どうしてこの人は孤独なの? こんなに苦しんでいるのに、そばで彼女の想いを理解してあげなきゃいけない人は、一体何をしているの?

 二葉は唇を噛み締め、拳を強く握りしめる。

「……私、これから暴言を吐きますが許してください」
「……わかったわ」

 二葉は大きく深呼吸をすると、真梨子を抱いていた手を外し、彼女の両肩を掴む。そして真っ直ぐ真梨子を見つめた。

「あなたのご主人は最低です。クズです。奥さんがこんなに苦しい思いをしているのに、奥さんの心より自分のことしか選べないような男は優しいとは言いません。自己中です。結婚式で愛を誓うんですよね? 結婚は恋愛じゃないんです。お互いの人生を背負うんです。一人で生きるんじゃなくて、家族として生きるんです。それを全くわかっていない自分勝手な人です。お互いを思いやって、愛し合って、喧嘩したって許し合って、尊重し合うのが夫婦なんじゃないんですか⁈ 同じ方向を向いて、二人で壁に立ち向かうのが夫婦なんじゃないですか⁈ どうしてあなただけがこんなに我慢しないといけないんですか⁈ 私は……同じ女として、あなたにこんな思いをさせるご主人が許せないです!」

 二葉の目からも涙が溢れる。すると何故か真梨子が泣きながら笑い出した。

「あなた……変な子! 人の旦那をけちょんけちょんに言うなんて……」
「そ、そうですか……? だって話を聞いてたら悔しくなって……。でも……何も現実を知らない小娘の意見ですが……」
「そうね、本当よ。何も知らないくせに」
「……」
「でも少し懐かしかった……」

 大泣きをして息を切らす二葉を見ながら、真梨子はそっと目を閉じた。

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