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宇宙図書館の司書

桝克人

第7話

「助かった…!」

 扉が閉まると同時にアイビスは全身の力を抜いた。ピンチを乗り越えたアイビスには、突然目の前に現れた扉を不思議に思う間もなかった。
 アウルは手に持っていたペンダントを首にかけ直した。勢いよく回っていた翡翠色の石はゆっくりと左右に上下に斜めにと回転し続けている。

「全く…これは貸しにしてくれよな」
「わかったわかった。何すればいい?情報料の天引き以外ならなでもいいぜ」
「それなら何より。丁度頼みたいことがあるんだ。ナタリーがデートしたいってさ」
「わお。美人とのデートなんてご褒美以外の何物でもないじゃないか」

(こういう奴だよ…)

 少しは嫌な顔をしてくれればいいのにとアウルは長嘆する。本気の恋愛ならば応援するのもやぶさかではないが、どちらも遊び半分だと見て取れるので、弟としても友人としても二人の逢引は気持ちの良いものではない。
 特にアイビスは女遊びが激しいと噂だし、しょっちゅう寮を抜け出して午前様であるのは同室のアウルはよく知っていた。そんな遊び人のアイビスと姉を引き合わせるのは躊躇う。とはいえ二人が乗りきであれば、止めるの権限はアウルにはない。

 複雑な思いをよそにアイビスは口笛を吹きながら、物珍しそうにアウルたちの寮の部屋とそう変わらない大きさの部屋の中を足を滑らすようにしてのんびりと歩きまわった。扉の前方の壁には両開きの板張りの窓があり全開になっている。右手側は本で埋め尽くされた本棚が壁となり、左手側はベッドと小さな机が設置されている。

「司書が開く門《ゲート》って初めてくぐったけど摩訶不思議で面白いな。それにしても、ここはどこだ?」
「田舎の僕の部屋だよ」

 そう聞くとアイビスはふーんと口を緩ませて漫ろ笑む。物珍しそうに本棚に並んだ本を手にとってはペラペラとめくって戻す動作を繰り返す。読んでいるというより、手持無沙汰を紛らわしている感じだ。

「ここにあるのはアウルが実際持っている本なのか?持っていないものもある?」
「門を開けただけだから、読んだことがある本しか置いてないよ。具体的なイメージもしなかったから、適当なものばかりだ」

 故郷にある本物の本棚はここまで詰まっていないと、アウルは見慣れた本棚に並んだ本の背表紙を撫でながら言った。本棚の大きさも壁一面どころか、実際はもっと小さい。横幅は三十センチ程しかなかったはずだ。
 目の前にある本棚にはよく読んだ本や、すっかり忘れてしまっていたけれど目を通しただけの本がびっしりと並んでいる。

「どうせなら門を開く前に、読みたい本を想像すれば良かった」

 アウルは石が飛び出した右目を擦った。見た目はどうということはないし、特に痛みがあるわけではない。ただ未だに自分の眼から石が出てくるという事実が不思議で仕方がないだけだ。

 アウルは司書になった日のことを思い出していた。
 司書は、誰もが開けられないように鍵となる石を瞳の中に隠す。アウルが司書の資格を得た日、特級クラスの司書がアウルの眼にまじないを唱えて石を埋め込んだ。石を眼前にみせられた時は恐ろしくて目を閉じそうになっていたのに、埋められた途端、温かい風が足元から全身を包み込み、これまでに感じたことのない心地よさが体内を駆け巡った。そして一つ瞬きをすると、眼前は夜の空で埋め尽くされた。床も天井も壁もそこには存在せず、自分が立っているのかどうかすらもわからなくなった。アウルはひっと声をあげて目をぎゅっと閉じてから、ゆっくりと目を開けると石を埋め込んだ司書が立っていた場所へと戻った。幻かと思ったが、司書はアウルがあ見えたものが何かわかっているように尋ねて来た。

『見えたか?』

 それが幻でないことを言っているのだと理解した。アウルは「はい」と返事をすることも出来ず小刻みに何度か頷くばかりだった。

『それが宇宙図書館だ。これからは君がその空間に想像できる図書館を思い描き創り出すんだ』

 ドアノブを握り開ける人の意識で図書館の風景が変わる。アウルは初めて開けた場所も故郷の自室だった。アウルにとって安らげる場所のひとつだ。それからは具体的に想像できることも理由に、大抵はこの場所を思い浮かべて入るようにしている。

「それで、君はどうしてあの男たちに追いかけられていたんだい?」
「俺の美貌に嫉妬したとか?」

 アイビスは朝方縛っていた髪をおろし、左目にかかった金髪を掻きあげて言う。アウルはうげっとあからさまに嫌悪感を示すとアイビスはけらけら笑った。アウルが冷めた目で馬鹿らしいとため息をつき顔を背けるのを見て、面白げに唇の片側に力を入れて言った。

「多分マーティン伯爵の差し金だろうな」
「なんだって?何故伯爵が君を追うんだい?」
「知ったことかよ。俺は行きつけの店で女の子に『マーティン伯爵が贔屓にしている店ってどこ?』って尋ねただけさ。彼女は皇都一体の娼館で一番有名でかつ金持ちが通う高級店の『新月《ルナノヴァ》』だって言ったよ」
「それは間違いないのかい」
「実際入るところも見たし、伯爵くらいになると、安い店になんか行くわけないって豪語していたさ」

 自分の目で確かめたわけではないのに妙に納得できる。伯爵ともあろうものが、安い店に通っているものなら、新聞の端っこに載るゴシップでは済まなさそうだ。

「それでどんな店かなって覗きに行ったわけ。会員以外入れない店らしくて店には入れなかったよ」
「そうか…」

 高級店では無理はない。顧客の情報も漏らすようなこともしないだろうし、マーティン伯爵が娼館に通っている以上の情報は得られないだろう。
 諦めるしかないと目を伏せるアウルを見てアイビスはにたにたと不気味な笑みを浮かべた。

「なんだよ」
「俺の情報網を甘く見るなよ。俺なりの方法で聞き出したさ」

 女の子をひっかけるナンパ術かと普段なら嫌味のひとつも言いたくなるが、少しでも情報を得たいアウルはぐいっと首を前に差し出すようにアイビスに食い入った。

「と言っても大した情報とは言えないかもしれないけどな。伯爵は似通った外見の女性を指名していたらしい。決まって赤茶色のストレートヘアーで青い瞳女性だったって」
「つまり?」
「伯爵の一人娘のエミリア・マーティンの外見に似ているらしい」

 アウルは嫌悪感を隠すことなく顔をひきつらせた。

「気持ちはわかるけどそんな顔するなよ。あのじいさん、娼館に通っていたとはいえ、ただ喋りに来ていただけらしいから」
「まさか、お喋りのために娼館に通っていたって言うのか?」
「珍しいことではないさ。常に周囲の評判を気にする貴族にだって吐き出したい場所が必要なんだろうよ。まさか社交界で本音が吐き出せるわけないんだから」
「そんな話、誰に聞いたんだよ」
「勿論、ルナノヴァの女の子だよ。ちょっと外を出たところを捕まえて、それとなく、さりげなく訊いたのさ」

アイビスの言う『それとなく』が何をさしているのかピンときたアウルは即座に訊ねた。

「その子に情報料とか渡してないか?」
「まぁ…ちょっとは?」

 アイビスはにやけながら人差し指と親指で三センチくらいの幅を作る。アイビスのちょっとがどれほどのものかはわからないが、良いお小遣いにはなりそうな金額を渡したのだろう。ただ高級店という割にお金に釣られて口が軽いのはどうなのかと訝しむ。

「それが駄目だったのかなぁ…女の子と別れた後に、学校に戻ろうとしていたら、さっきの男たちが後をつけてきたんだ」
「それって娼館のボーイとか用心棒に目を付けられたんじゃないのか?うかつに店の子に声をかけたのがまずかったとか」
「俺も初めはそう思った。けれど逃げている時に確かに『伯爵に報告』とか『まずいぞ』って言っているのをきいたんだ」

 それだけではどこの伯爵かはわからないが、ジャックの依頼の後に起こった出来事なのだから、マーティン伯爵で間違いないだろうと二人は納得した。もしアイビスが他の伯爵関連の問題事を抱えていなければの話だが。

「流石に貴族のお気に入りには手をださないさ。そもそも高級店に出入りは出来ないし。ちゃんと見極めてるよ。貴族相手に商売する女の子だってプライドがあるから俺みたいな若造や名もない男に手を出されそうになったらあっちから断ってくるもんだ」

 経験談のようにさらりと娼館事情を答えた。一度や二度は失敗しているなとアウルは思った。

「マーティン伯爵の関係者と思われる男がアイビスを追いかけたのは、その子と話してからなんだよな。君と話終わった後、その子はどうしたんだ?」
「そういえば、忘れ物があるとか言って店の中に帰ったよ」
「だったら、その時に店のオーナーか誰かに報告したんじゃないか?」
「あ、そういうことか」

 アイビスははっとしてから、皮肉めいて笑い、側頭部を掻き毟りながら言った。

「あの子にしてやられたなぁ」
「どういうこと?」
「おまえの言う通りかもしれない。店の不利益になるようなことをして追い出された子もいるって行きつけの女の子からきいたことがある。誠実な子なら情報を明け渡すことなく適当にあしらって報告するんだろうけれど、あの子はやり手なんだな。俺からは情報料を、店からは通報の褒賞を得たってわけか」

 アイビスが彼女にお金を払って情報を得たなんて言えば、普通なら情報を売った女の子は店にはいられなくなる。しかし、もしその子が店の人気者なら店側も辞めさせたがらないだろう。それも『伯爵にはお気に入りがいる』なんて店側も伯爵も痛手にならない情報より、彼女を店に留まらせる方を選ぶに違いない。
 それに比べアイビスはただの学生だ。痛手どころでは済まない。学生が娼館に出入りしているなんて学校側に知れるだけでも大事だ。結局アイビスは黙っているしかなく、伯爵に掴まらないように逃げ回るしかなくなる。

「俺が手に入れた情報ってもしかして眉唾だったりするのか?」

 それなりの金額を渡した上にもし嘘の情報を掴まされたとなるとアイビスは溜まったものじゃない。気まずそうに訊ねるとアウルは腕を組みうーんと首を捻った。

「どうかな。僕は間違ってないと思う。お金を貰って出す情報にしては、伯爵の立場を揺るがすほどのものじゃないし。報告する時もマーティン伯爵のことを訊ねる男がいるくらいにしか言ってないんはないかな。彼らも伯爵の耳に周辺を嗅ぎまわられていることで君を追い回していたんだと思うよ」

 無論そうであればいいという予測ではあるが、あながち間違ってはいないと踏んだ。しかしすでに身辺を調査していることはマーティン伯爵自身にも情報が届いているだろう。アウルはこれ以上の情報集めは断念せざるを得ないと判断するしかなかった。

 

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