吸血鬼だって殺せるくせに

大野原幸雄

淫魔より淫らな者Ⅱ

プルーシェ村長はその日の夜すぐに村の集会を行うため、村人達に召集をかけた。

そして集会をの時間を待つまでの間。
ジェイスとディページ……そして村長は、サラからの話を聞くことにする。

アンナの父親、つまりは…この物語のはじまりについて。

「彼と関係を持ったのは2か月前……森で怪我をしてしまった私を、彼が助けてくれたのです」

…  …  … …

その日、私は朝から木の実を摘みに森へ行ったんです。
2時間ほどでしょうか…カゴいっぱいのを摘み終えて帰ろうとしたとき、私は森の中で何か固いものにつまづき、転んでしまったんです。

「…ッ!」

…とても痛かった。転び方が悪かったのでしょう。
痛みは全然引かず、立ち上がれなくなってしまいました。

私は膝をついて……散らばってしまったベリーを拾い集めながら、足の痛みが引くまで休むことにしました。
しかし時間が経つにつれて痛みも増し、腫れも広がっていきました。

とても動けるような状態じゃなかった……私は森の中で途方にくれていました。

「……はぁ」

時間が経つにつれ、森はどんどん暗くなっていきます。
自分でその暗さに気付き始めると、心臓の鼓動も呼応するようにドキドキと早まっていきます。

音が徐々に無くなっていくのを感じていました。
静かになると、たまに聞こえる草の揺れる音でさえとても怖かった。

その時…

ガサガサ…

森の茂みの中に……何かが歩き回るような音が聞こえたんです。

「だ……だれ!?」

動物か人か。しっかり草を踏む音。
過敏になった私の聴覚は、とても純粋にその音をとらえました。

私が声を出したのは、獣かもしれないけれど、人間だったら助けてくれるかもと思ってのことです。
しかし森の中から出て来たのは、獣と人…そのどちらでもなかった。

「……ッ!?」

茂みから上半身だけ覗き込むように現れた姿は、一見するとどこにでもいる青年のようでした。
くしゃくしゃの髪にあどけない表情。とても幼い少年のようでもありました。

彼は服を着ていなくて、細身だけどとてもたくましい身体つきをしていたんです。
獣やグールだったたらどうしようと言う不安が、人に会えたという安心感に変わりました。

でも…

「……!」

森から完全に姿を現した彼が人間ではないことに気がつきます。

頭についた2つの大きな巻き角。
そしてヒザから下は羊の足のように毛むくじゃらで、草を踏みしめているのはヒヅメ。

彼が異形の存在、悪魔や魔人の類だとはすぐにわかりました。
もちろん逃げ出そうとしました。だけどうまく立ち上がることもできなかった。

私が必死に身体を引きずって逃げようとすると、その青年は私にゆっくりと近づいて予想外のことをしたんです。

「ちゅっ……」

彼は私の前にひざまづいて、何も言わず怪我をした私の足に……口づけをしたんです。

驚いたけれど、なぜかとても安心する口づけでした。
すると不思議なことに、痛みが少しづつ引いていきます。

足に力は入らないままでしたけど、あれほど辛かった痛みが少しも感じなくなったんです。

…  …  … …

ジェイスはこの話を聞いて、それがインキュバスであるという確信を得ていた。

「(触れただけで発動する治癒魔法。やはり……ほぼ間違いなくインキュバスだろうな)」

悪魔の中には、触れただけで生物を癒すことができる能力を持つものがいる。
上級悪魔の中でもこの力を持ったものは少ないのだが、淫魔は低級悪魔でありながら、そういった治癒魔法を使える数少ない悪魔であった。

ただ淫魔は他者を癒すためにこの能力を使うわけではない。
性交渉の際に『惚れ魔法』と同時に使うことで、余計な痛みを軽減し快楽におぼれさせるために使う。

淫魔という種の最大の目的、つまりは『繁殖』を効率的に行うために。

ジェイスが考え込むようなそぶりを見せると、サラは会話を中断しジェイスを見つめていた。
この時点で言えることは多分にあるのだが、その視線に気づいたジェイスは話を最後まで聞こうと、サラに視線を返さずにこう言った。

「続けてくれ」

サラは再び、彼との出会いを語る。

…  …  … …

彼は一言も発さず、私をただじっと見つめてきました。

「な……なに……?」

その瞳は、あまりにも澄んでいました。
果実のようにまんまるで……宝石のようにキラキラとしてた。

彼は邪悪なものではない。私はそう感じたんです。

そしてずっと見つめあっていたことに気づき、私は恥ずかしくなって目をそらしました。
すると彼は、今度は私の首筋に顔を近づけて…

「すんすん」

「!」

私の匂いをかぎ始めたんです。私は襲われると思って…

「いや!」

そう言って彼を突き放しました。すると彼は、驚いた顔で私をまたじっと見つめたあと…

「……」

軽く鼻をすすり……何も言わず私の横に座って、空を見上げたんです。

「ご、ごめんなさい……助けてくれたのに……」

彼は膝を丸めて……何も言いませんでした。

「あなた……悪魔……?」

彼はすっと……また私の顔を見ました。
けれど言葉を持たないのか、耳が聞こえないのか、ただ私をじっと見つめるだけで……返答はありませんでした。

「助けてくれて……ありがとう」

「……」

「私……サラ。この先の村に住んでいるの……あなたはここに住んでいるの?」

すると彼は、森の奥を指さしました。
『僕はこの近くに住んでいるよ』……そう言っているのだと、私にはすぐにわかりました。

「あなた……名前は?」

「……」

「教えてくれる?」

「け…る……む」

「ケルム……?ケルムくんって言うの?」

すると彼はコクリと一回うなづきました。

「そっか……」

彼は何も言わずに、ただただ私の近くにいました。
暗くなりつつあった森はとても怖いのだけれど……彼がいるだけで、なんだか落ち着いてきたんです。

そこは……私にとってとても安心する空間だった。
気づけば暗い森の中で、わたし達は身を寄せ合っていました。

言葉を持たない彼との時間はずっと沈黙だったけれど、それが本当に心地よくって……。
彼はそのまま一晩一緒にいてくれたんです。

そして、森に朝焼けが差し込むころ……

「ケルム」

「…さ…ら…」

私たちは別れるのがとても不安になって……最後に、愛し合ったんです。

… … … …

ジェイスはその話を聞くのが辛かった。
この物語の結末を、彼女に伝えなければいけなかったから。

ジェイスは、そこからは何も言わず……村人が集まる夜を待った。

数時間後。
たいまつで照らされた広場に、多くの人たちが集まっていた。
村人たちは集められた理由もわからず、みな混乱しているようだ。

人々の中には、当然妊婦たちもいた。
その数はジェイスが予想していたよりもずっと多く、30人を有に超えている。

妊婦の年齢層はバラバラで、中には10代前半の少女もいた。

広場の中心に木箱を置いて、簡単なステージを作る。プルーシェ村長がその上に乗り、すぐに彼らに説明を始め……ようとした。

「みんな、急に集まってもらってありがとう。今日集まってもらったのは……」

プルーシェ村長はその先の言葉を持っていなかった。
これまでの数時間、どうやって説明するか考えてはいたはずだ。

しかし、その最適解がステージに上がっている今でさえ見つからなかったのだろう。
ジェイスはそれを察し、「俺が代わる」と言ってステージに上がった。

村人たちを一通り見て、一呼吸置き……ジェイスはこの村に起こっていることを彼らに伝えはじめた。

「集まってもらってすまない。俺はモンスタースレイヤーのジェイスという者だ」

皆に聞こえるよう、できるだけ大きな声で言う。
ジェイスは真っすぐに、簡潔に今の現状を彼らに伝えた。

「サラが淫魔の子を出産した。おそらく父親がわからない他の妊婦も、淫魔の子を孕んでいる可能性が高い」

ジェイスのこの言葉に……村人は一瞬で静かになった。

妊婦たちは何を思ったのだろうか……
他の人たちは何を思ったのだろうか……

その静けさは……すぐに罵声と弩轟となって広場を埋め尽くした。

「村の娘が悪魔の子を孕んだだとッ!?冗談だろ!?」

「まさか……カーラ、あんたもなのかいッ!?」

「正気じゃないッ!女どもはどーかしちまってるんじゃねぇか!」

それに呼応するように、今度は村の女たちも大きな声を張り上げた。
広場は一瞬で混乱と負の感情で一杯になった。

「落ち着け!」

広場の混乱を収めようと、ジェイスは珍しく腹の底から大きな声を出した。
その声はとても芯の通った太い声で、興味なさそうに広場の隅で寝ていたディページも片目をあけて一瞬ジェイス見た。

その言葉で、村人たちはまたすぐに静かになった。

「言っておくが……この事態は妊婦たちだけの責任ではない。これからこの村に起きていることをすべて話す……どうか、最後まで聞いて村の結論をだしてほしい」

すでに全てを聞いていたたプルーシェ村長は、ただ下を向いてジェイスの話を聞くことしかできなかった。

「淫魔は人間と性交渉をして繁殖する悪魔だ。男女で別の種名を持ち、女型であるサキュバスが人間の男と交わるとインキュバスを孕む。逆に男型のインキュバスは人間の女にサキュバスを孕ませ、繁殖していく」

事の重大さをわかりやすく、正確に伝えるために。ジェイスは順序だてて説明していく。

「淫魔はどちらも大きな巻き角と羊の足を持ち、魔法と魅力的な体つきで異性を誘惑する。しかし女型のサキュバスと男型のインキュバスには、生態的に大きな違いがある」

そして一呼吸おいて、本題に入っていく。

「……それは寿命だ。男型のインキュバスは女型のサキュバスに比べ、寿命がずっと短く体も弱い。生まれてすぐ死んでしまう個体がほとんどで、無事に育っても寿命は6年ほど。成体になってからほとんどの時間を性交渉に充てるサキュバスとは違い、インキュバスは生涯に行う性交渉は多くて2度ほど。……性交渉をしたとしても確実に妊娠させるわけではないから、本来インキュバスの被害はそこまで大きくならない。つまり…この村のように妊婦がこれほど増えることなんて、通常であればありえないことだ」

村人たちは静かに聞いていた。
そして、村の半数以上がこの時点であることに気付き始めていた。

この村に起きていることの真実に、ジェイスよりも深いところまで辿りついている者も少なくなかっただろう。
そんな彼らに、ジェイスは説明を続ける。丁寧に、そして……責めるように。

「ではなぜ……これほどの娘たちが同時にインキュバスに孕まされたのか。もっと言えば、数が圧倒的に少ないはずのインキュバスと、なぜこれほど大勢の娘が性交渉できたのか。……理由は簡単だ」

数が少なく、寿命も短く、単体ではそれほど多くの性交渉ができない男性型のインキュバス。たった一匹のインキュバスに、これほどの妊婦が孕まされたとは考えにくい。
つまり……インキュバスの数が『普通では考えられないほど増えている』と言う事に他ならない。

その理由は決まっている。

「すなわち……この村の男たちが常習的にサキュバスと関係を持ち、サキュバスにインキュバスを孕ませ続けていたということだ」

「……!?」

いくらインキュバスがすぐに死んでしまうとしても、生まれてくるインキュバスの数が死ぬ数より多ければ全体的な数は増加していく。
つまりこの村の男…いや、おそらく外部の者も含めて相当な数の男がサキュバス達と欲望のままに性交渉し、せっせと奴らの繁殖に手を貸していたことになる。

村の女性たちに被害が出始めたのは、それだけ状況が末期ということだった。

この事実に驚いたのは村の女性たちの方だった。
彼女たちは男性達に軽蔑の眼差しを向けたが、誰も大きな声を上げることはなく……ジェイスの話を聞いていた。

「インキュバスは生まれてから約4,5年で性交渉が可能な年齢に成長すると言われている。つまり最低でも4年前から、淫魔がこの地に住み着いているのを知りながら……サキュバスと関係を持ちつづけ、熱心に奴らの繁殖の手伝いをしていたバカが相当な数いたということだ。一人や二人なんて数じゃないはずだぞ?これほどの数の女性が同時に淫魔の子を妊娠したケースを俺は知らない。ハッキリ言って、すでに対処できるレベルを超えている可能性すらある」

ジェイスも村の男達を睨む。それほどこの事態は深刻だった。
それを当人達もわかったのか、すでに勝手に声を上げる村人も1人としていなくなっていた。

ジェイスは落ち着いた声で、かつ皆に聞こえるほど大きな声で言った。

「もしこのまま放っておけば…さらに悍ましい事態を呼ぶことになる。誰でもいい……今すぐ俺に淫魔の巣の場所を教えろ」

すぐにでも誰かが手を上げて、巣の場所を言えば丸く収まる。
しかし、この問いかけに村の男たちのほとんどが下を向き……まるで自分は関係がないようなそぶりをする。

実際に関係を持っていた者……知っているけど黙っている者……
ただ己の欲求を満たすために、悪魔に利用されているとも知らず、その事実を保身のために語ろうともしない……淫魔より淫らな者たち。

彼らが一体どれに当てはまり、そもそもどれほどの数の男が関わっていたのか。
ジェイスも想像することしかできないが、ことの重大さを理解してもなお誰も口を開かない事態にイラだちを隠せない。

ジェイスは大きな声でもう一度問いかける。

「淫魔は群れると強力な魔法を使う。このままだと関係を持った異性やその仲間から精神を蝕み、冷静な判断力を奪われる。群れが巨大化すれば、淫魔達は村に降りてくるだろう……。そうなれば繁殖力のない老人は食糧として殺され、それ以外は苗床として家畜のように扱われる。…このまま放っておけば優秀なモンスタースレイヤーや兵士を雇っても手に負えなくなるぞ?……それでもいいのか?」

数分。じっと待ったが、いくら待っても結局誰も名乗りでることはなかった。
ラチがあかないと思ったジェイスは最後にこう言って…その場を去る。

「伝えられることは全て伝えた。明日の朝まで村長の家に滞在する。それまでに結論をだせ。言っておくが……滞在日数を延ばしてまでこの村を助けてやる義理はない。俺は、勇者でも英雄でもないからな」

このジェイスの言葉を…誰がどう受け止めたのか。それは明日になってみないとわからない。
厳しく見えるこの言葉は、ジェイスがモンスタースレイヤーという立場で答えることができる最高の優しさでもあった。



集会が解散され、村長宅に戻ったジェイス達は夕食をごちそうになっていた。
暗い雰囲気に付き合うのが嫌なのか、ディページは部屋の隅であくびをかいて寝ていた。

村長もサラもずっとそわそわしていたが、ジェイスはできるだけ淡々とした態度で報酬の話をはじめる。

「巣の規模にもよるが……報酬は40リタあたりが妥当だろう」

「よ…40リタ……」

「まぁ、誰かが巣の場所を教えてくれたら……だけどな」

40リタは一個人が払えるような金額ではない。
しかし村を救うためであれば決して高くはない金額だと理解した村長は、その金額でジェイスに依頼することを了承した。

「村人たちとお金はかき集めます……よろしく……お願いいたします」

報酬の話に区切りがつくと、サラがたまらずジェイス達に聞いてきた。

「私の娘アンナは……あの子はどうなるんですか…?」

ジェイスは、彼女の顔を見ずにこう答える。

「人間の世界では生きていくことはできない。辛いだろうが、俺が巣へと連れていく」

それを聞くと、サラはすがるようにジェイスに言う。

「そんな……お願い……どうかあの子だけは……あの子だけは…ッ!」

サラは、すがるようにジェイスを見た。
しかしジェイスは突き放すようにサラに言葉を放つ。

「…ダメだ。アンナはサキュバス……成長すれば男を誘惑し、必ず争いの火種を生む。それにサキュバスは一定の年齢になると、強烈な帰巣本能で淫魔の巣へ帰ろうとする。それを止めれば……たとえ親だろうとためらいなく殺すだろう」

「そん……な……そんな……」

「この世界に生きる限りは、持って生まれた本能と運命にあらがう術はない……」

サラは頭では理解していたのだろう。しかし、感情で納得することができなかった。
まるで口からこぼすように……サラはジェイスに言う。

「あの子は……アンナは……まだ一人で歩くこともできないのよ?おっぱいを飲むときだって……私が頭を支えていなければ、口をつけることもできないのよ?」

「……」

「だけど……笑うのだけはとっても上手な……とても…とてもいい子なのよ…どうかお願い…お願いします…」

震える声で訴えるサラの顔を、ジェイスは見ることができなかった。
なぜなら彼女の顔を見てしまえば……この言葉を言えなくなってしまいそうだったから。

「……駄目だ」

ハッキリと伝えるジェイスの言葉に、サラの瞳からは大粒の涙がこぼれた。
とても美味しい食事に、悲しみの涙が落ちて混ざる。

プルーシェ村長はそんな娘の頭を優しくなでつつ……ジェイスに聞いた。

「これから……どうなさるおつもりなんです?」

「巣の場所がわかったら淫魔達にアンナを引き渡す。そして、巣の場所を移すように交渉してみるつもりだ」

「交渉……?悪魔にそんなこと……できるのでしょうか?」

「できる……と言いたいが、今回は正直わからない。なんせ最低でも4年以上放置された巣だ……。どれほどの規模なのか想像もつかないし……最悪、剣を抜くこともあるだろう」

もし淫魔達とジェイスが戦うことになれば……どちらが勝つにせよ、この村には大きな不幸がやってくるだろう。

「大丈夫だ。心配ない…」と言うのは簡単だった。
しかしジェイスはこの状況において、期待させること自体が最も罪深いことだということをわかっていた。



次の日。
ジェイスが目を覚ますと、村長が二つ折りになった一枚の手紙を渡してきた。

「ジェイスさん……今朝、ドアの隙間にささっていました」

手紙を開くと、中にはこう書かれていた。

― ーーーーー ー

南東の森を抜けた岩場。
そこに巣がある。

ー ーーーーー ー

乱暴な字で書かれた手紙に、差出人の名はなかった。
きっと罪悪感にかられた村の男の誰かが書いて持ってきたのだろう。

ジェイスは手紙を閉じて、寝ているディページを起こし……
淫魔との決着をつけるために南東の森に向かうのだった。

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