白銀髪の騎士と黒髪の聖女

桝克人

エピローグ 変わっていくもの

 今日の王都はすこぶるいい天気に恵まれた。街中でお祝いの準備に忙しなく人々は往来している。彼らの顔もいつもより喜びに満ちているようだ。王都中を飾りつけ、屋台や見世物小屋、楽団の準備などが進められている。すでに開けられた屋台からは鶏や牛を焼いた串刺しや、揚げパンの匂いが漂っていた。

 スカーレットは少し遅めの買い出しに街に出向いていた。クリスが家を出てから一人分の料理をする手間が多少煩わしくなり、外で出来あいのものを買うことが多くなった。スカーレット自身も仕事が増えており、家のことまで手が回らない日が増えているのである。

 それもそう、スカーレットは魔女でありながら、ローズを助けた功績が世間の印象をがらりと変えた。スカーレットからすると煎じた薬を飲ませただけで、大したことはやっていない———あくまでも特別なのは材料である。ローズは国王陛下に「命の恩人」と伝えたことで、褒章を与えられたのだ。
 新聞にも大体的に取り上げられ、一面に『魔女の薬は聖女も救う』と大きな見出しが書かれた。それを見た人々がスカーレットの店に通うようになり、おかげで大盛況というわけだ。
 城下町の評判をききつけた貴族にも度々呼び出されることが増えた。初めこそ物珍しさで見られることも少なくなかったが、とある貴族の家で、長年頭痛に悩まされている主人がスカーレットの薬を飲み始めたことで大きく改善したという。それがまた噂となり、揶揄い目的の呼び出しは減り、代わりにまともな依頼が増えた。
 目が回るほど忙しいので、一週間のうち、昼間のうち四日は店を開け、二日は訪問する日を設けた。お得意様の娼館には夜や朝でも店を開けると約束をしている。

 今日は普段より長く眠り、起きた時にはすっかり陽が昇りきっていた。そして空腹に泣く体を満たすために城下町へと足を運んだのである。
 手早く珍しい揚げ菓子と焼いたソーセージを購入した。家に戻る途中、最近お得意様になった女店主から声をかけられる。

「やあスカーレット、こんな時間に珍しいね。これからお祭りに行くのかい?」

 彼女は魔女嫌いで有名な木彫りのアクセサリーを売る中年のおばさんだ。以前はスカーレットを見るなり侮蔑の眼差しをむけすぐにそっぽを向くような人だった。スカーレットは慣れていたし、変に絡まれないから大したことがないと、接点を持とうとしなかった。
 それが今では週に三日も通うお得意様である。大抵は気持ちを落ち着かせるブレンドティーを買っていく。買い物だけでなく、ちょっと立ち話に寄ったり、彼女が作るアクセサリーと魔女の薬を組み合わせて(彼女はアロマフューザーを作ろうと言った)新しい商売をしないかと持ちかけられたりと、以前では考えられない程親しい間柄になっている。人生は何がおこるか判らない。

「遅い朝ごはんを買いに来ただけさ。家に帰るところさ」
「おや、もう帰るのかい?これから聖女様が街に降りてくるって皆噂をしてそわそわしているよ。クリスも一緒なんだろう。会って行かないのかい?」

 聖女の叙任式が午前にしめやかに執り行われている。今もまだ続いているだろう。叙任式は関係者———聖女や国王陛下、そして騎士たちしか参加できないが、民と直接話したいと願うすみれの意向で午後は街に降りてくるそうだ。数日前に一度帰って来たすみれが護衛が大変だとぼやいていたのを思い出す。随分やる気満々で嬉しそうな顔もしていたが。

「今日は遠慮するよ。私が居たら色々な人と触れ合いたいというすみれ様の意向に沿わないだろうしね」
「そうかい。それじゃあおちついた頃にでも店に顔を出すよ。例の商売のことについても話を詰めたいしね」
「ああ、お茶を用意して待っているよ」

 スカーレットは手を振って賑わいを背中に受けながら後にした。


◆◆◆


「はい、お疲れ様」

 叙任式の後、聖女の自室に戻ったクリスはすみれの頭に乗せられたオリーブの冠を取り外した。すみれはスイッチが切れたように、固くしていた表情を解きほぐし一息ついた。

「緊張した!なにかしくじってないかな」
「多分ね」
「多分って何?え、私やらかしてた?」

 すみれが緊張しているのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に頭がいっぱいいっぱいだったクリスは自分のことで精いっぱいだったとは言いづらい。

「クリスぅ?もしかして緊張していたんでしょう?」

 すみれは下から覗き込んで、ははーんと目を半分閉じほくそ笑んだ。図星をつかれたクリスはぷいっと顔を背ける。

「なんのことやら…」
「誤魔化すの下手なんだから」

 すみれは声にだして笑いクリスの脇腹を擽る。想像もしなかったいたずらに「馬鹿なことしないの!」と笑いながら言いながら引き離す。

「心配しなくても大丈夫よ。皆きちんとできていたわ」

 ローズは自力で車輪を動かしてテーブルの近くに移動する。懐かしいとついこの間まで自分が使っていたテーブルを撫でた。
 暫くの療養で聖女の部屋を使っていたが、先日部屋をすみれに引き渡すことにした。それを決めたのはハロルドから、自身の屋敷でローズを住まわすことを提案されたからである。
 ローズはそのことを思い返していた。

◆◆◆

 二週間前、ハロルドは次の聖女の騎士———息子のオリヴィエの為に部屋を片付けていた。
 ドアがノックされハロルドは箱に荷物を詰める手を止めて来客を迎える。

『お疲れ様』
『ローズ様。そちらに出向こうと思っていたのに…お一人で車椅子を動かしたんですか?』
『ええ。上半身は不自由ないし、これからは自分で動かさないとどこにも行けないもの』
『ご立派です』

 ローズは上機嫌に部屋の中へと進んだ。すでに部屋の中は殆ど箱詰めされてすっきり片付けられていた。

『メイドに聞いたのだけれど、あなたフィグの荷物を引き取ったそうね。さっき隣の部屋を覗いたら全くものがなくなって驚いたわ』
『ええ。身寄りがないって聞いたので、処分される前にこちらで預かりました』
『余計なことをするなって怒られたんじゃない?』
『仰る通りで』

 いつも柔らかな笑顔を浮かべていたフィグは、収監されてから皮肉を言う回数が増えたようにハロルドは感じていた。これまではずっと『模範的で良い騎士』を演じていただけなのかもしれないと勝手に分析をした。これを言えば浅慮なことだと馬鹿にされそうだ。しかし実のところ今のフィグの方がハロルドは好きだった。

『出て来た時に、渡してやろうと思います』

 ローズは「そう」と短い返事だけした。二人にはそれがいつのことになるか判らないということが解っていた。十年先か、二十年先か、もしかしたら生涯出られないかもしれない。
 それでも一縷の望みは捨てきれないのである。例え聖女の命を奪おうとした大罪人であっても、二人には善き騎士であり、善き友だ。それは生涯変わらない。

『それで?私に話って何かしら』

 ハロルドは汚れや埃を祓ったばかりの椅子に座った。

『陛下から訊きましたよ。ご家族様の元に帰らないそうですね』
『ええ』
『理由を聞いても、よろしいでしょうか?』

 ローズは少し悲し気な表情を浮かべた。

『どうしてかしらね。いざ帰れる道を示されても心から帰りたいって思えなくて』

 聖女に選ばれて故郷を離れるとき、二度と家族の元に帰らないって決めていた。帰りたいと少しでも頭をよぎると、めげてしまいそうな気がして怖かった。気を張って、使命に生きると決意し家を捨てると自分に言い聞かせて来た。
 心が麻痺して慣れてしまったのかもしれない。

『家族は出て行ったきり手紙も寄越さず、聖女でなくなっても帰らない娘を憎んでいるかしら。酷い娘よね』

 長年重い責務を担ってきた少女にかかった苦しみとはいかほどのものなのか。フィグの言っていたことはこういうことなのか。もしかしたらローズの苦しみを一番理解していたのはフィグなのかもしれないとハロルドは思った。

『私は人の親ですから、いつだって子供のことを思います。元気にしているだろうか、泣いてはいないだろうか、辛いことばかりではないだろうか、そんなことばかり考えますよ。元気ならばそれでいい。でも出来れば顔を見せて欲しい。私ならそう思います』
『じゃあやっぱり帰った方がいいかしら』
『いいえ。それを決めるのはあなたです。帰りたくなるまではそれでいいんじゃないでしょうか』


『ローズ様、もしよろしければ我が家に来ませんか?』
『え?』
『正直に言わせてもらいますが、今後の予定なんて特に考えてなんかないんでしょう?』

 ハロルドのにやりと口角をあげるちょっと意地悪な表情にローズは目をぱちくりとさせた。

『図星ですよね』
『どうしてわかったの?』
『これでも聖女の騎士として六年、補佐官の期間もいれれば十二年の付き合いですよ。あなたは聖女としてはご立派な方ですが、生きる力が備わっていると思えません。その場しのぎで行動し、妙に我慢強いところがおありですから。先のことを考えず一人で生きるなんて到底無理ですよ』

 酷い言われ様にローズは不満げに唇を突き出した。しかし何一つ反論できず肩をすくめた。実際大聖堂から迎えが来る前までは、親の庇護下でしか暮らしたことはないし、大聖堂に来てからは、生活に関しては至れり尽くせりの環境だ。自立してやっていくなんて偉そうなことは言えない。

『だからこそ、まずは私の家でお過ごしください。その間にこれからのことをゆっくりお考えになったらいいじゃないですか。それから先のことを決めたらよいのです。数年後でも十年でも、二十年でもご家族に会いたいと思う時がきっと来ます。焦らずに生きましょう。もし王都にいるのがお嫌でしたら、親戚のつてを当たって新たな土地を用意しますよ』
『でも流石にそこまで迷惑なんてかけられないわ…』
『迷惑上等です。それにあなたが仰ったことですよ。フィグの姉の代わりに彼につきあうように、私もあなた方に付き合います。忘れないでください。あなたが聖女でなくなっても、《《私たち》》はあなたの騎士ですから。生涯を共に生きるつもりです』

◆◆◆

(こうして考えると、わたくしは本当に自分のことしか考えられなかったのね。ハロルドから見たわたくしって本当に子供っぽくてちょっと…かなりショックだわ)

「ローズ様、お疲れが出ていませんか?」

 思わずついたため息にクリスはいち早く反応してローズを労った。

「ああ、ごめんなさい。そうじゃないのよ」

 コンコンコンと軽くドアをノックする音が聞こえてクリスは速足で開けに行った。

「よぉ。お疲れさん」

 オリヴィエはワゴンを押して部屋に入った。テーブルにアフタヌーンティーのセットを置いた。サンドイッチやスコーン、木苺のジャム、焼き菓子などフィンガーフードが様々盛り付けられている。

「軽食を用意してもらったから食べてくれ。特にこの木苺のジャムは絶品らしいよ。さっきすれ違ったメイドが教えてくれた」

 オリヴィエは大聖堂に住居を移してから、最初のうちは冤罪とはいえ処刑の悪い印象や、大聖堂では曰くのついたエリックの息子でハロルドの養子というレッテルがあり、敬遠されていた。当の本人はというと、ハロルドと和解し憑き物が落ちたようにすっきりしている。また本人の人懐っこい性格がイメージの払拭に一役も二役もかって、今ではちょっとした人気者だ。
 それでも実父であるエリックの死の真相を知った際は、かなり動揺し打ちのめされていた。彼を立ち直らせたのはクリスとすみれは彼に寄り添ったこと、それ以上に家族のおかげである。奇しくも彼らは処刑騒動を経て本当の家族になれたのかもしれない。

「ローズ様、兄がかなり張り切って準備していたから驚かれたでしょう」
「え、ええ。押し掛けた上に恐縮です」
「いやいや、気にしないでください。張り切らせてやってください。本当言うと、やっぱり兄は父のように聖女の騎士を目指していた人だから、聖女様に関われて喜んでいるんです。だから一時的にでもうちに滞在して下さって本当に感謝しかありませんんよ」

 すみれとクリスは顔を見合わせた。本当にそれだけなの?と特にすみれは顔のにやけが止まらないようだ。

 オリヴィエが次のクッキーに手を伸ばしたところ、少し急かすようなノックが響き渡る。クリスは立ち上がりドアを開けると厳しい顔つきのマヌエルが立っていた。クリスの後ろを伺うと誰もが呑気にお茶をしている様子が目に移り、マヌエルは更に目を据わらせる。

「やはりまだこちらでしたか。お急ぎください。皆お待ちですよ」
「すみません。直ぐに用意します」
 
 クリスはすみれの装いを確認しに中に戻った。マヌエルが全く…と呆れているとローズがくすくすと笑いながら近づく。

「手厳しいことで」
「補佐官として当然です。皆さまを支えるのも私の仕事ですから」

 マヌエルは考えを改めていた。逆らうことなく付き従うことが補佐官として当然だと思っていた。自分の頭で考えず目を閉じていたことと変わらないのではないか、そんな甘さが今回の騒動を引き起こした一因になったのではと深く悔いた。
 聖女が入れ替わったことを機に騎士も引退するつもりでいた。しかしそのことを聴きつけたクリスがマヌエルを引き留めた。

『傍でずっと見ておられたマヌエル様だからこそ、未熟な私たちが間違った道を進もうとしたとき叱り導いてくださると思うんです。どうかお力をお貸しいただけませんか』

 クリスはまっすぐマヌエルを見据えた。目には緊張感を宿していた。初めて迎えに行った日も、二度目も、エネロに旅立つ日も、彼女はずっと緊張していた。使命には一途に取り組むだろうと教官に推薦されたと聞いていたが、マヌエルから見ると、気持ちも不安定で、聖女を任せるには危なっかしいのではと危惧していた。
 彼女は変った。確かに未熟には違いない。それでも表情は和らぎ、心に余裕が生まれているように感じた。いったい何が彼女を変えたのかマヌエルには解らなかった。ただ、今のクリスにならついて行っても良いと直感した。
 マヌエルは胸に手をあて、ほほ笑んだ。

「お待たせしました」
「では参りましょう」
「気を付けていってらっしゃい」

 三人は口を揃え「いってきます」と手を振るローズに手を振りお辞儀をした。すみれを先頭にクリスとオリヴィエが後ろにつき、マヌエルが更に後ろに控えて歩いていった。
 
 ローズは部屋に戻った。そしてビューローデスクの傍の窓に近づき外の様子を伺う。新たな聖女を待ちわびる民衆が今か今かと待っている。
 これからの道は平坦なものではないだろう。全ての民が黒髪の聖女すみれを迎え入れるわけではない。呪術師がどのように出るかわからない。この国の行く末はどうなっていくのだろうか。
 わっとあがった歓声がローズの耳に届いた。杞憂が緩和した気がした。

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