宇宙図書館の司書
第10話
王都に貴族街の一角に周囲の豪邸程ではないが、アウルにとって人生で三番目に大きな屋敷である。ここはマーティン伯爵の別宅だ。因みに二番はアイビスの本宅である。
応接室に通されたアウルは、目の前に出された紅茶を一口も飲むことも出来ないほど緊張し肩をこわばらせていた。テーブルを挟んだ先のブリザードのような眼力が息をするのも憚られるほど恐ろしい。バトラーも下がらせてまさかの二人きりの状況に今にも吐き出しそうになる。
「さて」
漸く口火を切ったのは、ティーカップに口を二度つけたマーティン伯爵だった。アウルはこれから何を言われるのか息を飲んだ。
「孫のジャックが貴様に頼み事をしたようで」
「ええ…まぁ…」
法外な金額を吹っ掛けたことが脳裏を過る。無論、宇宙図書館の門を開くには豪放な金額であり、支払いが無理なら断ればいい話だ。もしかしたら伯爵はアウルがジャックをたぶらかしたとか、脅したと勘違いしているのではないだろうか。例え勘違いでなくても、庶民が貴族に金をたかったと思われたのかもしれない。これだから貴族には関わりたくないのだと、アウルは遅い後悔に苛まれた。
「これを受け取りなさい」
アウルは極度の緊張のあまり伯爵から目が放せないでいた。伯爵の言葉も耳には入るものの、言葉の内容を理解するまでに時間がかかった。伯爵はそんなアウルをいぶかしみ眉間に皺を寄せたところでアウルは我に返り目を見開いた。
「は?え?」
そして首を上下に動かし、テーブルに差し出されたものと伯爵の顔を交互に見た。そのものが札束であることが解るまでにも時間を要した。
「これは孫が迷惑をかけた分と、これより一切孫の依頼を受けないでもらいたい。貴殿が提示した五百万と、儂からの気持ちでもう百万ある。足りないかね?」
「足りる足りないというより、意味がわかりません」
心に浮かんだ言葉がそのまま口に出た。アウルは思わず口を押えたがすでに遅い。
ジャックから迷惑をかけられた覚えはない。敢えて言うなら昨日の今日で依頼を取り下げたことくらいである。それよりも依頼を受けるなというのは一体どういうことなのだろうか。そう問いかけたかったが、アウルは言葉にするのに時間がかかり、それを前に先に伯爵が口を開いた。
「言葉の通りだ。貴殿は司書の資格を有しているようだが、孫の依頼は受けてもらうわけにはいかない。しかしこちらの勝手で引き下げるのだ、せめて貴殿の望む金額をキャンセル料代わりとして用意した」
依頼のキャンセル料を貰うつもりなんてなかった。調査料も特に発生はしていない。アイビスに頼んだくらいで、こちらは依頼料の一部を渡す手筈である。依頼を取り消された場合はアイビスには別途手間賃くらいの金額はそれまでに溜めていた貯金を崩して支払う。キャンセル料を受け取らない旨を言ってさっさとこの場から立ち去りたかったが、頭にひっかかるものがあった。
「ご令孫の依頼を断れと言う理由を聞いてもよろしいでしょうか」
緊張している割に思ったより落ち着いた冷静な声が出たので安堵した。自分の声で漸くほんの少しだけ緊張がほぐれたような気がした。アウルは伯爵が話始める様子がないのでおずおずと続きを紡いだ。
「依頼内容はご存知ですか?」
「父親の最後の手帳を見たいというのだろう」
「ええ。行方不明になったご息女のご夫君の手帳がどのようなものかは私は存じ上げませんが、実の子供が父親の手がかりを知りたいと思うのは当然のことです。それをこんな大金を用意してでも断りたいというのならば理由があるのでしょう?」
「それは家庭の問題だ。貴殿が知る必要はない」
伯爵の言い分は解からないでもない。確かに家族の問題でありアウルにそれを踏み込む理由はないし、家族の問題とはっきり言われると他人である自分が入る隙間はない。しかしお金で全てを解決しようとする傲慢さが垣間見えた気がして、心の奥で叫ぶ不快感に目を背けることが出来なかった。
「確かに私は赤の他人です。でもご令孫のささやかな願いを跳ね除けるなんて、余程隠したいことがおありのようだ」
不快感を言葉に表すと自分でも驚くほどに酷く饒舌に現れた。吐きそうな程緊張していた自分が嘘のように消えていることをアウルは自覚していた。さっきまで恐ろしかった伯爵の目に睨み返すことも出来た。
「貴殿は誰に向かってその言葉を吐いているか理解しているのか」
声だけで人を殺せるとするならばこんな声だろう。むき身の剣を向けられた気持ちになりアウルは息が思うようにできず喉をひゅっと鳴らした。そして一庶民の自分が貴族に反発したことを漸く後悔した。ただたじろぐばかりでその場で謝ることは出来なかった。
「貴殿は此処で儂が差し出したそれを懐に入れて立ち去ればいい。そして今後二度と孫に関わらず、儂の前にも姿をみせるな」
アウルは自分を落ち着かせるために何度か鼻で深呼吸をした。脳内で「負けるな」と何度も奮い立たせてから口を開いた。
「それは貴族としての命令ですか」
「儂の家族の為だ。立場をわきまえろとまでは言わん。だからこそそれ相応の金を払っている。それで何が不満だというのだ」
「質問に答えてくださらず金銭で解決しようという姿勢ですよ。それに私に口を噤めと仰る。充分脅しに値しますよ。私にも私なりの矜持があります。この度はご令孫の依頼でありあなたの依頼ではない。例えあなたがいくら積もうともご令孫の本心が望む限り私は依頼を遂行します」
「脅しだと?」
伯爵はテーブルに立てかけていた杖を持ち、どんっと絨毯の上に強く打ち付けた。空気を伝ってびりびりとアウルの全身を震わせる。
「もし貴殿の言う脅しというならばすでに貴殿は此処にはいない。この屋敷の地下牢か、異国の海中か山奥に住まいを移して貰っているだろう」
それが出来ないことは解っていた。宇宙図書館の司書の肩書はザラではない。それなりな場所で管理されている。誰が普段どういう仕事をしているか把握されているのだ。例えアウルが行方不明にでもなれば、国家ぐるみで探し出される。そんなこと伯爵はわかっていながらそう言うのだ。
「とにかくご令孫ともう一度話をします。どうしても断るのであれば私もやめますが、あなたが力づくで止めているとわかれば、私一人でも手帳を突き止めますよ」
そう言って立ち上がり部屋を後にしようとすると伯爵はもう一度杖を突いた。
「モース新聞社」
どすの利いた声はドアノブに手をかけたところでぴたりと動きを止めさせた。
「貴殿の姉君は新聞社に勤めて何年になる?八年前の記事、まだ勤めて間もないころネタをやったんだ。実にいい記事だった。当たり障りなく、儂の望むだけのことを書いていた。あれから記事に載る機会が増えたと喜んでいたな」
アウルは眉間をぎゅっと寄せた。振り返ると伯爵はこちらを見るでもなく、ぬるくなった紅茶に口をつけている。カップをソーサーに置いてからふーっと息を吐いた。
「アウル・スウェイン殿、脅しとはこうやるのだ」
応接室に通されたアウルは、目の前に出された紅茶を一口も飲むことも出来ないほど緊張し肩をこわばらせていた。テーブルを挟んだ先のブリザードのような眼力が息をするのも憚られるほど恐ろしい。バトラーも下がらせてまさかの二人きりの状況に今にも吐き出しそうになる。
「さて」
漸く口火を切ったのは、ティーカップに口を二度つけたマーティン伯爵だった。アウルはこれから何を言われるのか息を飲んだ。
「孫のジャックが貴様に頼み事をしたようで」
「ええ…まぁ…」
法外な金額を吹っ掛けたことが脳裏を過る。無論、宇宙図書館の門を開くには豪放な金額であり、支払いが無理なら断ればいい話だ。もしかしたら伯爵はアウルがジャックをたぶらかしたとか、脅したと勘違いしているのではないだろうか。例え勘違いでなくても、庶民が貴族に金をたかったと思われたのかもしれない。これだから貴族には関わりたくないのだと、アウルは遅い後悔に苛まれた。
「これを受け取りなさい」
アウルは極度の緊張のあまり伯爵から目が放せないでいた。伯爵の言葉も耳には入るものの、言葉の内容を理解するまでに時間がかかった。伯爵はそんなアウルをいぶかしみ眉間に皺を寄せたところでアウルは我に返り目を見開いた。
「は?え?」
そして首を上下に動かし、テーブルに差し出されたものと伯爵の顔を交互に見た。そのものが札束であることが解るまでにも時間を要した。
「これは孫が迷惑をかけた分と、これより一切孫の依頼を受けないでもらいたい。貴殿が提示した五百万と、儂からの気持ちでもう百万ある。足りないかね?」
「足りる足りないというより、意味がわかりません」
心に浮かんだ言葉がそのまま口に出た。アウルは思わず口を押えたがすでに遅い。
ジャックから迷惑をかけられた覚えはない。敢えて言うなら昨日の今日で依頼を取り下げたことくらいである。それよりも依頼を受けるなというのは一体どういうことなのだろうか。そう問いかけたかったが、アウルは言葉にするのに時間がかかり、それを前に先に伯爵が口を開いた。
「言葉の通りだ。貴殿は司書の資格を有しているようだが、孫の依頼は受けてもらうわけにはいかない。しかしこちらの勝手で引き下げるのだ、せめて貴殿の望む金額をキャンセル料代わりとして用意した」
依頼のキャンセル料を貰うつもりなんてなかった。調査料も特に発生はしていない。アイビスに頼んだくらいで、こちらは依頼料の一部を渡す手筈である。依頼を取り消された場合はアイビスには別途手間賃くらいの金額はそれまでに溜めていた貯金を崩して支払う。キャンセル料を受け取らない旨を言ってさっさとこの場から立ち去りたかったが、頭にひっかかるものがあった。
「ご令孫の依頼を断れと言う理由を聞いてもよろしいでしょうか」
緊張している割に思ったより落ち着いた冷静な声が出たので安堵した。自分の声で漸くほんの少しだけ緊張がほぐれたような気がした。アウルは伯爵が話始める様子がないのでおずおずと続きを紡いだ。
「依頼内容はご存知ですか?」
「父親の最後の手帳を見たいというのだろう」
「ええ。行方不明になったご息女のご夫君の手帳がどのようなものかは私は存じ上げませんが、実の子供が父親の手がかりを知りたいと思うのは当然のことです。それをこんな大金を用意してでも断りたいというのならば理由があるのでしょう?」
「それは家庭の問題だ。貴殿が知る必要はない」
伯爵の言い分は解からないでもない。確かに家族の問題でありアウルにそれを踏み込む理由はないし、家族の問題とはっきり言われると他人である自分が入る隙間はない。しかしお金で全てを解決しようとする傲慢さが垣間見えた気がして、心の奥で叫ぶ不快感に目を背けることが出来なかった。
「確かに私は赤の他人です。でもご令孫のささやかな願いを跳ね除けるなんて、余程隠したいことがおありのようだ」
不快感を言葉に表すと自分でも驚くほどに酷く饒舌に現れた。吐きそうな程緊張していた自分が嘘のように消えていることをアウルは自覚していた。さっきまで恐ろしかった伯爵の目に睨み返すことも出来た。
「貴殿は誰に向かってその言葉を吐いているか理解しているのか」
声だけで人を殺せるとするならばこんな声だろう。むき身の剣を向けられた気持ちになりアウルは息が思うようにできず喉をひゅっと鳴らした。そして一庶民の自分が貴族に反発したことを漸く後悔した。ただたじろぐばかりでその場で謝ることは出来なかった。
「貴殿は此処で儂が差し出したそれを懐に入れて立ち去ればいい。そして今後二度と孫に関わらず、儂の前にも姿をみせるな」
アウルは自分を落ち着かせるために何度か鼻で深呼吸をした。脳内で「負けるな」と何度も奮い立たせてから口を開いた。
「それは貴族としての命令ですか」
「儂の家族の為だ。立場をわきまえろとまでは言わん。だからこそそれ相応の金を払っている。それで何が不満だというのだ」
「質問に答えてくださらず金銭で解決しようという姿勢ですよ。それに私に口を噤めと仰る。充分脅しに値しますよ。私にも私なりの矜持があります。この度はご令孫の依頼でありあなたの依頼ではない。例えあなたがいくら積もうともご令孫の本心が望む限り私は依頼を遂行します」
「脅しだと?」
伯爵はテーブルに立てかけていた杖を持ち、どんっと絨毯の上に強く打ち付けた。空気を伝ってびりびりとアウルの全身を震わせる。
「もし貴殿の言う脅しというならばすでに貴殿は此処にはいない。この屋敷の地下牢か、異国の海中か山奥に住まいを移して貰っているだろう」
それが出来ないことは解っていた。宇宙図書館の司書の肩書はザラではない。それなりな場所で管理されている。誰が普段どういう仕事をしているか把握されているのだ。例えアウルが行方不明にでもなれば、国家ぐるみで探し出される。そんなこと伯爵はわかっていながらそう言うのだ。
「とにかくご令孫ともう一度話をします。どうしても断るのであれば私もやめますが、あなたが力づくで止めているとわかれば、私一人でも手帳を突き止めますよ」
そう言って立ち上がり部屋を後にしようとすると伯爵はもう一度杖を突いた。
「モース新聞社」
どすの利いた声はドアノブに手をかけたところでぴたりと動きを止めさせた。
「貴殿の姉君は新聞社に勤めて何年になる?八年前の記事、まだ勤めて間もないころネタをやったんだ。実にいい記事だった。当たり障りなく、儂の望むだけのことを書いていた。あれから記事に載る機会が増えたと喜んでいたな」
アウルは眉間をぎゅっと寄せた。振り返ると伯爵はこちらを見るでもなく、ぬるくなった紅茶に口をつけている。カップをソーサーに置いてからふーっと息を吐いた。
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