客観的恋愛曖昧論

白山小梅

彼の部屋2

 金曜日、二葉はいつもより大きめのカバンに下着や洋服、メイク道具などを入れて出勤した。

 いつもと違うカバンだし、誰かに見られるのではとソワソワしたが、なんとか切り抜ける。  

 仕事を終えて匠のマンションへ向かおうとした時、美玲だけには見られてしまうが、ニヤニヤしただけで何も言われなかった。

 あれは後で詮索されるパターンだろうな……覚悟しておこう。

 二葉は会社の最寄り駅の構内に入ると、いつもとは違う電車に乗る。遊びに行く時には使う路線だが、これに乗って彼の家に行くなんて不思議な感覚だった。

 元々彼氏がいたのは大学の時の一人だけだし、嫌な思い出しかない。

 そう考えると、匠さんとの日々は全てが新しい。こうして匠さんとの思い出が、嫌な記憶を上書きしてくれる。

 でもあの日のことは上書きしないで欲しいな……。だって良いことしかないから。

 電車に揺られること五駅、二葉は電車を降りると改札へ向かう。すると改札の外で、スーツのままの匠が笑顔で手を振っていた。

 二葉は小走りで匠の元に近寄る。

「ごめんなさい。かなり待った?」
「大丈夫。一度帰って荷物置いてきたし。夕飯どうする? 食べても良いし、テイクアウトとか出前でも良いけど」
「……あの……せっかくだから匠さんのお家でゆっくりしたいな〜……なんて……」

 二葉が言うと、匠は嬉しそうに彼女のカバンを持ち、手を繋いだ。

「じゃあテイクアウトにしよう。そこのデリがなかなか美味しいんだ。お酒はうちにあるし」

 匠が立ち寄ったのはデリ専門のお店で、海外の雑貨屋のような佇まいが可愛いらしい。慣れた様子で注文をして商品を受け取ると、二人は歩き出した。

 若者が住みたい街と言われるだけあって、遅い時間であっても人が多く賑わっていた。

 歩き始めてそんなに経っていなかったが、匠の足が止まる。

「このマンションだから。覚えてね」

 二葉は思わず目を細めた。そこは低層とはいえ、驚くほど素敵なマンションだった。何も考えずにエントランスに入っていく匠の後ろ姿を、二葉は慌てて追いかける。

 高級ホテルのような内装のエントランスとエレベーターに衝撃を受け、腰を抜かしそうになった。

「秩父の時も思ったけど、匠さんって何者なの?」

 すると匠はいたずらっぽく笑う。

「さぁ、何者なんだろうねえ」
「……どうしよう……今になって危機感を覚えてる……」
「あはは! じゃあ今から逃げ出す?」
「……意地悪なんだから」

 エレベーターを降り、廊下を突き当たりまで歩く。301号室の鍵を開けて中に入ると、普通より少し広めの玄関が現れる。白いタイル朝で、明るい印象を持つ。

「どうぞ〜」

 匠に招き入れられ、部屋の中へと入っていく。天井の高いリビングダイニングには、L字型の茶色い革張りのソファが存在感を示していた。

 その前に置かれたローテーブルは、中がコレクションケースになったガラス製で、時計やサングラスが飾られていた。

 だが匠は何も気にせず、その上に先ほど買った食品を並べ、手際よく飲み物なども準備した。

「旅先での出会いが、こんなふうになるなんて思わなかったな……」

 ソファに座って美味しそうな食べ物を眺めながら二葉がポツリとつぶやくと、匠は隣に座ってシャンパンの入ったグラスを手渡す。

「確かにね。でもあの日の出会いも、今回の再会も、もしかしたら仏様が準備してくれたのかもよ」
「最近ちょっと思うの。私がだめんずばかりに引っかかったのは、匠さんと出会うためだったのかなぁって」
「相変わらず壮大な発想。でもそうだとしたらすごいことだよね」
「……私、もっと写経書いて般若心経の練習しないと。仏様に感謝してもしきれない」
「あはは! 今も毎日一枚書いてるの?」
「最近は残業も多かったから、休みの日とかに書いたりはしてるけど」
「ふーん……」

 匠は不敵な笑みを浮かべると、二葉をソファに押し倒す。

「でも今週末は全部俺の時間だから。いい?」

 二葉が返事をする間も無く、唇を塞がれた。


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