吸血鬼だって殺せるくせに
鮮血にただ酔う剣士Ⅱ
バンティークはとても大きな村だった。
ダルケルノやイーストレアも立派な村ではあったが、バンティークは村の中にある麦畑の規模がとにかく大きい。
小高い丘の上に位置し、立派な教会を中心にたくさんの建物が並んでいる。
村の中に綺麗な川も流れていて、そこに水車のついた家屋が立ち並ぶ光景はとても印象的なものだった。
製粉に使われる水車は維持費や補修費がとにかく高く、長期的に運用するのが難しい。
そのため使いこまれた美しい水車が並ぶこの光景は、村がとても豊かであることの証明でもあった。
ジェイスは商人達に宿を紹介してもらうことになっており、彼らの馬車に揺られながら川に沿って村の中心地へ向かっていく。
列の最後尾には例の剣士オルテスが馬を引いて歩いており、彼は村へ入るとしきりに村人達から声を掛けられていた。
「おーオルテス!また盗賊を倒してくれたんだってな!いつもありがとうよ」
「オルテス様!今日も素敵です……どうかウチの子の頭をなでては頂けないでしょうか?」
「オルテスー!今回は何人の山賊を倒して来たんだ!剣の振り方教えてくれよ!」
オルテスは話しかけられるたび笑顔で手を振っていた。
馬車の上で退屈そうに寝そべるディページが、そんなオルテスを見ながらジェイスに言う。
「人気すごいね。英雄の凱旋って感じ?」
「商人達に聞いたんだが、オルテスはこの辺りにいた山賊団をたった一人で追いだしたらしい。村人にとってみれば、本当に英雄なんだろう」
「ふーん」
「昨日の山賊はオルテスのおかげで村へ近づけなくなった連中なんだろうな」
「だからあんな村から離れた場所で商人馬車を狙ってたんだね。……でもさ、オルテスだっけ。あんな離れたところまで山賊を追いかけてくるなんて、ずいぶん山賊狩りに熱心だよね」
オルテスの方を振り返ってみると、彼はとうとう立ち止まって商人達の相手をしていた。
笑顔で称賛を送る村人達の姿を見て、ディページが例の悪魔めいた笑顔で言う。
「ふふ……。ねぇジェイス、なんかさ……あの"人狼の村"思い出さない?」
「ダルケルノのことか?」
「うん。人間ってさ、自分達の安全を守ってくれるなら……人狼だろうが英雄だろうが、なんだっていいんだろうね……くすくす」
…
旅の計画を練り直す数日の間、ジェイスとディページはバンティークに滞在することになった。
2人は紹介してもらった宿に荷物を置き、すぐにわかれて村を見て回ることにする……と、言っても、ディページはどうせ娼館でも探しに行ったのだろうが。
ジェイスは旅の疲れを癒そうと、村で一番大きな酒場に向かった。
店の前につくと中からたくさんの笑い声が聞こえてきて、昼間なのにずいぶんと賑わっている様子なのがわかる。
中に入ると、オルテスや商人達が村人たちと宴会をしており、周囲にたくさん人が集まっていた。
装いを見るに、オルテスも商人も家に帰らずそのままここで飲んでいるようだ。
ジェイスがカウンター席に座ろうとすると、商人の1人がジェイスに気付き、声をかけてきた。
「おー!ジェイスさん!アンタもこっちで飲まないかい!」
あまりコミュニケーションが好きではないジェイスだが…
「あぁ、同席させてもらおう」
オルテスの剣が気になっていたのもあり、彼らの卓へ座ることにした。
席につくと、村人達がジェイスに酒を注ぎながら称賛を送る。
「アンタがジェイスさんか!オルテス様と一緒に山賊を倒してくれたんだって?」
「あぁ……。しかし、ほとんどがオルテスの手柄だ」
「オルテスのおかげで安全にはなったんだが、商路はまだまだ狙われることも多いんだ。本当に助かるよ」
「かまわない。こっちも世話になった」
軽い返答を返しながら酒をちびちびやっていると……ジェイスはふいにオルテスと目があった。
「……?」
オルテスのジェイスを見る目は……村人たちとは違っていた。
眉間にシワをよせ、一見すると怒ってるようにも見える。
オルテスは自分でそれに気付いたのか、ジェイスから目をそらし、酒に口をつけた。
「(なんだ……?)」
この場でオルテスに剣のことを聞くのはどうも難しそうだ。
ジェイスがなんとなく話しかけるタイミングを図っていると、オルテスがこう言って立ち上がった。
「みんな、ありがとう。そろそろ僕は巡回にいくよ。……皆はここで楽しんでてくれ」
「なんだって!?帰ってきたばかりだろう!……本当に働き者だなオルテスは」
「最近はバラバラだった山賊達が手を組みはじめてるからね……。巡回しておきたい場所はまだまだあるんだ」
それを聞くと、村人たちが名残惜しそうに言う。
「そうか。たまにはゆっくり酒を飲みたいんだがな……。また今度付き合ってくれよ!絶対だぞ!」
「はは、わかったよ。また皆で飲もう」
「オルテス様!また山賊たちをぶっ倒して来てくれよ!」
「あぁ、任せてくれ。村の安全は僕が守る」
これを好機と考え、ジェイスは商人達に別れを告げ、店を出る。
店の外ではオルテスが馬の手綱を柱から外し、ブラシで毛並みを整えていた。
ジェイスは先ほど何か失礼をしてしまったのではないかと、軽い謝罪から会話を始めることにした。
「オルテス……すまなかった。何か気に障ることでもしてしまったか?」
「……え?あ……いや……そんなことは。どうしてだい?」
「いや、さっき店のなかで……」
と……ここまで言いかけて。
何もないなら、わざわざ掘り下げる必要なしと考え、ジェイスは話題を変えることにした。
「……いや、忘れてくれ。これからまた巡回に行くんだろ?俺も付き合っていいだろうか」
「ジェイスさんも……?」
「あぁ。一応モンスタースレイヤーだしな。ダメか?」
オルテスは少しだけ沈黙したあと、ニッコリとした表情をジェイスに向けた。
「いや、もちろんかまわないよ。一緒に山賊を倒そう!すぐに出発するけど、準備は平気かい?」
「あぁ」
…
ディページが見当たらず、ジェイスは仕方なく商人の馬を借りて巡回へ出かける。
オルテスは慣れた口調で巡回の目的と経路をジェイスに説明した。
「最近は村の南西で襲われるケースが多いんだ。まずは丘を下って平原を目指す」
「わかった。俺はアンタについていくよ」
こうして謎の剣士と共に村の巡回が始まった。
村の南西の丘はやや急になっており、その下には広い林があった。
2人は勢いよく丘を下り、林の中を見渡していく。
「この辺りは山賊が隠れやすいところも多いんだ」
しかしこの巡回の中で、ジェイスはオルテスに対し様々な疑問を抱き始めることになる。
まず異様なほど軽装なオルテスの格好。装備らしい装備をつけておらず、その身なりはほとんど農民と違わない。
麻布で出来た服に例の剣は明らかに不釣り合いな印象をジェイスに与えた。
また、オルテスは馬に乗るのがあまり上手くなかった。体幹が悪いのか、馬との呼吸があっておらず速度もでていない。
英雄と呼ばれる剣士というのは、そのほとんどが名騎手ばかりなものなのだが。
なにより巡回と呼ぶ以上、本来であれば村の周辺をくまなく調べられるように複数の人数で見まわるのがセオリーだ。
戦闘を極力避けるため、見晴らしの良い場所を陣取っておくのも鉄則。あの村も、そういった立地だからこそ作られたのだろう。
しかしオルテスの巡回ルートが奇妙だったのは、あえて危険そうな場所へ突き進んでいくような動き方だった。
近場の目ぼしいルートは荒く見渡すだけで、村からどんどん離れてく。
「問題なさそうだ。平原へでようか」
「……あぁ」
ジェイスはオルテスの腰につけられた例の剣を見る。ずいぶんな年代物のように見えるが、それ以外は特に特徴もない剣だ。
鞘につけられた装飾も簡素なもので、昨晩感じた威圧感のようなものも今は感じない。
色々気になることばかりだが、会話の中でこれらをどう質問するか。ジェイスは馬に乗りながらずっと考えていた。
すると意外なことに、オルテスの方から先に質問が投げかけられる。
「ジェイスさん、あんたホークビッツから来たんだよな?国のお偉いさんからの依頼で」
「ん?……あぁ。バージニア・フェンスターという吟遊詩人を探してる」
「そうか。フュリーデントは広い。見つかりそうなのかい?」
「どうやらフィジールに向かったらしい。……数日村に滞在したら、俺達も向かうつもりだ」
2人は林を抜け見通しの良い平原にでた。
周囲を見渡しながら、オルテスはさらに質問を続ける。
「ホークビッツ出身の剣士ってことは、ジェイスさん、アンタもしかして『紅の騎士団』なのか?」
「……ん?」
ジェイスはあまり自分のことを語るのが好きではない。
普段ならなんとなく流すような質問だったのだが、今回は誰かの依頼で動いているわけでもない。
ジェイスは関係を築く意味でも、彼の雑談に付き合うことにした。
「以前は……『紅の騎士団』に所属していたこともある。2年前、18の時に退役した」
「やっぱりそうか!もしかしたらと思ったんだ」
「あくまで"元"だぞ?今はあくまでモンスター・スレイヤーだ。……この国でも『紅の騎士団』は有名なんだな」
「いや、俺が好きなんだよ、戦士の歴史や物語。特に『紅の騎士団』の物語は興奮する話ばかりだ。戦力差のあった旧シドラルを下し、戦争を勝利へ導いた魔法騎士団。ホークビッツの奇跡」
『紅の騎士団』は、ジェイスや俺の故郷、ホークビッツ国が誇る魔法騎士団だ。
もともとは戦争を目的に結成された騎士団なのだが、戦後拡大した領土を円滑に統治するため、国の重要な政(まつりごと)も担うようになっていった。
王直属の騎士団でありながら現在でも一部行政を担う特異な組織であり、ホークビッツの複雑化した行政構造を象徴するような存在でもあった。
外国では『政治も戦も行う優秀な騎士団』と見られているようで、ジェイスも旅の最中、この手の質問を受けることは多かった。
ジェイスの返答にオルテスの顔がぱっと明るくなったのを見て、余り期待させないようにしようと、ジェイスは思った。
「元『紅の騎士団』ってことは、当然あんたも魔法が使えるんだよな?」
「今は使えるが……騎士団時代には使えなかったよ。今だって使えるのは仕事に使う数種だけだ」
「そうなのか……?ホークビッツは農民も魔法を使うと聞くが。……あのさ、俺でも魔法って使えるようになるもんなのか?」
「魔術は学問だ。勉強すればなんとかなるんじゃないか?」
こんな雑談をしながら2人は巡回を進めていく。平原にある隠れやすそうな場所や、森との境、洞窟。
オルテスはその最中もずっと様々な質問を投げかけてきた。ジェイスも可能な限りそれに答える。
途中で馬を休ませるため川辺で休憩することになり、ジェイスはついに彼の剣について聞いてみることにした。
「なぁオルテス。俺も聞きたいんだが……その剣、ずいぶんと年代が古いものだよな?」
「え?あ、これかい?……拾ったんだ。骨董品が好きなのかい?」
「そういうわけではないが、珍しいものなのはわかる。どこで拾ったんだ?」
「この村にやってきた頃、別の村の商団馬車が山賊に襲われているのに遭遇してね」
「……ふむ」
「商人は全員殺されてしまって、山賊は一通り金目の物を取っていったあとその場から立ち去った。しかしこの剣は取られなかったんだ……ほら、だいぶ年季が入っているから、価値がないと思ったんだろう」
「その時は……商人達を助けようとはしなかったのか?」
「それは……」
この問いに対し、オルテスは言葉がつまった。
ジェイスはこの時すでに、オルテスの強さがその剣に依存していることに気付いてはいたが、この反応を見てそれが確信に変わる。
つまり剣を持っていない当時のオルテスは、山賊とは戦えなかったのだろう。
言葉が返ってこないのを見て、ジェイスは話の流れをできるだけ変えず、他の気になることについても尋ねてみることにした。
「そうえば……アンタはずいぶん山賊狩りに熱心だよな。昨日もあんな村から離れた場所に巡回していたし……奴らになにか恨みでも?」
「恨み?はは、ないよそんなの。バンティークには家族を殺されて山賊を憎む人も多いが、俺はそもそもあの村出身じゃないしね」
「……そうなのか?」
「あぁ。ここよりもずっと田舎の出身だよ。侯爵軍に入ろうと家を出たんだ」
「軍人志望の男が、なぜ農村の用心棒のようなことを?」
「それは……」
この問いも、オルテスの返答は重かった。
声が少しだけ低くなり、ジェイスからも目をそらして……
「言いたくない」
と彼は答えた。
何かあるのは明白だったが、オルテスは明らかに嫌悪感を示している。
ジェイスはこれ以上掘り下げても無駄だと感じ、その後3時間ほどの巡回の最中、この話題をだすことはなかった。
…
数時間後……巡回という名の山賊探しを終えて、2人は村へ引き返していた。
平原から高台の村を視界に捕え、真っすぐ馬を走らせていると……正面の林から村人の乗った馬車が2人に近づいてくる。
「オルテスさんッ!」
村人は商人のようで、声を聞いただけで、ひどく焦っているのがわかる。
「バルタンじゃないかッ!?フィジールへ行っていたんじゃなかったのか……!?」
「それが……北の商路で、俺達の商団が山賊に襲われたッ」
「なんだと!?君の商団って……まさか!?」
「あぁ……山賊の奴ら、ずっと狙ってたんだ!」
2人の雰囲気を察し、ジェイスが問う。
「俺は村に滞在させてもらってるジェイスという者だ。すまんが、俺にわかるように説明してくれないか?力になれるかもしれない」
それを聞いて商人は焦る気持ちを押し殺すように、ジェイスに説明した。
「えっと……俺が参加してた商団は、うちの村で一番デカい取引をしてたんだ。参加してる商人も、馬車も、荷も金も桁違いに多い」
「重要な商団なんだな?」
「あぁ!すごい重要だ!たくさん護衛をつけて、いつもならオルテスも参加してくれてる!けど最近、こっち側で山賊の被害が急激に増えてて……今回だけはオルテスが村に残った」
「山賊のやつら……これを狙ってたのか…!?」
ジェイスは巡回に出る前、オルテスが言っていた言葉を思い出していた。
『最近は村の南西で襲われるケースがとても多いんだ』
つまり、これまで村の南西で起こっていた山賊の被害は、今回の犯行を悟らせないための布石。彼らはそう考えているようだ。
ジェイスは村の前後の状況がわからないにせよ、確かにオルテスを遠ざけるという意味では有効な手段だと納得し、さらに詳しい状況を確認する。
「護衛は?」
「もちろん付けていたさッ!毎回フィジールで傭兵を雇うんだ……だけど奴らも凄い数で……あっという間に殺されちまった」
「山賊は具体的にどれぐらいの数だ?……武装は剣だけか?それとも……」
「そんなことはいい!山賊はどっちに向かった!?」
しかしジェイスの質問を無視し、オルテスが声を張り上げた。
「森だッ!ほら、ここからフィジールへ向かう途中にあるだろ……!?奴ら大量の積荷を馬車ごと持って行ったんだ!もしかしたらまだ追いつけるかもしれないッ!」
「クッ!」
「オルテスッ!待てッ!!」
それを聞くと、オルテスは返事もせずに馬を走らせた。
ジェイスはそんなオルテスの姿を見つつ、商人に尋ねる。
「他に生き残りは?」
「俺と逃げて来たやつがもう一人……そいつは村へ知らせに行ってる。他のやつらは……もう…」
「わかった……。俺もオルテスを追う。あんたは村へ帰れ」
…
商人から借りた馬は体力がなく、巡回だけでだいぶ疲れていた。
あまり速度が出なかったが、ジェイスにとってオルテスの馬の痕跡を探すことは難しいものではなく、犯行現場と思われる村の北側の商路にすぐに辿りついた。
そこには30人近い商人と、護衛と思われる軽装の傭兵達の死体……そして壊れた馬車が数台倒れていた。
血の量も尋常ではなく、犯行の凄惨さを物語っている。
「(山賊達はここで待ち伏せして、盗んだ馬車で移動した。バルタンの言ったことを踏まえても、山賊の数は少なくとも40人近かったようだ)」
倒れた馬車の積荷も綺麗に奪われており、どうやら別の馬車に乗せかえて逃走したようだ。
ジェイスは現場から離れる複数の馬車の痕跡を見つけ、今度はそれを辿っていく。
「これほどの積荷を乗せて移動してるんだ。……そう遠くへはいけないはず」
痕跡は平原を超え、北の森へ続いていた。
森の中に入っていくにつれ、粗悪な罠が複数仕掛けられているのがわかる。
踏み荒らされた草を見ても、日常的に多くの人が出入りしているのがわかる。
「(おそらくここら一帯、山賊達の根城になっているんだろう)」
馬を下りて森の奥に進んでいくと、木とボロボロの布で作られた簡素なテントがたくさん張ってある一帯を見つける。
山賊が何人待ち構えていても不思議ではないが、なぜかとても静かで、生き物の気配がまったくしなかった。
しかし、その理由はすぐに判明する。
そこには、先ほどの犯行現場以上の死体が転がっていたのだ。
ジェイスの想像を超える50人近い数の山賊達の死体。地獄を絵に描いたような凄惨な場所だった。
「(全員正面から立ち向かっているのにも関わらず、どれも一撃で急所を断ち切られてる。とても人間業じゃない……オルテスだな)」
一度オルテスの戦っている姿を見ていたジェイスは、改めてその圧倒的な強さを肌で思い出していた。
そしてあの剣から放たれる、ジワリとした恐怖も。
その時…
「うわああああああッ!」
森の茂みの奥から、野太い叫び声が聞こえてくる。
…
ジェイスが声の場所に向かうと、おそらく最後の生き残りであろう山賊がオルテスに命乞いをしている瞬間だった。
「た、たすけてくれッ!俺たちだって、食わなきゃ死んじまうんだッ!もう充分だろッ!もう抵抗できねぇ」
しかし、オルテスはそれに聞く耳を持たず、剣を振り上げる。
天高く掲げられたその剣を見て、ジェイスはその正体をハッキリと理解することになる。
「(あの剣……そういうことか)」
同時にその剣から放たれる恐怖や、圧倒的強さの正体。
そしてそれに依存するオルテスの行く末もわかったのだろう。
気付けば大きな声を上げて、オルテスを止めていた。
「オルテスッ!やめろッ!」
「?」
しかし、その声を聞いてオルテスが振り向いたとき、ジェイスはまたあの感覚を味わうことになる。
恐怖だ。
圧倒的な何かに無慈悲な殺気を向けられる感覚。
逃げ場のない場所で、草食動物が肉食動物に追い詰められた時……おそらくこんな感覚になるのだろうと、ジェイスは思った。
「ジェイスさん」
振り向いたオルテスの表情は、人間とは思えないほどぐしゃぐしゃに湾曲した笑顔だった。
表情を作る筋肉が異様に動き、目は血走り、体が小刻みに痙攣している。
ジェイスの身体は、オルテスの振り上げられた剣から発せられる圧倒的なオーラに、無意識に警戒態勢をとり硬直していた。
しかしジェイスはそれを振り払うように、しっかりと声をだした。
「オルテス……そいつを殺す必要はない。逃がしたとしても、抵抗すらできないだろう」
「……ひっ!」
オルテスが振り向いた瞬間を見計らって、山賊が地面を這って茂みの奥に逃げていった。
それを見たオルテスは、山賊をすぐに追う。
「いくなオルテスッ!」
しかしオルテスは止まらず、茂みの奥へ入っていく。
すると、すぐにその方向から聞くに堪えない断末魔が響いた。
「…ッ」
ジェイスもオルテスを追って茂みに進むと、そこにはすでに肉と化した山賊の頭から、剣を引き抜くオルテスが立っていた。
その姿を見て、ジェイスが恐る恐る声をかける。
「殺したんだな……」
「……」
「オルテス。その剣を降ろせ……」
それを聞くと、オルテスは身体ごとジェイスに振り向いた。
オルテスに見られるたび、強烈な恐怖がジェイスの身体を止めようとする。
「なぜ止める……?ジェイスさん……こいつらは……こいつらは俺達の仲間を殺して…殺して…」
ジェイスはハッキリと言った。
「オルテス……殺すのが楽しいか?」
オルテスはジェイスの話を聞いているのかいないのか……ただじっとジェイスを見る。
明らかに冷静さをかき、今にも斬りかかろうとしているような。
感情の読めないオルテスに向かって、ジェイスは彼を冷静にさせるために言葉を放つ。
「オルテス……お前の握っている剣はただの骨董品じゃない。やっとその正体がわかったよ」
「……」
「なぜこんなところにあるのか想像もつかないが……その剣は呪われた魔剣だ。しかもただの魔剣じゃない……」
「この剣の……正体だと?」
オルテスはジェイスの話に興味があるのだろう、何もせずじっと聞いていた。
しかし剣を握る力はしっかりと込められており、いつ交戦状態に入ってもおかしくなかった。
薄暗い殺気と恐怖は不快な汗のように纏わりついていたが、それでもなおジェイスはその剣の真実を彼に伝えた。
「その剣の名はティルフィング。……歴史上、最も多くの人の命を奪ったとされる魔剣のひとつだ」
ダルケルノやイーストレアも立派な村ではあったが、バンティークは村の中にある麦畑の規模がとにかく大きい。
小高い丘の上に位置し、立派な教会を中心にたくさんの建物が並んでいる。
村の中に綺麗な川も流れていて、そこに水車のついた家屋が立ち並ぶ光景はとても印象的なものだった。
製粉に使われる水車は維持費や補修費がとにかく高く、長期的に運用するのが難しい。
そのため使いこまれた美しい水車が並ぶこの光景は、村がとても豊かであることの証明でもあった。
ジェイスは商人達に宿を紹介してもらうことになっており、彼らの馬車に揺られながら川に沿って村の中心地へ向かっていく。
列の最後尾には例の剣士オルテスが馬を引いて歩いており、彼は村へ入るとしきりに村人達から声を掛けられていた。
「おーオルテス!また盗賊を倒してくれたんだってな!いつもありがとうよ」
「オルテス様!今日も素敵です……どうかウチの子の頭をなでては頂けないでしょうか?」
「オルテスー!今回は何人の山賊を倒して来たんだ!剣の振り方教えてくれよ!」
オルテスは話しかけられるたび笑顔で手を振っていた。
馬車の上で退屈そうに寝そべるディページが、そんなオルテスを見ながらジェイスに言う。
「人気すごいね。英雄の凱旋って感じ?」
「商人達に聞いたんだが、オルテスはこの辺りにいた山賊団をたった一人で追いだしたらしい。村人にとってみれば、本当に英雄なんだろう」
「ふーん」
「昨日の山賊はオルテスのおかげで村へ近づけなくなった連中なんだろうな」
「だからあんな村から離れた場所で商人馬車を狙ってたんだね。……でもさ、オルテスだっけ。あんな離れたところまで山賊を追いかけてくるなんて、ずいぶん山賊狩りに熱心だよね」
オルテスの方を振り返ってみると、彼はとうとう立ち止まって商人達の相手をしていた。
笑顔で称賛を送る村人達の姿を見て、ディページが例の悪魔めいた笑顔で言う。
「ふふ……。ねぇジェイス、なんかさ……あの"人狼の村"思い出さない?」
「ダルケルノのことか?」
「うん。人間ってさ、自分達の安全を守ってくれるなら……人狼だろうが英雄だろうが、なんだっていいんだろうね……くすくす」
…
旅の計画を練り直す数日の間、ジェイスとディページはバンティークに滞在することになった。
2人は紹介してもらった宿に荷物を置き、すぐにわかれて村を見て回ることにする……と、言っても、ディページはどうせ娼館でも探しに行ったのだろうが。
ジェイスは旅の疲れを癒そうと、村で一番大きな酒場に向かった。
店の前につくと中からたくさんの笑い声が聞こえてきて、昼間なのにずいぶんと賑わっている様子なのがわかる。
中に入ると、オルテスや商人達が村人たちと宴会をしており、周囲にたくさん人が集まっていた。
装いを見るに、オルテスも商人も家に帰らずそのままここで飲んでいるようだ。
ジェイスがカウンター席に座ろうとすると、商人の1人がジェイスに気付き、声をかけてきた。
「おー!ジェイスさん!アンタもこっちで飲まないかい!」
あまりコミュニケーションが好きではないジェイスだが…
「あぁ、同席させてもらおう」
オルテスの剣が気になっていたのもあり、彼らの卓へ座ることにした。
席につくと、村人達がジェイスに酒を注ぎながら称賛を送る。
「アンタがジェイスさんか!オルテス様と一緒に山賊を倒してくれたんだって?」
「あぁ……。しかし、ほとんどがオルテスの手柄だ」
「オルテスのおかげで安全にはなったんだが、商路はまだまだ狙われることも多いんだ。本当に助かるよ」
「かまわない。こっちも世話になった」
軽い返答を返しながら酒をちびちびやっていると……ジェイスはふいにオルテスと目があった。
「……?」
オルテスのジェイスを見る目は……村人たちとは違っていた。
眉間にシワをよせ、一見すると怒ってるようにも見える。
オルテスは自分でそれに気付いたのか、ジェイスから目をそらし、酒に口をつけた。
「(なんだ……?)」
この場でオルテスに剣のことを聞くのはどうも難しそうだ。
ジェイスがなんとなく話しかけるタイミングを図っていると、オルテスがこう言って立ち上がった。
「みんな、ありがとう。そろそろ僕は巡回にいくよ。……皆はここで楽しんでてくれ」
「なんだって!?帰ってきたばかりだろう!……本当に働き者だなオルテスは」
「最近はバラバラだった山賊達が手を組みはじめてるからね……。巡回しておきたい場所はまだまだあるんだ」
それを聞くと、村人たちが名残惜しそうに言う。
「そうか。たまにはゆっくり酒を飲みたいんだがな……。また今度付き合ってくれよ!絶対だぞ!」
「はは、わかったよ。また皆で飲もう」
「オルテス様!また山賊たちをぶっ倒して来てくれよ!」
「あぁ、任せてくれ。村の安全は僕が守る」
これを好機と考え、ジェイスは商人達に別れを告げ、店を出る。
店の外ではオルテスが馬の手綱を柱から外し、ブラシで毛並みを整えていた。
ジェイスは先ほど何か失礼をしてしまったのではないかと、軽い謝罪から会話を始めることにした。
「オルテス……すまなかった。何か気に障ることでもしてしまったか?」
「……え?あ……いや……そんなことは。どうしてだい?」
「いや、さっき店のなかで……」
と……ここまで言いかけて。
何もないなら、わざわざ掘り下げる必要なしと考え、ジェイスは話題を変えることにした。
「……いや、忘れてくれ。これからまた巡回に行くんだろ?俺も付き合っていいだろうか」
「ジェイスさんも……?」
「あぁ。一応モンスタースレイヤーだしな。ダメか?」
オルテスは少しだけ沈黙したあと、ニッコリとした表情をジェイスに向けた。
「いや、もちろんかまわないよ。一緒に山賊を倒そう!すぐに出発するけど、準備は平気かい?」
「あぁ」
…
ディページが見当たらず、ジェイスは仕方なく商人の馬を借りて巡回へ出かける。
オルテスは慣れた口調で巡回の目的と経路をジェイスに説明した。
「最近は村の南西で襲われるケースが多いんだ。まずは丘を下って平原を目指す」
「わかった。俺はアンタについていくよ」
こうして謎の剣士と共に村の巡回が始まった。
村の南西の丘はやや急になっており、その下には広い林があった。
2人は勢いよく丘を下り、林の中を見渡していく。
「この辺りは山賊が隠れやすいところも多いんだ」
しかしこの巡回の中で、ジェイスはオルテスに対し様々な疑問を抱き始めることになる。
まず異様なほど軽装なオルテスの格好。装備らしい装備をつけておらず、その身なりはほとんど農民と違わない。
麻布で出来た服に例の剣は明らかに不釣り合いな印象をジェイスに与えた。
また、オルテスは馬に乗るのがあまり上手くなかった。体幹が悪いのか、馬との呼吸があっておらず速度もでていない。
英雄と呼ばれる剣士というのは、そのほとんどが名騎手ばかりなものなのだが。
なにより巡回と呼ぶ以上、本来であれば村の周辺をくまなく調べられるように複数の人数で見まわるのがセオリーだ。
戦闘を極力避けるため、見晴らしの良い場所を陣取っておくのも鉄則。あの村も、そういった立地だからこそ作られたのだろう。
しかしオルテスの巡回ルートが奇妙だったのは、あえて危険そうな場所へ突き進んでいくような動き方だった。
近場の目ぼしいルートは荒く見渡すだけで、村からどんどん離れてく。
「問題なさそうだ。平原へでようか」
「……あぁ」
ジェイスはオルテスの腰につけられた例の剣を見る。ずいぶんな年代物のように見えるが、それ以外は特に特徴もない剣だ。
鞘につけられた装飾も簡素なもので、昨晩感じた威圧感のようなものも今は感じない。
色々気になることばかりだが、会話の中でこれらをどう質問するか。ジェイスは馬に乗りながらずっと考えていた。
すると意外なことに、オルテスの方から先に質問が投げかけられる。
「ジェイスさん、あんたホークビッツから来たんだよな?国のお偉いさんからの依頼で」
「ん?……あぁ。バージニア・フェンスターという吟遊詩人を探してる」
「そうか。フュリーデントは広い。見つかりそうなのかい?」
「どうやらフィジールに向かったらしい。……数日村に滞在したら、俺達も向かうつもりだ」
2人は林を抜け見通しの良い平原にでた。
周囲を見渡しながら、オルテスはさらに質問を続ける。
「ホークビッツ出身の剣士ってことは、ジェイスさん、アンタもしかして『紅の騎士団』なのか?」
「……ん?」
ジェイスはあまり自分のことを語るのが好きではない。
普段ならなんとなく流すような質問だったのだが、今回は誰かの依頼で動いているわけでもない。
ジェイスは関係を築く意味でも、彼の雑談に付き合うことにした。
「以前は……『紅の騎士団』に所属していたこともある。2年前、18の時に退役した」
「やっぱりそうか!もしかしたらと思ったんだ」
「あくまで"元"だぞ?今はあくまでモンスター・スレイヤーだ。……この国でも『紅の騎士団』は有名なんだな」
「いや、俺が好きなんだよ、戦士の歴史や物語。特に『紅の騎士団』の物語は興奮する話ばかりだ。戦力差のあった旧シドラルを下し、戦争を勝利へ導いた魔法騎士団。ホークビッツの奇跡」
『紅の騎士団』は、ジェイスや俺の故郷、ホークビッツ国が誇る魔法騎士団だ。
もともとは戦争を目的に結成された騎士団なのだが、戦後拡大した領土を円滑に統治するため、国の重要な政(まつりごと)も担うようになっていった。
王直属の騎士団でありながら現在でも一部行政を担う特異な組織であり、ホークビッツの複雑化した行政構造を象徴するような存在でもあった。
外国では『政治も戦も行う優秀な騎士団』と見られているようで、ジェイスも旅の最中、この手の質問を受けることは多かった。
ジェイスの返答にオルテスの顔がぱっと明るくなったのを見て、余り期待させないようにしようと、ジェイスは思った。
「元『紅の騎士団』ってことは、当然あんたも魔法が使えるんだよな?」
「今は使えるが……騎士団時代には使えなかったよ。今だって使えるのは仕事に使う数種だけだ」
「そうなのか……?ホークビッツは農民も魔法を使うと聞くが。……あのさ、俺でも魔法って使えるようになるもんなのか?」
「魔術は学問だ。勉強すればなんとかなるんじゃないか?」
こんな雑談をしながら2人は巡回を進めていく。平原にある隠れやすそうな場所や、森との境、洞窟。
オルテスはその最中もずっと様々な質問を投げかけてきた。ジェイスも可能な限りそれに答える。
途中で馬を休ませるため川辺で休憩することになり、ジェイスはついに彼の剣について聞いてみることにした。
「なぁオルテス。俺も聞きたいんだが……その剣、ずいぶんと年代が古いものだよな?」
「え?あ、これかい?……拾ったんだ。骨董品が好きなのかい?」
「そういうわけではないが、珍しいものなのはわかる。どこで拾ったんだ?」
「この村にやってきた頃、別の村の商団馬車が山賊に襲われているのに遭遇してね」
「……ふむ」
「商人は全員殺されてしまって、山賊は一通り金目の物を取っていったあとその場から立ち去った。しかしこの剣は取られなかったんだ……ほら、だいぶ年季が入っているから、価値がないと思ったんだろう」
「その時は……商人達を助けようとはしなかったのか?」
「それは……」
この問いに対し、オルテスは言葉がつまった。
ジェイスはこの時すでに、オルテスの強さがその剣に依存していることに気付いてはいたが、この反応を見てそれが確信に変わる。
つまり剣を持っていない当時のオルテスは、山賊とは戦えなかったのだろう。
言葉が返ってこないのを見て、ジェイスは話の流れをできるだけ変えず、他の気になることについても尋ねてみることにした。
「そうえば……アンタはずいぶん山賊狩りに熱心だよな。昨日もあんな村から離れた場所に巡回していたし……奴らになにか恨みでも?」
「恨み?はは、ないよそんなの。バンティークには家族を殺されて山賊を憎む人も多いが、俺はそもそもあの村出身じゃないしね」
「……そうなのか?」
「あぁ。ここよりもずっと田舎の出身だよ。侯爵軍に入ろうと家を出たんだ」
「軍人志望の男が、なぜ農村の用心棒のようなことを?」
「それは……」
この問いも、オルテスの返答は重かった。
声が少しだけ低くなり、ジェイスからも目をそらして……
「言いたくない」
と彼は答えた。
何かあるのは明白だったが、オルテスは明らかに嫌悪感を示している。
ジェイスはこれ以上掘り下げても無駄だと感じ、その後3時間ほどの巡回の最中、この話題をだすことはなかった。
…
数時間後……巡回という名の山賊探しを終えて、2人は村へ引き返していた。
平原から高台の村を視界に捕え、真っすぐ馬を走らせていると……正面の林から村人の乗った馬車が2人に近づいてくる。
「オルテスさんッ!」
村人は商人のようで、声を聞いただけで、ひどく焦っているのがわかる。
「バルタンじゃないかッ!?フィジールへ行っていたんじゃなかったのか……!?」
「それが……北の商路で、俺達の商団が山賊に襲われたッ」
「なんだと!?君の商団って……まさか!?」
「あぁ……山賊の奴ら、ずっと狙ってたんだ!」
2人の雰囲気を察し、ジェイスが問う。
「俺は村に滞在させてもらってるジェイスという者だ。すまんが、俺にわかるように説明してくれないか?力になれるかもしれない」
それを聞いて商人は焦る気持ちを押し殺すように、ジェイスに説明した。
「えっと……俺が参加してた商団は、うちの村で一番デカい取引をしてたんだ。参加してる商人も、馬車も、荷も金も桁違いに多い」
「重要な商団なんだな?」
「あぁ!すごい重要だ!たくさん護衛をつけて、いつもならオルテスも参加してくれてる!けど最近、こっち側で山賊の被害が急激に増えてて……今回だけはオルテスが村に残った」
「山賊のやつら……これを狙ってたのか…!?」
ジェイスは巡回に出る前、オルテスが言っていた言葉を思い出していた。
『最近は村の南西で襲われるケースがとても多いんだ』
つまり、これまで村の南西で起こっていた山賊の被害は、今回の犯行を悟らせないための布石。彼らはそう考えているようだ。
ジェイスは村の前後の状況がわからないにせよ、確かにオルテスを遠ざけるという意味では有効な手段だと納得し、さらに詳しい状況を確認する。
「護衛は?」
「もちろん付けていたさッ!毎回フィジールで傭兵を雇うんだ……だけど奴らも凄い数で……あっという間に殺されちまった」
「山賊は具体的にどれぐらいの数だ?……武装は剣だけか?それとも……」
「そんなことはいい!山賊はどっちに向かった!?」
しかしジェイスの質問を無視し、オルテスが声を張り上げた。
「森だッ!ほら、ここからフィジールへ向かう途中にあるだろ……!?奴ら大量の積荷を馬車ごと持って行ったんだ!もしかしたらまだ追いつけるかもしれないッ!」
「クッ!」
「オルテスッ!待てッ!!」
それを聞くと、オルテスは返事もせずに馬を走らせた。
ジェイスはそんなオルテスの姿を見つつ、商人に尋ねる。
「他に生き残りは?」
「俺と逃げて来たやつがもう一人……そいつは村へ知らせに行ってる。他のやつらは……もう…」
「わかった……。俺もオルテスを追う。あんたは村へ帰れ」
…
商人から借りた馬は体力がなく、巡回だけでだいぶ疲れていた。
あまり速度が出なかったが、ジェイスにとってオルテスの馬の痕跡を探すことは難しいものではなく、犯行現場と思われる村の北側の商路にすぐに辿りついた。
そこには30人近い商人と、護衛と思われる軽装の傭兵達の死体……そして壊れた馬車が数台倒れていた。
血の量も尋常ではなく、犯行の凄惨さを物語っている。
「(山賊達はここで待ち伏せして、盗んだ馬車で移動した。バルタンの言ったことを踏まえても、山賊の数は少なくとも40人近かったようだ)」
倒れた馬車の積荷も綺麗に奪われており、どうやら別の馬車に乗せかえて逃走したようだ。
ジェイスは現場から離れる複数の馬車の痕跡を見つけ、今度はそれを辿っていく。
「これほどの積荷を乗せて移動してるんだ。……そう遠くへはいけないはず」
痕跡は平原を超え、北の森へ続いていた。
森の中に入っていくにつれ、粗悪な罠が複数仕掛けられているのがわかる。
踏み荒らされた草を見ても、日常的に多くの人が出入りしているのがわかる。
「(おそらくここら一帯、山賊達の根城になっているんだろう)」
馬を下りて森の奥に進んでいくと、木とボロボロの布で作られた簡素なテントがたくさん張ってある一帯を見つける。
山賊が何人待ち構えていても不思議ではないが、なぜかとても静かで、生き物の気配がまったくしなかった。
しかし、その理由はすぐに判明する。
そこには、先ほどの犯行現場以上の死体が転がっていたのだ。
ジェイスの想像を超える50人近い数の山賊達の死体。地獄を絵に描いたような凄惨な場所だった。
「(全員正面から立ち向かっているのにも関わらず、どれも一撃で急所を断ち切られてる。とても人間業じゃない……オルテスだな)」
一度オルテスの戦っている姿を見ていたジェイスは、改めてその圧倒的な強さを肌で思い出していた。
そしてあの剣から放たれる、ジワリとした恐怖も。
その時…
「うわああああああッ!」
森の茂みの奥から、野太い叫び声が聞こえてくる。
…
ジェイスが声の場所に向かうと、おそらく最後の生き残りであろう山賊がオルテスに命乞いをしている瞬間だった。
「た、たすけてくれッ!俺たちだって、食わなきゃ死んじまうんだッ!もう充分だろッ!もう抵抗できねぇ」
しかし、オルテスはそれに聞く耳を持たず、剣を振り上げる。
天高く掲げられたその剣を見て、ジェイスはその正体をハッキリと理解することになる。
「(あの剣……そういうことか)」
同時にその剣から放たれる恐怖や、圧倒的強さの正体。
そしてそれに依存するオルテスの行く末もわかったのだろう。
気付けば大きな声を上げて、オルテスを止めていた。
「オルテスッ!やめろッ!」
「?」
しかし、その声を聞いてオルテスが振り向いたとき、ジェイスはまたあの感覚を味わうことになる。
恐怖だ。
圧倒的な何かに無慈悲な殺気を向けられる感覚。
逃げ場のない場所で、草食動物が肉食動物に追い詰められた時……おそらくこんな感覚になるのだろうと、ジェイスは思った。
「ジェイスさん」
振り向いたオルテスの表情は、人間とは思えないほどぐしゃぐしゃに湾曲した笑顔だった。
表情を作る筋肉が異様に動き、目は血走り、体が小刻みに痙攣している。
ジェイスの身体は、オルテスの振り上げられた剣から発せられる圧倒的なオーラに、無意識に警戒態勢をとり硬直していた。
しかしジェイスはそれを振り払うように、しっかりと声をだした。
「オルテス……そいつを殺す必要はない。逃がしたとしても、抵抗すらできないだろう」
「……ひっ!」
オルテスが振り向いた瞬間を見計らって、山賊が地面を這って茂みの奥に逃げていった。
それを見たオルテスは、山賊をすぐに追う。
「いくなオルテスッ!」
しかしオルテスは止まらず、茂みの奥へ入っていく。
すると、すぐにその方向から聞くに堪えない断末魔が響いた。
「…ッ」
ジェイスもオルテスを追って茂みに進むと、そこにはすでに肉と化した山賊の頭から、剣を引き抜くオルテスが立っていた。
その姿を見て、ジェイスが恐る恐る声をかける。
「殺したんだな……」
「……」
「オルテス。その剣を降ろせ……」
それを聞くと、オルテスは身体ごとジェイスに振り向いた。
オルテスに見られるたび、強烈な恐怖がジェイスの身体を止めようとする。
「なぜ止める……?ジェイスさん……こいつらは……こいつらは俺達の仲間を殺して…殺して…」
ジェイスはハッキリと言った。
「オルテス……殺すのが楽しいか?」
オルテスはジェイスの話を聞いているのかいないのか……ただじっとジェイスを見る。
明らかに冷静さをかき、今にも斬りかかろうとしているような。
感情の読めないオルテスに向かって、ジェイスは彼を冷静にさせるために言葉を放つ。
「オルテス……お前の握っている剣はただの骨董品じゃない。やっとその正体がわかったよ」
「……」
「なぜこんなところにあるのか想像もつかないが……その剣は呪われた魔剣だ。しかもただの魔剣じゃない……」
「この剣の……正体だと?」
オルテスはジェイスの話に興味があるのだろう、何もせずじっと聞いていた。
しかし剣を握る力はしっかりと込められており、いつ交戦状態に入ってもおかしくなかった。
薄暗い殺気と恐怖は不快な汗のように纏わりついていたが、それでもなおジェイスはその剣の真実を彼に伝えた。
「その剣の名はティルフィング。……歴史上、最も多くの人の命を奪ったとされる魔剣のひとつだ」
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