客観的恋愛曖昧論

白山小梅

偶然の二人1

 匠さんと過ごした三日間。あれから六年が経過しても、未だに思い出が色褪せることはない。

 そう。色褪せないから困ってる。むしろ少し脚色されているのではと思うくらい、彼を超える人に出会えていないのが現状だった。

 慎吾と別れてから、次に出会った人はただの女好き。付き合っていると思っていたら、二股の二番目だった。

 その後に合コンで知り合った人には、ホテルまで行ったのに『そんなつもりはなかった』発言。

 その次に街コンで会った人は、優しいんだけど、趣味が合わなかった。

 終いには社内の妻子持ちにしつこく言い寄られただけなのに、不倫していると噂を立てられ辞職に追い込まれた。

 だから思ったの。今は恋愛の時期じゃないんだって。今恋をしようとしても、きっとだめんずに引っ掛かるだけ。

 それなら私は仕事に力を入れよう。まずは自分を磨いてから、恋をしたっていいじゃない。

* * * *

 二葉が出勤すると、オフィスがざわついている。自分の席に着くが、いつも隣にいるはずの先輩の姿もない。

 そこへ二葉と同じフロアで働く友人の美玲みれいが近付いてくる。肩より少し長めの髪を一つにまとめ、バーガンディの縁の眼鏡をかけていた。

「おはよう。何かあったの?」
「おはよ。それがさ、イギリスでの企画に携わっていた人が来週帰国することになってたのは知ってるでしょ?」
「うん、木之下きのしたさんの同期で、最大のライバルなんでしょ? 『帰ってくるなー!』って頭抱えてたよ」
「あはは、ウケるんだけど。その人が何の手違いか、今日から出社することになったらしくて、まだ準備とか補佐の担当とか決めてなかったから、てんやわんやみたい」
「ふーん……。そんなにすごい人なの?」
「そうだね、若いのにかなりのやり手。誰が補佐に付くのかなぁ。まぁ私たちには関係ないけど」
「だね」

 二葉が様々な形態のホテルを展開するこの会社に転職し、企画部に配属された。同じ年齢ということもあり、いろいろ教えてくれたのが美玲だった。

 二葉と美玲はそれぞれ先輩の補佐として働いていた。雑務が多いが、それでも忙しい毎日の方が充実している。

 そんな話をしている間に、隣の席に木之下が戻ってくる。不機嫌そうな顔で椅子に座ると、頭を掻きむしる。

「木之下さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう。そうだ、頼んでた資料の打ち込みなんだけど、お昼までにお願い出来る? 午後の会議で必要になっちゃって」
「わかりました」
「木之下さん、めちゃくちゃ不機嫌ですね。そんなに副島そえじまさんが戻るの嫌ですか?」
「当たり前だろ……あいつがいると、俺の勝率が下がる……この二年は天国だったなぁ」

 副島さんっていうんだ。私が転職してきたのが一年前だから、知らなくて当然か。

 その時、周りのざわめきが大きくなる。立っている人の奥を、二人の人間が通過していくのが見えた。

「みんな集まってくれ。イギリスでの仕事を終えて、副島くんが帰国した。今日からまた一緒に働くことになったから、みんなもビシビシ鍛えてもらうように!」
「副島です。馴染みの顔がたくさんいるけど、またよろしくお願いします」
「よし、じゃあ仕事に戻ってくれ」

 副島の周りには多くの人集ひとだかりが出来ているため、二葉は姿を見る事が出来ない。

「すごいでしょ。仕事面で男性支持もあれば、女性人気も高いからね。じゃあ私も戻るね」
「うん」

 二葉がパソコンを立ち上げ、資料の確認作業を始めた時だった。

「木之下〜!」

 その声が聞こえた途端、木之下の顔が引きつる。彼の隣の席に、その人物が座る音がする。

「久しぶりの再会だろ? 同期なんだし、温かく迎えろよー」
「あー、どちら様でしょうか。俺には同期なんかいません。仕事の邪魔なので話しかけないでくださーい」
「……すごい棒読みなんだけど」

 二人のやり取りを聞きながら、相手が先ほどからフロアを賑わせている副島だと確信する。

 ちらっと横目で見たが、木之下の背中と被って顔は見えない。まぁ今は急ぎの仕事があるし、これを片付けないと。

「なぁ、今日の昼飯付き合えよ。いろいろ聞きたいことあるし」
「あぁもう! 俺は午後の会議のことで忙しいんだ!」
「じゃあそっちも手伝う? 挨拶回りは昨日済ませてるし」
「……手伝ってくれるのか? お前イギリスに行ってから丸くなったんじゃない? さては女でも……」
「そういう笑えない冗談言うならやめるけど」
「嘘です嘘です! 雲井さん、打ち込み手伝ってくれるって。資料半分渡していいぞ」
「あっ、はいっ」

 木之下に言われ、資料に手をかけた時だった。

「雲井さんっていうの?」
「す、すみません! 自己紹介が遅れました。木之下さんの補佐をしてます、雲井二葉です」

 お辞儀をして頭を上げた二葉は、目の前の人物を目にして不思議な感覚に陥る。あれ? どこか懐かしいのは何故だろう……。

 そこで二葉ははっとする。清潔感のある黒髪、整った顔立ち。この顔ってもしかして……。

 それは相手も同じだったようで、お互いの顔を見つめ合う。

「……二葉さん?」
「はい、二つの葉っぱって書きます」

 二葉は彼の表情を見逃さないよう慎重に言うと、副島は驚いたように口元を押さえた。

「あぁ、ごめんね。副島匠です」

 やっぱり……! 二葉は驚きで涙が出そうになるのを堪えた。それを見て彼は困ったように微笑んだ。

 あの日の記憶で止まったままの匠さんが、あの頃よりずっと大人の男性となって私の前に現れた。

 色褪せない思い出の彼を前にして、二葉は久しぶりに胸が高鳴る。

 しかしその"色褪せない思い出"と、六年の時を経た"今の想い"の間で、二葉の心は複雑に入り乱れたのも事実だった。

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