客観的恋愛曖昧論

白山小梅

交わる時2

 二人はシャワーを浴びてから、ソファへ戻ると食事を再開した。だいぶ時間が空いたこともあり、二人は空腹のピークだった。

 二葉は部屋着を持参していたが、匠からの要望で彼のワイシャツを着せられる。明らかに丈の短いシャツに、二葉は足元がスースーして落ち着かない。しかし匠はその姿が可愛いくてずっと笑顔で二葉を眺めている。

「いいね、彼シャツ姿の二葉。そそられる」
「……それはどうも」

 二葉は太腿に伸びてきた匠の手ピシッとを止めて、彼の口にブロッコリーのサラダを突っ込む。

「美味しい?」

 楽しそうに笑う二葉に、匠も同じようにキッシュを食べさせる。すると二葉の目が輝く。

「あっ、このキッシュ美味しい!」
「でしょ? 俺のお気に入り」

 なんて穏やかに時間だろう。初めて会った日には、こんな二人の姿は想像出来なかった。まだ若かったし、偶然知り会って体の関係を持ったけど、たった三日しか一緒にいなかったような相手なのに、自分でもびっくりするくらい夢中になった。

 今まで出会った誰よりも隣にいることがしっくりきたんだ。会話も、笑顔も、もちろん体も。

 でも二葉はその関係を続けようとはしなかった。一時の感情に流されずに、すっぱりと別れを選んだ。お互いにあんなに惹かれあってたのに、この感情は偽物であると言った。

 それを聞いてハッとした。俺は曖昧な感情に流されて先生と関係を持ったんだ。昔好きだった先生、今も好きに決まってる……。だけど何年も経つのに、同じ感情でいるわけがない。ましてや相手は結婚しているのだから。

 だからあの後、先生には『もう会わない』と伝えた。すると先生は『わかった』とあっさりと言った。ただ最後にこう付け加えて。

『あなたは私を忘れられない。いつかまた会いましょう』

 ゾッとした。また会うってどういうことだ? 日本にいる間はその怖さがあったが、仕事でイギリスにいる間は伸び伸び過ごせた。

 日本に戻ることになって、一番の気掛かりがそれだった。でもあれから六年も経っている。気にすることはないと思っても、まるで洗脳のように俺の心に影を落としていた。

 だがその不安を超える出会いが待っていたんだ。そんなことが起きるなんて予想もしていなかった。

 古巣に戻って、同期をからかいに行った。まさか隣にいた可愛らしい女性が、あの時の二葉だと知った時の喜びは説明し難い。

 初めは気付かなかった。髪の色も髪型も全く違ったし、服装だって違う。でもあの屈託のない笑顔と、優しく響く少し低い声が、彼女であることを教えてくれた。

 しかも告白した俺に『ちゃんと恋愛をしたい』と、体の関係を否定した。確かにあのまま始めていたら、六年前の延長になったかもしれない。

 今の二人を知った上で、それでも好きなら本物と言いたかったんだろう。そういう頑固なところはあの日の二葉と変わらない。

 俺が忘れられなかったのは先生じゃなくて二葉だった。先生のことを二葉は知ってるし、帰国するまで抱えていた不安は彼女との日々ですっかり薄れている。

 ただ先週の突然かかってきたあの電話……。一体なんだったんだろう……。

「匠さん?」

 二葉の手が匠の頬に触れ、匠はようやく我に返る。彼女は心配そうに匠を見つめていた。

「……何か悩み事? 時々上の空になってる」

 あの電話のことを話すべきだろうか。でも今この幸せな時間に水を差したくないのも事実だった。

 匠が困ったように下を向くと、二葉は彼をぎゅっと抱きしめる。

「……あのね、秩父での時はたまたま知り合った二人だった。だから匠さんに何か悩みがあるのはわかっていたけど、本人が言わないなら聞かない方がいいと思ったの。でも今は……ちゃんと恋人同士でしょ? もし何かあるなら聞くよ。隠し事はしないでね」

 その言葉を聞いて、匠は呼吸をするのを忘れてしまった。恋人同士だからこそ、踏み込める場所もあるのか……。言わないことが、心配をかけないことだと思っていた。でも二葉にとっては逆で、隠し事をされると不安になるんだ。

 匠は二葉を抱き上げると、自分の膝の上に乗せる。そして彼女を抱きしめ、温かい胸に顔を埋めた。

 心臓の音が心地良く響く。そんな匠を彼女は両手で優しく包み込んだ。

「……愛してるよ、二葉……」
「うん、私も」

 その時だった。匠のスマホにメールが届く音がする。

 画面を見た匠が体を震わせた後に硬直する。その瞬間、二葉は匠の身に何かが起きていることをはっきりと理解した。


 
 

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