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宇宙図書館の司書

桝克人

第6話

 お腹が満たされて、アイビスとの約束を無理矢理取り付けたナタリーは上機嫌でモース新聞社へと戻って行った。アウルはそれ以上特に用事がなかったが、ナタリーを新聞社前まで共に歩き見送った。

「それじゃあ、またいつでも来て頂戴ね」

 アウルは「うん」とだけ素っ気なく乾いた声で返事をするとナタリーは苦笑した。余程用事がない限りは来ないと判っていたからである。ナタリーはアウルに軽くキスをしてドアの前の石段を軽い足取りで登っていく。ドアを開ける前に一度振り返り大きく手を振った。

「約束は守ってよね。アイビスとのデート!」

 アウルの返事を待たずに中へと入った。アウルは肩でため息をついて学校へと踵を返した。もう夜がやってくる。本日最後の陽光は真横から建物と建物の間を拭ってアウルの左頬を照らした。

 門限が近い。アウルは足を少し早めた。大通りは夜を迎えようとしている今も、それぞれの家路についたり、これから外へと繰り出そうとしている人たちで一杯だ。アウルは大通りを歩いていては門限に間に合わないと判断して、人気の少ない路地へと曲がる。初めて通る道だが方向さえ見誤らなければ学校に到着すると思った。太陽が沈み切らないうちに帰ろうと大股で、走るまで行かなくても一番早いスピードで路地を抜けようとした。
 しかしアウルは普段外に出ないせいか、皇都の路地の怖さをよくよく知らなかった。路地には煌びやかな皇都が落とした影があちこちに存在した。路上生活を余儀なくされた老若男女を問わない浮浪者や、禁止されている薬を売りつける者、カモを見つけては金品を撒き上げようと模索する者、そういった暗い眼がエーデル皇立学校の立派な学生服を着たアウルに注がれた。アウルはその目に気付いていたものの引き返すのをやめなかった。下手に引き返して、道を塞がれていたら逃げようがない。とにかく早く抜け切ろうと、目線を気にしていない素振りをして足早に前に進むしかなかった。
 人がすれ違うしか出来ないくらいの小さな十字路を抜けようとしたとき、アウルは大通りを外れたことを悔やんだ。後ろから口を塞がれ、胴体を抱えられて更に狭い路地へと引き摺られた。非力なアウルは身を捩って抵抗するが力負けした。せめて大きな声を出そうとんーんーっと必死に訴えたが「静かに!」と耳元で息のような声で囁かれた。その声でアウルは抵抗をやめた。皇都に来て一番聞き覚えのある声がしたからである。

「んーんん!」

 アイビス!と言いたかったが口を塞がれては言葉にならない。

「良いから今は黙ってて、息を殺すんだ」

 アイビスは様子を伺いながら路地の奥へと進み、建物に繋がる階段下へと潜り込んだ。足元をよく見ておらず何かに躓き、がしゃんと音を立てた。何を踏んだのかと視線を降ろすと、割れた植木鉢や食器のようながらくたが地面を覆い尽くすように乱雑に重ねられている。これ以上音を立てるなと睨まれてアウルは首を縦に振った。出来る限り視界に入らないように慎重に壁側に寄った。アイビスは漸く手を離し、気配を消そうとぴたりと壁に体をくっつける。
 耳を澄ますと男たちの声が聞こえる。アウルは息をするだけでこちらに気付かれてしまうのではないかと恐ろしくなり、自分の両手で口を覆った。

「あいつ…どこへ行った。そっちはどうだ」
「見失った。この路地に入ったのは間違いないんだけど」
「俺はこっちをみる。おまえはこの路地を突っ切って見て来い」

 アイビスは「まずいこっちに来る」と呟き唇を噛んだ。この先に進むしかないとアウルは訴えたが、この先は行き止まりだと言い返された。

「仕方ないなぁ…」

 アウルは首に掛けた制服の下に収まっている細やかな金色のチェーンを引っ張りだした。そして首からそれを外しアウルの目線に合わせてチェーンを持ち上げる。ペンダントトップが左右に揺れた。左手で無理矢理止めるとペンダントトップの揺れが小刻みになる。アウルは口を開いた。

「タウグ・フーパ」

 アウルが発した呪文に反応し、眼は水面が揺れるように波紋を描いた。すると瞳と同じ翡翠色の小さな石が現れた。空中を浮いた石は、中が空洞だったペンダントトップに向かって入り込む。中央に収まった翡翠色の石がくるくると忙しなく回転しだした。アウルは背中を預けていた後ろの壁にペンダントを向けると、焦げ茶色のレンガの壁は、上部から次第に形を変えダークオークの扉になった。
 錆びた取っ手を捻ると扉はいとも簡単に開き、アウルはアイビスに中へ入るように促した。ガラクタを踏むと一際大きい音を立てる。その音に気付いた男がこちらに向かって走って来た様子を横目に、アウルは扉をくぐって閉めた。

 男がここに来た頃にはすでに扉はレンガの壁へと戻っており男は首を傾げた。扉のようなものを見た気がしたのに、そこには何もなく見間違いだったのかと目をこする。薄暗くてよくみえなかったせいかもしれない。物音の正体は野良猫でも居たのかもしれない。そう自分を納得させた男はその道を引き返した。


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